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No.2
- 回答日時:
毛利家は毛利元就の時代に、最大の版図に成り、安芸・周防・長門・
備中半国・備後・伯耆半国・出雲・石見・隠岐の112万石の大大名でした。
関ケ原の戦い後に、周防・長門の2か国に厳封されたのです。
この事が恨みとして、家訓となり、倒幕の急先鋒になったのです。
大内家は家臣の陶 晴賢に殺され滅びました、陶 晴賢を破ったのが
毛利元就なのです。
陶 晴賢は明智光秀と同様に主君殺しをしたのですが余り騒がれませんね。
No.1
- 回答日時:
毛利元就は、広島の一地方からスタートし、中国地方全部と、短期間ですが九州、四国の一部まで領土を広げました。
山口県(周防、長門)も元就の時は領土の一部。その後、関ヶ原、輝元さんの時に領地のほとんどを没しゅーと。
幕末、高杉晋作のときは、長州=毛利。
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山口の大名(大内?)に勝って領地手に入れたってことですか?