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パソコンがまだ高根の花で、オフィスでも一部でしか導入されず、個人所有に至っては
相当マニアックな人や高偏差値大学の理工系学部の学生しか持っていないような時代の話です。
パソコン少年の武勇伝としてこんな話を聞きました。


***
上記のようなパソコン黎明期、パソコンが金持ちやインテリのホビーとして使われていた時代、
秋葉原の電気店やパソコンメーカーのショウルームのパソコン売り場に置いてある
”店頭展示品のパソコン”に毎日のように通いつめ、プログラミングをして、その場でBASIC言語でゲームを作ってしまう少年たちがいた。
彼らは作ったゲームのプログラムリストをパソコン店に売り、パソコン店はそれを商品化して
自社ソフトとして売っていた。パソコン少年はその対価として小遣い程度の報酬をもらっていた。
そういったパソコンゲーム作成少年の中にはそうやって得た報酬を貯めこんで、
ついには自分でパソコンを購入する剛の者さえ現れた
***


これって本当でしょうか?
パソコンホビー黎明期に、自作のゲームプログラムをパソコン雑誌に送って、原稿料や賞金を得た、という話は聞いたことがありますが、
「パソコン屋に売って、報酬を得て、
 さらにはそれを繰り返して
 遂に自分でパソコンを買うまでに至った」
という話は聞いたことがありません。
こういったプログラマ少年(高専生、大学生なども含む)たちが、ゲームプログラムコンテストで得た賞金でパソコンを買った、という話は聞いたことがありますが、パソコン屋にゲームソフトを売って、その金でパソコンを買うにはいったいどれほどの量のゲームプログラムを作ったことでしょうか?
買い取る側のパソコン屋にしても、渡す金はせいぜい数千円だったでしょう(どうせ少年たちだから報酬の多寡を巡って訴訟沙汰になることもないでしょうから、体のいい労働力としてしか見ていなかったでしょうし)

この話の真偽を知っている方、ご回答お願いします。

質問者からの補足コメント

  • 参考記事
    https://www.1101.com/about_iwatasan/yanase/2020- …
    東京工業大学柳瀬博一教授
    岩田聡さんについて
    (略)
    西武百貨店には1970年代から
    コンピューターのコーナーがあって、
    (略)
    社会人、大学生はもちろん
    高校生や中学生でもその実機をつかって
    プログラムをすることができたんです。
    (略)
    のちに日本を代表するクリエイターになる人たちを
    西武百貨店の、当時「マイコンコーナー」と
    呼ばれていた場所が育てたんです。

    西武百貨店、そこのマイコンコーナーで
    大学生の岩田さんは本格的なプログラムをはじめます。
    岩田さんは毎週末、行ってたそうです。
    当時は、岩田さんだけじゃなく、
    コンピューターの前に座って一日中
    プログラムを書く人がいっぱいいたということです。
    *
    後はリンク先参照願います
    岩田聡=元任天堂社長

      補足日時:2024/03/08 21:42
  • 続き https://www.1101.com/about_iwatasan/yanase/2020- …
    より
    (略)
    大学の勉強よりも、
    毎週末、池袋西武百貨店のマイコンコーナーで
    仲間たちと一緒にやっていた
    ゲームのプログラムの研究のほうが
    おもしろかったんでしょうね。
    (略)
    その点、池袋西武に行けば、仲間たちがいて、※1
    お互いのプログラムを自慢し合ったり、※2
    バグをチェックし合ったり ※3
    ということができるわけですから、
    やはりそれは優先順位が高いですね。
    (以下略)
    あくまで池袋西武に限っての話ですが、※1-3などから
    実物展示というだけなく、本当に自由に使えた試遊機というか、車でいう試乗車並みに開放していたようですね
    市販品とまで行かずとも簡単なゲームぐらいは作れたのでは?
    彼らの最も高い関心はゲームなのですし。

      補足日時:2024/03/08 21:57

A 回答 (9件)

東工大って1970~1980年代、雑誌やマイコンショップとの繋がりが深くて


私も無線研の先輩を通じていろいろアルバイトを頂きました。
アルバイト用に出版社やショップから機材の貸出もやってたので、私もそれでApple2向けのプログラムも書いたことが有ります。岩田さんも借りたんじゃないかな?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

岩田氏は学校つながりで機材を借りていたことがあるかもしれないんですね。

お礼日時:2024/03/10 09:40

> どこまで少年か・・・という定義ですが、まあ、それは人それぞれでしょうねえ。

ちなみに質問者が、この質問において「パソコン少年」としているのは、社会人として就職していない人、つまり、学校在学生(予備校生含む)、なおかつ、少年の意味合いに「世間ずれしていない」を含めます。だから汗水たらして作ったゲームプログラムを、ほんの小遣い程度の金銭で買い取られても喜んでる。要は
> 「パソコンについては大人を凌駕するほどの知識を持っているが、それ以外のことは疎くて、大人にコロリと騙されちゃう子供」ってな意味ですかね。

なるほどねぇ。確かに難しい(笑)。
ただ、この黎明期?数年でガラッと変わっちゃうからねぇ・・・。
多分「西武百貨店」が云々、ってのは、恐らく対象機種がそれこそApple IIとかCommodore PET辺りの「外国産パソコン」を輸入販売してた時期なんじゃないかしらん。
ちなみに、大阪の方の人から、大阪には当時、アメリカ製のTRS-80って機械が入ってきてて、そのユーザーグループが出来た、とか言う話を聞いた事はあります。

TRS-80:
https://ja.wikipedia.org/wiki/TRS-80

実際は、アメリカに遅れる事1年かそこらで「国産パソコン」も登場してんだけどね。
#6氏が指摘してるように、SharpがMZ-80辺り出したのはこの頃か。

MZ-80:
https://ja.wikipedia.org/wiki/MZ-80

そう言やぁ、データレコーダもオールインワンだったわ。失念してた。
多分当時のパソコン雑誌か何かで良く見かけてた機種だったと思う・・・もっと言うと、漫画家の「すがやみつる」って知ってますか?彼がマンガで出す「パソコン」ってのは大体これ、だったな(笑)。ある意味憧れのマシンだった。
んでだ。例えば「投稿組」だった中村光一とか?多分高校生時に最初に買った、って言う機種がNECのPC-6001か8001だ、って言ってたように記憶してて・・・。もうそうなると、数は少ないけど、「高校生の好事家」ってのは自宅にPC仕入れてんのね。だから岩田氏とはホンの数歳しか違わない筈なんだけど、もう「世代が違う」って段階になってんだよ。岩田氏が「PCが存在しない時代に」関数電卓でBASIC覚えた、とか言うのとは完全に状況が変わっている。
んで、I/O誌に投稿やってて「金になる」ってのが一番印象になった、的な話してるんで(笑)、「大人にコロリと騙されちゃう子供」ではないよね(笑)。むしろもっと強かだったんじゃないか(笑)。
で、多分?8001とか6001が出てきた辺りだとガキの興味っていわゆる「パソコンショップでのパソコン」からは離れてるよな。まだファミコン出てなかったけど、トミーの「ぴゅう太」とか(笑)。あるいはタカラの「ゲームパソコン」とか(笑)。そっちに興味が移ったヤツが殆どだったんじゃないかなぁ・・・多分。カセットカートリッジ式の「ゲーム機兼用パソコン」に意識が移っちゃった。カラーも良かったしね。特にタカラの「ゲームパソコン」なんかはナムコが全面協力してたんでそっちの方が魅力的だったんだよ。
ガキって当時、ゲーセンから締め出されてたじゃない?だから「自宅でパックマンが出来る!」とか言うそっちのパソコンの方がメチャクチャ魅力的に映ったのを覚えています。
あと、NECのハードウェアとか「ウンコ色」であまり可愛くなかったのね(笑)。そんなのもあって、そっち(ぴゅう太とかゲームパソコン)にガーッと意識が持っていかれた。だから結構同世代でも「本格的なパソコン少年」と「そうじゃない層」に分断されてたんじゃないかしらん。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>I/O誌に投稿やってて「金になる」ってのが一番印象になった、的な話してるんで(笑)、「大人にコロリと騙されちゃう子供」ではないよね(笑)。むしろもっと強かだったんじゃないか(笑)。

やはり大学生ともなると大人(社会人)に騙されるようなことはないんですね。強か、ですか、なるほど。そうなると
「汗水たらして作ったゲームプログラムを、ショップ店員に言いくるめられて雀の涙ほどの金額で売り渡してしまう」
という状況とは逆に、
「自分が作ったゲームソフトを複数のパソコンショップに披露して、買取価格を競争させる」なんてことをさせたり、
「優秀なプログラムを作る代わりに”開発環境の要求”をする
(店頭展示パソコンや新機種を独占操作させてもらう)」
なんて交渉もした人もいるかもしれませんね。

>だから岩田氏とはホンの数歳しか違わない筈なんだけど、もう「世代が違う」って段階になってんだよ。
>だから結構同世代でも「本格的なパソコン少年」と「そうじゃない層」に分断されてたんじゃないかしらん。

回答者様は当時の様子にお詳しいですね。
もっと面白いエピソードを教えて下さい。
よろしくお願いします。

お礼日時:2024/03/09 10:32

> 補足欄に引用した部分の後にこの記述があります。



うん。
いや、この辺は伝説で良く知られている。
でもね。
どの辺まで「少年」って言うのか知らんけど、実はこの時点で岩田聡氏は既に大学生だったの。
それと既にパソコンを持ってた。
彼は大学入学時かちょっと経った頃かな?Commodore社のPETって米国性パソコンを入手してたのね。
だから「店頭でプログラミングしてた」わけじゃないんだよ。

Commodore PET:
https://ja.wikipedia.org/wiki/PET_2001

なお、このPETってPCがMOS6502を採用してて、これが後のファミコンのCPUと同じなんだ。
だから「PETで6502に通じてた」岩田氏の「ファミコンでプログラムが書ける!」って自信に繋がったわけ。
当時はザイログのZ80ってCPUが圧倒的に人気があって、殆どの人が6502を知らなかったんだわ。Apple IIでも採用されたCPUってぇんで有名だったんだけど、Apple II自体が当時だと70万円から80万円くらいした機械なんで、ホンマ入手出来る人が限られてたんだ。だから「話には聞くけど・・・」だったわけ。
そういう背景で、岩田氏がPET入手してたのは凄くラッキーだったのね。だからこそ、後にファミコンが出た時にファミコンのCPU見て「イケる!」って判断になって、HAL研を説得して任天堂のセカンドパーティに持っていく事になったわけ。

あと、

> 記事じゃなくて聞いた話なんですけどね…

ああそうなんだ、と。
ってこたぁ#6氏が書いてる通り「色々と混ざってる」ってのがその通りなんじゃないかなぁ。
「伝言ゲーム」で変化した、って事に僕も一票投じるわ。

ちなみに岩田氏は北海道出身で、それこそ少年?(高校生)の頃、HP(ヒューレットパッカード)社製の関数電卓でBASICを覚えてプログラムを書いてたそう。
割にこういう、「pre-パソコン時期」ってHP社の関数電卓でBASIC覚えた、って人(少年)も他にいたような気がする・・・・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>いや、この辺は伝説で良く知られている。

もう伝説になってるんですね。

>どの辺まで「少年」って言うのか知らんけど、実はこの時点で岩田聡氏は既に大学生だったの。

ええ、記事にも
「西武百貨店、そこのマイコンコーナーで
大学生の岩田さんは本格的なプログラムをはじめます。」
とありますね。
どこまで少年か・・・という定義ですが、まあ、それは人それぞれでしょうねえ。ちなみに質問者が、この質問において「パソコン少年」としているのは、社会人として就職していない人、つまり、学校在学生(予備校生含む)、なおかつ、少年の意味合いに「世間ずれしていない」を含めます。だから汗水たらして作ったゲームプログラムを、ほんの小遣い程度の金銭で買い取られても喜んでる。要は
「パソコンについては大人を凌駕するほどの知識を持っているが、それ以外のことは疎くて、大人にコロリと騙されちゃう子供」ってな意味ですかね。
(まあ、質問文からこれを読み取れ、ってのは酷か、ははは)

>だから「店頭でプログラミングしてた」わけじゃないんだよ。

なあんだ、そうなんですか…

>ああそうなんだ、と。
ってこたぁ#6氏が書いてる通り「色々と混ざってる」ってのがその通りなんじゃないかなぁ。

混ざってるんですね。

いろいろ教えてくれてありがとうございます。

お礼日時:2024/03/08 23:23

昔パソコン少年だった私の実感としては


・ウソだと断言できない程度には有り得る
・実例は知らない
・近い話が伝言ゲームで変化した可能性は否めない


昔のパソコンショップの中には、まるで「マイコンサークルの部室」といった感じのところもあり、同好の士が集まってお互いの作品を見せあうような状況もあった。
毎日のように来る人もいたので、開発時間が無い、とは言い切れない。

シャープのMZシリーズのようにデータレコーダー内蔵のものもあったし、上記のような「部室」状態なのでデータレコーダーを(勝手に)接続するくらいは有り得る。
また、当時のナイコン族(PCを持ってない人)は、(紙の)ノートに手書きでプログラムを書いて、それ展示PCに打ち込んでデバッグ、ということをやっていた。
「作った物を渡す方法が無いからウソ」とは言い切れない。


例えばハドソンの歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%89 …

> ショップは次第に、北海道大学の学生などを主とした札幌市内のパソコンマニアの溜まり場となった。
> 後にハドソンに入社してボンバーマンの生みの親となる中本伸一など、一部の学生はアルバイトとして自らソフトを開発し、それらのソフトも店頭で販売するようになった

当時のソフトメーカーには似たようなエピソードがあるものが多いが、この「アルバイトとして」の部分が伝言ゲームで抜け落ちて伝わった可能性がある。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>昔パソコン少年だった私の実感としては
・ウソだと断言できない程度には有り得る
・実例は知らない
・近い話が伝言ゲームで変化した可能性は否めない

嘘ではなくあり得る話なのですね。

>昔のパソコンショップの中には、まるで「マイコンサークルの部室」といった感じのところもあり、同好の士が集まってお互いの作品を見せあうような状況もあった。
毎日のように来る人もいたので、開発時間が無い、とは言い切れない。

ずいぶん楽しそうですね。絵が浮かぶようです。

補足欄に参考記事を載せました。
記事にあるように、HAL研究所から任天堂の社長になった岩田聡氏は
池袋西武百貨店のパソコンコーナーに通い詰めてプログラムを作っていたそうです。仲間内でプログラム自慢やバグチェックなどもしていたとのことなのでずいぶん自由に使わせてくれたようです。

そうして同好の士が集まったところで、店員が声をかけて作った会社がHAL研究所である、と。
で、岩田氏はHAL研究所に入社した、と。

まあ、この参考記事に
「池袋西武の店頭パソコンで作ったゲームをショップに売って儲けた」
と明記してあるわけではないですが、日参して一日中プログラムを作っていた、とのことですから、店頭パソコンでもそこそこ複雑なプログラムも作れたのではないでしょうか?
だからそうやって作ったゲームプログラムを、ショップに持ち込んで買い取ってもらったこともあったのかもしれませんね。

ほかに記事がないか、探してみますね。

お礼日時:2024/03/08 22:32

あー、ちなみに。


店頭でプログラムらしいプログラムを組めたかどうかはさておき(よっぽど簡単なプログラムならともかく・・・・・・売り物にはならんだろ)。
「パソコン屋にゲームソフトを売った」って事ならそれはあり得るかもね。
っつーか、元々パソコンショップなのにゲームソフト販売会社に結果転身した、って例って結構あるんじゃないかな。
スクエア、日本ファルコム、HAL研なんかは元々パソコン販売店じゃなかったかしらん。うろ覚えだけど。また、「少年」じゃないけど、そこらに集まった大学生とか中心に後に・・・って例なら結構あるとは思う。
あと、潰れちゃったヤツでも、ハミングバードソフトとかハドソンとか。この辺全部、元々「パソコンショップ」だったと思うよ。
ソフトウェア産業(っつーか殆ど当時だとゲーム会社)黎明期だと、パソコン雑誌使って「通販」ってのが多かったのね。雑誌に白黒広告打って、「こういうソフトを販売してます」とかね。今のコーエーテクモの半身、光栄なんかもそういう販売形式が最初だったみたいだし、それどころか「一太郎」なんかのジャストシステムもそういう販売形式やってた、ってどっかで言ってたな。
だから「店頭でプログラムを組んで」はともかくとして、当時のソフトウェア会社の雛形、っつーか、「パソコン販売店」ってのはかなり有力な「持ち込み先」ではあったんだ。

あと、コンピュータRPGのウルティマ作ったリチャード・ギャリオットも高校生時代、最初の作品、アカラベス、なんつーのはやっぱ地元のパソコンショップに持ち込んでそこで販売している。こっちはアメリカの話だけどさ。

なお、当時の資料とかで、「店頭で展示してた」ゲームで人気があったのはスタートレックとか書かれてるんだけど。BASICで書かれてたけど、かなりデカイ複雑なゲームなんだよ。確かに今の基準で考えると単純だけどさ。
これが店頭で走ってた、ってこたぁ「売り物にする」にはそれくらいのクオリティが求められる、ってのと同義で、ってことはやっぱ「店頭でプログラム組んで持ち込み」ってのはやっぱあり得ないんじゃねぇの?って思う。
「物凄く簡単な」プログラムくらいしか、店頭じゃ組めないでしょ。

スタートレックのクローンの例:
http://yossysoft.com/Page/Yossysoft/Yossy_StarTr …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>スクエア、日本ファルコム、HAL研なんかは元々パソコン販売店じゃなかったかしらん。うろ覚えだけど。

補足欄1に記載した記事(https://www.1101.com/about_iwatasan/yanase/2020- …)ですが補足欄に引用した部分の後にこの記述があります。
(略)
さて、池袋西武百貨店の話に戻りますが、
この「マイコンコーナー」には、
いってみればプログラムオタクたちが
毎週末集まってカチャカチャやってたわけです。
で、なんと、そこの店員のひとりが、
集まった人たちに声をかけて会社をつくるんですね。

それが、HAL研究所という会社です。
そう、「カービィ」や「スマブラ」を生んだ会社です。
日本のゲーム業界を引っ張っていく開発会社は、
じつは、百貨店の売り場からできたんです。

そういうわけでHAL研究所には、
当時の池袋西武マイコンコーナーに集っていた
腕自慢のプログラマーたちが入社しました。
そのひとりが岩田聡さんなんですが、
(引用終了)

岩田さん(HAL研究所→任天堂社長、2015年逝去)が
「池袋西武の店頭パソコンで作ったゲームをショップに売って儲けた」
と明記されているわけではないですが、
同店ではかなり自由にパソコンを使わせてくれた事、
パソコン仲間とプログラム自慢やバグチェックなどもしていた事から、「短文プログラム試し打ち」のレベルをはるかに超えて、おそらくはプログラム開発・研究レベルまでやっていたのでは(想像ですが)

小売店としてはハイソな百貨店でもこんなに自由に使わせてくれたのですから、マニアが集う専門店なら回答者6様の

>昔のパソコンショップの中には、まるで「マイコンサークルの部室」といった感じのところもあり、同好の士が集まってお互いの作品を見せあうような状況もあった。

という状況も全国で普通の事だったのでしょう

バグチェックやプログラム自慢をしていた、となると
少なくとも池袋西武では記録機器も自由に使えて、私物メディア(カセット、ディスク)の持込、持帰りも認めていたのでは? 普通、小売店は客であっても私物の持込みは嫌いますから(万引きの誤認を防ぐため)自由な店・時代だったのですね

お礼日時:2024/03/08 22:25

パソコン持ってない少年が、店頭で自分のカセットテープにプログラムを読み書きしているのはありましたので、環境的には可能ですね。


「自宅パソコンで開発なら可能だけど、店頭で開発は無理」ということは全然無いです。自宅で可能なレベルなら店頭でも可能。
また、スキル的には十分かと思います。

ショップレベルの買い取りがあったかどうかは知りませんが、あったとしてもパソコンを売るためのオマケでしょうから、買い取り価格もゲームレベルも低かったのでは?良いゲームが出来ればコンテストに応募して賞金を得たりははもちろん事実で、パソコン買えたと思いますが、店独自の買い取りだけでは無理か。

ただ、ソフトバンク等が沢山のカセットテープゲームを出してたので、マンガ家で言う編集部持ち込み的なものもあったのかもしれません。そういうレベルのもの堂々売ってましたね。今で言う同人ソフトか。もしかするとショップがそういう販売会社への仲介をしていたと言うことかも知れません。そうだとするとパソコン買えたというのは十分あり得ると思います。
3000円のソフトが売れれば500円もらえるとして、500本売れれば25万円。低めに見て100円/本としても十分現実的かと思います。
あったとすると、多分こっちのパターンでしょうね。

ちょっと話がそれますが、雑誌社のコンテスト入賞でプロ作家になった人ですぐ思い出せるのはこの二人。フロッピー時代で言語もアセンブラかな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>パソコン持ってない少年が、店頭で自分のカセットテープにプログラムを読み書きしているのはありましたので、環境的には可能ですね。

可能なんですね。

>「自宅パソコンで開発なら可能だけど、店頭で開発は無理」ということは全然無いです。自宅で可能なレベルなら店頭でも可能。
また、スキル的には十分かと思います。

スキル的にも十分なんですね。

>ショップレベルの買い取りがあったかどうかは知りませんが、あったとしてもパソコンを売るためのオマケでしょうから、買い取り価格もゲームレベルも低かったのでは?良いゲームが出来ればコンテストに応募して賞金を得たりははもちろん事実で、パソコン買えたと思いますが、店独自の買い取りだけでは無理か。

まあ昔の話ですからね…それに今では中央と地方の格差は少なく、IT業界の時間の流れは速いですが、もしかしたら当時は格差が大きくてIT業界も時間の流れがゆっくりだったのかもしれません。
時間の流れがゆっくりだったとすると、
1 パソコン少年Aが店頭パソコンでゲームを開発する
2 パソコン店に集うパソコン少年仲間内で話題になる
3 それらを仲間内で改造したりブラッシュアップして楽しむようになる
4 噂を聞きつけた隣町のパソコン少年Bたちがやってきた。
 少年A「これ、面白いね、コピーさせてよ」
 少年B「お前、新顔だからコピーじゃいやだよ、1本1000円なら譲ってやるよ」
 少年A「わかった、1000円払うよ」(お、このゲームはカネに成るな…)
5 話を聞いていたパソコン店員が一枚噛んでくる
 店員「面白いゲーム造ったね。これ、買い取ってやるよ。1本1万円出すよ、どうだ?」
 少年A「うん、いいよ」
 店員「もっと面白いゲームをたくさん作りなよ、面白かったらどんどん買ってやるよ」
 少年A「うん、頑張る!」
6 ゲームを買い取った店は、そのプログラムを商品化して店頭販売。仕入れ値1万円の数十倍、数百倍をボロ儲け。少年Aは体裁よく使い捨てのプログラマとして使われたのであった…

↑こうしたことが、数年単位で行われていたのかもしれませんね。

今だったら
「ゲームなどのアプリをたったの一日で作って、翌日にはアップルストアやグーグルサイト上で全世界一斉有料販売」
といったような超短期のサイクルになっちゃいますけどね。

お礼日時:2024/03/08 10:39

> 無理なんですね。



うん。無理だと思う。
そもそもその記事、こう書いてるでしょ?

> 彼らは作ったゲームのプログラムリストをパソコン店に売り、パソコン店はそれを商品化して
> 自社ソフトとして売っていた。

その「プログラムリスト」をどうやって印刷したの(笑)。
店頭で?プリンタを繋いで?店の紙を使って(笑)?
どう考えても「んなバカな」なんだよな(笑)。
店頭でゲームデモくらいはやるパソコン店がそこまでやってくれるかい、と(笑)。
そもそも、当時は、「プログラムの保存」さえ大変じゃん。フロッピー「でさえ」無かったもの(笑)。
店頭でデータレコーダ使って・・・とか(笑)?そこまで「全商品繋がっててなおかつ展示」とかあり得ないでしょ。あっても確率はかなり低いと思う。

まあ、そういった理由もありますね。今みたいにケーズ電器行って、ちょっとPC触ってみて、ネットに繋がってたらエロ画像ダウンロードして保存しました、的なイタズラが出来るような環境でもなかったし(笑)。いや、俺はそんな事しないよ(笑)?
でも、かなり「あり得ない」かなり「無理」だとは思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>うん。無理だと思う。
>そもそもその記事、こう書いてるでしょ?

記事じゃなくて聞いた話なんですけどね…

>その「プログラムリスト」をどうやって印刷したの(笑)。
>店頭で?プリンタを繋いで?店の紙を使って(笑)?

いやー、詳細は判らない。
店頭展示用のパソコンだから、データ保存用カセットレコーダーとかも同時展示されていたんじゃないでしょうか?(あるいはカセットレコーダー搭載型パソコンとか)そのカセットに保存したのでは? あるいは「プログラムが動く」ということはそのパソコンメモリ上にプログラムは入っているわけだから、お店側でデータ保存作業は実行してくれたのかも。


>今みたいにケーズ電器行って、ちょっとPC触ってみて、ネットに繋がってたらエロ画像ダウンロードして保存しました、的なイタズラが出来るような環境でもなかったし(笑)。いや、俺はそんな事しないよ(笑)?

はい、貴方は絶対にケーズ電器ではそんなことはしない高潔な人物であると、
心の底から信じております・・・・(笑)

お礼日時:2024/03/08 10:25

うそじゃね?


まぁ、僕も当時のエピソードを全部知ってるわけじゃないけど、該当エピソードは思いつかないなぁ。
「店頭でゲームを遊んでた」事はあるけど、いくらBASICたぁ言え、その場でプログラムを書いて、店員に売る、って無理だと思うよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

無理なんですね。

お礼日時:2024/03/07 21:51

うーん。


私も幼稚園の頃から家にパソコンがあってプログラムにはまりました。
もう40年ぐらい前です。

「小遣い程度」という金額が、小学生の2000円、高校で数万円であれば
5年、10年という単位で考えればなにかしらのパソコンが買えてもおかしくはありません。

フリーソフトですがBIO 100%のゲームのような品質だと、余裕で買えたと思います。
当時の、同人ソフト、エロゲーも2000円、3000円とかで売ればそれなりに利益は出たでしょう。
パソコン屋というのが、当時の偽装ソフトレンタル店、いわゆる中古売買とバックアップツールを扱っている店なら、同人ソフトとしてこれらのソフトも置いてあったので可能だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>私も幼稚園の頃から家にパソコンがあってプログラムにはまりました。
もう40年ぐらい前です。

いまでこそ、CMで
「文系のオレがー
 業務用アプリをー
 サクッと作っちゃうー
 オレってすごいだろー」
なんていう、パソコン音痴でも楽々とアプリが作れちゃう、プログラム作成アシストソフトなんてもが出てきていますが、40年も前ですとそういうアプリなんてない時代でしたでしょうから、その頃にプログラミングができた、なんてすごい話ですね。
パソコン少年ならぬ、パソコン幼稚園生ですね

>「小遣い程度」という金額が、小学生の2000円、高校で数万円であれば
5年、10年という単位で考えればなにかしらのパソコンが買えてもおかしくはありません。

実際にあった話だった可能性はあるんですね。

お礼日時:2024/03/07 19:17

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