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人間を科学するということについてどういうことか考えています。
私には人間を科学するということがよくわからないので、みなさんの意見を教えていただきたいと思い質問を書きました。
できるだけ早い回答お待ちしています。

A 回答 (4件)

私もその内容(人間科学の意味)をずっと考えておりました。


最近その答えを諸家の見解から自分なりの回答を出しました。

まず、「科学」という言葉の解釈を明確にする必要があります。
一般的に言われる科学は「自然科学」をさします。
物事を量的にとらえるといったらよいでしょう。
しかし、科学には質的に捉える場合もあります。
概して、科学=方法論と捉えるといいでしょう。
これは哲学者のガダマーがいったことです。

次に、人間科学です。
哲学者 野家啓一『物語の哲学』から抜粋します。

行為の説明や歴史的出来事の説明に見られるように、「自然科学が解明してきたのが「リアリティ」であれとすれば、人間科学が目指しているのは、むしろ「アクチュアリティ」の把握である」
(人間科学は)「なぜ」という人間的関心ごとに応えることを主要な目的にしている

と述べています。
つまり、人間科学とはひとの行為を知るための学問といえます。
その行為を知るために心理、社会学、哲学などを方法論とし、紐解いていくのです。

以上が私なりの答えです。
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小生もyakochinさんの意見に同意です。



ただ科学とは細分化の過程で様々なジャンルを持つわけですが、近年では細分化し過ぎて相互の連携が難しくなり、方々の大学で「人間学部」や「人間科学部」なんてものが創設されてますが…
しかして人間の最大の関心事は、詰まる所は自分自身なんじゃないかと思う次第。
故に科学を持って人を知りたいという欲求も至極当然ではないかと愚考します。
とはいえ余りに普遍的で大概の科学分野の根底に組み込まれてしまっている手前、学部創設に関しては何を今更…という気も無い訳でもない。

kusayanagiさんが何故そのような疑問に至ったかも、微妙に気になる所では在りますが、人が人を知りたいというのは自我在ればこそ…ってこりゃ、デカルトの世界かも?

「人間という存在を計測するのに様々な物指しが在るが、よし科学の専門分野も動員してみよう」ってコトなんじゃないか?等と想う次第です。
昨今はだいぶ社会も複雑化した手前、科学的に自身を再定義しようと言う「流行りモノ」かもしれませんが…
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「科学する」という表現に違和感を持つ人は多いと思いますが、いまはこの表現についてはおきます。



 さて、科学という造語は、さまざまに分化した知識、学問というようなことがもとです。科学が成立してしばらくは、ごく単純に扱える領域を「○○物理学」「○○化学」のように区切って研究するのが便利でした。一度にあまり広い視野でものを考えると、やることが多すぎて結果がなかなか出せませんからね。

 でも個別の分野での単純な研究が積み重ねられて、知識が増えてきたので、こんどは、いままで小さく分けて研究されていたものを、一度に多方面の知識を使って調べ、考えることが可能になってきました。そのようにして人間を研究し見直すことで、いままで気づかなかったことがわかってくるかもしれません。

 具体的にどんなことをするかは、その研究者しだいです。 
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「人間という生物のもつ特性(性格や身体的・心理的特徴)を科学的に考察する」といった意味でしょうか。


「人間を科学する」というのが文法的にしっくりこないですよね。何かのキャッチフレーズか教科書のタイトルみたいですね。いずれにしろ、私は前述のように考えます。
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