「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

課題で困っているので、教えてください!!!
第一次、第二次世界大戦はなぜ避けることができなかったのでしょうか?
そして、もし避けることができたならどのように避けることができたのでしょうか?

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A 回答 (7件)

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。

各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、ということもできます。
実は、1870-71年のプロイセン・フランス戦争の後は、第1次世界戦までヨーロッパで列強同士の大きな戦争は起こっていません。しかし、激しい軍拡競争は展開されていました。また、局地的武力衝突が起こったときに、前面戦争を回避するためのメカニズムが整備されておらず、電報で瞬時に情報が伝わっていくことにも不慣れなところがありました。

第2次世界大戦の場合は、先行して満州事変につづいて日中戦争が東アジアで起こっていたことはまず1つの前提となります。日本が、軍事力による領土拡張と国際連盟の脱退という点で、ドイツに先例を与えたことの意味は大きいと思います。
第2次大戦に先行する時期にも、ナチス・ドイツは戦争も覚悟の賭けを何回かしています(1935年のザールラント併合や徴兵制復活・再軍備宣言、36年のロカルノ条約破棄とラインラント進駐など)が、これを米英仏が容認したことが、ドイツの領土要求のエスカレートの直接の要因となっていて、ミュンヘン会談が有名ですが、英仏はその要求も認めます。この段階で、英仏がドイツに対してもっと強く出ていたならば、早期に戦争になっていたら、ドイツの軍備拡張が追いつかず、早々とドイツの敗北で終わっていたでしょうから、ドイツ側が戦争回避に動いた可能性があります。戦争が防げたかどうかはわかりませんが、もっと違った展開になっていたのは確かだと思います。
1939年9月のポーランド侵攻のときも、ドイツは英仏と全面戦争になるとは予想していませんでした。これに対して英仏は対独宣戦布告はしますが、ポーランドの独ソでの分割占領の段階では、ドイツと英仏の大規模な軍事力の衝突は起こっていません。それで、ドイツは英仏を恐れるに足らず、と考えるようになって、その後、北欧・ベネルクス3国・フランスを「電撃戦」で次々に占領下に起きますが、そこには英仏の油断があったことは否めません。英仏がドイツを甘く見たということです。これはソ連についても言えます。ドイツが、英仏やソ連に勝てないと思うような状況だったら、また違う歴史がありえたとは思います。
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#5の方と第一次については同一見解ですが、もう少し具体的に述べてみます。



当時ヨーロッパの大国同士の同盟は
英仏露vs.独墺伊でした。
ことの発端は、セルビア(英仏露寄り)で墺皇太子と妃が暗殺され、墺がこの期に乗じてセルビアを圧迫せんと画して宣戦布告を行い、露はこれを助けるために墺に宣戦布告、独はまた墺と同調するため露に宣戦布告、英と仏は独がベルギーの中立を犯したのと露との同盟のため宣戦布告(このあいだ伊は日和見)と、軍事同盟がなし崩し的に宣戦布告の連鎖反応を生んだということです。まさかセルビアの一青年が撃った銃弾が、何千万の命を奪う大戦の引き金になろうと、誰が予想したでしょうか。
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第一次、第二次世界大戦が不可避であったのは、それはどちらも帝国主義戦争だったからです。


資本主義が、より高度に発達し、帝国主義の段階に達した結果、より莫大な利潤を得るための資本投下先として海外植民地を必要としたけれども、特定の少数の国家が既に世界の大部分を植民地化していて、遅れて帝国主義の段階に達した後続組(ドイツ、日本など)は植民地再分割の要求を実現するためには実力行使で他国の植民地を分捕るしか道は残されていなかった。領土的矛盾が第一次世界大戦の原因で、サラエボの一発は単なるきっかけに過ぎないというようなことを、高校の世界史の授業で習っていたように思います。
また第二次世界大戦は、やはり第一次世界大戦では解消されなかった矛盾によって引き起こされた帝国主義戦争そのもので、ファシズムに対する民主主義の防衛戦争などといった奇麗事で片付く問題ではありませんでした。
一部の少数国家が世界の大半を植民地として領有しているという矛盾が存在する限り、どんな回避策を執ろうと世界大戦の発生を阻止することは出来なかったのではと思います。
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理由はいろいろあると思います。

その中でも、主たるものはやっぱり経済においての各国のエゴだと思います。結局はどこの国も豊かさを永久に求めるものです。そのためには、侵略戦争をする。侵略戦争をして植民地を獲得すれば、資源、国土、労働力、その国の経済発展に有利なものがたくさん手に入ります。その経済力は軍事力にももちろん絡むので、それは次の侵略行為に影響を与えます。また、国際連盟の無力さも大きく関係しています。大国の不参加や脱退ももちろんですが、現在の国連のような大きな力はなかったし、軍事力を均衡に保つことによって侵略行為、軍事的行為を抑制する方法をとっていたので、どんどん大国の軍事力が増大するということが起こりました。また、国と国と協同することによってさらに、強い国ななることを望んでいたので、最終的に連合国と枢軸国という大きな戦争になってしましました。どうしたら避けることができたか、それは現在のような国際システム、情勢が当時すでに考慮されていたら、というふうに、簡単には考えられません。当時の歴史上の出来事をみれば分かります。なら、今はどうかというと、今日は当時に比べれば、懸命なシステム(たとえば、戦争が起これば、他のすべての国でそれを止めるために介入する)があるものの、いつ戦争になってもおかしくない地域などはたくさんあります。なぜ、安定しているように見えるかというと、軍事的力が明白になったということです。実際は経済的な力ですが、ほぼイコールです。日本はどうか?もちろん、日本もそうです。実際、アメリカに次ぐぐらいの軍事力をもっています。ただ、核は持たないことを政府見解として実行しているだけです。武器の輸出はしてなくとも輸入はしてます。第九条で戦力の不保持を唱えていますが、侵略行為をするための、戦力の不保持です。個別的自衛権を行使するために持ってます。それで、日本やアメリカ、フランス、イギリス、ロシアなどの大国が明白なので、安定しているようにみえるだけで、実際は彼らが優位にたっているだけです。どこにいっても集団のなかでは、代表たるものがいるのでしょうね。
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国家間の対立が話し合いでは解決しなくなったからでしょう

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昔から世界史の歴史をひもとけばもめ事があった場合争いごとや戦争であることがわかると思います。


そしてそれらが複数の国が絡み合って武器がそれまでの戦争とは劇的に変わったために大戦という称号が付いたんだと思います。

社会が大きな戦争を経験して始めて自分たちの愚かさに気づきました。
余談ですがダイナマイトよりも核分裂の威力が早くに認識されなかった方が幸いだったのかもしれません。
科学とは前後があるように見えてない場合も多いと思います。
結果がわかってから原因究明というのも多いですね。

ですから避けることは不可能であったと思います。
話し合いの解決を小さい子供同士に求めても無理なように現在のいろんな経験の上に成り立っている価値観で歴史は語れないと思います。

暴論ですが、コンピューターの発達やさまざまな分野が戦争のおかげというのも少なくないです。
だからといって戦争は肯定しませんが、必要に迫られなければ生と死が隣り合わせにならなければ必死に物事を追いかけないのが人間の悲しい性ですね。
温暖化回避等深刻な問題もこうして起こってみて初めてなんとかしないとなと思う。それが人間社会の現実と思います。答になったかならないかわかりませんが、気が向いたので、、、
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課題に答えることはルール違反ですし、歴史にIFはないともいわれますが。


第二次世界大戦についてはヒットラーの行動を英米などが断固として認めない姿勢をとれば大規模な戦争は回避できたかもしれなかったとは言われています。
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Q太平洋戦争は政治力で回避できましたか?

先の戦争で亡くなった方は日本人で330万人と聞いております。なんと言う惨状でしょうか?今更なにも始まりませんが、避けられたのでしょうか? 回避はできたとしても理不尽な要求を呑んで日本人としてのプライドも無くなっていたのでしょうか?歴史に”もし”は禁句ですが、色々想像しています。

Aベストアンサー

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九カ国条約会議の開催で、中国側が日本への経済制裁を提案した時、アメリカは反対に回りました。
なぜなら、日支事変発生によって、日本も中国もアメリカから購入する戦略物資の量が増えたからです。
つまり、戦争する両者に物を売ってぼろ儲けする立場にアメリカはいたのです。
だからアメリカは一方的に中国に味方する事はありませんでした。

その状況が変化したのは、中国大陸で日本が中国を負かすため戦略爆撃を開始したからです。
当時、アメリカは中国に多大な投資を行っていました。
それが日本の空爆で被害を受けます。
アメリカは日本に中国での空爆を止めるよう何度も抗議しますが、日本は受け入れません。
怒ったアメリカは日本へ徐々に経済制裁を開始します。
始めは空爆を止めさせるための飛行機関連の輸出停止でした。
しかし、日本の空爆は止みません。
しかも、日本は空爆での民間被害の補償は行わない方針を打ち出します。
さらに、爆撃を強化すると通告し中国にいる外国人の安全も保障しない方針を打ち出します。
アメリカの苛立ちはつのり経済制裁を日本に段階的に行いますが、日本の行動は止まりません。
しかも大東亜共栄圏構想という日本の植民地拡大政策と判断される政策を打ち出してきました。
そこでアメリカは中国への支援に乗り出しました。

アメリカが中国への資金援助を開始したのは1938年12月という日支事変開始より1年5カ月も経った時点からでした。

その後も日本はアメリカを怒らせ続けます。
1940年9月にアメリカがイギリスと防衛協定を結んでドイツを潜在的敵と見なせば、その二週間後に日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結びます。
アメリカが敵と見なしている国と同盟を結ぶのですから喧嘩売ってるのと変わりません。
怒ったアメリカは鋼鉄の対日輸出を停止します。

最終的には南仏印に日本軍が進駐してアメリカを決定的に怒らせ、アメリカの対日石油禁輸となりました。
この南仏印進駐についてはアメリカは日本に対して警告までしています。
当時の日本の外相は南仏印進駐はアメリカとの戦争になるから止めた方がよいと主張しますが他の閣僚が甘い見通しで押し切ってしまいました。
そしてアメリカは石油を止め、日本は戦争の決断を。

アメリカによる段階的経済制裁の始まりの原因は日本の行動にあります。
アメリカの抗議を受け入れ日支事変での戦略爆撃を止めていたら。
また、日支事変の戦略爆撃においてアメリカに与えた損害について補償をすぐに行っていたら。
大東亜共栄圏構想という他国に日本の植民地拡大政策と捉えられる発表をしなかったら。
アメリカが中国を支援する事は無かったかもしれませんし、その後の日米開戦も避けられたかもしれません。
その後も
日独伊三国同盟を結ばなければ。
北仏印に進駐しなければ。
南仏印に進駐しなければ。
恐らくアメリカと戦争になる事は無かったでしょう。

アメリカのチャールズ・A・ビアードという歴史家の「ルーズベルトの責任」という本の中で、ハーバード大学のデートレフ教授がこの本の紹介文を寄せていますが、そこには
「日本がアジア大陸で膨張主義的な目的を追求した事からルーズベルト大統領は懸念を覚え、日本を押さえ込むために圧力をかけ始めた」と記しています。
この本を読めばルーズベルト大統領が表向きは不戦の姿勢を見せながらもハル・ノートという過度な要求を日本につき付け、日本を戦争へ追いやった事がわかりますが、その前に日本のアジアの膨張政策が問題であった事もわかります。

1941年8月1日、アメリカが日本に対し石油の全面禁輸を禁止を行いました。
その2日後、ニューヨークタイムズにギャラップのある世論調査の結果が載りました。
それは「アメリカは戦争の危険を犯してでも日本の膨張に歯止めをかけるべきか」というアンケートに対するものです。51%の人がYESと回答していました。
この時点でアメリカ国民も半数が日本のアジア進出に危機感を抱いていたのです。

そもそも当時のアメリカの好景気でした。

「ニューディール政策」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%94%BF%E7%AD%96

この上に貼ったウィキの「ニューディール政策」のところにあるアメリカのGDPのグラフと失業率のグラフを見ていただければわかりますが、戦争が開始される1941年12月よりも前の1940年以前において、既に世界恐慌前のGDPの水準に回復している事がわかりますし、戦争開始前に失業率が低下していっているのがわかります。
これはヨーロッパにおいて第二次世界大戦が始まったからであり、イギリス、フランス、カナダ等、連合国から大量の武器や物資の受注があったからです。
それだけではありません。イギリスはアメリカの軍需産業に投資を行い工場の拡大や設備の増強を求め、生産の拡大に動いています。
つまり戦争特需が発生していたのです。
自国が戦争を起こし戦争で経済を回復させるなどという必要はありません。
そもそも第二次世界大戦におけるアメリカの戦費は戦時国債です。つまり国の借金でしかありません。
それに一時的に景気が回復しても戦争が終われば軍需生産は萎みます。
その後は不況が来るだけです。実際、アメリカは戦後に戦後不況に陥っています。
上に貼った「ニューディール政策」のGDPや失業率のグラフにおいて、第二次世界大戦後に悪化を示しているのは戦後不況が起きたからです。
もし世界恐慌からの経済回復を目指して戦争を仕掛けさせる謀略を行うというのなら、そんな回りくどい事をしなくても1937年12月に発生した日本軍機によるアメリカ軍艦攻撃事件「パネー号事件」を利用していた筈です。
何せ、この時はアメリカ政府内から日本に宣戦布告するべきだという声が上がっていたのですから。

ともかく、日本がアメリカの敵視する独伊と日独伊三国同盟を結んだり、南仏印に進駐するなどの膨張政策を見せなければ、アメリカも日本に過度な要求を突き付け戦争に追い込んで来る事はなかったでしょう。

これらの事を考えれば、日本とアメリカの戦争を回避する可能性は南仏印進駐前までなら、その時、その時でありました。
日支事変での戦略爆撃の停止。
日支事変における戦略爆撃被害の補償。
大東亜共栄圏構想の公表を控える。
日独伊三国同盟の締結中止。
北仏印、南仏印進駐の停止。
そうした事が為されていたら、アメリカとは戦争にならず朝鮮も満州もそのまま日本の支配下で暫くは歴史も進んだのではないかと思います。

天皇陛下は日独伊三国同盟に反対していました。
また南仏印進駐にも反対で東条陸相に言いましたが受け入れられませんでした。
もっと天皇陛下の御意思を政府の閣僚が尊重していれば日本とアメリカの戦争は避けられたと思います。

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九...続きを読む

Q第二次世界大戦って何で起きたの?小学四年生への回答

小学四年生の子に、
「第二次世界大戦って何が原因で起こったの?」という質問をもらいました。

色々と細かいことは数知れず説明が必要かと思うのですが、これを簡単に、かつ、四年生にもある意味バッチリと理解させるためには、どのような説明を行えばよいでしょうか?

ドイツの負債やブロック経済云々を話しても難しいですし、何と伝えれば理解しやすいでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで問題を解決してしまえと考えている人達が沢山いる為です。

第二次世界大戦が始る前の頃には、世界の国が二つのグループに分かれていました。
一方は日本とドイツ、イタリアのグループでした。
もう一つはアメリカやイギリス、フランスなどヨーロッパの国々でした。
今の国連とよく似た国際連盟というのがスイスにありましたが、なかなか話し合いが上手くいきませんでした。

ヨーロッパではドイツが初めに周りの国へ軍隊を送り戦争がはじまりました。
日本はその頃、中国の東北地方と呼ばれる朝鮮半島の北側の一帯に満州国という国を作って、そこへ沢山の日本人が移り住んでいました。
このことについてアメリカなどが強く反対していました。
日本とアメリカや他の国といろいろ話し合いをしましたが、上手くいかずに戦争で勝負を着けようということになってしまいました。
ドイツはフランスなどヨーロッパの国と戦争し、日本はアメリカや中国と戦争をするという状態になってしまいました。
ドイツと日本は同じグループでアメリカやフランスは別なグループですから、結局このグループ対グループの戦争となり世界中が戦争をしているという状態になってしまいました。

ドイツがなぜ他所の国へ軍隊を派遣したのか
第二次世界大戦の前に第一次世界大戦と呼ばれるヨーロッパの国々どうしの戦争が有りました。
この戦争でドイツは負けました、
負けた後に払いきれないほど沢山の賠償を要求されてしまいました。
この為に貧乏になって生活が出来なくなりました。
これを止めさせることをスローガンとした政治家が現れて、国民の支持を受けて独裁者となりました。
そして約束通り周りの国を武力で降参させていきました。

日本がなぜアメリカと戦争を始めたか
日本が中国大陸の一部に満州国という国を作ったことに対して、アメリカが強く反対しました。
その頃東南アジアの国々はフランスやイギリス、オランダなどの植民地でした。
これ等の国々も中国の各地方を自分の支配下に置こうとしていました。
フィリピンもその頃はアメリカの植民地でした。
日本のまわりの国を植民地にしていた国々がアメリカと同調して経済的な圧力を加えてきました。
今の経済制裁というやり方です、何も売らない、何も買わないというやり方です。
この話し合いが上手くいかずに、中心となっていたアメリカに対して宣戦を布告をしました。
当時、日本は石油はほとんど全てアメリカから輸入していました。
鉄も同じように輸入していました。
これを売ってもらえなければ、日本は生活ができませんでした。

今と全く違うのは、アメリカやヨーロッパの国も、戦争で勝負を着けることがごく当たり前という考え方でした。

こんなところですかね~
何かの参考になれば幸いです。

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q[歴史]アジア太平洋戦争を止めるには

課題でアジア太平洋戦争はいつの時点なら防ぐことができたと考えられるか、あなたの見解を述べなさい。
というものが出たんですが、一応私なりに考えてみたのですが-3箇所くらいあると思うのです。

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること。
2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ。
3,東条英機を首相にした祭に、天皇から直接戦争を止めるよう会議で言わせるべきだったといこと。

※個人的には、石橋湛山の小日本主義なんかもありなのかな?と思っています。

という考えがあるのですが-どう思いますか?観点がズレていたりなど何かご指摘や追加すべき要項がありましたら教えて下さい><

ちなみに、解答サイズはB4用紙の1/4程度だそうです。

Aベストアンサー

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること

満州で相次いで日本人及び朝鮮人への襲撃事件が発生しております!満州各地の軍閥も独立宣言を起こし収拾がつかなくなっておりますが、いかがいたしましょうか?
国民は政府を無能・無策、中国人に味方して日本の国益を失していると喚いております!


2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ

モンゴルへの軍事侵攻は成功するでしょう(ノモンハン以外のソ連軍は大打撃を受けていた事がロシアの情報開示で判明しています)
brainex閣下、大変でございます!海軍が勝手に北部仏印に進撃を開始しました。このままでは二正面で戦わざるを得ません!いかがいたしましょう?


3,東条英機を首相にした祭に、天皇から直接戦争を止めるよう会議で言わせるべきだったといこと

brainex閣下、大変でございます!海軍が東太平洋上で米太平洋艦隊と衝突を起こしました!米国政府は日本が無警告で攻撃を仕掛けてきたと非難しております!

   1の段階
1929年に世界恐慌が起こり、29年・30年は連続で冷害が起こったため農村は疲弊しています。31年は大豊作で米価は大暴落しました。32年・33年は大冷害で農村恐慌が起こります。満州事変を強引に止めて回復途上の経済(事変特需)を不況に持っていきますか?戦争で人減らしできたのに戦争を中断して疲弊した農村に兵隊を戻しますか?

   2の段階
陸軍が反対しているにも関わらず海軍によって強引に推進された北部仏印進駐をどうやって止めるのですか?陸軍がクーデターでも起こして海軍省を制圧でもしますか?間違いなく内戦になりますよ。また、日中戦争で得られる特需で命を繋いでいる中小企業を潰しますか?

   3の段階
東條英機は首相ですので国家方針決定権がありませんし(当時の首相は内閣の総代なだけで、各省の方針は各省が決める。内閣内で方針が一致しない場合は内閣不一致となって総辞職せねばならない)、幾ら陸軍が対米戦に反対しても陸軍大臣が首相であるため反対投票することが出来ません。唯一、対米戦を止める方法はクーデターで以下の様な内閣を作ることです。
首相・陸相…東條英機
その他の大臣は全て陸軍将官ないし陸軍の都合にあった文官
海軍大臣通達によりタカ派の山本五十六を更迭し陸軍の言いなりになりそうな提督を連合艦隊司令長官に据える
対米交渉担当を海軍系から英米駐在武官経験者の陸軍将官に変更し、交渉の引き伸ばしを徹底させる
交渉の合い間にサイパンなどの防備を固める
フィリピン・ビルマ・インドネシア・ベトナムの独立運動を焚きつける
特にインドネシアの独立運動は全面支援を行い、石油の確保を行う

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること

満州で相次いで日本人及び朝鮮人への襲撃事件が発生しております!満州各地の軍閥も独立宣言を起こし収拾がつかなくなっておりますが、いかがいたしましょうか?
国民は政府を無能・無策、中国人に味方して日本の国益を失していると喚いております!


2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ

モンゴルへの軍事侵攻は成功するでしょう(ノモンハン以外のソ連軍は大打撃を受けていた事がロシアの情報開示で判明しています)
...続きを読む

Q軍部の暴走を止められなかった理由

戦前の軍部はなぜ暴走したのですか?
張作霖爆殺は、なぜ軍の指揮権を持つ天皇に許可無く行われましたか?
そして、その実行犯を天皇が罰しろと言ったのに、罰せられませんでしたか?
柳条湖事件、満州事変、盧溝橋事件、日中戦争と、軍部と天皇との関係も教えてください。

Aベストアンサー

もともと戦前の日本の軍制は政治と軍の統帥を明確に分離するものでした。
これは明治政府の権力基盤が不安定であったことから、反政府勢力と軍が結びつくのを恐れた結果です。
当然ながらこのような軍事と政治を分離した体制は、対外戦争において非効率的なものですが、日清・日露戦争では伊藤博文や山形有朋などの元老が言わば超法規的に軍と政府の意思統一を図ったため、問題は表面化しませんでした。
ですが皮肉にも日清・日露戦争の勝利はこの体制の「正しさの証明」となってしまい、加えて共産主義革命に対する恐れから、戦前の日本では本来過渡的な体制であったはずの明治体制の抜本的な変革は、さしずめ戦後日本における改憲のごとく、タブー視されるようになってしまいました。
しかしながら元老のカリスマ性に頼った体制が長持ちするはずが無い事は自明の理であり、このために大正期は「軍の統帥権とはあくまでも純粋な作戦面に限定される」という言わば「解釈改憲」でこの問題を乗り切っていたのです。
しかしながら抜本的な改革が行われなかった結果、軍と政府の分立状態は次第に亀裂が大きくなり、張作霖爆殺事件でも真相究明ではなく田中義一内閣総辞職で幕を引く結果となりました。
そしてロンドン軍縮条約調印時、野党であった政友会は政府を攻撃するために「海軍軍令部の同意の無い軍縮条約の調印は統帥権の干犯である」と非難し、軍の統帥権を一気に拡大解釈してしまいました。
この結果、これ以降に政府や議会が軍の行動を統制しようとすると「統帥権の干犯だ」と揚げ足を取られる事になってしまいました。
(当時の書籍を読むと現役の軍人でも「統帥権の独立は時代遅れであり、国家の将来に禍根を残す」と激しく非難している例もあります)

そしてもう一つ重要なのは、当時の日本では中国大陸に有していた利権(いわゆる「特殊権益」)は「日露戦争で多大な犠牲の末に獲得したものであり、絶対に手放してはならない」という、これまた戦後の日本における一時期の憲法九条のように、その是非を論じる事の出来ない不可侵の存在であるかのように評価されており、その利権の保持を目的とした武力行使は世論やマスコミの強い支持があったのです。
この為に満州事変では軍中央の意向に逆らって占領地を拡大し、現地軍が勝手に満州国建国を行った事をマスコミがこぞって支持し、軍中央も政府も暴走を追認してしまいます。
当然ながらこの結果として「軍中央や政府を無視しても戦果さえ挙げれば認められる」という「下克上」の風潮が生まれ、その後の日中戦争においてズルズルと占領地を拡大する現地軍を止めることが出来なくなってしまいます。

総じて言えば本来、過渡的な体制であった筈の明治維新体制が、皮肉にもその成功故にこそ維持され、時代に合わなくなった状態で行われた普通選挙による民主化が、党利党略しか考えない近視眼的な政治家を生んでその問題を拡大し、また政府及び軍中央が武力行使を支持する世論に阿って誰もが責任を取ることを回避していった結果だと言えるでしょう。

もともと戦前の日本の軍制は政治と軍の統帥を明確に分離するものでした。
これは明治政府の権力基盤が不安定であったことから、反政府勢力と軍が結びつくのを恐れた結果です。
当然ながらこのような軍事と政治を分離した体制は、対外戦争において非効率的なものですが、日清・日露戦争では伊藤博文や山形有朋などの元老が言わば超法規的に軍と政府の意思統一を図ったため、問題は表面化しませんでした。
ですが皮肉にも日清・日露戦争の勝利はこの体制の「正しさの証明」となってしまい、加えて共産主義革命に...続きを読む

Q太平洋戦争は避けられなかったのか?

日本は太平洋戦争でどうして勝ち目のない戦争に挑んだのか、避けることはできなかったのか というような質問がこのカテでも過去に何件かありました。そして、比較的多くの回答がつく傾向にありますが、決まって大半は反論的な回答です。どうしででしょうか? 私なりに若干補足を加え整理していました。確かに、当時の段階で戦力を分析するのは難しかったかもしれませんが、山本五十六たちは日本は逆立ちしてもアメリカには勝てないと踏まえていたし、最悪のシナリオも想定していたはずです。

(1)歴史にifはないと 言われるように、タラ・レバを語るのはナンセンスだから。

(2)結果論の後知恵なら誰にでも言えるから。

(3)こういう質問は歴史の認識が浅い人の典型的な愚問の一つであり、複雑な背景を考えると 単純に当時の日本の中枢部が愚かだとは結論を導けないから。

(4) 当時の日本は 窮鼠猫を噛む 状態にあり、万に一つの可能性に賭けたから。東京裁判のパール判事が ハルノートを突きつけられたら、モナコやルクセンブルグのような小国でさえ アメリカと開戦するだろう と言ったように、ハルノートはそれほどまでに無茶な要求であり、ましてや、日清・日露戦争で勝利した日本がハルノートを受け入れることはあり得なかった。

(5)日本は倒幕、または黒船到来の時から いずれアメリカと衝突する宿命にあった。宿命は誰にも変えられない。

(6)当時の日本は政府も国民も一種の集団マインドコントロールを受けていた状態にあり、開戦を回避するのは もはや不可能だったから。

(7)当時の日本の中枢部は最悪のシナリオを想定外に置いていたから。その点では
今回の福島原発事故に通じるものがある。

(8)当時の日本人は元寇の時のように、ピンチの時には神風が吹いて 奇跡が起きると信じていたから。

(9)ハルノートを突きつけられた時点でもはや手遅れだった。l日本は満州に進出した時から、その流れは理屈や論理で歯止めが利かない状態にあり、アメリカとの開戦の流れは誰にも止められなかった。もし、戦争を回避するなら もっと早くから舵取りする必要があった。

(10)日本はアメリカ本土に上陸することは考えておらず、日露戦争の時のように、最初の段階で相手国に打撃を与え、自国に優位に講和を持っていく思惑があったから。

(11)日本は同盟国のドイツがイギリスとソ連から戦勝することを見込んでおり、そうすれば、日本は必然的にアメリカに勝てると思ったから

(12)東条英機などの軍部トップたちに、日本軍は質素剛健で強い(はずだ)という過大評価があり、米軍は贅沢に慣れきって弱い(だろう)という完全に間違った思い込み・過小評価をしていたから。

日本は太平洋戦争でどうして勝ち目のない戦争に挑んだのか、避けることはできなかったのか というような質問がこのカテでも過去に何件かありました。そして、比較的多くの回答がつく傾向にありますが、決まって大半は反論的な回答です。どうしででしょうか? 私なりに若干補足を加え整理していました。確かに、当時の段階で戦力を分析するのは難しかったかもしれませんが、山本五十六たちは日本は逆立ちしてもアメリカには勝てないと踏まえていたし、最悪のシナリオも想定していたはずです。

(1)歴史にifはないと...続きを読む

Aベストアンサー

 (1)歴史学者を称する連中の逃げ。二度と起きないだろうから、分かっても仕方ないという思考停止。要するに想像力のなさを隠すため。
 (2)検証・分析が浅いとあと知恵にしかならない。当時の人たちが外界をどう観ていたかの理解がない。
 (3)ようくあること。組織や制度上の問題を個人にすり替えて流してしまう。いまと同じ。
 (4)ハルノートはアメリカの手口。相手に先に手を出させるテクニック。トンキン湾でユーゴスラビア内戦で、イラクのクェート侵攻時。いたるところでやっている。ただし、アメリカが元気なときだけ。
 (5)現実には日米の摩擦は中国市場の取り合いという面が大きい。(米系のスタンダード石油が日本の企業に遮られた影響は無視できない。)
 (6)(3)と同類。イデオロギーを振り回されると、論理がなくなり印象だけで判断する。いわば思考停止
 (7)衰退しつつあるとはいえ、イデオロギー中心で考えているので、(6)と同じになる。(イデオロギー中心ということは、論理ではなく、あくまで初期の信仰。つまり「神国日本」「文明は未開を助けるべし(=植民地は神の意志)」「神の意志を実行するものは白人でなければならない」)
 (8)信じてはいない。思考停止していたから、なるようになるさ、と思っていただけ。(現実には、終戦間際フィリッピン近海で、米艦隊が台風の直撃を受け大損害を受けた。)
 (9)そのとおりだが、思考停止状態ではそういう発想にはたどり着けなかったとおもわれる。
 (10)上記と同じで、勝つか負けるかということだけに意識がいって、「負けない戦略」や講和へもっていくにせよ、そこへいたる戦略がまったくできていなかった。要は思考停止と烏合の衆による小田原評定。結果は個人になすり付けておしまい。
 (11)ほら話の一種。こちらがコントロールできない事柄を都合良く解釈しているだけ。そもそもどのようなことが勝利なのかさえ、まったく理解していなかった。要は「アジアのことはこちらでやるから口を出すな」程度の話。
 (12)個人か組織(制度)の二者択一で、どちらかを選んでいるだけ。思考停止の一種。

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 当時のイデオロギー中心の世界観は、国として人ををまとめるための方便。たとえば創世神話を土台に、「われわれは~人」だから「このように行動しなければならない」という意識に取り付かれたまま、自らの世界をただ広げようとした時代。その昔のように人口もさほど大きくなく、輸送手段も限られていた時代ならともかく、この時代は膨大なヒト・モノ・カネが動員できる、史上まれな時代だった。
 そういった巨大システムに忍び込んだのが「神の世界を実現する」というイデオロギー。そこから未開に知識をおくり、より(われわれ白人のように)神に近づくように啓蒙するという考えができる。(昔のキリスト教のヒエラルキーは神の下の人間というのは、白人のみ。もっと昔には女はだめだった。その人間の下、つまり獣の類に有色人種が入っていた。)
 別の言いかたをすれば、キリスト教徒で白人でないものは、すべて異教徒。異教徒は神に従わせるために絶滅させて一向にかまわないという結論が導きだされる。それが戦争の土台になり、さらには、列強に追いつき追い越せの日本も、同じようなスタンスで事に当たった。(もちろん、日本人個々人は宗教性を意識したわけではない。しかし当時の「土人」という言葉にあるように、その他のアジアを上から目線で観ていたことは間違いがない。)

 だから日本独自の論理ではなく、白人国家の論理、そしてイデオロギーに載っている限り、戦争は回避できなかったと思われる。

 (1)歴史学者を称する連中の逃げ。二度と起きないだろうから、分かっても仕方ないという思考停止。要するに想像力のなさを隠すため。
 (2)検証・分析が浅いとあと知恵にしかならない。当時の人たちが外界をどう観ていたかの理解がない。
 (3)ようくあること。組織や制度上の問題を個人にすり替えて流してしまう。いまと同じ。
 (4)ハルノートはアメリカの手口。相手に先に手を出させるテクニック。トンキン湾でユーゴスラビア内戦で、イラクのクェート侵攻時。いたるところでやっている。ただし、アメ...続きを読む

Q小学3年生に、第二次世界大戦が勃発した理由を説明するには。

先日小学3年生の息子と戦争がテーマのアニメ映画を見た際、息子はその悲惨さにショックを受け、第二次世界大戦はいったいなんで起こったのか聞いてきました。

日頃ぼんやりしている息子が、あまりにまっとうな歴史の質問をして来たので「これは大切な歴史的事実学んでもらう絶好のチャンス」と思い解りやすく説明をしようと試みたものの、お恥ずかしいことに全くうまく話せませんでした。家に帰って改めて調べてみても、この事実を長々と話して小学3年生に理解してもらえるとは思えません。

小学3年生に、「なぜ第二次世界大戦は始まったのか」「なぜ日本も参戦したのか」について、どの国が良い悪いという視点ではなく、歴史的事実を偏見無しに解りやすく説明する事はできますか?
情けない親ですいません。これを機会に自分も勉強してみます。

Aベストアンサー

私の偏った知識で簡単に説明してみます。基本的には戦争は両方とも悪いです。
まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏み倒しました。で、強い国に戻るべくドイツは自分より弱い国に攻め込みます。最初は傍観していた英仏もポーランド侵攻には驚いて宣戦布告。ドイツは自分の次くらいに貧乏で困っていたイタリアを誘って同盟。ヨーロッパでの世界大戦が始まります。
で、日本は以前から他国に侵略されない強い国になるべく努力していました。でもロシアに勝ったあたりからかなり調子に乗っておりました。中国に侵攻して中国を子分にしようとする日本は、アジアで商売をしたいアメリカにとって邪魔な存在。英米を始め各国は日本に石油や鉄を売らないことにしました。アメリカはこのへんで日本が折れると思っていたでしょう。なぜなら戦争になったら自分(アメリカ)に勝てるわけないし。しかし日本はキレてしまったのです。ヨーロッパで仲間はずれチームだったドイツイタリアと組んで更なる対立、そしてアメリカ組に宣戦布告…。

私の偏った知識で簡単に説明してみます。基本的には戦争は両方とも悪いです。
まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

Aベストアンサー

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメ...続きを読む

Qパスタ一人前って何グラム?

これから茹でようと思うのですが・・
パスタ一人前って何グラムですか?

Aベストアンサー

女性の場合ですと、具にボリュームのあるようなタイプ(ナポリタンなど)は基本80g。
具にボリュームの無い、たらこスパやカルボナーラなどは100gが目安です。

あとはその人の食べる量により加減しますね。
何作るんでしょう?♪


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