これ何て呼びますか

年長児の娘の担任の先生が「命の大切さ」を伝えるために
ひよこを飼って、鶏にして、子供の目の前で
殺して食べる食育を行いたいと言いました。

「食べる」ということは「命をいただく」と言うことを
伝えるのが目的だそうです。

これまでにも、生きた魚を目の前でさばいて食べるという
ことは行いました。
子ども達は「残しては魚に申し訳ないと」綺麗に
全部食べたそうです。

私は以前に金森先生の著書「いのちの教科書」を
読んだことがあり、その本の中で
鶏を食べるという授業が紹介されていて
それはとても感動的な内容でした。

ただ、その本は小学校の話であり、
年長児には刺激が強すぎるのでは、、、と
心配もあります。

クラスのお母さん達は「鳥肉が食べられなくならないか、、、」
「残酷なシーンを見て耐えられるだろうか、、」
など反対意見を持つ人もいます。

みなさんは、この件に関してどのように思いますか?

私は食材に宿る命を意識する良い機会だと
思って、基本的には賛成の立場にいます。
でも、娘がショックを受けすぎないか
心配でもあります、、。

賛成、反対、色々な意見を聞かせてください。

A 回答 (34件中21~30件)

フランスで好きな女性を殺して切り刻み、冷蔵庫の入れて少しずつ食べていた日本人が捕まりました。


食する=愛する だったと本人は言っていました。
彼の生い立ちを辿ると、なまはげの風習がある土地で育ち、小さい頃大人がなまはげに扮して「悪い子はおらんか 食ってしまうぞ」というものにものすごい恐怖を感じたそうです。
それが原因で異常思考して殺して食べたのではないかという説もありました。

実際 こんな放送がテレビでありました。
お父さんが都会の生活に疲れ果て、妻と3人の子どもを連れて山奥で自給自足を始めました。
やがて妻は耐えられず、一人でその土地を出ていきました。
お父さんは子どもたちにも畑仕事をさせ、生きるということはこれほど過酷さを伴うというものを実体験に学ばせたつもりでした。
(実際はお父さんは都会生活が耐えられず、家族を道連れにしたんだと思うし、寂しいから子供達だけでは逃げられない土地に閉じ込めたと思えました。

女の子が一人いました。
彼女はひよこを我が子のように育てていました。
すぐに鶏になりましたが、その少女はとてもその鶏を愛しました。
ある日 お父さんは食べるからその鶏を殺せと少女に言いました。
少女は泣きもせず、ただ黙って我が子を見つめていました。
少女には選択肢がありません。
逃げれません。
お父さんに言いつけに背くことは死を意味します。
ナタで我が子の首をはねました。
どっと涙があふれ「こんなのもう嫌だ!」と叫びカメラの前から消えました。

このお父さんは少女に生きることは地獄であると教えたかったのだと思います。
生きるためならなんでもしろ 例え愛するものすら殺せ さもないと自分が死にしかないと バトルロイアルの世界を叩き込もうとしたのだと思います。

わたしは 「必要ない あんた一人が山奥でひっそりと暮らせ! 娘に手をかけるな 触るな 娘を毒牙にかけたら承知しないぞ」と思いました。

3人の兄弟のうちの一番上は逃げました。
残りの二人は自活する方法がなく、お父さんに従っていきることしかできませんでした。
虐待以外の何者でもないと思いました。

だから、ひよこを育てて殺されるのは虐待だと思います。
命の大切さは他でなんぼでも学べます。
バトルロアイヤル教育など強制しなくても、子供達は生きていくなかで学び取ります。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
そうですね、あえて残酷な経験をさせなくても
よいですよね。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:36

No.6で回答した者です。

蛇足になりますが、一応補足させていただきます。

先程、保育園勤務の友人とこの話をしたのですが、小さい子は自我の発達にかなり差があり、同じ年齢でも、まだ赤ちゃんぽい子もいれば、大人のようによく物を考え、繊細な子もいるようです。
前者は、大人になってみると、小さい頃のことをあまり覚えていないようですが、後者は細かいことまでけっこう詳しく覚えていて、中にはやはり、小さい頃のことがトラウマになっている子もいるとのことです。

例えば、ブロイラーは一生陽の目を見ずに、生後数十日で殺されてしまうという有名な話がありますが、その話を聞いただけで、鶏肉を食べられなくなってしまった子もいるそうです。
また、テーマは違いますが、ヒトラーがユダヤ人を虐殺したときの話を聞いて、ショックのあまり熱を出して、何日も寝込んだ子もいると聞きました(その子は小学生でしたが)。
殺すところを直接見たわけでもなく、話を聞いただけでも、これだけショックを受ける子もいるのですから、いずれその授業が行われるにしても、強制参加にだけはしないでほしいと思います。


命の大切さ、食べ物のありがたさを教えるのは確かに大切ですが、そのことを理解している人たちが、全員動物を殺すところを直接見てきたかというとそうではなく、ほとんどの人は別の方法で学んできたわけですよね。
友人の保育園でも、それに似た話題が出たことがあるそうですが、本を読んでみせるとか、スライドやビデオを見せるとか、別のやり方を使っても、子供たちに学ばせることはできるという結論になったそうです。

参考URL:http://www.kdkaso.co.jp/mori/niwatori.htm
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
他に命の大切さを学ぶ方法を
提案してみようと思います。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:38

幼稚園児では早すぎるのでないでしょうか?


幼稚園児が、自分たちの食べている肉が殺された動物を食べているという事実をどれぐらい認識しているのでしょうか?
認識も出来ていないうちにいきなり、目の前で殺すと行為を見せても残酷さだけが子供の印象に残るようなきがします。
まして自分たちがひよこから飼ったりしたものなら愛情を抱くでしょうからなおさらです。
もう少し物事が理解出来るようになってからでも遅くはないと思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
そうですね、
幼児では早いかもしれません。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:39

確かに、目の前で殺して食べるということで、食べ物への感謝の気持ちや、むやみに殺してはならないということ、ひいては残酷な行為をしてはならないということを学ぶことが出来るでしょうが・・・。



ただ、これらのことは、古い古い昔のことがモデルとなって述べられていることが多いと思います。

戦前などは食糧事情も今と全く違うでしょうし、好む好まざるに関係なく、食べなくてはなならなかったでしょうが、現在のような飽食の時代では嫌なら食べなくて残しても良くなっていますし。

私も幼いころ田舎で、実家で育てていた鶏を夏祭りの日に、親がつぶして、はねをむしり、解体しているのを目撃してしまいました。
その鶏たちに餌をやったり、たまごをもらったりして多少なりとも愛着というか愛情があったのでしょう。今の記憶の中では、悲しいけど美味しいと言う印象で残っています。

ひよこから育ててということなので、多くの園児さんは私と同じように感じてくれることと思います。
しかし、中には鶏につつかれたりして、愛着もなく見てしまうと、ただ単に残酷な行為だけに興味を持つ子供も出てきてしまうのではないかと心配します。

個人差や家庭内での躾の違いなどがあるでしょうから、こういう微妙な教育を、クラス全員に画一的に見せるのは少し問題があるように思われます。

それに、大勢でみているうちに残酷すぎて気持ち悪くなった子供が一人でもはいたりすると、伝染してパニックになりかねないので心配です。

先生や親が、誘導したり強制したりしないで、見たい子には見させる、というふうにしたほうが良いのではないでしょうか。
幼いですし、見せようと思えば、のちにも機会はあるでしょう。

見るのが義務のようにしてしまうことには、全面的には賛成できません。柔軟に選択の余地を残すほうが良いと思いますよ。まあ、案ずるより生むが易しとも言いますし・・・。
しかし、教育というものは自分(先生など)の信念や正しいと信ずるものに沿って行われるのでしょうから。
先生の意欲は買いますが、よく考え、話し合っていい具合解決するといいですね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
実際見たことのある方の意見は
とても参考になります。
やっぱりかなりショッキングなんですよね、、。
選択性にするのは良い案ですよね。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:42

いや、ショックはあるかもしれませんね。



まず、残酷であるという表現はどうかな?
残酷なら、肉も野菜も食べられませんよ。誰の体も多くの命でできているのですからね。それを知らずに、生きている方がよっぽど残酷で、知らないが故に処分される残飯はもっと残酷です。自然界なら人間も、他の生き物の糧になる可能性があるのですからね。それを、今の人間は忘れていますからね。良いことのようで、食べ物を粗末にするという問題があります。

さて、賛成、反対については私は条件付きで賛成です。

条件とは、皆が理解することです。解体や殺してしまう瞬間がどうしても見られない子供は、外しても良いでしょうが必ず正しい理解をさせることでしょう。これは、子供だけではなく何より親に理解をして貰うことです。
大切な命を奪うが、その代わりに食べるということで私たちが生き償うのです。それを、教えられてこその命の勉強です。

まあ、教え方の形はいろいろありますよ。現代社会なら、この生なやり方は否定する人の方が圧倒的に多いと私は思いますからね。ただ、どれか一つなら必ず正しい学習ができるわけではありませんから、この方向性も実際に参加したい人には参加させるべきだと思うのです。ただ、本人が嫌なら無理には参加させないということになります。

ちなみに、私は生き物に情が移り子供の頃、食べられなかったというケースが一回だけありますが・・・それでも、当時理解はしていましたし、しばらくしてそういうことはなくなりましたが・・・。その理由は、親が上記のことを述べていたためです。

見れば良いわけではありません。また、残酷だから見るべきではないものでもないです。大事なのは、その中身が何でそれが自分にとってどれだけ大事なことか、命がどれだけ大切かを考えることにあります。その中で、全ての親御さんが理解しなければならないというのは、子供の身近で本当に正しい理解を与えることができるのは親だからです。そして、子供が正しい理解をしても親がいつまでも、これはいけない可哀想だ残酷だと言っていれば、また子供もそのことを否定するようになる恐れがあるためです。だから、理解は必要です。

まあ、これは一つの機会です。クラスや家族で話しあって全体で決めることが大切でしょう。こういう話し合いをするだけでも、効果はありますからね。やろうというだけで人はいろいろ考えますからね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

大人が子どもにきちんと説明して
納得させられれば、きっと意義のある
実践となると私も思います。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:44

こんにちは



命の大切さを教えたいというその熱意はよく理解できますが…
自分たちで育てた鶏を、というところに懸念を感じます。

問題は「自分たちで生き物を育てる」という事と
「自分が食べるために生き物を殺す」という事が
今の子供たちではなかなか結びつかないのではないか、
という事だと思います。

自分たちが食べるために、生きている魚をさばいたり、鶏を絞めたりする
事までは良いのではないか、と思います。

またそれとは別に鶏や他の生き物を育てる事を行えば、いつか
「生き物を育てる事」と「食べるために殺す事」が結びつき、
本当の意味での命の大切さを知る事が出来るような気がします。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
そうですね、
私も育てた鶏はやめてほしいと思っています。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:45

私は賛成です。

確かに残酷だとは思いますが、自分がどうやってお肉を食べているのか自分の目でみて確かめて口に出来るからです。家でそういう経験はまず田舎でも今ではみられない経験だと思います。

年長さんくらいなら「かわいそう」と言うことくらいは分かると思いますし、それはそれで子供なりに考えていろいろわかると思います。この先も考えることがあるでしょう。人間はベジタリアンでない限り(?)お肉を食べてるしその為に動物の命を貰ってるんですからキレイ事では済まされないと思っています。魚の時も申し訳ないから残さず食べると書かれていますので、もし鶏をさばくことになれば、園の先生方からきちんとした説明もされることでしょう。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
こちらが伝えたいことが、きちんと
子どもに伝わればよいのですが、、。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:49

こういうのはご家庭ごとに考え方もあるでしょうから、先生も事前に親御さんにお伝えしたのでしょうね。


魚は家庭でもさばくことがあるでしょうが、鳥をシメてお湯につけて毛を抜いて肉を得る、ということをやってる家庭はほとんどないので、「ちょっとそれ(トリ)は困る」と言う意見が多いであろうことは容易に想像がつきます。

私はちょっとやりすぎのような気がします。


ここは一つ、質問者さんから幼稚園側に、
1)シメる
2)毛を抜く
3)肉を調理する

どの段階から見せるべきか保護者にアンケートをとるのはどうか?
もしくは、
1)から3)まで通して見る組、2)から見る組、3)のみ見る組、と親御さんの希望に応じてその時だけのクラス分けをするのはどうか?

と言う提案をしてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
そうですね、アンケートを取るのも
良い案ですよね。
親が子どものショックをどうフォローできるか、
どうして、殺すのか、ということを
上手に伝えられるかどうかが鍵ですよね、、、。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:26

「命の大切さ」を教えるなら、逆にひよこを大切に飼って、その一生を最後まで見届けさせる方が良いと思います。



担任の先生がどんなご経験をお持ちなのかはわかりませんが、お母さんたちも、お子さんたちの立場になって考えてください。自分たちがもし、目の前でそういう場面を見せられたとしたら平気でいられますか? きっと大の大人でも、気分が悪くなって鶏肉が食べられなくなる人は大勢いるでしょう。

自分は子供の頃から鳥を飼うのが好きで、これまでに何羽もの鳥を飼ってきましたが、生きている鳥と接することによって、自分より小さいものへの思いやりや、言葉が通じない相手とのコミュニケーションの楽しさ・奥深さ、死別の悲しみ=命の大切さなど、殺した鳥を見せられるよりも、よほど多くのことを学んできたと思います。

ただでさえ、最近は「鳥インフルエンザ」のせいで、多くの罪のない鳥が、人の手によって命を奪われています。それも「処分」という、まるでゴミか何かのような言葉で。
子供の親の中には、学校で飼育されている、病気でも何でもない健康な鳥を、処分しろと騒ぎたてる人も少なからずいると聞きます。
こういう機会こそ、生き物の命を奪うのではなく、生きているままの形で、子供に大切なことを教えるべきではないのでしょうか?
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
やはり幼児には残酷すぎるかもしれないですね、、。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:24

鶏が可愛そうと思う気持ちだけが残って今後鶏を食べれなくなるかもしれませんね。

そんな事はいずれわかる事なので何もそこまでする必要はないと思いますが…。
私は絶対反対です。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
そうですよね、
幼児にはショックが大きすぎるかもしれません。

近いうち、クラスでこの件に関して
議論する予定ですので
こちらの皆さんの意見を参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/07/17 15:22

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