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下記の文章を読んで 感想教えてください。


子供の頃、僕は神社っ子だった。
僕だけではなくて 近所の 子供たちは神社で遊んでいた。

神社の隣には小さなお寺があり、1つの敷地に公園もあるこじんまりとしたところだった。

年をもらって、その神社がイチキノヒメを 御祭神としてることを知ったが、ほとんど 参拝する人もいないところだった。

姉と姉の親友は、鳥居の横にある石壁にゴム紐を引っ掛けて、キャンロップ というゴム飛びをして遊んでいた。

僕は と言うと記憶にあるのは、狛犬にまたがったり、公園にあるウンテイにぶら下がったりだった。

お寺のお堂の外廊下で幼馴染と3人で座ってお話をしたりしていた。

ある時 そこに別の幼馴染の女の子が1人 やってきて、あの子が好きなのは僕だと冷やかされ、なんだか腹が立ってそこにあったステーキナイフを投げつけてしまったりした。

女の子は当然 逃げていくが、冷やかされたことに腹が立ったのか 恥ずかしくてやり場がないものをそこにぶつけてしまったのか、今でも悔いが残っている。

別の日には また 他の幼なじみが遊んでいるところ、僕はウンテイに石を投げつけ、その石が跳ね返り幼馴染の頭にあたり、出血してちょっとした 騒動になったことがあった。

横着いところがあった。悲しい思い出になった。

神社とお寺と公園はほとんど 車通りのない道に挟まれていて、安心して遊ぶことができた。

お寺では お堂を使って そろばん教室が催されていて、私の兄や姉も加わっていた。

願いましては、ご破算。などという声が聞こえてきて、私もそろばん教室に通いたいと母に進言したが、毎朝8時に学校に出ることができたらと条件をつけられ、残念ながら それをクリアできず、そろばんには通わせてもらえなかった。

夜中、いや 夜の10時ぐらいだろうか、母に連れられて神社に行き、手を合わせて お祈りすることが時々あった。

母が何を祈っていたかわからなかったが、まだお祈り という概念が 僕にはなくて、とにかく手を合わせることが 何かとても大切なことのように思えて、何の願いをするでもなく、心を込めて 手を合わせていた。

それは母も心を込めていたことを感じ取っていたからだと思う。

母は鼻っぱしの強い人で、女性に対して用いる形容詞ではないかもしれないが、気丈な人だった。

賽銭箱の置いてない神社で、お金を入れるところがない。

小さな社が3つあって、石段の上の、小石が敷き詰めてある台の上に立っていた。

母はその小石の下に10円玉を隠すようにしまっていた。

「誰にも言っちゃだめだよ」と念をされ、何か意味があるかのような感じ もした。

そこに10円玉を入れておくことが、何の意味を持つのかよくわからなかった。

賽銭箱を見たことがなかったので、お賽銭を投げるということを知らなかったからだ。

今でこそ神社に行きお賽銭を投げるのは当たり前のような感じがするが、まだ幼い僕はお賽銭を投げることを知らない。

お賽銭という存在を知らないのである。

そのため そこに10円を置くことが何の意味を持つかも分かっていなかった。

もっと言えば、そこに隠してしまった以上、神主さんもその10円を受け取ることができない。

誰のために置いている10円なのかよくわからなかった。

しかし 僕は結局、10円玉を母は隠していることを 幼なじみに話してしまった。

ある時 その話を聞いた幼なじみが ニタニタしているので、嫌な予感がして、そのお金を探したが すでになくなっていた。

犯人が誰かなのかは置いといて、それ以来 僕の口が軽いことをよく母に咎められるようになった。

子供達は自然と神社を選んで遊んでいた。

そこが安心できる場所だということを子供心に察知していたんだと思う。

お寺にはトイレがあって、とても古く、どことなく 気味が悪く、そこからいろんな怪談を連想した。

これまた 古い お地蔵さんの社があって、黒ずんでいる木小屋の中にあって、やはり何か ちょっと怖くて、だけど とても興味をそそられた。

今でこそ、おんかかかびさまえいそわか などとお地蔵さんが子供を守る仏様であることを知っているが、当時は何か 戒められているような、脅かされているような、不気味な感じがした。

それが 幼少期の遊び場だった。

ある時近所にイエスキリスト教会があるのを知り、それが一体何か さっぱりわからなかったが、歓迎されていることを感じ、中に入ってみた。

すると今までと言っても、子供なので10年も生きていないが、感じたことのないような安心感 や平安を感じ取った。

安らげると思った。

これを話すと兄によく怒られるのだが、父の家業は若干 ヤクザっぽくて、ゲームセンターを経営していたが、野球賭博の胴締めもしていて、なんとなく 居心地の悪さを感じていた。

その僕にとって教会に入った瞬間の安心感 や 開放感、栄光を感じ取る経験は大きかった。

家に帰り、そのことを母に伝えたのだが、母は言葉をまくし立てるように怒った。

なぜ母が怒っているのか全く 僕には理解できなかったが、今になってみると、母親は僕が取られてしまうんじゃないかという心細さのようなものを感じたんじゃないかと慮る。

うちは 時宗だったし、神社に参拝していたし、教会は 母も行ったことがなかったんだろうと思う。

母は 聖書の存在は知っていたが、ヤクザな家業もしていた母にとってはどこか 咎められたような気がしたのかもしれない。

それをきっかけに 僕はその教会に足を運ばなくなった。
母にどやされるのが嫌だったからだ。

そしてその教会も東京に引っ越してしまったようだ。

ただ あの 温かい雰囲気は、父親が暮らしていない家庭で育った僕にとってとても希望に満ちたものだった。

愛されたと感じた。

神社とお寺と教会が揃った優しい街だったと思う。

A 回答 (3件)

お書きになった文章は、内容に美しさが感じられますが、構成には改善点があるでしょう。



内容は、素朴かつ馥郁(ふくいく)たる少年時代の思い出です。
しかし、ほかの回答者さんもおっしゃったように、文章には主題ってものがあるんです。主題を前面に出すのは「テーマ小説」などですが、何気ないエッセー(随筆)であっても、背後には主題が隠れているでしょう。

私が勝手に推し量るなら、主題は宗教の混淆、信じることと幻滅といった所でしょうか。
混淆については、質問者さんも最後に「神社とお寺と教会が揃った優しい街」とお書きになってます。美しい。
それらを信仰していたわけではなかった。でも、宗教的なものを怖れ(お地蔵さんなど)、善意を信じていた(お賽銭代わりに置いた10円を盗る奴はいないだろう)。
しかし、ほろ苦い幻滅を経験します。幼なじみは10円玉を盗ったらしい。キリスト教会へのあこがれをお母様に言ったら、ぶちギレられた。
僕がステーキナイフや石を投げつけるなど、ちょっとヤンチャだったのは、お父様の血を引いていたのかも知れない。ヤクザそのものじゃないけどヤクザ的な。これまた一種の幻滅でしょう。父は立派な人、僕もいい子だよと思いたいけど、そうじゃないんだ。

で、主題を前面に出すと、前述のようにテーマ小説になってしまうので、巧みに隠してたとえば田中小実昌の『ポロポロ』のような書き方はいかがでしょうか。

彼の家はキリスト教会で父は牧師だった。それも単立というか独立の教会である。田中は大人になって信仰を捨てるのだが、子供の頃は「門前の小僧習わぬ経を読む」とやらだった。門前というか跡取りだろうか。
でも、そのお経は「ポロポロ」としか聞こえなかった。元はラテン語か何かの祈祷文だったとしても。
田中は、高尚な宗教論なんて全く語らずに、淡々と思い出を描く。読み飛ばすと、軽い文章のように見える。しかし、実は上手いのだ。全体の構成が「ポロポロ」という一語に通じている。
万障繰り合わせて独立教会に集い、信仰を守った人々の願い。牧師だった父の労苦。子供だった僕、そして幻滅と棄教。すべては「ポロポロ」だった。

てなわけで、質問者さんもここは一つ田中小実昌の作風を参考になさってみてはいかがでしょうか。
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> 感想教えてください。



「下手クソな感想文」と言うのが、最も率直な感想です。
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(感想)



ただ思いつくままに書いているだけ、主題もないし結論も無い。
これは書いた人だけのもの。
ひとに読ませるものではない。

私は回答者として義務で読んだが、読まずにいれば回答もせずに済んだのになあと、いささかの悔やみがある。
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この回答へのお礼

感想ありがとうございます

お礼日時:2024/11/14 11:39

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