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上記の通り神社本庁は改憲の主張をしていますが、私は同意できません。
どう変えたいのかがわかりません。
神道は憲法のない時代、古来からあります。
なぜ神道が憲法にこだわる必要があるのでしょうか?
わかりません。信教の自由さえあればいいのではないでしょうか?
(それとも信教の自由が有害だと思っているのでしょうか?)
私は全くの改憲反対者ではありませんが、不明瞭な改憲の主張には
日本国民に有害の可能性があり、賛同できません。
それでも神道を信じて神社に参拝しても良いのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 改憲の主張をするならば
    ここの条文をこう変えたいと名言すべきだと思います。
    それとも自民改憲案そのままを賛同しているのでしょうか?

      補足日時:2024/06/24 18:32
  • 回答を多くくださってありがたいのですが、
    わたしの質問は神道を信仰してもいいかであって
    憲法論議ではありません。

      補足日時:2024/06/24 19:15

A 回答 (8件)

神道信仰は神社本庁の信徒になる事ではないのですからなんの問題も無いでしょう。



神社本庁に属する神社を参拝しないとか神社本庁以外の神道系宗教団体に属するなど不同意を示す手段はいくらでもありますね。
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この回答へのお礼

たしかにニュースで神社本庁を脱退する神社の話題は最近あります。
神道信仰は神社本庁の信者になることでもないことはわかっていますが、政治的主張を省いてあるいは逆らって神社本庁傘下の神社を信仰できるか?という話でもありますが、
たしかにそういえば私の神棚には天照皇大神宮の札ではなく天照大御神の札が入っています。そう考えれば、もともと自分は神社本庁下の信仰にはいないことと考えることができます。
あとは自分でどう神社本庁下の神社と折り合いをつけるかということになります。
少し整理がつきそうです。ありがとうございます。

お礼日時:2024/06/25 00:40

神社本庁の政治的な立場と神道の信仰の問題は切り離して考えてはいかがでしょうか。

質問者様はそれぞれの神社で祀られている神さまを拝んでいるのであって、神社本庁様を拝んでいるわけではありませんよね。
ただし、あなたの良心が許さないのであれば、参拝を控えてもいいのではないでしょうか。それはあなたの自由です。
個人的には、神社本庁が政権与党に擦り寄って愛国者面するのは実に不愉快ですが、それを理由にして参拝を止めるなら、果たしてそれは信仰と言えるのか?と疑問に思います。

「憲法論議をするつもりはない」と言っても、あなた自身が「神社本庁による改憲の主張には賛同できない」とか、「なぜ神道が憲法にこだわる必要があるのか」と言っているのですから、憲法論議を避けることはできないと思いますし、神道の信仰と憲法の問題は別だと主張するなら、そもそもこんな質問は成り立たないのですから、補足コメントは矛盾していると思います。
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この回答へのお礼

憲法を議論するのではなく神道を議論しなくてはならないのはないでしょうか?しかし神道を議論する回答はありませんでした。
これまでの感想は、多くの人は神道には無関心なのだなということです。

それにこれまで憲法に関することが回答に現れていても、言われている事実がファクトではなかったので訂正しているだけです。議論にもなっていません。

お礼日時:2024/06/25 17:59

日本は古来より自助努力を本願としています。


現在の日本国憲法は敗戦国として自助努力を押えつけられており、古来の日本人の精神を抑圧するものです。
神社本庁は日本人の精神を取り戻すために改憲し、本来の日本人の精神を取り戻すために活動しています。
神社本庁のWebサイトにもこの経緯はきちんと公開されています。
よく読めば、普通の日本人なら十分理解できると思います。
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この回答へのお礼

敗戦国として自助努力を押さえつけられているのは憲法ではなくて、日米地位協定や首都の制空権を日本が持たないことだと思いますが、これらのことには全く言及がされないのが不思議なことです。
日本人の精神というものだけでは不明瞭で明確に捉えられないのですが、憲法は、民族の精神を記述するものでも規定するものでもありません。国民の権利保障とその実現のための国家の義務や組織について規定・記述するもだからです。
この憲法がどういう意義のものかということについて、全く本質を捉えていません。日本文化を大切になどということは憲法とは関係のない話です。まるで突然、宇宙人や超能力の話を持ち出されるくらい、場違いなものなのです。
追加で言うなら「普通の日本人」という言葉を持ち出す人とはコミュニケーションを取りたくありません。たいていあいまいですから。

お礼日時:2024/06/25 17:59

神道は憲法のない時代、古来からあります。


なぜ神道が憲法にこだわる必要があるのでしょうか?
 ↑
神道は日本古来の宗教で、民衆の間に
自然的に発生した宗教です。
だから、神道には経典も教義もありません。
あるのは、自然や先祖を敬う、という
だけで、信者であるとの自覚すら
不要とされる宗教です。

これが、本来の神道ですが
その後、欧米列強がキリスト教を利用して
国民を統治しているのに倣い、
天皇の宗教として神社神道というものを
明治政府が
人工的に創ったのです。

だから、神社神道と古来の神道とは
少し違うのです。



わかりません。信教の自由さえあればいいのではないでしょうか?
  ↑
憲法というのは、その国の歴史、価値観、理想
などを法制化したモノです。
そして、日本人の価値観の多くは
神道の影響を受けています。
神社神道としては、そうした日本独自の
価値観を守りたいのでしょう。

なにしろ、今の憲法は、米国人が
たった六日で、英語で創ったモノです
からね。



それとも信教の自由が有害だと思っているのでしょうか?
 ↑
明治維新になって、神社神道を打ち出した
のですが、これが仏教など他の宗教を迫害する
ことにならないか、ということで議論になった
ことがありました。

明治政府は、神社神道は、国民の習俗に過ぎず
宗教では無い。
故に、信仰の自由を阻害するモノではない
という理屈で説明しました。



私は全くの改憲反対者ではありませんが、不明瞭な改憲の主張には
日本国民に有害の可能性があり、賛同できません。
それでも神道を信じて神社に参拝しても良いのでしょうか?
 ↑
疑念があるんですね。
祖先と自然を敬う気持ちがあれば
あえて参拝しなくても良いのでは?




改憲の主張をするならば
ここの条文をこう変えたいと名言すべきだと思います。
それとも自民改憲案そのままを賛同しているのでしょうか?
 ↑
石原慎太郎都知事の主張のように
外国人が英語で創ったような憲法など
憲法の趣旨にそぐわない。
全部作り直せ、ということではないですか。
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この回答へのお礼

大変長く、一つ一つ返事をしていただきましてありがとうございます。
憲法を長い事勉強していまして、憲法というものの歴史(私はおそらく為政者の歴史ではなく、文化や思想の歴史が好きなのでしょう)、日本国憲法成立の過程も勉強しました。GHQが短期間で今の憲法を作成したとなぜか広く信じられていることにも違和感を感じております。民間の憲法研究していた専門家たちがいくつか戦後に憲法草案を発表し、それをたたき台にしてGHQが草案を作成し、それを更に日本の国会での議論のもと修正され条文を追加されるなどして成立したもので、米国が作ったものだと断じることは、この憲法成立過程に関わった日本人の労苦をないがしろにすることだと思っております。当時の国会議員すら無視しているのですから。米国の草案通りなら、25条は日本国憲法に存在しませんでした。生存権は当時の議員の大切な成果だと思っております。
とりあえず信仰については私個人として神と真摯に向き合うことを中心としていこうと思います。

お礼日時:2024/06/25 07:23

世界の大半の宗教に、国家の憲法に関わる教え、こんな憲法は良いけど、こんな憲法はダメだという教義など無いですね。


 しかし、世界には、宗教を背景にして、宗教本来の教義と別の様々な思想の宣伝活動をする宗教家や、宗教団体がありますね。
 例えば、韓国には慰安婦問題の先頭に立って日本人を憎め蔑めと煽るキリスト教神父がいますし、欧米では銃規制やテロや移民対策で政治的に過激な意見を表明するキリスト教系宗教団体がいくつもあり、イスラム国家の中には敬虔なイスラム信仰の人たち以外に、テロを容認して煽る宗教家もいますね。
 だけど、そんな人たちを眺めて、キリスト教はダメだとか、イスラム教は意見だと論じるのは誤りですね。
 もう一つ、一般の人に限らず、宗教にかかわらず、聖職者にも言論や思想の自由はあるはずです。

 質問者さんが指摘される内容では、
 全国の都道府県にある神社庁の中の一つの東京都神社庁が、宗教を背景に宗教と関わりの無い呼びかけをしたと言うことが問題ですね。私もこの行為はおかしいと思います。改憲に賛成反対は聖職者一人一人の問題で、宗教団体として発言するべきではなかったと腹立たしく思います。

 ただ、この質問は、その点では無く、質問者さんの補足にあるように、神道を信仰してもいいかということですね。
 その点については、一部の聖職者が憎しみやヘイトを煽るからと行って、その宗教が正しいのか、一部の団体が憲法論議に加わったから信仰してはいけないのかなど、論じることはできないと思います。
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この回答へのお礼

「(政治的主張に同意できないから)信仰してはいけないか」ではなく「(政治的主張に不賛同でも)信仰してもいいのか」でちょっと違うと思うのです。まあ、許容されるのかどうかということなんですが。
神道の歴史の中で律令国家形成とともに神道祭祀が大きく改変さてれきたので、国との政治的関わりというものが、明治期を引き合いに出すまでもなく、神道は深いものですが、私は政治的に汚れた世界とは切り離されてもいいのではないのか、政治ではなく神と向き合いたい、感じていたいと思っていますので、自分なりの神道と向き合って行きたいと思います。

お礼日時:2024/06/25 06:42

>反撃能力を日本国が有することは憲法違反ではないとほとんどの


憲法学者が主張していると習いました。

それが言われるようになったのはつい数年前、安倍政権で決められたことです。
それ以前は「専守防衛」と言って、相手から攻撃されないと反撃は一切許されないという事を遵守していました。
つまり、核ミサイルを東京に撃たれても反撃は許されず、そのまま滅ぼされるしかなかったわけです。

ただ、その法解釈も、反戦を謳う政党が政権を握れば、一切の軍備を許さないと厳密にすべきだと、自衛隊を解散に追い込むこともあり得る話です。

だからこそ、防衛のための軍備、戦力を明確にする形での憲法改正は必須です。
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この回答へのお礼

いいえ、私は安倍政権が誕生する前に大学で憲法を学びました。
ほとんどの憲法学者が反撃することを肯定していました。
安倍政権になり、安倍が今の憲法解釈では自衛隊が違憲だと言い始めました。
狐につままれた感じで怒りをもっていました。

お礼日時:2024/06/24 19:12

>どう変えたいのかがわかりません。



あまり文章を読めない人かな?
「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を設立し、それを主体に改憲運動を展開すると書かれている。
で、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のサイトには改正を求める箇所が書かれている。
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この回答へのお礼

「前文」…美しい日本の文化伝統を明記すること
「元首」…国の代表は誰かを明記すること
「9条」…平和条項とともに自衛隊の規定を明記すること
「環境」…世界的規模の環境問題に対応する規定を明記すること
「家族」…国家・社会の基礎となる家族保護の規定を
「緊急事態」…大規模災害などに対応できる緊急事態対処の規定を
「96条」…憲法改正へ国民参加のための条件緩和を
と列挙されてはいますが、ではどのような条文の文言にしたいかがかかれていないということです。

お礼日時:2024/06/24 19:14

神話の時代から戦いの繰り返しであり、守るための戦いだって何度も行っています。


何も守れずに攻められたら黙って滅ぼされる今の憲法を容認するはずがありません。
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この回答へのお礼

今の憲法があると攻められたら守れないとは教わりませんでした。
反撃能力を日本国が有することは憲法違反ではないとほとんどの
憲法学者が主張していると習いました。そのために今の自衛隊が
あるのではないでしょうか?何のための自衛隊なのでしょうか?
自衛隊は黙って滅ぼされることを黙認するのでしょうか?
私は自衛隊員に失礼だと思います。

お礼日時:2024/06/24 18:40

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