dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

お釈迦様が入滅した後、600年ほど経ったころインドで「お釈迦様の教え」を引き継いでいる人たちの中から「お釈迦様の教え」は厳しすぎて、このままでは続けられないと考える人たちが出ました。たしかに「お釈迦様の教え」には「生きることは苦である。この苦から救ってくれる不思議な力は存在しない」とあります。彼等は人々が抱いている「死後の不安」を払拭するために、「お釈迦様の教え」に反して「不思議な力」を持った「仏」を考え出し、この「仏」を主人公にした「空想小説」を書きました。それぞれの人が思い思いに「空想小説」を書きましたが、彼らを統括するカリスマがいなかったので、お釈迦様の名前を借りて自分たちのことを「大乗仏教」と称しました。色々な「空想小説」を総括したものが「大乗経典」です。そして「お釈迦様の教え」を「小乗仏教」と卑下しました。彼らが考え出した多くの「仏」の中のヒーローが「阿弥陀仏」です。この一連の考え方で間違っているところを指摘してください。

A 回答 (7件)

お釈迦様の1番の喜びは、他人が喜ぶ顔を見ることだったのだと思います。


お釈迦が対機説法を弟子にする事で、弟子になった者が、自分で原因と結果を考えて行動することで、笑顔が生まれる。
こんなことを喜ぶのは、お釈迦ぐらいしかいません。

宗教家は、他人より優れている。自分の教えの方が優れている。といいます。
違うんです。
自分より他人が優れている事が、嬉しいんです。
お釈迦が対機説法をすればするほど、お釈迦様より弟子が優れていて、笑顔になって行くんです。
お釈迦様は、自分の思うよにならないと思っていた人が笑顔になる事が、嬉しいのです。

宗教家では、到達できない境地だと思います。
弟子が「空想小説」で笑顔になるのならば、お釈迦は笑顔でいらっしゃると思いますよ。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「大乗仏教」を興した人たちは「お釈迦様の教え」の中に「利他」があることを理解できなかったのだと思います。

お礼日時:2024/06/18 20:46

お釈迦様が唱えた上座部仏教と大乗仏教は別物なのです。


質問者:ヨッチャン451さんに同意です。

御存じの通りに小乗仏教は大乗仏教の僧達が卑下した言葉なので、
今では、上座部仏教と呼ばれてますよね。
---------------------------------------------------------------------
何れの宗教も、広がるにつれて、それぞれの民族の土着の思想と
絡み合って変化し形を変えて宗派が派生的に数が増えてます。

キリスト教とイスラム教では、宗派が違うだけで、争いが続き
有史以来、戦争が絶える事が有りません、それに対して仏教では
小さな争いが起きても戦争に成る事は有りません、一神教は、
いかんな~と思わざるを得ません。

日本の仏教も金まみれになっています、高野山が浄財を財テクで運用
して損をしたに至っては、救い様が無いと思いますが、戦争に成る
よりは益しかなと思ってます、何せ困った時だけの、神様、仏様
の私ですから、何も言えないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は中村元さんの訳本の元本が「お釈迦様の教え」の主要部と思っています。

お礼日時:2024/06/18 21:00

数々の大乗経典が生まれた理由が お釈迦さん直伝の教えの実行の難しさについての反省から と言う点が微妙に引っかかります



理解の難しさで言えば空を説く大乗経典の方が難しいように思われます

上座においては 一切は苦しみであり何一つ思い通りにならない と言うところの根拠をお釈迦さんが述べたから と言うのではそれは修行にならないと思います
上座は自ら覚ることが目的です なのでお釈迦さんの教えを盲信するわけには行きません

一方で大乗は自分+他者を覚らせる事が目的です しかし自分も未だ覚って無いのに他者を覚りに向かわせる方便を説くのは実質的に難しいものがあります 下手をすれば間違いを説くことにもなりかねません 難易度としては大乗の方が難しいでしょう
他者を導く責任までをも背負ってしまうからです

そこで
上座も大乗もなく ただ一なる他の立場(一仏乗) があるだけだと法華経に書いてあったように思います

それが大乗の出した答えなのでしょう

大乗自身が大乗経典の中で大乗を超えることを説いている点が大乗経典のすぐれた所で 後世に残る理由となったのではないかと思います

法華経の一仏乗の記述だけでなく
維摩経においてもその主人公維摩は仏に匹敵する智慧を持ちながら菩薩に化身して修行者や衆生を導いています

このように大乗では 大乗自体が凡夫と覚者の中間地点を指し示すものであり それは即ち菩薩です
人間でありながら仏のような存在 仏でありながら人間のような存在 これはつまり上座でいう修行者の立ち位置になると思います

私の推測では お釈迦さん直伝の教えの実行が難しいから つまりラクがしたくてより易い大乗が生まれたのではなく

上座において高慢な比丘が出現して目立っていたために
より難しい本来の修行を示すべく 大乗が興ったのではないだろうかと思われるのです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
今回は敢えて極端な表現をしました。さらに考えを深めます。

お礼日時:2024/06/18 20:55

宜しいのではないでしょうか。


私は、日本の大乗仏教は、仏教の神道化であると思っております。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
私見を述べさせて頂きます。大乗仏教はインドで興りました。サンスクリット語で書かれた大乗経典が漢語に翻訳されて、中国に伝えられました。そして、中国人が解釈した漢文の大乗経典が日本に仏教として伝えられました。日本では神仏混交により、「お釈迦様の教え」でもなく、「大乗仏教」でもない特異な宗教になりました。これを日本では「仏教」と言っています。

お礼日時:2024/06/15 15:07

No.2です。



>このお経の作者はアーナンダのことを知らなかったようです。

このお経の作者、、、多くの仏教、中でも『妙法蓮華経』は釈尊滅後に弟子達が集結し文字として起こしたといわれており、現実に説いているのは釈尊自身です。また、法華経の会座に阿難は参列していますし、『妙法蓮華経』の冒頭序品第一に阿難の名前もあります。

それが、インドよりパキスタン、アフガニスタン北部を通り中国ウイグルで鳩摩羅什が漢訳し中国天台宗の根本として受け継がれ、伝教大師により日本へと渡り日本天台宗:いわゆる比叡山延暦寺の開山となったのです。

しかし、第二代、第三代座主の時代に、天台は真言密教を取り入れ、純粋な天台の教えを濁してしまったのです。
それ以来、天台には仏教の仏の字も存在はなく、釈尊からの正しい教えを摘み、ご利益のない仏教宗派と化してしまったのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。
お釈迦様が入滅した後、アーナンダは集まってきたお釈迦様の弟子500人を前にして、憶えている「お釈迦様の教え」のすべてを口頭で伝えました。それを聴いた弟子たちは彼等の弟子に「お釈迦様の教え」を口頭で伝えました。次々に口頭で伝えられていましたが、200年ほど経ったころ「お釈迦様の教え」をパーリ語で記録する人が現れました。サンスクリット語で書かれた「大乗経典」が漢訳されて中国に伝えられました。「妙法蓮華経」も含まれています。「大乗経典」が中国人に解釈されて色々なかたちで中国に定着しました。「お釈迦様の教え」も漢訳されて中国に伝えられましたが、「大乗仏教」に敗れました。その後、漢訳された大乗経典が「仏教」として日本に伝えられ、神仏習合などによってアレンジされたものが現在の「日本の仏教」です。一方、仏教学者の中村元さんがパーリ語で書かれた「お釈迦様の教え」を直接日本語に翻訳し、岩波文庫から出版されています。「ブッダのことば」「ブッダの 真理のことば 感興のことば」です。私はこの訳本の元本が「お釈迦様の教え」の主要部と思っています。

お礼日時:2024/06/15 19:18

間違い、、、ということではないのだと思います。


それで、小乗仏教が成り立っているのであれば、それはそれで良いのではないでしょうか。

日本における仏教でいうところの『南無阿弥陀仏』については、これは、法然が釈書を間違えて解釈し、本尊として立てているため、完全に誤りで利益どころか地獄の因になります。そこのところは、建長五年に日蓮大聖人が『四箇格言』で破折していますのでその通りです。

問題は、そんなことも知らずに『南無阿弥陀仏』を崇めている、浄土宗・浄土真宗、そのた天台系宗派等の僧侶、在家です。

馬鹿すぎて話になりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。親鸞さまは何もわからない9才のときに、比叡山に送り込まれて、以来20年間「浄土三部経」がお釈迦様の教えと叩き込まれました。気の毒な人です。日蓮さまは「法蓮華経」がお釈迦様最後の教えと信じたようです。私はこのお経を読んだことはありませんが、大地が突然裂けて、何体もの菩薩が湧き出たと書いてあるそうです。日蓮さまは上行菩薩の生まれ変わりだと言ったそうです。上行菩薩はお釈迦様の一番弟子とも書いてあるそうです。このお経の作者はアーナンダのことを知らなかったようです。アーナンダは常にお釈迦様の影のように寄り添い、お釈迦様から指示されたとおりに丁重に火葬を執り行いました。しかし、お釈迦様はご自分の遺骨のことについてはなにも指示しませんでした。多くの人が遺骨を求めて来ました。アーナンダは調整に大変苦労したようです。

お礼日時:2024/06/14 15:06

教えのあり方すら諸行無常


全てはホットケーキ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。残念ながら私には理解することができません。ごめんなさい。

お礼日時:2024/06/14 14:07

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A