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旗本は三河以来の由緒があったり、甲州武田氏の遺臣であったり、元大名、大名から分知された家、戦国大名の有力家臣、あるいは御家人からの昇進家などその成り立ちは様々だと思いますが、御家人は幕初はどういった由緒の家で占められていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

旗本、御家人の区別は将軍にお目見えできるか、できないかの差です。


ですから三河からの譜代であっても軽い地位にしかつけなかった場合は御家人ということもありますが、多くは徳川家の身代が大きくなってゆく過程で採用されていった人たちでしょう。
まぁ500石もらっていても御家人という特殊な例もありますが。
なお、お目見え以下には御譜代席、御譜代準席、お抱えがあり、御譜代席、御譜代準席は隠居できましたが、お抱えは形式上は一代限りということになっていましたので、退職すると幕臣の地位は失いました。(たいてい身寄りのものがかわりに新規お召抱えになりましたが)
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この回答へのお礼

いつも御回答ありがとうございます。
御家人の数が多いので、全てが全て関ヶ原までに徳川家の直臣となった者とは思えなかったので質問させて頂きました。
八王子千人頭や牢屋奉行なんかも御家人だったらしいですね。

江戸後期には御家人からでも能力如何で勘定奉行や町奉行にも抜擢された様ですし、御家人から御旗本になる事も出来れば、大出世を遂げた人物もいるみたいですね。

お礼日時:2005/06/19 22:08

「江戸後期に出世する例が出てくる」ことには, 8代将軍吉宗の「足高の制」が関係しているんじゃないでしょうか.


もともと, 役職と収入との間にはそれなりの関係がありました. 当然, 役職が高いほど収入も多いということになります (交際費などが自分持ちであることもあって). ところが, 当初は「ある役職に就くと自動的に対応する収入まで加増される (子孫まで収入が増える)」というシステムであったため, 本来の収入が少ない者を高い役職に就けようとするとその分の領地を幕府が与えなければなりませんでした. となると, 必然的に「能力はあるが低い身分の者を高い役職に就ける」ことは難しくなります.
これに対し, 吉宗は「足高の制」という制度を作りました. これは, 「ある役職に就いたときに, その役職にいる間だけ対応する収入まで加増される (子孫には受け継がれない)」というシステムです. これにより, 「身分は低くても能力のある者を高い役職に就ける」ことがしやすくなります.
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
確かに知行での加増というのはあまり為されていないようですね。
百石・二百石程度の者が勘定奉行などに昇進すると五百石に加増される内規があったとか本で読んだ気がしますが、幕末の頃には廃止されてたようです。

お礼日時:2005/06/22 00:46

御家人に由緒があれば旗本くらいに出世しています。


徳川家が大身に成っていく過程で召し抱えられた人々でも由緒のあるものはそれなりの処遇で抱えられたので、その他大勢の扱いの人はそれなりでした。

個人の才覚で出世する人もありますが封建制度の下では例外的存在でした。
一代限りの奉公というのはその人の働きは認めるが、世襲させる程の働きは認めないという事で、誰でも代えうるというという訳です。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
確かに武功もなく、能吏でもなければ旗本にする必要もないのでしょうね…

お礼日時:2005/06/20 16:43

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