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「日本が朝鮮を植民地」にしていたと話をよく聞きます。日本ってつまり、北朝鮮や韓国の宗主国だったってことですよね。でも、日本人が宗主国という言葉を使っているのを聞いたことがありません。なぜですか。

A 回答 (17件中1~10件)

或いは、併合して植民地にしたというが一番ニュアンスてきにはふさわしいかもしれません。

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お礼日時:2025/01/14 12:11

併合というが要するに対等な併合か、植民的併合の゙どちらかというだけですから、対等ではないだけで、やはり植民地です。

文献もある。
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お礼日時:2025/01/14 12:12

「植民地にした」ではなくて「併合した」と言う事ですから、そもそも宗主国と言う概念は成り立ちません。

宗主国と言うのは支配下に置いている相手国に対する呼び方ですが、日韓併合の時には朝鮮と言う国そのものがなくなったわけですし。
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お礼日時:2025/01/14 06:22

日本は朝鮮を、欧米のように他国を植民地にしたわけではありません。


財政破綻していた大韓帝国を、救済合併して日本国の一部にしていたというのが正しい解釈です。

ただし、対等合併ではなく、救済合併ですから、朝鮮人は二級国民ということで差別していたことは事実です。
また、インフラを整備して近代国家となし、義務教育も日本本土並みに整備したほか、商工業の振興を図りました。つまり、日本は朝鮮半島を中国向けの工業製品の輸出基地にしようと、官民の総力を挙げて朝鮮半島に大規模な投資を行ったことになります。
多くの朝鮮人は暮らしも向上して満足できたでしょう。ただ、支配層だった両班の人々は、特権を奪われて庶民と同じ扱いになりましたので、日本を恨む人が多かったことも間違いないでしょう。
また、日本側にしても、国土開発資金の大半が朝鮮に投下されたため、日本本土の開発、特に東北地方の開発が遅れてしまいました。
※この辺の事情が、政財界に対する陸軍青年将校たちの反感を産み、日本が軍国主義化していく温床を作った可能性もある。

いずれにしても、全く同じではないにしても、日本側からすれば、同じ日本人になったわけですから、日本が宗主国ということにはならないでしょう。
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お礼日時:2025/01/14 06:22

宗主国というのはその国家の主権の大半を取り上げ、同時に保護する国という意味があると思います。

朝鮮は日本が併合したのであり、国家というかたちは残りませんでした。もちろん併合=同じ国ですので、国として保護したわけでもありません。あくまで日本の一部にしたということなので、宗主国という呼び方はしなかったのでしょう。どちらかといえば満州国の方が近かったかもしれません。
 ちなみに当時の朝鮮を植民地という人もいますが、少なくとも搾取の対象でしかなかった欧米型の植民地ではなかったのは事実です。欧米型の植民地ではそこの出身の者が(特殊なケースであっても)国会議員や軍の将官になれることはありませんし。
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お礼日時:2025/01/14 06:22

植民地では無かったからです。



西洋の植民地は、現地人を奴隷化し
資源などを強奪し
そうやって、豊かな生活を手に
入れました。

日本は違います。
インフラを整え、識字率なども
4%だったのを60%にしています。
だから、大幅な赤字になりました。

つまり、併合であり、植民地では
無かった訳です。

その併合も、韓国から依頼されて
したものです。

時の首相「李完用」が与党「一進会」
の賛同を得て、日本に併合を依頼して
きました。

併合してもらわないと
ロシアに吸収されるおそれが強かった
からです。

ロシアよりは、日本の方がマシ
と判断したのです。



○日韓併合の成果
・半島の人口が2倍に増えて24歳だった平均寿命が30年以上伸びた。
・人口の30%を占めてた奴隷が解放されて、
 幼児売春や幼児売買が禁止される。
・家父長制が制限されて、家畜扱いだった朝鮮女性に名前がつけられた。
・度量衡が統一され、8つあった言語が統合されて、標準朝鮮語が
つくられて、朝鮮語教育のための教科書・教材が大量に作成された。
・40しか無かった学校を4271校以上の小学校がつくられ、師範学校や高等学校が合計1000
以上つくられ、239万人が就学して識字率が4%から61%に上がった。
・大学や病院がつくられてカルト呪術医療が禁止され、上下水道が
整備されて、泥水啜って下水垂流しの生活ではなくなった。
・日本人は徴兵で大量に死んだのに、朝鮮人は終戦の間近の一年しか
徴兵されず、内地の勤労動員だけで済まされ、志願朝鮮人兵が戦死したら
日本人と同じく英霊として祀られた。
・100㎞しかなかった半島に6000キロもの鉄道が引かれ、港が造られ、電気が引かれ、
会社が作られるようになって物々交換から貨幣経済に転換出来た。
・二階建て以上の家屋が造られるようになるとともに、総督府に入浴する
ように指導されて衛生面が格段に向上した。
・禿山に6億本の樹木が植林され、ため池がつくられて、今あるため池の
半分もいまだに日本製で、川や橋が整備され耕作地は2倍になり、
近代農業導入で1反辺りの収穫量が3倍になった。
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お礼日時:2025/01/14 06:22

植民地という文献は他にもあります。

朝鮮も書かれています。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Deta …
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お礼日時:2025/01/14 06:22

宗主国という概念は様々な解釈がありますが、


朝鮮において宗主国というのは家族で言うと父親、
つまり上下関係が存在するものです。
この関係では歴史的に朝鮮が日本に中国の文化を
(間接的であっても)伝えた兄のような存在なので
朝鮮では中国が宗主国であっても日本は弟の扱いです。

一方で、日本は朝鮮を併合して植民地としましたが、
日本との統一を目指すもので、いわば一族とするものであり、
併合に伴う社会構造の統一の過程で植民地としましたが、
将来的には統合する意向であったと言えます。
このことから日本は朝鮮の宗主国と考えていません。



さて、よく「朝鮮は併合したから植民地ではない」
という意見を見ますが、併合は2か国間が双方の同意で
一方の領域権限を他方に移譲するものです。
厳密には地域の全域が移譲されるものを併合、
地域の一部が移譲されるものを割譲と言います。
また、近代における植民地の概念は簡単に言うと、
宗主国と異なる法体系にある政治形態の従属地です。
実際に、「植民地と人民に独立を付与する宣言」によって
イギリスやフランスなどは植民地で自治を促すことで
名目上の植民地の廃絶を行いました。
この時、海外県などは議員の選出などを行っています。

朝鮮の場合、日本が任命した朝鮮人が就任できない総督が統治し、
日本と異なり朝鮮から選挙で国政に参加できない立場でした。
(注:よく言われる朴春琴は朝鮮人ですが東京選出です)
これで「日本の県が増えたのと同じ」とはとても言えません。
このことから、朝鮮は併合によって植民地になったものです。
実際にエチオピア帝国はイタリアに併合されましたが、
一般的にイタリア領東アフリカとして植民地とされます。

ちなみに、昭和20年4月の法改正で次の選挙では
朝鮮から国会に議員が選出される予定でしたので、
現在の名目上の植民地が海外県などとして解消された
という定義からすれば植民地で無くなるはずでした。
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お礼日時:2025/01/14 06:23

「宗主国」というか「宗主関係」だとどうしても「国家対国家」という関係のような気がするんだ. だから, 大日本帝国が大韓帝国を吸収した = 朝鮮半島を支配する国家が (大日本帝国以外には) 存在しなくなった時点で「宗主国」という関係とは呼びにくいのではないだろうか (「大韓帝国の宗主国であった」かどうかはさておき).



もちろん言葉の意味の広さはいろいろなので「日本は朝鮮半島を植民地にしたことで当該地域の宗主国となった」と呼んではいけない, というわけでもない... 「植民地」という言葉も時代によって意味が異なるわけだが.
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お礼日時:2025/01/14 06:23

朝鮮の宗主国は中国でした。


清が誕生したときに、清は貢物を欲求しますが、朝鮮王朝は歯向かったため。
直ぐに制圧され、以後、毎年貢物を送っていた。
 使節団がきたときには、朝鮮国王は土下座で出迎えた。

植民地は、治安維持のための小規模の軍隊を置いた。
為政者である総督を置いた。
総督は、本国から派遣された言わば官僚。
農園を経営し、本国の余剰物質を売りつけ、あるいは買い付けた。
本質的には、本国の人々は移住は目的としない。

日本による朝鮮併合は。
満洲国、台湾、朝鮮併合統治では。
日本人が移住して共に生活するための、併合であった。

朝鮮、台湾ともに、日本の国税を使い、学校をつくり、鉄道敷設、ダム建設、水道の完備。
学校は、日本人も現地人も一緒に学んだ。

台湾、朝鮮どちらもまず、衛生面の改善だった。
朝鮮では、まず医科大学をつくり、現地人の教育につとめた。
朝鮮は、川もみぞも、道路も糞尿だらけで、夏には疫病が流行った。

台湾は、ハエや蚊などによる感染症の島だった。
もともとは中国が管理していたが、7人の総督のうち5人は感染症により死亡。
日本は、溝の消毒などをして、衛生面、感染症対策をした。そして、日本人も住めるようにした。


韓国の第2代目の大統領は、朴正煕パク・チョンヒ。
日本の陸軍士官学校を、首席で卒業。

台湾の多くの学生も、日本の大学で学び、日本人とともに高い要職に就いた。


簡単に言えば、このようなことだ。
けっして、植民地化したわけではない。

朝鮮王朝は、上下関係を持つ身分制度、差別社会だった。
王族と、儒教を基本とする両班によって支配された。
王族、両班、平民、賎民(僧侶、芸人、豚や鶏の解体職人、奴婢など)
やがて、賎民以下の身分も作られた。
奴婢は、奴は男の奴隷、婢は女の奴隷。

奴婢は売り買いされ、併合した1910年頃には、美女1人を含む8人の奴婢の値段は、牛1頭と同じだった。

併合によって、日本政府は、これらの身分制度を廃止した。
これにより、身分を失った王族や両班は、日本国を恨むようになった。
現在の事実上の支配階級は、元の王族や両班階級出身が多く、恨みは続く。
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お礼日時:2025/01/14 06:23

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