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京アニ事件の青葉被告って加害者じゃなくてむしろ被害者なんじゃないですか?
社会の闇の被害者ですよね?

A 回答 (15件中1~10件)

加害者です。

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仮に社会の闇の被害者だったとして、ガソリンを撒いて火をつけて


30人以上の人を死に至らしめたことが正当化されるの?
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じゃ 死んだ人は?

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百歩譲ってかりに社会の闇の被害者だったとして「加害者じゃなくて」の根拠になる要素は一つもありません。

間違いなく加害者です
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その通りです


彼はコンビニバイトをしている時に「理不尽な社会に嫌気がさした」とコメントをしています

親が片親の貧乏育ち、金が無く幼少期から万引きなどをする
同級生のコメント「家が散らかって汚かった」的なコメント
小学校か中学校の卒業文集「大金持ちになる」
高校は通信制、同級生曰く「あいつはかなり前で真面目に授業を受けるタイプだった」

高卒後、役所で書類を部署間に配達する
勤務態度は「真面目、良好」的なコメント
役所の自己都合で契約終了

次の仕事はコンビニバイト的なもの
「理不尽な社会に嫌気がさした」
下着泥棒か何かで捕まる
その頃から自宅で暴れるなどの問題行動が目立ち始める

何度か逮捕、精神病などを繰り返し、
刑務所で私小説を書き、それを京アニコンテストへ投稿
結果「内容だけ盗まれた」と感じ、放火
5ch的な匿名掲示板でやり取りをしていたことが分かっている

社会そのものが理不尽で悪であり、
彼はその社会の悪しき化学反応の結果、殺人鬼に変貌した
被害者とも言えるでしょう
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なぜ社会は理不尽なのか



それは仕事や恋愛というのは、相手方の「理由非公開」の理由で
合格したり、不合格だったりするからです

たとえば学校のテストというのは、正解を書けば、誰が書いても正解です
美人だろうが、ブスだろうが、正しいことを書けば正解で高得点、間違ったことを書けば不正解、極めて「クリーン」です

しかし現実の仕事や恋愛というのは、そのような原理で作動しません
相手方の極めて主観的、差別的な理由で合格したり、不合格になったりします
つまり人間関係や、お金の流れというのは、極めて理不尽で、差別的なものなのです
同じ仕事をしても、Aさんは高評価で、Bさんは低評価、
あるいは、Aさんは綺麗で楽な仕事をして高給、Bさんは汚れ仕事で低給、
こんなことがまかり通っているのが社会です

ですので「理不尽な社会に嫌気がさした」と考えて
「社会をぶっ壊そう」と考えるのは
極めて自然なことなのです

私たちが勝ち得てきた「基本的人権」とかいうものも
そもそもは支配者、王族をギロチンで殺したことによって
取得したのです
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青葉が社会の闇の一種の被害者である可能性はないとはいえません。

でも36名の亡くなった方、数十名の傷を負った方にとっては紛れもない加害者です。
 そもそも社会の闇の影響というのは、多かれ少なかれほとんどすべての人が負っているものじゃないですか。そのうちほとんどの人は悪いことはせずに真っ当に生きている。ましてやこれだけの凶行を行う免罪符にはならんでしょう。
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汲むべき事情が無いとは言わない



でも彼だけが辛い境遇だったのかな?
みんな多かれ少なかれ苦労もあれば辛いことも有る
でも、皆が皆あんな事件を起こすわけじゃない
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そういった見方も、多くの反発はあるかもしれませんが、決して間違ってはいない、正しいと思います。


激しい本人の思い込みが犯行動機であって、被害者の人たちには過失は一切無いと断言はできます。
しかし、そんな思い込みをしてしまう人間を作ったのは、本人の資質に問題があったことだけが原因ではありません。
社会にも問題があるからこそだと思います。
現代日本社会では、生産して金を産める者、その生産システムを効率良く動かせる者が評価される世の中です。
そして、そのシステムは一部の階層に独占され、新規参入は難しいのが現実です。
具体的には、自民党の国会議員の4割が世襲政治家であることが指し示しています。
もとより、そういった経済システムに生まれつき適応できない者もいます。
適応できない者は、殆どの場合、社会の落伍者になります。
日本では、敗戦してアメリカの占領下になった歴史があって、その時に既得権益者がGHQによって排除されました。
誰もが同じスタートラインに立って競争できる社会になったのです。
そのことが、日本を高度経済成長の良い方向へ導きました。
それが、現代になって崩壊しているのです。
戦後の高度経済成長期は、そこそこに真面目に働いていれば、さほど能力が高くなくとも人並みに稼げて暮らしていける社会でした。
それは、多くの手厚い労働環境が期待できた国策会社組織があったこと、具体的には国鉄、電電公社、郵便局などです。
純粋な民間会社も、松下幸之助流の経営で、社員は家族との意識の組織でした。
日本の会社は、各個人の能力が動かしているのではなくて、社員が組織の歯車として、担当分野に専念して動くことで、全体としてその歯車が上手く回って効率を上げる会社組織でした。
アメリカ企業のように能力が高い者が個性的な能力を発揮して、それを経営者が取り立てて発展する、組織そのものが常に変革して、社員同士が競争することで発展するアメリカの企業とは全く別物だったのです。
それが、バブル経済崩壊以降、アメリカの大学で勉強した自称経営専門家が、アメリカ流の経営効率の働き方を、日本に知ったかぶりして持ち込んだ結果、日本企業の伝統的良さがあったシステムは崩壊、日本経済は殆ど発展しなくなったのです。失われた30年になりました。
つまり、日本の社会システムが、アメリカ流の個人の能力を重視するようになった結果、能力が低い者は切り捨てられる社会になり、はっきりとした階層社会、頭脳明晰で優秀、あるいは世襲で運が良い者と、そうでない者の分断階層社会ができました。
そのことが、この事件の遠因になっていると思っています。
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殺人を許容すべき理由ではない。

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