dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

なぜ裁判は帰納法なんですか?間違った推論に導き易くないですか。せっかく法律という大前提があるのに、過去の判例から一般則を導くなんて論理の飛躍で間違ってると感じます。とくに何十年前の判例なんて根拠にしても意味がないと感じます。
絶対演繹法の方が良いと感じるのですが。

  • 画像を添付する (ファイルサイズ:10MB以内、ファイル形式:JPG/GIF/PNG)
  • 今の自分の気分スタンプを選ぼう!
あと4000文字

A 回答 (10件)

>最高裁で覆されるという事例が1例でも〜


いやいや、単純に新しい証拠がでたり、法律の解釈が変わったりした場合は当然そうなります。地裁や高裁で法の解釈を変えることはまずありません。例えば私は尊属殺過重罰規定についての例を出しましたが、あれは平たく言えば法律の解釈が変わった判例(憲法14条を参照した解釈)です。ですから、演繹法で言うそもそもの前提が変わるような事案です。

法曹ではよく言われることですが、検察や弁護士、裁判官は神のような、いわば事実を全て知っている人ではなく、あくまでそれぞれの立場の利益になる主張をする人です。検察であれば罪状(事件)に対して妥当な刑を訴え、弁護側であれば刑をなるべく軽くなるようにすることで、裁判官はそれぞれの主張を元に法に則って被告人の刑を決めます。なので1審2審3審で刑が変わることは不自然ではないですし、再審請求により刑が変化することもあります。

そして、裁判は罪状の審理をする場だということについて同意をいただきましたが、ここでの審理とは、罪の有無だけでなく、刑の重さを考慮することも含めての意味合いで申したものです。
裁判は事実誤認がないかを判断する場とおっしゃいましたが、その認識が違うと言わざるを得ません。先にも述べましたが、裁判官は、弁護側と検察側の主張を考慮し、被告人に刑を言い渡す役割のある人です。刑事裁判では検察側に立証責任があり、それを弁護側が崩す形になりますが、弁護側が事実誤認を指摘できなかった場合(証拠不十分など)は検察側の主張を多く取り入れた判決になります。

何度も述べますが、刑事裁判というのは、真実を追求するものではなく、検察と弁護双方の主張を聞き、被告人の刑を決定するものです。
    • good
    • 0

ん〜ごめんよ。

言ってる内容に根拠や統計、データが薄すぎるぞい。
>演繹に忠実なのは最高裁のみ〜
そう思う理由は?
>最高裁で判決がひっくり返され〜
あまり聞かない話です。新証拠が出た時など、もちろんゼロではありませんが、逆転して無罪とか、刑期ががくっと増えたり減ったりはまず見ない事案です。それこそ尊属殺過重罰規定みたいに法律の解釈が変わったりした場合はそうなりますが。

>裁判は刑を決定する場では〜
この文章に関しては、すみませんが質問者様が間違っています。有罪が確定してるならという言葉もよくわかりません。じゃあなにする場なの?
裁判の目的は、刑法や刑事訴訟法などに書かれています。詳しくは省きますが、裁判は被告人の罪状の審理をする場です。
当然ですが、裁判の最後には裁判官から被告人に対し、言い渡しがされます。被告人は無罪とするとか、懲役〇〇年とするとかですね。

一応法律を勉強した身なので間違っていることは言っていないつもりです。専門は民法の類でしたが。

一応確認なのですが、演繹法とは普遍的な前提から個別の問題を解決する考え方という認識で合ってますよね?
人間はいつか死ぬ、ソクラテスは人間だ、であればソクラテスはいつか死ぬ、みたいな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なぜ最高裁のみが演繹か、それは最高機関だから演繹に判断するしかないからです。最高機関が演繹である以上、それ以下の地裁や高裁の判断が演繹に判断する必要がなくなっている。そもそも演繹の意味を考えればわかることですが、演繹法であるなら間違いは絶対に起こり得ません。つまり、最高裁で覆されると言う事例が1例でも発生していることは、高裁以下が演繹的でないことを証明していることになるのです。高裁以下が演繹的であればそもそも誤審なんて起こり得ないのです。

>裁判は被告人の罪状の審理をする場です
そうです。なので形を確定することが目的の場所ではありません。刑の確定は付随する行為であって、裁判は事実誤認がないかを論理的に判断する場です。刑を確定させることが目的の場ではありません。勉強してる割に知識が疎いのですね。

お礼日時:2024/06/19 23:04

>なんで質問者の私が〜


確かにそうですね。ただ、法律においての考え方についてどう思われるかを知りたいと思い質問したまでです。
裁判というものは真実を探る場ではなく、お互いの主張を聞き被告の刑を決定する場ですからね。その場合の正しさというのはどこにあるのか分からないので質問しています。
さて、私の回答をまとめますと、法律(裁判)において過去の判例が使われる理由は、罪の重さを決めるときに判例以外の基準がないからです。それ以上でもそれ以下でもありません。
というか、「ある事件が起きた→過去の判例ではこれくらいの重さの刑を与えた→今回の事件での刑はこれくらいだ」という流れは演繹法による結論ではないのでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

> ...流れは演繹法による結論ではないのでしょうか。
それは演繹法ではありません。自分で調べろよ。

演繹で結論づけないからしょっちゅう冤罪が生まれるんですよ。特に地裁と高裁は演繹法ではありません。演繹法に忠実なのは最高裁のみです。帰納的に高裁などが結論づけるからしょっちゅう事実誤認が起きていて、最高裁で判決がひっくり返され逆転無実になるんですよ。

自分で調べもしない情報弱者なんですね。

裁判は刑を決定する場ではありません。有罪が確定してるならそもそも裁判をやる必要がないから。小学校で裁判の勉強しなおしてこいよ。

お礼日時:2024/06/19 21:53

追加で回答失礼します。


>1回目の回答の返答に、過去の事例に基づくやり方は正しい結論から逸脱しがちとおっしゃいました。
法律において正しいとはなんでしょうか?裁判(刑事裁判)は、弁護側、検察側の主張を考慮し、被告人の刑を決定又は免除するところです。裁判における正しいという言葉の意味が分かりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なんで質問者の私がお前に回答しなければならないのか?演繹法でなければ間違った結論に辿りがちと言ってますよね?自分で調べろよ阿保。

お礼日時:2024/06/19 21:06

>演繹法でないから〜


例えばの話ですが、痴話喧嘩をした男女がいて、男が女を殴り、負傷させました。男は傷害の罪の容疑で逮捕され、男は裁判でも暴行を認めました。
さてこのとき、男の刑期はどのようになるでしょうか?
もちろん、刑の下限上限はありますから、その範囲内で決定されますが、具体的にはどのような処罰になるかを決める必要があります。
演繹法が〜とおっしゃいますが、質問者様はこの事件の場合どのような考え方で刑を決めますか?具体的な年数等はお答えいただかなくて問題ありません。あくまで刑の決定の方法をお聞きしたい所存です。
    • good
    • 0

>過去の事例に基づくやり方は〜


ではこの場合論理的に正しいとは?
ある人のした罪に対してどれくらいの罰が妥当なのかを決定する方法は、判例を元にする以外にあるのでしょうか?
もしあるのでしたらご教授願いたいです。

例を挙げると、同じ殺人でも、計画を立て用意周到に殺害に及んだケースと、その場で悪口などを言われ殺意が芽生え殺してしまった場合を比べると、明らかに前者の方が罪が重いのは自明ですが、具体的にどれくらいの刑を与えたり、または減刑したりする基準は、質問者様はおありなのですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

演繹法でないから論理的でないと言ってるんだから、論理的にするには演繹法で裁いたら良いってことが分からないのかな?なんで至極当然のことを質問してくるのか。

お礼日時:2024/06/19 10:56

裁判は法に基づいて行われるので


演繹法です。

判例は、演繹法によって導出された
結論ですし、法源の1つとされていますから
判例を根拠にしたからといって
帰納法になるわけではありません。

法学てのは、キリスト教神学から発展
したものです。

つまり、聖書を基に演繹法で色々な
結論を出していく。

聖書が法に代わっただけです。
    • good
    • 0

演繹と言うと具体的にはどのような論理法なのですか?



法律という大前提とおっしゃいますが、もちろん1つの罪に対してどのくらいの罰を与えても良いかは規定されています。
例えば、殺人に対しては死刑〜懲役5年みたいな感じです。
しかし、それは目の前の罪に対してどのくらいの刑を与えるのかを規定したものではありません。悪口を言われてついかっとなって殺してしまったという罪に対してどれくらいの罰を与えるのが妥当でしょうか?それの基準にはやはり過去の判例を用いざるを得ません。

過去に似たような事件でこの刑なら今回はこれくらいだと認定するしかありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

演繹法の知識もないのに回答してるんですか...

過去の事例に基づくやり方は論理学的に正しい結論から逸れることが多いことを知らないのでしょうか。

お礼日時:2024/06/18 23:01

裁判所を運営する予算は国家予算に含まれそのさじ加減は


財務省主計局(行政の1丁目1番地)が握っています。
人間も役所もスポンサーを噛むことは致しません。
帰納法は裁判所と行政の意向をどう整合化するかの手法 
なんでしょうね。因みに検察庁は行政の法務省と一体です。
そのため国を相手取る国家賠償請求等は殆ど徒手空拳です。
    • good
    • 0

ほとんどのプロセスが演繹法だと思いますが、何が帰納法なんでしょう?


そもそも裁判で推論とかを安易にしないと思うのですが。
そもそも、日本は制定法主義なので、何もかも間違ってる気がするんですけど、俺が無学なだけ?
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!