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課題で困っているので、教えてください!!!
第一次、第二次世界大戦はなぜ避けることができなかったのでしょうか?
そして、もし避けることができたならどのように避けることができたのでしょうか?

A 回答 (7件)

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。

各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、ということもできます。
実は、1870-71年のプロイセン・フランス戦争の後は、第1次世界戦までヨーロッパで列強同士の大きな戦争は起こっていません。しかし、激しい軍拡競争は展開されていました。また、局地的武力衝突が起こったときに、前面戦争を回避するためのメカニズムが整備されておらず、電報で瞬時に情報が伝わっていくことにも不慣れなところがありました。

第2次世界大戦の場合は、先行して満州事変につづいて日中戦争が東アジアで起こっていたことはまず1つの前提となります。日本が、軍事力による領土拡張と国際連盟の脱退という点で、ドイツに先例を与えたことの意味は大きいと思います。
第2次大戦に先行する時期にも、ナチス・ドイツは戦争も覚悟の賭けを何回かしています(1935年のザールラント併合や徴兵制復活・再軍備宣言、36年のロカルノ条約破棄とラインラント進駐など)が、これを米英仏が容認したことが、ドイツの領土要求のエスカレートの直接の要因となっていて、ミュンヘン会談が有名ですが、英仏はその要求も認めます。この段階で、英仏がドイツに対してもっと強く出ていたならば、早期に戦争になっていたら、ドイツの軍備拡張が追いつかず、早々とドイツの敗北で終わっていたでしょうから、ドイツ側が戦争回避に動いた可能性があります。戦争が防げたかどうかはわかりませんが、もっと違った展開になっていたのは確かだと思います。
1939年9月のポーランド侵攻のときも、ドイツは英仏と全面戦争になるとは予想していませんでした。これに対して英仏は対独宣戦布告はしますが、ポーランドの独ソでの分割占領の段階では、ドイツと英仏の大規模な軍事力の衝突は起こっていません。それで、ドイツは英仏を恐れるに足らず、と考えるようになって、その後、北欧・ベネルクス3国・フランスを「電撃戦」で次々に占領下に起きますが、そこには英仏の油断があったことは否めません。英仏がドイツを甘く見たということです。これはソ連についても言えます。ドイツが、英仏やソ連に勝てないと思うような状況だったら、また違う歴史がありえたとは思います。
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#5の方と第一次については同一見解ですが、もう少し具体的に述べてみます。



当時ヨーロッパの大国同士の同盟は
英仏露vs.独墺伊でした。
ことの発端は、セルビア(英仏露寄り)で墺皇太子と妃が暗殺され、墺がこの期に乗じてセルビアを圧迫せんと画して宣戦布告を行い、露はこれを助けるために墺に宣戦布告、独はまた墺と同調するため露に宣戦布告、英と仏は独がベルギーの中立を犯したのと露との同盟のため宣戦布告(このあいだ伊は日和見)と、軍事同盟がなし崩し的に宣戦布告の連鎖反応を生んだということです。まさかセルビアの一青年が撃った銃弾が、何千万の命を奪う大戦の引き金になろうと、誰が予想したでしょうか。
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第一次、第二次世界大戦が不可避であったのは、それはどちらも帝国主義戦争だったからです。


資本主義が、より高度に発達し、帝国主義の段階に達した結果、より莫大な利潤を得るための資本投下先として海外植民地を必要としたけれども、特定の少数の国家が既に世界の大部分を植民地化していて、遅れて帝国主義の段階に達した後続組(ドイツ、日本など)は植民地再分割の要求を実現するためには実力行使で他国の植民地を分捕るしか道は残されていなかった。領土的矛盾が第一次世界大戦の原因で、サラエボの一発は単なるきっかけに過ぎないというようなことを、高校の世界史の授業で習っていたように思います。
また第二次世界大戦は、やはり第一次世界大戦では解消されなかった矛盾によって引き起こされた帝国主義戦争そのもので、ファシズムに対する民主主義の防衛戦争などといった奇麗事で片付く問題ではありませんでした。
一部の少数国家が世界の大半を植民地として領有しているという矛盾が存在する限り、どんな回避策を執ろうと世界大戦の発生を阻止することは出来なかったのではと思います。
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理由はいろいろあると思います。

その中でも、主たるものはやっぱり経済においての各国のエゴだと思います。結局はどこの国も豊かさを永久に求めるものです。そのためには、侵略戦争をする。侵略戦争をして植民地を獲得すれば、資源、国土、労働力、その国の経済発展に有利なものがたくさん手に入ります。その経済力は軍事力にももちろん絡むので、それは次の侵略行為に影響を与えます。また、国際連盟の無力さも大きく関係しています。大国の不参加や脱退ももちろんですが、現在の国連のような大きな力はなかったし、軍事力を均衡に保つことによって侵略行為、軍事的行為を抑制する方法をとっていたので、どんどん大国の軍事力が増大するということが起こりました。また、国と国と協同することによってさらに、強い国ななることを望んでいたので、最終的に連合国と枢軸国という大きな戦争になってしましました。どうしたら避けることができたか、それは現在のような国際システム、情勢が当時すでに考慮されていたら、というふうに、簡単には考えられません。当時の歴史上の出来事をみれば分かります。なら、今はどうかというと、今日は当時に比べれば、懸命なシステム(たとえば、戦争が起これば、他のすべての国でそれを止めるために介入する)があるものの、いつ戦争になってもおかしくない地域などはたくさんあります。なぜ、安定しているように見えるかというと、軍事的力が明白になったということです。実際は経済的な力ですが、ほぼイコールです。日本はどうか?もちろん、日本もそうです。実際、アメリカに次ぐぐらいの軍事力をもっています。ただ、核は持たないことを政府見解として実行しているだけです。武器の輸出はしてなくとも輸入はしてます。第九条で戦力の不保持を唱えていますが、侵略行為をするための、戦力の不保持です。個別的自衛権を行使するために持ってます。それで、日本やアメリカ、フランス、イギリス、ロシアなどの大国が明白なので、安定しているようにみえるだけで、実際は彼らが優位にたっているだけです。どこにいっても集団のなかでは、代表たるものがいるのでしょうね。
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国家間の対立が話し合いでは解決しなくなったからでしょう

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昔から世界史の歴史をひもとけばもめ事があった場合争いごとや戦争であることがわかると思います。


そしてそれらが複数の国が絡み合って武器がそれまでの戦争とは劇的に変わったために大戦という称号が付いたんだと思います。

社会が大きな戦争を経験して始めて自分たちの愚かさに気づきました。
余談ですがダイナマイトよりも核分裂の威力が早くに認識されなかった方が幸いだったのかもしれません。
科学とは前後があるように見えてない場合も多いと思います。
結果がわかってから原因究明というのも多いですね。

ですから避けることは不可能であったと思います。
話し合いの解決を小さい子供同士に求めても無理なように現在のいろんな経験の上に成り立っている価値観で歴史は語れないと思います。

暴論ですが、コンピューターの発達やさまざまな分野が戦争のおかげというのも少なくないです。
だからといって戦争は肯定しませんが、必要に迫られなければ生と死が隣り合わせにならなければ必死に物事を追いかけないのが人間の悲しい性ですね。
温暖化回避等深刻な問題もこうして起こってみて初めてなんとかしないとなと思う。それが人間社会の現実と思います。答になったかならないかわかりませんが、気が向いたので、、、
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課題に答えることはルール違反ですし、歴史にIFはないともいわれますが。


第二次世界大戦についてはヒットラーの行動を英米などが断固として認めない姿勢をとれば大規模な戦争は回避できたかもしれなかったとは言われています。
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