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努力は遺伝に勝てますか?それともうまくいく人は遺伝子や才能に恵まれてますか?

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A 回答 (14件中1~10件)

うまくいく人とは筋トレと勉強をがんばる人のことを言います。

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遺伝には到底勝てません(-_-;)


遺伝の壁は果てしなく高いです
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勝てなくもないのですが、その努力をするためにもカネ、時間といったリソースが必要です。


これも大抵は親から提供されるものなので生まれの問題であり、遺伝子によるものと誤解される可能性はあるでしょうね。
そのリソースだって本人の創意工夫で何とかなるなんて言う人は、本当のハズレの境遇を知らないか知ろうとする気がないのだと思います。
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学力も基本遺伝



高学歴の子供もまた高学歴也
医者の子もまた医者也
プロボクサーの子供もまたボクサー也
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モノによります。



例えば学力です。

遺伝が占める割合は30~35%ぐらい
と言われています。
つまり、学力においては努力が勝つ
わけです。

反面、背丈などは遺伝が圧倒的に
有利です。


エリクソンという世界的な学者が
音楽家について
調べたことがあります。

それによると、一流と二流の違いは
音楽学校での練習時間にあった、と
しています。

これには、反対説もあります。

つまり、良く判っていない、という
ことです。

一番悪いのは、怠ける口実に、遺伝を
利用することですね。

才能なんて、実際にやってみないと
解らないモノが多いのです。

それなのに、遺伝のせいにして
怠ける。
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努力によって、あるレベルまでには到達できます。



それ以上のレベルとなれば、遺伝子や才能が関係してきます。
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自分より才能のある者と闘うシーン自体があまり無いんですよ。

その前提であるとしたらコレみたいなレアなケースを語りますね。

以下は長いので興味があればお読みください。

「才能」を活用するシーンが「自分の人生においてほぼ無い」と言うのが本当だと思いますよ。

「俺の周囲には俺とさほど変わらない人しか居ない」

この様になります。

漫画なんかに出て来る「才能の違いによる苦悩」なんて本当に実感する人の方が少ないでしょう。単に「努力が及ばない事象」と言うのを怖がり過ぎており「努力は無駄なのでは?」という考えから抜け出せていないんです。

人間の集団形成の在り方を見ると「その人の日常に影響を与え続ける人」の殆どが「自分と同等の才能を持つ者同士」になります。多くの人は無理をするのを嫌うため「自分の意思で関係を作ったり、関係を解消したり」するでしょう。そして「自分の居場所」として定めるときに「自分の努力が及ばない集団」を選ぶはずが無いんです。

「互いにすみ分けて落ち着く」

そういうものです。

その時に効いてくるのが「努力による違い」となります。つまり最初に自由意思で「努力が及ばないケース」を恐れて所属する集団を選ぶはずであり、長く居場所と定めた場所では「努力の違いが効いてきてしまう」と言う流れになるんです。

「富裕層であろうと貧困層であろうと。遺伝的に優れた集団
 であろうと、そうでない集団であろうと。その中での競争
 が生じてしまい、本人が落ち込むような結果を導くのは自
 分の努力に起因する」

また「努力で勝ち取った評判」を捨ててその集団を離脱し「敢えて才能に満ちた集団」に挑む人は少ないのではないでしょうか?

元の目的が「周囲の人から侮られたり、虐げられたりする事」を防ぐという物のはず。それが満たされた後に最初からやり直す必要は無いんですからね。

しかし昨今は、

「TVやネットとかやってると焦ってしまって苦しいんです」

と言う事が生じます。

ネットが無い時は「自分の周囲の人」しか知らないで済んだんですよね。一度、居心地の良い集団を見つけたら「落ち着いて努力する」だけで普通の幸福を得られたわけです。しかし「富裕層はこんなに愉しんでいる」「才能ある人はこんな事まで出来る」と煽られたら「そういう人生が欲しかった」と悩む人が出てくるはずです。

「ネットが流行る前はそういう人と闘う自分を考える事すら
 無かったのだ。いまはそういう人を見て自分が叶わないと
 考え続けさせられている。どこかで情報をカットしないと
 精神が参ってしまうだろう」

つまり今の若い方の方が昔の人より「才能」と言うキーワードに強いトラウマを持っており、必要以上に苦しめられているという事でしょう。「才能ある人に勝てますか?」と問う事自体が(人類の歴史上)異質であるという事です。

「どうして才能ある者に勝ちたいと思った?
 どこで使うん?」

現実に戻ってみましょう。

「本当に(どこかにいる)才能ある者の場所まで出かけて行
 って闘う積りなんですか?」

そういうチャンスが無いと嘆く人が居たので「連れて行って戦わせた」事があります。戦いが生じる前に面子を見て顔面蒼白になり、終始けいれんを起こしていましたよ。

「そもそも本当に望んでいたのか?」

と私は思いました。

そういう「罰ゲーム」みたいな物を常に想定していたら苦しいと思いませんか? 普通にしていて、そんな事(才能ある者とガチ勝負)は起きませんし、強制でもされなければ自分で選ばないはずです。

怪我や病気をして病院で休んでいる人が比較される人は「一緒に入院している人達」なんです。誰が早く健康を回復をするのか? 治療に専念している人が評価されます。

若年失業者の方が家に引きこもっている時は「同じ状況で引き籠っている人達」と比較されます。

漫画家は同じ漫画家と比較されます。技術者は同じ技術者と比較されます。政治家は同じ政治家と・・・。

「どっかてやってる俺には関係のない戦い」

と捉えるのが正しく、そちらの情報に感化されて「それに引き換え俺は」と悩むのは全くの損であり、自分に役に立たないんです。

現実において実際的に生じるのは「自分と大して変わらない」と思える「自分が侮れるレベルの人々」との戦いであり、そんな中で「侮らずにちょっとだけ努力をした人」が勝っています。

例えば5chや2chで楽しく会話をしている中で「イイ奴だな?」と思われる人がおります。その人が(周囲に悟られず)「ちょっとだけした努力」によって他の人をゴボウ抜きにしていると解釈できますよね。

その人にとってはその世界での「イイ奴」ポジショニングで満足でしょう。同じような事がソーシャル・ゲームやネットゲーでも起きます。同じ事が趣味の集まりでも起きますし、仕事でも起きます。

「才能が無いので叶わないはず」

と思って微妙な努力に意味が無いと諦めた人は「やられっぱなしである」というわけです。

そういう停滞(やられっぱなしの人)を見て「努力をしなさい」と教えるわけですが。こんな何千字も書いて説明する人は滅多にいないでしょう。

「才能が無い人は努力をしても無駄かもしれない」

と考える人は物凄い数います。しかしそんな中で「一応聞いてみた」(微妙な努力)をした貴方は頭一つ抜け出たという事です。質問すらしなかった人がドレダケの数いると思います?

その結果として「一応聞いた奴」という評価を獲得しており、聞かなかった人より存在感が増したという事です。(というか思ってても聞かなかった人は誰にも存在を認知されていないでしょう)

実力勝負でランキング一位に成っても良いです。しかし「同じ状況なのに諦めて聞きもしなかった人が200万人いた」としたら「とりあえず聞いた貴方」は200万人の頂点にいるという事です。実際良く考えたらそう成りませんか?

この様に「良く考えたら俺一人だった?」と言うのが一番おいしい勝ち方なんです。そういう戦いを挑まれたら「才能を使えなかった人」は不戦敗になるでしょ? こういう発想(皆やんなかったので俺一人優勝でOK?)を努力と言います。

私は学生時代に学会発表をしていました。そういう世界では「誰も考えて居なかった」という内容ばかりになります。そして「皆が諦めていた」というジャンルでは新しい発想が「より高く評価」されます。当然ながら世界一(世界チャンピオン)が確定します。当たり前ですよね。その研究世界で新しい事を思いついたのは、その人しかいないんですからね。他の人が知っている事はその人も知っています。そしてその人だけが他の人が知らない事も知っているのです。

「えっと。気が付いたら世界チャンピオンだと言われました。
 だけど・・・俺が戦ったのは外国の研究者のあの方一人な
 んですよ。他の研究者は皆諦めて別の研究をしてたので」

世界チャンピオンを決定するのにマッチレース状態だったんです。しかも相手の方は「こんなのやってるの俺一人だろうなあ」と完全に油断していました。申し訳ない位の「ごっつあん世界チャンピオン」でした。しかし、本当にガチで世界一なんですよ。

私より才能のある方々は宇宙の神秘について考えていたのだと思いますよ。それでも世界一では無い人たちばかりです。その人が知っている事を他の人も知っており、その人だけが知っているという物を持っていないからです。

そして、

「これ以上研究しても仕方ない」

と皆が諦めた内容をひっくり返す発見は「ブレークスルー」と言われておりまして、学問の世界では至高とたたえられます。

「えっと。世界のどこかにいる『のんきな一人研究』をして
 いる人に勝ったってだけで至高のチャンピオン?
 まじか。世の中の捉え方間違ってた」

疑う様でしたらどこかで研究者(学者先生たち)に聞いて下さい。

彼らは言います。

「皆が頑張って努力し、才能ある人が玉砕した。そういう物
 をどうしてやってみようと思ったんだ? 人間の思考とし
 て計り知れない」

ですよ。

「いや。何も出て来なくても凡人の俺って存在変わりません
 し失うものないじゃないですか。その中で万が一何か出て
 来たら至高の世界チャンピオンでしょ? 失うものがなく
 てご褒美が凄い。なんでやらんのですか?」

と言うのが私の感想です。

分かると思いますが学者先生たちでさえ「努力が無駄に終わる」という予感が辛いんです。そこに立ち向かえないという事です。世界チャンピオンを決めようという状況ですらそうなんですよ。

そういうのが現実だとしたら「才能」は意味無いと思いませんか? 才能ある人であっても「努力が無駄に終わるかもしれない」と言う思いには抵抗できないからです。

「結局は、努力が無駄に終わるかもしれないという気持ちに
 負けた人が沢山いる場所を狙って、ダメもとで努力する方
 が確率が高い。数打てばたまには当たるってことだ」

しかし「努力が無駄に終わるかもしれない」というテーマを無数に数打つわけです。この感覚は誰もが持てるものじゃないでしょう。

しかしその覚悟を持てば「才能」に「努力」で勝つ事が出来ます。

以上、ご参考になれば。
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遺伝より環境の影響がはるかに大きいです。


努力できる環境かどうかも含めて、環境の影響です。

親がどんなに優秀でも、努力することを学ばずに育てば能力は開花しません。

努力がなければ遺伝には意味がないです。
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生物学では長らく、DNAの中にある膨大な遺伝子は、生涯を通じて変わることがないと考えられていたが、近年のエピジェネティクス研究では、環境的な変化が遺伝子のスイッチを「オン」にしたり「オフ」にしたりし、特定の遺伝子が発現するかどうかを左右している事実が明らかになってきたらしいです。



人間は環境適応能力が高く、またその遺伝子も外的環境との相互作用によって常に変化しているので、努力によっても少しずつ変化していくのだろうと考えられます。

努力などといった精神的な側面の他にも、遺伝子に変化が起こる原因はさまざまです。 化学物質や活性酸素、放射線やタバコなどによって、遺伝子に変化が起こりやすくなると報告されています。 また、ウイルスの感染によって遺伝子が変わることがあります。 遺伝子の変化は外から受ける原因に限らず、正常な細胞分裂の途中でも偶然に変化が起こることがあります。
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パワプロで考えれば自明



オールFからスタートすれば、全試合全打席ホームラン、とかじゃないと
オールAとか無理かと思います
よってほぼ無理ゲーですね

一方、確率0.3%の天才型で、オールCとかからスタートすれば、
ダイジョーブ博士のイベントなどが無ければ、上手い人ならオールAは簡単だと思います
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