家・車以外で、人生で一番奮発した買い物

不安や恐怖はドーパミンとセロトニン不足又はノルアドレナリンやアドレナリンが高まると自然になりますが、それらを事前に予測しながら前向きに生きる知恵と知識を教えて下さい。
何卒回答を宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

ストレスと云う言葉を知っていますか?これは全ての人が同じにストレスとして感じている場合の方が少ないかも知れません。



又人生とか自然とかに於いて、ストレスが在るのか無いのかという場合では、基本的にはストレスは存在していないとも云われています。

その理由は、風が吹いた場合では、風に負けたものは倒れるだけ。と云う風に言われています。

処が人間は脳が発達した事によって、心も発達して予期不安と云ったものを抱えるようになりました。この関係から人間は予期不安から恐怖感までも作りだす様になっています。

生れた者は死刑執行日が未定なだけであって、基本的には全ての人が死ぬ事は決定事項です。この不安から抜け出すべく、発展して来たものが宗教のようです。ユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教などが在る様です。

日本には仏教が在ります、それは釈迦が大元を作ったようです。処がその教えは有り難いのでしょうが、今は誰でもがその教えを学ぶ事が出来難くなっているようです。

その理由は、釈迦の弟子である日本のお坊さんであっても、釈迦の教えを端的に伝える事が出来難くなっている様だからです。

釈迦の教えとは『悩み苦しんでいる人の苦悩を根本から救い上げ処』にある事です。言い替えるなら悟りの果実を直にその弟子達に食わせてやる事がその使命だからです。

処が仏教に於いての教えは『仏典や経典』と云ったものであって、今の言葉ではない為に読む事さえもままならなくなっています。仮に読む事が出来たとしても、言葉での教えは水泳の授業を卓上で教えているようなものであって、今の時代にはそぐわないものになっています。

こう云った時代を想定して考案されたものに『禅』というものが在ります。

禅は仏心宗と云われているもので、教えに拠らない教え=『教外別伝』とされているものです。それは釈迦という天才だけでは無くて『愚鈍と云われている人達でさえも、悟りの功徳を味わう事が出来るように考案されたもの。』と表現出来るものです。

言い替えるなら、質問者:ハチワレちいかわフラグちゃんの為に、『前向きに生きる知恵と知識を教えて下さい。』という回答になる様に嚙み砕いて説明したいと思います。

予期不安によって、不安とか恐怖を感じたにしても、ホルモンが分泌されている事は誰もが感じているストレスとしての事実ですが、そう云った事を強く感じている現象があります、その場合が神経症の症状と云われているものです。

従って神経症とか、禅を学んで頂く事が貴方にとって最も勉強になると思いますが、こう云ったもののエキスと云ったものを書いてみたいと思います。

神経症の症状には様々な症状が在ります、数え上げたら数えきれなく有ると思いますその理由は人間の考える事柄全てが症状になり得るからです。

そう云った事柄が症状になる為の必要条件を書いてみます。

それは人間の予期不安の賜物という程の負の意味があります、『心に在ってはいけないもの、或いは感じてはいけないもの、或いは心から消し去ってしまいたいもの』と云ったもの等です。こう人間の心が感じたものがストレスに変化して人間を苦しめる現象が神経症と云うものです。

従って神経症の症状にしてしまう事によって、症状にしてしまったものとか事柄によって、前向きになれなくなって後ろ向きになっています。

何時までも心に在ってはいけないと考え続けています、意識地獄の始まりを意味します。

そう云った負の感情を意識続ける事が無くなる為の心構えです。それは森田療法に拠る教えと云っても良いものです、『負の感情の意識と云ったもの』を言葉にしない事です。『言語化しない事です。』=『不問』という風に表現します。

常にこう云ったものを『不問』に伏す事です。何時しかこう云った事が日常化してくるようになります。否定的な事柄が頭の中から抜けてなくなっています。

ここまで来たらもう完成かも知れません。

否定的な感情そのものが浮かぶ事が無くなったとしても気が付く事が無くなっています。此処まで来た時、貴方はもう『負の感情を意識』する事も全てを忘れ果てています。

前向きに生きる事だけに夢中になっているようになっています。
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正直に言えば私も教えて欲しいです。



以下は長い上に、蛇足ですけど、興味があればお読みください。

私も「うつ病」をやりました。今は、うつ病から回復しましたけど、知人が言うには「お前は軽いほう」だったそうです。その人はかなり重篤だったようです。その人のアドバイスもあって私は回復できました。当時は信じていなかったのですが「この人の真似をしよう。だめもとで」とやったことが功を奏したようです。返そうと思っても返せない恩ですね(まあ、有難くた頂いておきましたけど)。

勿論、自分の中での心の整理は(他人にはできないので)頑張りましたけど
「そこまで深く潜った人じゃないと分からないこともある」と思います。

つまり、誰かにとって(本当に)役に立つのは「経験者のアドバイス」でしょう。メンタル疾患を患っている人が一番よく知っているんですよ。他の人は想像で語るしかないです。なので私は貴方の期待に応えれるほど重くなかったと思うんですよね。教えてもらう側でしょう。

今のあなたが疑問に思うことは、知っている人のほうが少ないんです。其のうえで「誰もが(経験したことがないので)怖がっている」のではないでしょうか。確かに症状が出ているときは周囲の人は驚くでしょう。しかし、疾患のある人が何とか工夫をして脱出したとしたら、「是非、指導をお願いしたい」と思うはずです。

世の中でニュースになるような前人未到もありますけど。より身近な前人未到もあるんです。そして本当に「自分もそうなるかもしれない」と思っている人はかなりいます。そういう人に安心を届ける未来があり、それが故に誰にも教えてもらえない(経験がないので誰も知らないため)状況もあるという事です。

昔、タクシーに乗っていて「自分はうつ病だった」と話したことがあります。すると運転手さんが(事故を起こしそうな勢いで)食いついてきました。その人が言うには「運転手の間で蔓延している」のだそうです。彼は「貴方はそう見えない」というのですよね。まあ、治ったのでそうなんですけど。身近に「真っ最中(同僚の運転手)」の人がいるので、比較して違いがわかるみたいでした。

「どうして治ったんですか? 自分はどうなんでしょう?
 もう、うつ病に罹ってるんでしょうか。怖いんです」

と言われました。つまり真っ最中の人は怖がられるんですけど、治ったという人はヒーローなんですよ。

脳内麻薬の不足が多岐にある人が(その深さから)自力で脱出するというのはすごいことでしょう。なので私としても教えを乞うくらいです。

ですが、回復期になり、症状がよくなり、私と重なる時期に来た時のアドバイスはできます。

私の場合は体調によりイライラが戻る時を注意しています。そういう時は無理せず安静にしています。

また、フラッシュバックの様に急激に落ち込むときもあったので注意しています。その時は「錯覚である」「2時間もすれば収まる」「錯覚であるのに本当のように感じさせるから怖い」と唱えましたね。発作が収まった後は「ほら、本当だ。本当に収まりやがった。酷い詐欺だった」と自分に念を押しました。自分を騙そうとしている悪意のある「怒り担当」「落ち込み担当」がいるとして、彼らを憎むことにしたんです。

しかしもっと防御策が必要です。カナリアみたいな試金石が必要です。

私が使っているのは「礼を逸するとき」に注意しています。脳に気力がなくなると(脳内麻薬の不足)「なんでも面倒になる」ものです。これが顕著に現れるのは「礼」を維持するときです。「これくらい良いよね?」みたいな抗弁が生じて(礼に関して特に)自分に甘くなります。

「ここだ。ここだ。これだよ。この時。ここを覚えてないと」

みたいにやりましたね。

それにより「ん?不味い?」というセンサーが出来上がりました。なので「礼を失う自分」が出てきたら「ヤバい。元に戻る」と恐怖を感じています。そういう条件反射を作ったことで「努力が水の泡になる」という事態を防げたと思います。

そのため「昔の自分と似ているなあ」という人には「礼」を勧めています。その他の綺麗ごとは「幸せになってから」とし、今は意味がないとして切り捨てました。

体調を管理し、礼を失いそうな(面倒に感じる)感覚を覚える。そういう時は安静にする。これにより自然に治っていったと(記憶では)思います。治ってしまうと「昔の自分」を自分と感じられなくなります。完全に別人に思えるんです。なので記憶もあいまいです。

ですので、もしも、そういう経験を今なさっているなら、非常に希少な体験ですので、感じ方などを記録に残し、後で読み返せるようにしましょう。実は私もそうしたんですが、なぜか、その希少な記録を自分で消してしまったようです。そういう事(思惑通りに自分が動かない)をするみたいですね。

「この体験を誰かに教えてあげれる自分になれる未来」

を疑わないことです。また、戦っている今現在の自分を自分の英雄とすることです。病状が悪化しているときは「自分を他人と比較して腐す」自分が暴れまわっていたと思います(思い出すと)。

「誰が何と言おうと、これに耐久出来る奴はそういない」

この様に自分に言いきかせ「誰にもわかってもらえなくとも、今、生きることに踏ん張ってくれている此奴は俺の英雄なんだ」と言ってましたね。

参考になるかわかりませんが、自分が自分の英雄であることの理由は「この辛さに耐えられる人のほうが少ない」という確信からです。そこをちゃんと認めてあげるべきでしょう。同じ条件であれば、他の人はもっと簡単に負けてしまうかもしれませんからね。

全体に、答えには、なっていませんけど・・・

以上、ご参考になれば。
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