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例えば日本では、寒い季節と一年の区切り(1月と12月の境目)の時期が重なっており、習慣になっていますが、国や地域によってはそうなっていないところもあるのではと思います。

ちなみに日本を例にした時、このような一年の境目が寒い時期になっているのには、どういった背景があるのでしょうか?

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A 回答 (8件)

「7月」以降でずれるのは単純に


「3月」の前に 2ヶ月挿入したから
ってだけの話. だから, 当然だけど「7月」「8月」が July, August (相当) になる前に既に 2ヶ月ずれていた (どちらも「名称を変更した」だけであって「そこに捩じ込んだ」わけではない).

なお例えば March (3月) も「年の最初の月」から「3番目の月」に変化しているわけだが, 数字が名称に入っていないので気付かないところでもある. また, 「1月」が年初になるというのはその名称にも表れている (という話もある).

とはいえ年初を 3月から 1月に移動させるというのは違和感もあったようで, 実際にそうなるには時間がかかったとか.

ちなみに deci はラテン語だけど deca はギリシャ語だったりする>#7.
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No.6 です。



#2 さんへのお礼>フランス語や英語などの諸言語で月の呼び方で、Septembre(9月、sept: 7の数詞)以降の月が2つずつズレているのも関連がありそうな気がしました。

それは、理由が明らかで、
・皇帝ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、自分の誕生月である7番目の月の名前に自分の「ジュリアス→ July」を使い、「大の月:31日」にした
・同様に皇帝アウグストゥスが、自分の誕生月である8番目の月の名前に自分の「アウグストゥス→ August」を使い、「大の月:31日」にした
ことによって、元の7番目の月以降の名前が「2つ」ずれることになったのです。

September:ラテン語の「7 = septem」に由来。英語の「seven」に相当。
October:ラテン語の「8 = octo」に由来。蛸(タコ)は8本足なので「オクトパス」、「ドレミファソラシド」の音階で「8つ上・下の音」を「オクターブ」というあたりに残っています。
November:ラテン語の「9 = novem」に由来。英語の「nine」に相当。
December:ラテン語の「10 = decem」に由来。数量の単位で「10倍」を「デカ:deca」、1/10 を「デシ:deci」というあたりに残っています。(日本語の「でかい」もそれに由来する?)
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「暦の作り方」の問題ですね。



日本でも、江戸時代までの「太陰暦」の時代から、
 新しい年(春の兆し)→春(農耕の開始)→夏→秋(収穫)→冬ごもり→1年の終わり
という周期で暦を作っていましたね。中国からの影響もあったと思います。
(月の満ち欠けで「月」が決まっていましたから、太陽の動きによる「二十四節季」とは周期が一致せず、約3年に1回の周期で「1年が13ヵ月」という「うるう月」があり、いわゆる「旧正月」は太陽暦上では一定していませんでした)

北半球に暮らす人間の自然に対する感覚がそういうことだったのではないでしょうか。日本も中国もヨーロッパも。
もちろん、明治以降はヨーロッパの暦(太陽暦)に合わせましたが、ヨーロッパの「一年」も同じような考えで作られていたと思います。ヨーロッパのキリスト教社会では、「クリスマス」という節目も大きく影響していると思います。
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> 寒い季節と一年の区切り(1月と12月の境目)の時期が重なっており、



その通りですね、重なってます。
この背景には、大昔の農村(牧畜を含む)の慣わしがあるでしょう。冬は、だいたい農閑期でした。

古代ローマの初期の暦である「ロムルス暦」では、何と1年が10カ月でした。30日の月と31日の月があって、10カ月304日。
「1年は365日、残り61日はどうなってたの」というと、その季節は寒くて休むから(冬眠状態?)、日にちを数えずに過ごしたらしい。
そして春の兆しが到来すると、また農作業開始。一年の始まりというわけです。家畜の出産も春が多い。今でいう3月の時候に相当します。

ロムルス暦の次の「ヌマ暦」で、2カ月が加わって12カ月となった。
そして、加わった2カ月の頭を、一年の始まりにすると決めた。これが、今でいう1、2月の素(もと)です。

ヌマ暦の次がユリウス暦である。その次がグレゴリオ暦で、現行の暦である。日本も採用している。
「元号は日本独自の暦」と言う人もいるが、あれは紀年法(年のかぞえ方)の一種である。中身の暦は昔のような「和暦」ではない。明治の初めに、さっさと「グレゴリオ暦」へ乗り換えたのである。明治の日本人の英断だったと思います。

むしろ、西洋でもプロテスタント国の場合は、ユリウス暦からグレゴリオ暦に乗り換えるのがグズグズ遅れた。グレゴリオはローマ教皇(カトリックの親分)で、プロテスタントはカトリックと対立していたから。
ユリウスはシーザーとも言い、ローマ帝国の支配者だった。

暦Wiki - 国立天文台
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/B8C5C2E5A5 …
〔引用開始〕
古代ローマのこよみはロムルス暦→ヌマ暦→ユリウス暦と変遷したとされています。
〔引用終り〕
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イスラムのヒジュラ暦ではそもそも「季節」と「年の区切り」に関係などなかったりするのだが.



で現代日本でいう「1月」が「年の区切り」になっているのは, 確かキリスト教のせいだったはず. 結果論だけど.
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狩猟採集で生活していた昔の場合、昼間の時間が短くなる日々が終わり


徐々に昼間が長くなる、太陽が高く昇るようになる時期は生命の復活を意味する
その時期を新たな一年の始まりのタイミングとした
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簡単に言えば、厳冬期は寒くて動けず、農作物も狩の獲物も少ない。


ゆえに、古代の1年の始まりは中国など太陰暦を使用している地域は春節のある2月、古代ローマなど太陽暦を使用している地域は春分の日がある3月から12月までの10ヵ月の暦だった。

それを1月と2月を加えて現代の12ヶ月にしたのは、ユリウス・カエサルでこの暦はユリウス暦と呼ばれている。
カエサルの意図は、3月から世の中をスムーズに動かすためには、政治家は冬季から働かなくてはならない。だから冬季も暦を作ったということらしい。

現代社会が使っている暦の原型は、春から世の中が動き出すという古代の生活習慣をベースに、カエサルが政治的理由から冬の2か月間を付け加えたという言わば、政治年度の始まりを冬にしたということのようです。
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この回答へのお礼

勉強になります。

フランス語や英語などの諸言語で月の呼び方で、Septembre(9月、sept: 7の数詞)以降の月が2つずつズレているのも関連がありそうな気がしました。

興味が湧いてきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2024/12/27 20:17

お天道様との関係と地球の傾きによるのでは?



下記参照ください。
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/B5A8C0E12F …
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