プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

1990年代~2000年代には円高で困ってるとさんざんニュースで言っていましたが結局どうしたいのでしょうか。
私は産まれる前ですが360円の時代はなぜ今みたいに苦しんでなかったのですか。
為替について何も知らないので教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 皆さんありがとうございます

      補足日時:2024/05/04 15:06

A 回答 (11件中1~10件)

昔は国内の生産力が高くて、外国に依存していなかったんですよ。

    • good
    • 4

変動為替と自由為替の違い、



金本位制と、管理(信用)通貨制の違い

日本の経済成長や高齢化人口比などの違い、

金融政策における政府や中央銀行の役割の違い、

通貨の絶対値の問題よりも、時間軸で見た通貨価値の変化率(と実経済の市場変化)の差による弊害

などがあると思います。
    • good
    • 0

>結局どうしたいのでしょうか。



円高で困るってのは、輸入業者や輸入したもので生業を立てている人達ですね...酪農農家は輸入した飼料を使用して牛馬を育てています

その当時は、韓国旅行によく行っていましたが、同僚を連れて空港で全額韓国の通貨に両替していました

自分は毎日替わる事に期待して数万円を両替して、2日後に銀行で同じ金額を両替するとその差額でメシ代が出ると言う事が判明したもので、空港で全部両替した人は情報を教えてくれないって怒っていました
    • good
    • 0

第2次世界大戦前の1931年、イギリスと日本が金本位制を廃止し、急激なインフレが発生しました。

 当時は1ドル = 5円でした。

1945年 日本敗戦 戦後の混乱期が始まった時は。 1ドル = 15円でした。

1947年 食料エネルギー問題などにより、インフレが止まらず、1ドル = 50円でした。

1948年 1ドル = 150円 → 270円

1949年 インフレを抑えるためGHQはドル円相場を360円に固定して、1ドル = 360円となりました。

しかし、1955年頃に高度成長期が始まるまで、戦争で荒廃した日本は食料や繊維製品から、ありとあらゆるものを輸入に頼っていました。 当然、1ドル=360円の為に、輸入されるものは全て高価になり、日本人は安い収入と高い物価に加えた物不足のために、今とは比較にならないほど苦労していました。
    • good
    • 1

1ドル360円という時代は今とは異なり、変動レートではなく固定レートですので、比較することはできません。


第二次世界大戦後、GHQが打ち出した物価安定、緊縮財政政策によって1ドル360円に固定されていました。
戦後復興で日本の輸出産業の成長で外貨を稼ぎ、一方で米国はベトナム戦争の長期化で財政収支が赤字化し、米ドルの信頼も低下したため、米ドルを金に交換する動きが強まり、1971年8月米国は、ドルの金への交換を一方的に停止し、後にニクソンショックと言われました。
また同年12月にはスミソニアン協定によって、ドルは1ドルが308円に切り下げられましたが、1973年2月に再度のドル切り下げで固定相場制から変動相場制へ移行しました。
戦後、輸出産業で成長した日本で物価高騰と共に国内では所得倍増計画や太平洋ベルトライン構想、高速道路整備網などが進み、高度経済成長へと向かいました。
その時の日本全体がバブル経済に向かって成長する時期です。
今は格差が広がっているので円安進行で輸入物資が上がると所得が低い世帯が苦しくなります。
    • good
    • 1

戦争前は1ドル2円でした。

戦後為替レートどうしようかとなってまーこんなもんだろうと決まったのが360円。1年365日の切れのいい数字ですね。
幸福そうというのが理解できませんね。苦しんでいなかった?とんでもない。苦しい時代でした。親は身を粉にして働き子供を食べさすので精一杯。学校の昼飯弁当も持ってこない生徒もいました。給食が開始され固いコッペパンと脱脂粉乳だけでしたね。池田隼人が「貧乏人は麦飯を食え。」(今は麦飯の方が高い)当時の記録フィルムみれば子供はみすぼらしい服装です。
経済的に余裕が出てきたのは昭和30年半ば以降でしょうか。オリンピックのころです。
為替は固定でした。日本は常に外貨準備高が不足し、輸入が思うようにできなかった。食うものは国内で作るしかありませんでした。このころは漁業が盛んで世界一の漁獲量を誇り、捕鯨も盛んでした。団塊世代は鯨肉で育った。バナナは1本100円で庶民の口には入りませんでした。100円は家族1日の食費です。服は兄弟のお下がりが普通で継ぎ接ぎもめずらしくなく、教科書もお下がりでした。これが毎年変わるので親は苦労していましたね。贅沢なんか言っておれない時代でした。


変動相場制が普通で固定相場の国は少ない。変動相場制はお金の需要でレートが決まります。円高で困ったというのは国内生産して輸出している企業です。当時日本は輸出で金を稼いでいましたが、採算割れになり国内工場を諦め東南アジア、中国へ工場を移転させました。結果東京湾エリアから工場が消え河川海域の水質や大気がきれいになりました。跡地には高層マンションが林立し、それが今の湾岸風景です。
    • good
    • 1

360円時代どころか、昔から(江戸時代)苦しんでいましたよ!


先ずは為替から学んでください。
その次が外国為替を学びましょう。

為替の基本
https://www.jibunbank.co.jp/guidance/basic_of_ex …

具体的な例を言うなら、今はスーパーに買い物に行くとアメリカ輸入牛肉より、国産牛の方が安いそうです。
    • good
    • 3

wikiに詳しく書いてあったよ


読んでご覧
    • good
    • 3

敗戦国で敗戦からの復興で株価や為替に目を向ける人が少なかったことと



焼け野原からの復興でしたから震災の復興とは次元が違う復興期でしたからね

想像出来ませんよね(;^_^A

都内が一面焼け野原って電気もガスも水道も何もない状態です

人々は日々の生活をすることに必死な時代でした

一日三食の食事もままならい状態ですから

日々明日に向け生活する事だけで性いっっぱいでした

世界戦争に負けた敗戦国日本が世界をリードする先進国の仲間入り

世界を引っ張る国これって凄い事ですよね

そんな日本が今日々いかに贅沢して生活するかの狂った国に変貌してしまいました(;^_^A

豊かな日本の終わりの時期が刻々と近づいていることを知っておいてくださいね(;^_^A
    • good
    • 3

食糧自給率が今よりかなり高かったのです。


外国産品は高級品、
祖母世代は、舶来品と言って尊重してました。

今は醤油や味噌などの日本土着のものも原料大豆は外国産です。
逆に国産のほうが高い。
食糧以外の何もかもが輸入頼りだから、円安は消費者には大打撃。

儲かって大笑いしてるのは輸出産業だけです。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A