アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

松戸行雄氏の「凡夫本仏論」とはどういうものですか?

A 回答 (2件)

彼の著作を読む方がイイと思います。


https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8 …

彼が書いたという文章で簡単なのも、webで読めます。
http://fallibilism.web.fc2.com/z022.html
凡夫本仏論は、   ~~~~~~~~
久遠釈尊・大日如来・阿弥陀仏などの超越的な仏を(人間自身の本質や願望が投影された)「権仏」と見なし、(九界の凡夫として実在する)生身の人間こそが(現実に存在できる本物の仏・真仏という意味で)本仏である、
   ~~~~~~ と主張する人間主義的・宗教批判的側面を持つ。
(松戸行雄「現代的課題としての凡夫本仏論」、『福神』第8号、2002年5月、p. 114)

権仏、真仏、阿弥陀、大日、真宗、日蓮などの基本的理解があれば、意味は分かるでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
一応は理解できますが、著作で確認しようと思います。

お礼日時:2024/03/31 22:41

松戸行雄の偏見による腐った本仏論はさておき、


正しくは以下の通リです。

諸法実相抄には、
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」
とあります・・凡夫は本体としての三身であり、本仏である。仏は、(本体の)働きとしての三身であり、迹仏である・・と言う事です。

「日蓮本仏論」の思想的な意義も、ひとつには「仏教の人間化」「人間主義」にあったと見るべきではないでしょうか。

阿弥陀仏とか、大日如来とか、「仏」を遠い、超越的なものとして説く仏教がある。また法華経での仏も、一般には、人間とはかけ離れた存在としてとらえられていた。それらを日蓮大聖人は逆転された、と拝されます。

煩悩に覆われ、苦悩にさいなまれた凡夫の身のままで、内心の仏界を覚知し、菩提(=仏の覚り)の智慧を発揮して苦悩の執着から解放され、自在の境地を得られるとする法理です。
 この法理を通して、現実の苦悩と格闘する勇気や智慧のなかに真の幸福境涯がある、と言う事だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

概要をざっと見て、テクニカルな理論だなと言う印象を持ちましたが、今の私の知識では簡単な問題とは思えないので、本を購入してしっかり理解することにしました。

うむ、諸法実相抄のここですね。

お礼日時:2024/03/31 22:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A