モテ期を経験した方いらっしゃいますか?

よく髪を切る・黒髪にする・スカートが短い・バイトをするな自転車通学をするなとまあ古くからそんな校則がありますが一つ疑問に思ったのですが校則とは
法律と同じく絶対に守らなくてはいけないモノなのでしょうか?
それともただ校内の秩序を正すために学校側が勝手に
作ったもので別に守る義理は合っても義務までは
ないのでしょうか?個人的には染髪・バイトはともかく
自転車通学をしてはいけないとか髪を切って来いと言う
意味が分からないですー(・_・)ー
私も学生時代かなり日差しがキツカッタ時に日除けに
帽子を被って行くと注意された記憶があります
あれも今から考えれば変な話だな~と何か納得できない
所があります
回答よろしくお願いします

A 回答 (14件中1~10件)

 法的には、「法に反しない範囲で有効」となります。



 たとえば、「先生には絶対服従」なんて校則があったとすると、こんなのは公序良俗に反しますので無効です。
 ですが、法に反しない範囲での校則は、法律と同じ効力を持ちます。自転車とか、髪とかはそうですね。

 しかしながら、髪を切らない生徒の髪を無理やり切ったり、なんてことをすると、その行為自体が違法となります。
 でもそれは「髪を切らなくてもいい」理由にはなりませんよね……?
 ようするにそういうことです。

 もっとも、気持ちは分かるんですけどね。
 俺も「二重穴ベルトはいけない」とか「毛玉取りを持ってきてはいけない」とか、全く意味が分かりませんでした。
 そういえば昔ニュースで、「どうしてそういう校則があるのか分からないが、規則なんだから守らなければならない」と発言しちゃった校長先生がいました。
 「田舎に帰れ!」とか(心で)ツッコミ入れてしまいました(^_^;
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「規範意識を育てる」上で有効です。


なかには首を傾げたくなる校則もあります。
(異性の半径3m以内にいてはいけない、なんていう女子高があります。父親と散歩も「違反」で指導の対象になるそうです)

秩序を正すため、というよりも規範意識と考えたいですね。校則は生徒会(生徒総会)で審議・議決してましたから。学校にもよりますが、「学校側が勝手に」という例ばかりではないですよ。
ですから「義理」とか「義務」ではなく、規範意識を身につける教材の一つですよ。

自転車通学禁止は、学校の施設的な問題(駐輪場スペース)や、校門の混雑の問題(正門のみ、の場合、自転車のラッシュで近隣交通に支障が出ることがあります)。

納得できないものもあるでしょう。それを変える方法を学ぶ(交渉することを学ぶ)のも教育活動の一つと思います。

なかにはホントに笑えるネタ(校則)もありますから。「挙手する場合は右手を前方60度の角度で、指先を揃えて挙げること(左手やグーではいけないのです・・・)」とかね。
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 中学までは義務教育なので,あまりに理不尽な校則に異を唱えても良いとは思いますが,高校から先はある意味では「契約」ですから,高校は入学した段階でその高校の校則を遵守する事を求めて良いと思います。



 あとは,どのレベルまで遵守させるか,は学校の方針や先生の考え方次第で変わります。

 受ける方がそんなに詳しく調べているかどうかは契約上は関係がありません。これは一般の規則・法律も同様で,交通違反をしたときに知らなかった,とか,会社で規約違反をしたときに知らなかったと言っても,通らないのと同様です。

 さて,理不尽な校則はなぜできたのか,と言えば,その学校にニーズがあったからだと思います。

 どうしても,学校側は「規則を作る事ではみ出しを防ぐ」という方向に行きがちです。

 自転車通学で言えば,「一人許せば他の生徒もやりたがる。ところが学校には”すべての生徒が”自転車を置けるスペースがない」ので,「一律に禁止してしまおう」となるわけで…,規則は個人のために作るのではなく,全体のために作ります。個人的には理不尽に思っても,学校側からすれば正当(と言える)理由があって作っているので,個人個人で見ると理不尽に見えてくるものだと思います。

 そこで,対抗手段としては,一人で反抗するのではなく,できるだけ大人数の署名を集めたり,生徒会で議決を取ったりして校則を変える運動をする事になります。社会人で言うところの「団結権・団体交渉権の行使」ですね。その最たるものが過去の学園紛争なわけで,学園紛争を機に校則が大幅に減った学校は沢山あります。

 もう一つは「PTAを動かす」というのも手ですね。

 また,最近は「校則が時代にそぐわなくなったから」と,学校が率先して校則を削ったところもあります。都内の某私立高校では「100項目もあった校則を16項目に減らしました!」と自慢していました。別に自慢する事でもないと思いますけどね。
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 校則の拘束力に関しては十分な回答が既に出ているので、ここでは割愛させていただきます。



 確かにどう考えても理不尽な校則と言うのはありますが、あなたが提示されたものはどれも十分に説得力のあるものだと思います。
 学校は勉学をするところであり、おしゃれは必要ないという方針を強く貫くなら、あらゆる勉強に関係のないおしゃれ(服装・装飾品・髪型・持ち物等)を禁止するでしょう。これは、守ることに意味があるのではなく、勉強するために学校に来ているのならするはずがない、と言う判断の下に作られます。バイトも同様ですね。
 また、学校の設備や学内の安全確保などのため必要上作られるものもあります。例えば自転車通学を認めるには、全生徒数の自転車を置ける敷地と設備が必要になります。またその学校の生徒だと判断できない格好(帽子を深くかぶった状態等)では、学内に不審人物を入れる可能性が否定できないので禁止するといったこともあります。
 これらは、個人的には正当な理由(あなたの場合、日差しが強いから帽子をかぶった等)があったとしても、事前に許可が得られなければ例外として扱うことはできません。そうでなければ規則として役に立ちませんから。

 ただ、現在では一方的に押し付けることは必ずしも良いことではないとされてきているため、無意味に従うよりもその意義をただし改正を考えることも必要となるでしょう。

 私の通っていた高校は校則がありません。服装も制服ではなく、拘束力のない「標準服」でした。ですが、私服で登校する者はなく、髪も茶髪はいても金や派手な色はまずいませんでした。授業中寝たり本を読んだりする者はいても、授業を妨害することは一切なく、試験勉強は怠らず大学進学率はほぼ100%でした。私たちにとって「自由」とは「何をしてもいい自由」ではなく「何をすべきで何をすべきでないか自分で選択できる自由」だったのです。
 守るべきを守るなら、校則など必要ないはずなのです。にもかかわらず、ほとんどの学校には校則があり、同じように地方自治体には条例が、国には法律が必要なのです。

 校則は国にとっての法律と同じです。法律と同様に時代に合わせて改正していくことは必要ですが、やはりなくてはならないものなのでしょう。
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校則の拘束力(!)については、実はふかーい議論があります。

私の理解は浅いんですが、話のネタに、ちょっとだけ。

<内外基準論>
校則は、いかなる場合でも、「学校外」には作用しないという議論。空間的な内外、時間的な内外、その組み合わせ。たとえばバイク。「校舎・校庭の中を走っちゃいけない」と決めるのと、「高速道路を走っちゃいけない」と決めることとは性質がちがう。あるいは、バイク通学は、校外をはしってくるけど、学校の管轄下に入るとか。授業時間中にマンガを読むことは規制できるが、放課後(あるいは休み時間)は規制できない、とかですね。この議論の元型は、たとえば労働法上の労災認定の問題とか、一般会社員の副業とか、公務員の政治的行為の制限とか、そういった分野の法制度です。なお、校内のことならなんでも規制できるというわけではありません。以下に挙げるような規準でさらに考えを進めましょう。

<侵害禁止基準>
自由主義社会においては、個人の行動を、事前に予防的に一律に禁止することは適当でないので、実際に他者の権利の侵害があったときにだけ、事後的に、権利回復的に、個別的に禁止できると考える考え方。茶髪やパーマは、じっさいにそういう髪の人が存在していて他者の権利が侵害されないのであれば、禁止できない、ということになる。固めすぎてとがった髪形は規制できるかも。ピアスは、派手だからという理由ではなく、留め具部分が危険だからという理由で、たとえば体育の時間には規制できるかも。これは事実上、一般社会の規則は学校にも適用されるというだけのことで、学校という社会に独自の規制はとくに考えないということにつながりそう。

<パターナリズム>
子どもは大人・教員に比べると絶対的に・相対的に未熟な存在なので、自己の最善の利益について適切に判断できない。したがって、大人・教員が、子どもになりかわって、最善の行動を判断して強制することが認められなければならない。こう考える思想がパターナリズム(温情的家父長主義とか訳すらしい)。ほとんどの校則は、このパターナリズムを思想的根拠としている(大げさ、ですね)。国の法律で認められている16歳でのバイクの免許取得をたかが学校(!)が規制できると信じている人たちは、少なくとも高校へ通っている16歳は未熟で判断力がないからついつい免許なんてとっちゃって、事故って死にそうになるんだ、そういう奴になりかわって、そいつのために、学校が判断しますよ、と考えているはず。余計なおせっかい、と感じてしまうわけであるが、余計なおせっかいと感じていることこそが、未熟さの証明とみなされるので、なかなかパターナリズムは手強いのだ。
なお、教育という仕事自体がパターナリズムの思想とよくにている、あるいはまったく同一の構造をもつことから、学校という場は本来校則が繁茂しやすいところなのだ、とか言ったりもします。

もうひとつ、<モラリズム>という大きな論点があるんですが、あまりうまく説明できないので割愛。また私は、「黙示の契約」とか「民主主義」とか「参加」とかいった「手続き」に基づく説明は、あまり魅力的でない(=理論的にあんまり論じるべきポイントがない)ように思います。長文失礼いたしました。暇つぶしには、許されるでしょうか???
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人の集まるところにはルールがないと統制が取れませんものね。


校則は先生が生徒を管理し易いように作ったものかなーと思っていました。ぜひ先生側のお話も聞いてみたいです。
私立なんかだと生徒そのものが学校の顔なので、学校のイメージを守るという意味でも従わざるを得ないかもしれないですね。

でも私が通った公立高校高校にも、
制服は黒いガクランなのに、靴下は白のみとかいう校則があって、
生徒総会で生徒会の方が「靴下だけが白なんて美的感覚はどうかと思うし、派手でなければいいんじゃないでしょうか」という先生がたに対する議題を出して、
その場で生徒みんな盛り上がって賛成して(笑)では黒・紺など派手でないものならばと、校則が変えられたことがありましたよ~。

エネルギーが必要ですけど、
根拠がはっきりしないものであるならば、変えられないものではないと思います。
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絶対ではありません。


あなた達が今の校則に問題があると思えば、生徒会などを通して変えていく働きかけをしてみましょう。古くからの慣習で、どうしてそういう校則があるのかよくわからないものもあるでしょう。そういう校則は、生徒の力で変えていくこともできるはずです。
意味がない校則だから破ってよいのではなく、意味がない校則であればまっとうな方法でそれを変えていけばよいのです。
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その学校の生徒でいたいなら、絶対なものです。

退学して良いなら無理して守る必要はありません。法律とは違いますから。

ただときどき時代錯誤な校則が残ってるケースがありますね。田舎の女子高で「お父さん以外の男性とは並んで歩いてはいけない。(つまり兄弟や従兄弟もダメ。)」とか「洋服は指定のもの(つまり制服)以外は黒のみ(葬式か??)」なんていまだにあるらしいですよ。

まあ学校の先生は結構、世間常識からずれてる方々もいらっしゃいますから、仕方ないかもしれません。まああんまり校則がずれた学校は、はじめから選ばないようにするのが生徒たちの防衛策かも。
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私も校則なんて何で守らなくちゃいけないのかわからず、学生生活を送ってきた身です。


しかし今振り返ると、それが糧となり、社会を知ることになったと思います。
学校とは、勉強だけでなく、社会規範を学ぶ場所でもあります。
校則とは集団生活上の決まりであり、校則を守ることは規律、協調性を学ぶことなのです。
私立学校においては校則が入学契約になっている場合もあるでしょうし。
確かに黒髪、前髪は眉毛の上、スカートは膝下、靴下は白、等々このご時世に(平成ですよ!?)不可解な校則を守らなければならなかったのですが、今になってはいい思い出です。
現在は、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」が批准されたり、校則は生徒の自主性を削いでいるのではないかと言われたりと、なかなか難しい立場におかれていますが、やはり、校則は必要だと思います。
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高校の校則を前提に言わせて貰います。


校則自体は絶対ではないです。ただし、その高校に入学する際にどのような高校か調べて入学したはずですので、入学してから「そんなの知らないから守らなくていい」は通じません。
どうしても不条理に感じるならば、学生が団結して、改正を求めるのがいいと思います。
でも、社会に出たなら、もっと不条理なことがたくさんあります。我慢できないことも一杯あります。
ある程度は仕方ないでしょう。
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