牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

野球に例えれば、(野球の)試合で勝ったら嬉しいです。その理由は闘争心が満たされるからです。

エゲツナイことをする人間は、(例えれば野球の試合をする)才能自体がないから、弱い者いじめとか人に迷惑が掛かるような卑劣なことをして、闘争心を満たしているだけです。

人間誰しもが、闘争心を持っています。

無能な人間ほど、自分の闘争心を満たすため、エゲツナイことをしないですか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    逆に言えば、紳士的な人間は、何等かの才能がある人間であり、何等かの(野球の)試合のようなもの(目標、生き甲斐)を持って、その方向に進んでいるとも言えるはずです。

      補足日時:2024/09/11 12:54
  • どう思う?

    ニュースになるような家庭内暴力とかも、無職が多い。
    紳士なら、エゲツナイ卑怯なことはしない。

      補足日時:2024/09/11 15:37
  • どう思う?

    人間、闘争心を満たすために生きているとも言えます。
    その持って生まれた本能が、筋違いの方向に走ると、イジメとか暴行になります。
    筋違いな行為をするのは、能力が劣る人間です。

    つまり、無能な人間ほど、自分の闘争心を満たすため、エゲツナイことをすることになります。

      補足日時:2024/09/11 17:36

A 回答 (3件)

自分と戦うというのは、人と対戦するという意味ではありません。



貴方の言う戦いとは、対戦、バトルの事です

己と戦うというのは困難を乗り越える。つまり克服です。

バトルと克服は全く違います

比喩表現を使いました。理解しにくい言葉を使用した事を謝罪します。

この勘違い、貴方は悪くありません。
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この回答へのお礼

ありがとう

ニュースになるようなエゲツナイ家庭内暴力をする人間がいます。

そのような行為をする人間は、己と戦い困難を乗り越えるではなく、自分と向き合うことすらしない、つまり自分の抱えている問題をすり替えて、本能的な闘争心を満たすため、他人に暴行をします。

自分と向き合うことすらしないのは、自分で無能だと理解していて、何をやってもダメなことが解っているからです。

つまり、戦うならば己自身と戦うべきだと考える人は、自分にある程度自信がある人であり、無能ではないです。そのような人は他人にもエゲツナイことはしないです。

お礼日時:2024/09/11 22:35

集団スポーツは


相手のチームより、自分らの無能な者に悩まされる。
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この回答へのお礼

どう思う?

野球は例です。個人スポーツのゴルフでも同じです。
(野球の)試合のようなもの(目標、生き甲斐)を持って、その方向に進んでいる場合、たとえ能力が不足していても、その目標に向かっているので、まだ良い方です。

無能人間で、目標、生き甲斐さえ見いだせない人間の場合、本能として闘争心だけはあるので、エゲツナイことをしてしまうということです。

お礼日時:2024/09/11 14:35

ちょっと何言ってるのかよくわかりません



野球は競技人口が少ないです

闘争心ある前提なのもわからないし

人を助けて感謝されて気持ちいいとか感じるべきだと思います

戦いはくだらない。必ず敗者を産むからです。野球でもね

戦うならば己自身と戦うべきでしょう

過去の自分に勝利するのならば誰も傷つかないです
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この回答へのお礼

うーん・・・

>過去の自分に勝利するのならば誰も傷つかないです

すいません。正直、綺麗ごと、表面的なことしか思えないです。
人間、闘争心の塊です。

>戦うならば己自身と戦うべきでしょう
>戦いはくだらない。


ここに、回答されるということは、かなり闘争心が強いという証拠です。
「戦うならば己自身と戦う」ことだけで、現実的には、おさまっているとは思えないですが、、汗。

本人は、そう思っていなくても、人間誰でも、二重人格(闘争心の塊と協調を重んじる自分)です。

お礼日時:2024/09/11 14:28

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