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日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

A 回答 (13件中11~13件)

信長の時代は保護されていたキリスト教ですが、秀吉の時代に迫害が始まりました。

その理由として主に考えられているのは
・キリスト教の倫理と日本の文化の違い
・キリシタン大名の死を契機とした
・キリシタンの結束力・軍事力を削ぐ目的
・長崎の天領地の自治の強さが目障り
・ポルトガル商人が怒りに触れた

時代は下って家康の時代には、初期には貿易での利益面から黙認していたものの結果的にさらに厳しくなりました。
・伝道と貿易が一体化していた対ポルトガル貿易より、比較的自由な対オランダ貿易が重要視されるようになった
・日本と紛争になった

そして、家光の時代に外国船の入港が禁止となり鎖国が完成。


結果としては政治上の問題であったという事でしょう。
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この回答へのお礼

隠れキリシタンは、織田信長が元気だった1570年代までに信仰した人たちや、その子孫のようですね。ありがとうございました。
しかしキリスト教が排斥されるまでにもいろいろあったのですね…

お礼日時:2005/06/29 00:06

江戸幕府は武士・農民・商人・職人の身分制度を確立し、武士が民衆を支配する政治をシステムを作りあげようとしていました。


ところがキリスト教は、神のもとで人間は平等であると教えていたため、江戸幕府の政治と対立することになります。

また、当事日本との貿易独占を狙ったオランダが、キリスト教の宣教師はポルトガルのスパイであり、日本侵略を狙っていると江戸幕府に吹き込んだためとも言われています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
鎖国される約350~360年前、元が2度も日本を滅ぼそうとしながらいずれも嵐で日本は助かったということがありましたが、武器や方法は大きく違いながらも鎌倉時代の元と同じように日本侵略を狙っていて、そうなれば戦の可能性もあると考えたのでしょうね。

お礼日時:2005/06/29 00:21

神様だけが偉くて神の前では人間はすべて平等というのが、


為政者には認められないからです。
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この回答へのお礼

要するに、徳川一族をはじめとする当時の役人はキリスト教をみとめない為政者であったようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/29 00:11

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