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法華経二十八品の前半十四品を迹門、後半十四品を本門であると天台(智顗)は立て分けていますが、この立て分けの意味はどういう事なのでしょうか?

A 回答 (3件)

法華経二十八品の前半十四品を「迹門」、後半十四品を「本門」とする立て分けは、天台宗の開祖である智顗によって行われました。

この立て分けには以下のような意味があります。

迹門:

「迹」とは、仏の仕事や業績を指す言葉です。この部分では、仏が様々な現象を通じて説法を行い、衆生を救済していく様子が描かれています。具体的には、仏の出家、成道、弟子たちへの教え、諸国への行脚などが述べられています。
この部分では、仏の行いや教えに基づいて、衆生が成仏へと導かれるプロセスが示されています。智顗は、迹門を通じて衆生が仏道に入る際の重要な段階を示したとされています。


本門:

「本」とは、真理や根本的な教えを指します。後半の十四品は、法華経の真実の教えや根本的な法則が説かれています。
この部分では、仏の真理や根本的な教えが明示され、その真理に基づいて衆生が成仏へと進んでいく過程が描かれています。智顗は、本門を通じて衆生が真の教えを理解し、成仏の道を歩むことを示したとされています。
智顗の立て分けによって、法華経二十八品は迹門と本門に分かれ、それぞれが衆生の救済の過程や真理を示しています。迹門では仏の業績や教えが、本門では真理や根本的な教えが説かれており、それぞれが衆生の仏道修行における重要な段階を示しているとされています。
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この回答へのお礼

質問の範囲内での回答というものはスマートであるという印象があります。かと言って、質問の範囲を超えるようなことがあっても、それが良くないとは私は思いません。事実私もそういう「勇み足」をよくしてしまうタイプであります。

そうした観点から、あなたの回答はスマートであるという印象を持ちました。

お礼日時:2024/02/11 19:27

迹門:釈尊が修行して成道した事が明かされる。

⇒始成正覚

本門:釈尊がその昔より仏だったことが明かされる。⇒久遠実成


★それに対して、日蓮大聖人は⇒久遠元初

『南無妙法蓮華経』から見れば、、、

法華経迹門も本門も、、、『迹門』となり、
『南無妙法蓮華経』、、、が『本門』となる。

ただし、身延系の『日蓮宗』は邪教であり、
大石寺系『日蓮正宗』も邪教である。
ご利益を受けるどころか、仏罰を被る。
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この回答へのお礼

法華経迹門では釈尊は「始成正覚」つまり、この世で修行して仏になったと。
しかし、法華経本門では「久遠実成」つまり、五百塵点劫の成道を説いたと。
それに対し、日蓮は久遠元初の自受用身であると。

法華経迹門、本門、文底の教えの関係性は№1の方と同じですね?

身延系日蓮宗及び大石寺系日蓮正宗は邪教であるという根拠については、別の機会に教えていただければと思います。

お礼日時:2024/02/11 19:20

天台は


「迹門は本門の依義判文(義に依って文を判ず)なり、但真実の依文判義は本門に限るべし」と言っています

そのことから
迹門は仏が衆生を救うために顕した仮の姿
本門は仏の本地、真実が明かされた、と言えます

分かり易く言えば。あくまで分り安くですよ。
影と本体
論理(観念論)と現実(行動)
設計図と完成品
薬の効能書きと薬
決意発表と体験発表

しかし
法華経を文底から拝すれば、迹門、本門、共に迹門なのです、
問題は、ここが読めるかです、ここが最重要なのです。

天台に止まると読めないんです。
習いそこないが、
摩訶止観なんかにのめり込むと、出られなくなる。
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この回答へのお礼

ふむ。

法華経如来寿量品第十六の文底の教えからすれば、法華経本門も「迹門」になってしまうと。
その文底の教えこそ仏教の肝要の教えであると。

お礼日時:2024/02/11 19:09

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