出産前後の痔にはご注意!

日蓮宗の開祖である日蓮上人の教えの良さがさっぱり理解できません。
キリスト教世界の各宗派を調べた時は、それぞれ良い所があり、反目しあっていてもお互いにもたらされる普遍的な救いは一緒という認識にたどりつけたのですが、今回はどうも自信がありません。
 日蓮上人の教えの優れているところ、良いところ、絶対的なところなど、
わかりやすく語っていただければ嬉しいです。

★親鸞の説いた絶対他力の教えに対して、『法華経』による現世での救いを説いたのはもっともな事のようにも思えるのですが、それにより他宗を徹底的に攻撃したことがひっかかります。
 現代においても『末法の世』と解釈する事により、日蓮系を名乗る極端な宗派が活動する事は、日蓮上人の是認される事なのでしょうか。

*当方は、我が宗こそ日蓮上人の教えと名乗る団体(複数です。)と関わったことがあり、それが偏見につながっている可能性も否定できません。
質問に他意はありません。

歴史的背景・思想的背景・正当な解釈、切り口はなんでもかまいません。
どうか、日蓮上人を肯定していただけないでしょうか。

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A 回答 (17件中1~10件)

 私の思ったことですが、参考になればと思い投稿しました。



 日蓮は謙遜して「私は中国の天台大師の知恵には及ばない」と言っています。
 何故なら、仏教は既に天台に説き尽くされてしまったと言うのです。
 しかしながら、末法に入って釈尊の教えは今は何も残っていないとも言っています。

 私がきずいたことで、日蓮を肯定して立場を代弁します。

◎日蓮は、絶対的な真理である妙法で、宗教の統一を図ったこと。
◎日蓮は、大慈大悲を旨としたこと。(難に合うは慈悲の力・・)
◎今までの仏教を継承しつつも、既に釈尊の仏教を凌駕したこと。
◎日蓮の教学は、大変に緻密であること。    以上。

 
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日蓮の教義は、現代では通用しないところが多々あります。


そして、なかなか好人物のところもあるのですが、
自己顕示欲がはなはだ強く、自らを世間に認めさせるために、
一宗を立ち上げ、世に広めることを選んだ。
その具体的手段は、他宗を徹底的に攻撃することであった。
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm

後世の日蓮主義者という人物もやはり、大変に、自己顕示欲の強い人が多い。
それゆえに、何となく、日蓮に惹かれるのではないかと思います。

ただし、宮沢賢治のような形で、思想を表現しようとするならば良いのですが、
教団を設立して布教を始めますと、
日蓮思想に忠実であろうとすればするほど、その弊害を引き継ぐわけです。
その代表的な教団が、創価学会や顕正会です。

しかしながら、日蓮の問題点を自覚した上で、
教団に属さぬ個人信仰として日蓮を信望すると言うのであれば、
それは弊害は少ない。(あくまでも少ないという意味です)

たとえば、宮沢賢治も国柱会という日蓮系教団の信者ですが、
最終的には、教団とは、つかず離れずの関係をとっていたようです。
もし、国柱会べったりであったならば、
今日のような宮沢賢治の評価があったかどうか、疑問です。

ネガティブな日蓮論になりましたが、
「日蓮上人を肯定してください」との事ですので、ひとつだけ言います。

諸々の鎌倉祖師の中で、一番、社会変革の意欲が感じられるのが日蓮です。
もっとも、日蓮は直接、社会問題に関わろうとしたわけではなく、
あくまでも宗教を広めようとした。
実際に、社会問題に関わっていたのは、日蓮が宿敵とする、極楽寺良観(忍性)です。
日蓮は社会問題については、具体的に行動しなかった。
けれども、「世の中を変えたい」という情熱が一番、感じられるのが日蓮です。

少なくとも、この「情熱」だけは評価できるのではないでしょうか。

あえてもう一つだけ取り上げるならば、
一般大衆にとっては実践の困難な密教を、簡略化した事。

密教は、実に多くの真言をとなえ、真言によって印契という手遊びを行う。
そのために、身につけるには、かなりの修行が必要です。
基本的には、坊さんにならないと、実践は出来ない。

それを、真言を「南無妙法蓮華経」の一点に絞り、
印契を合掌印の一つにまとめたということで、誰でも実践できるようになった。

ただし、自らの法門は密教の単純化であるにも関わらず、
それを認めようとせず、かえって、密教を批判したというのは、
これは自己顕示欲から来る異常性としか、言いようがありません。

参考URL:http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
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「アーガマ」も釈尊滅後の紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて、徐々に作成されたものであると言われています。



経典結集もまた、五百結集、滅後100年後の七百結集、200年後の千人結集、紀元後2世紀頃の第四回結集があると言われてます。(第3、第4結集については、南伝、北伝で伝承が異なります)つまり、平たく言ってしまえば、すべからく「仏説非仏説」とも言えてしまうのが実情でしょう。

ご質問の本質に話を戻しますと、日蓮は「現実変革」を実現せしむる法華経に生き、また、その法華経の体現者として人生を全うされた事こそが最大の魅力と言えるのではないでしょうか。

彼の叫びは「立正安国」に尽きます。自身の一生を苦しむ衆生の為、安国の為に捧げ尽くした生き様は、多くの人間を感動させてやみません。

ちなみに他宗批判の精神ですが、これは日蓮のみならず、およそ仏教と名の付く教えにはどこにでも見受けられるものです。日蓮が有名になったのは、法論において不敗であったからからではないでしょうか。

真言においても「理同事勝」と法華経を批判しておりますし、浄土系も法華経を下す「捨閉閣抛」と言う教えが存在します。
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釈尊の説かれた仏道修行(七科三十七道品)は、南伝仏教(上座部仏教)の「阿含経典」にのみ記されています。

それは、瞑想を中心とした修行です。

法華経を含む全ての大乗仏教経典は、インドの後の人々によって創作されたもので、釈尊がお説きになったものではありません。(これは、世界および日本の宗教学で検証済みのことで、日本の大乗仏教の信者に知らされていないだけのことです。)

中国天台宗、智顗の五時教判は誤っていたのです。

お釈迦様の教えに、例えば、縁起の法(縁起説)と、苦集滅道とがあります。
縁起の法は、因縁によって物事が生じ、因縁によって物事が存在し、因縁によって物事が滅し、因縁によって不存在であり続けるというものです。即ち、全ての物事は無常であり、常なるものはないということです。
釈尊は、人生は「苦」(不満、不安、不安定の意味を含む)であると悟り、その原因は苦の種を「集」めているからだと悟り、苦を「滅」すればよい悟り、それには「道」(修行方法)があると悟ったのです。その修行方法を実践することによって、仏陀になることを勧め指導されたのです。

釈尊の瞑想を中心とした修行をすることによって、物事が因縁によって展開し、輪廻転生することをありのままに観察できるようになり、自分勝手な欲によって考えたり行動したりすることがなくなり、従って、人生に苦がなくなります。その修行によって、さらに、高度の智慧が身に付き、人格が高くなり、霊性が高くなり、性格が改善され、それとともに運が改善されます。そうでなければ仏陀になれませんし、そうでなければ仏教ではありません。

また、阿含経典で、釈尊は、お坊さんといえども、七科三十七道品の修行をしなければ仏陀になれない、と説かれています。

釈尊が、お題目を唱えなさいとおっしゃたり、仏を神様のように信仰しなさいとおっしゃったり、仏に現世利益を祈願したりすることを勧めたわけがありませんし、それによって修行することなく因縁解脱できるとか仏陀になれるなどど説かれたわけがありません。


大乗仏教で、仏を神様のように信仰して、現世利益(世俗的な、金、地位、名誉、権力、支配力、政治力)を願うのは、大乗仏教が、多神教のヒンズー教の影響を受けたせいのようです。

「妙法蓮華経方便品 第二」に「・・・此の諸の仏子の為に 是の大乗経を説く 我是の如き人 来世に仏道を成ぜんと記す」とある通り、法華経は、現世成仏ではなく「来世成仏」です。
釈尊は、阿含経典で説かれているように、現世で仏陀になる修行をするように指導されたのです。
法華経に従って、現世は我慢して修行せず、来世に修行をするとしても、そのときは阿含経典に基づいて修行をするしかないのです。なぜなら、仏道修行の方法は、阿含経典にしか説かれていないからです。
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お久しぶりです。

まだ、閉めてないのですね。

>創価学会は仏教ではないのですね。

・もとより、創価学会は「日蓮正宗」の一つの信徒団体として、誕生いたしました。
「日蓮正宗」は、日蓮大聖人の御意思を継いだ宗教団体です。
で、日蓮大聖人は、釈尊の説いた仏道修行の実践を、中国天台、日本天台の中から検証し、実生活の中に展開された方です。それまで、秘されていた自行化他の「南無妙法蓮華経」の題目と本尊を顕しました。
間違いなく、仏法ですよ。

>仏陀(悟りを得たもの)の思想ではないと思います。

・逆にお聞きしたいのですが、釈尊の得た「思想」とは、どういったものだとお考えなのですか?
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質問者様は「日蓮宗の開祖である日蓮上人の教えの良さがさっぱり理解できません。

キリスト教世界の各宗派を調べた時は、それぞれ良い所があり、反目しあっていてもお互いにもたらされる普遍的な救いは一緒という認識にたどりつけたのですが、今回はどうも自信がありません。」とおっしゃりながら、「日蓮上人を肯定してください」、「どうか、日蓮上人を肯定していただけないでしょうか。」と質問されています。このような質問の仕方は普遍的真理を求める哲学を志向する場としては不適切なのではないでしょうか?
 従って、質問は「日蓮上人の教えである日蓮宗の正当性を議論してください」とすべきです。
 また、全ての宗教・宗派が「それぞれ良い所があり、反目しあっていてもお互いにもたらされる普遍的な救いは一緒」とお考えでしょうか? このことが正しいかどうかを吟味することなく、前提として無条件に受け入れてしまうことは、誤っています。日本の宗派仏教、鎌倉時代に開かれた日蓮宗は、その時代背景があって、登場し、民衆に支持されました。その時代背景は、現在の状況とは異なっています。民衆が置かれた政治的背景、経済的・知識・知的レベル、自由度も異なり、苦しみも異なっています。従って、当時の宗教のありかたが、現代でも通じるとは限りませんし、普遍性をもっているとは限りません。マックスウェーバーによれば、人々が何を正統と考えるかは、「合理性」、「伝統性」、「カリスマ性」のいずれかであると論じていますが、これを当てはめれば、現代における「日蓮宗」の正統性は、「伝統性」(昔から信仰されてきたから)または或る宗教団体の指導者の「カリスマ性」(その人のいうことは信用できるから)であろうかと思われます。

 「日蓮上人」個人についていいますと、日蓮宗の信者でない限り、「日蓮上人」個人や人格や欠点を議論することをあえて避けて肯定することを目的として議論することは、不適切と思われます。「日蓮上人」は、彼が仏教と信じたところのものを信仰し日蓮宗を開き布教した開祖です。一方、仏教は、仏陀になるための修行方法を説く宗教(成仏陀教)です。日蓮上人は、仏陀になるための修行を行ったわけではありませんから、仏陀になっていないと思われます(転生後は分かりませんが)。しかし、日蓮上人個人は、日蓮宗を開き布教し亡くなられるまでの上人の生きざまについて、思想的な意義はあると思います。

日蓮宗についていいますと、法華経に基づいて宗派を建てたわけですが、そもそも法華経は、仏陀の教えなどでなく、仏教の正典になりえないものです。「法華経」(原始仏教経典「阿含経」以外の大乗経典)を「仏陀の教え」として信じて信仰しているのは、日本だけではないでしょうか?(これを改めるために、日本の全ての仏教宗派は南伝仏教(上座部仏教)を取り入れるべきでしょう。) 従って、日蓮上人の仏教観に思想的意義を見出すことはできるでしょうが、教義的には仏教的意義はありません。

 質問者様は、少なくとも日蓮宗の合理性の欠如にうすうす気が付かれているのではないでしょうか? それでよいのではないのでしょうか? まして、日蓮宗ではお題目「南無妙法蓮華経」を唱えるわけですが、これを、英語の勉強にたとえますと、英語の教科書を仏陀の説いた「阿含経典」(仏陀になるための修行方法が書かれている)とすると、「お題目」は「英語」に熟達していない日本人が作った受験英語の参考書の題名を唱えるようなものです。しかも、その参考書(法華経)には英語の勉強の効能(仏教信仰の効能)だけが書かれているだけで、勉強すべき英語(仏陀になるための修行法)が書かれていないのです。従って、日蓮宗に仏教として修行・信仰するに足る「合理性」などありません。質問者様は、もはや日蓮宗を必要としていないということです。質問者様は、その点で日蓮上人を越えています。日蓮上人も、後の人々が自分を越えて進むことに、喜びを感じていると思います。

一方、日蓮上人の思想的意義ですが、日蓮上人を人間としてとらえた場合、他に救いの手が差しのべられなかった当時の貧しい民衆を命がけで救済しようとした日蓮上人の志には、大変すばらしく尊いものがあると思います。現代の人々は、自己の利益追求ばかりに心が向いて、宗教団体の信者も現世的ご利益(地位、名誉、金、権力)を求める傾向にあります。日蓮上人の自分の立身出世を省みず、貧しい人々を精神的に救いたいという純粋な思いこそ、現代人が最も見習うべき点であり、上人の最も尊敬すべき点であると思います。この日蓮上人の思いこそが当時の人々を救ったのであり、その思いが現在まで日蓮宗として存続しているのだと思います。
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限られたスペースで、難しい質問ですね(^^;



>『法華経』による現世での救いを説いたのはもっともな事のようにも
>思えるのですが、それにより他宗を徹底的に攻撃したことがひっかかり

どうでしょう簡単に考えれば..
仏教とは、仏の教えですよね。この教えを説いた仏とは釈迦(釈尊)ですね
当たり前のことですが..

私なんかは逆に疑問なんですが、阿弥陀佛、大日如来、薬師如来..etc
釈迦(釈尊)は、どこへ行ってしまったんだろう
釈迦(釈尊)を教主としない宗教は、仏教なのだろうか..

日本に伝来した仏教が多岐にわたり肥大化し、そこで..あれ?
何かおかしいぞと感じられたのではないでしょうか

「一閻浮提第一の本尊を此の国に立つべし。月支、震旦にも未だ
此の本尊ましまさず。日本国の上宮、四天王寺を建立せしに、
未だ時来らざれば、阿弥陀佗方を以て本尊と為す。
聖武天王、東大寺を建立せしも、華厳経の教主なり。
未だ法華経の実義を顕はさず。伝教大師は粗ぼ法華経の実義を顕示す。」
-如来滅後後五百歳始観心本尊鈔-

と..なっていくのでありますが..
何故? 他の仏ではダメなのかは、同じ観心本尊鈔にかかれています。

「其れ始め寂滅道場華蔵世界より、沙羅林に終るまで、五十余年の間、
華蔵、密厳、三変、四見等の三土、四土は、皆成劫の上無常の土に
変化する所の方便、実報、寂光、安養、浄瑠璃、密厳等なり。
能変の教主涅槃に入りたまへば、所変の諸仏も随つて滅尽す。
土も又以て是の如し。」

西方浄土、東方浄土、密厳世界...さてさて有相に実在するのは
この娑婆世界のみって感じでしょうか
より現実的なお考えだったと思います。

>日蓮系を名乗る極端な宗派が活動する事は、日蓮上人の是認される
>事なのでしょうか。

「業」なんですかね?
霊山浄土の日蓮上人が何とおっしゃるやら..
いやいや、因果のことわりですから
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お時間を頂きました。

>日本に伝来した仏教が多岐にわたり肥大化し、そこで..あれ?
何かおかしいぞと感じられたのではないでしょうか。

●まさにその通りです。
でも、このように多宗に分かれたことこそ、仏教の仏教たるゆえんであると思うのです。
 崇めるのは人格神でなく、仏陀(悟りを得た人)の思想を、模索した道を辿るのであれば、修行僧の展開したさまざまな思想の数だけ教えがあるのもわかります。

『業』ならば避けられないことなのかもしれませんが、それでもなんとかうまくやれる道を模索したいと私は思います。

レベルの高い回答(難しかったです。)ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/10 20:50

#9ks5519です。



再度、回答させていただきます。

他宗教との共通認識という点ですが、、、

1.宗教で一番肝心なものに、『本尊』があります。
これは、「根本崇拝」していくものですが、日本の各宗派においては、全く違っています。
全てにおいて、この一点が歩み寄れない理由です。
日蓮大聖人も結局はこの一点で各宗派と戦われたのです。
宗教の「正」「邪」もこの一点なのです。

ですから、この一点だけは絶対に妥協出来ないのです。

その他は、貴方の仰る様に、他人の考え方の批判も、人間性の批判もしていないはずですよ。

またこれは、日蓮大聖人の時代も、創価学会創立以来、牧口初代会長、戸田第二代会長、池田名誉会長と受け継がれた、創価学会の根本的な意義だと思います。
「正しい本尊」に「お題目を唱える」から、一念が変わり、宿命転換できるのです。私どもの宗教の理念はこの一点だけだと思いますよ。

>『現代の日蓮様とその道を信じる方たちの正義の道とはどのようなものか?』
 日蓮大聖人のお心をそのままに、自他ともに「御本尊」を拝し、「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、絶対的幸福境涯を顕していくことでしょう。
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この回答へのお礼

●再度の回答ありがとうございます。
 お時間を頂いたこと、申し訳なくおもっています。

>日蓮大聖人のお心をそのままに、自他ともに「御本尊」を拝し、「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、絶対的幸福境涯を顕していくことでしょう。

●少しずつわかってきたように思います。
>自他ともに「御本尊」を拝し、「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、絶対的幸福境涯を顕していくこと
 これが、日蓮大聖人の道であるのか、私には判断できません。
是非がどうあれ、創価学会は仏教ではないのですね。
仏陀(悟りを得たもの)の思想ではないと思います。
それが悪いといっているのではありません。

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/10 20:44

先日はご苦労さまでした。

(No.1580800の回答の件)。

>日蓮上人をたてている方からの回答がなく、困っています、、、
ということで、私の想える範囲で回答をしたいと思います。

まず、一つに当時(鎌倉時代)の日本の宗教の現況ですが、既存の宗派はもちろんのこと、これに加えて浄土、禅がブームになっていた。
日蓮大聖人は当時、12歳で稚児として天台宗「清澄寺」に登られ、16歳で得度されました。

その後、鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮の経蔵より始まり、比叡山を中心に、京都・奈良・大阪と「釈尊の本当の教え」を求めて、一切経を学び清澄寺に帰ります。
そして、32歳の4月28日に「四箇の格言」により他宗の教義の誤りを破折されるとともに、民衆救済の根本法である「南無妙法蓮華経」を初めて叫ばれました。

この時より、国家及び人々の不幸の現況となる他宗の誤りを否定することにより、多くの念仏の信者であった権力者に迫害をうけます。これは、キチンとした教義を理解せずに念仏に傾倒した、無知なる権力者の横暴であるといえます。

本題の、「日蓮大聖人の肯定」ということですが。

1.宗教の「正」「邪」を極めた点。
 釈尊の説かれた仏教が当時(現在も)幾宗もの宗派に別れ、民衆を救えずにいる現状を嘆かれ、「真の仏教とは何か?」という自問を解決すべく、日本にある一切経の中から、宗教の「正」「邪」を極め、「南無妙法蓮華経」を流布した。

2.末法の衆生のために、「御本尊」を御図顕された点。
 佐渡流罪の最中、初めて御本尊を顕した。その後、「熱原の法難」の時(弘安二年十月十二日)出世の本懐として本門戒壇の御本尊を顕されたこと。

3.宗教の「正」「邪」に関しては、一点も妥協をされなかった点。
 数々の大難を一身に受けられた生涯の中で、一点も妥協されず、「南無妙法蓮華経」流布のため生きられた生涯であったこと。

4.国主諫暁と「立正安国論」。
 国の亡国を憂い、人々の幸福を願い、文応元年時の権力者である北条時頼にたいし、「立正安国論」をもって国主諫暁をした。

5.全てを言論戦で戦いぬいた。
 鎌倉幕府をはじめ、あらゆる迫害にも怯むことなく、言論戦だけで戦われた。権力の迫害の裏にも、日蓮大聖人の人格と実力に怯え、幕府を騙し、利用した邪宗の僧侶がいた。

※総評として。
 絶対的な正を持って、悪を挫き、ただ一人民衆救済の為に行動された日蓮大聖人のお姿は、正義の味方の頂点に君臨するものと確信いたします。

P.S:
 私は、専門的に「日蓮大聖人」を研究する学者ではない為、細部にわたり回答不備な点もあるかと思いますが、ご了承いただきたいと思います。
 

この回答への補足

●法華経はもとより、仏法と他宗教とで共通認識があると思われるところを補足します。

>3.宗教の「正」「邪」に関しては、一点も妥協をされなかった点。
> 数々の大難を一身に受けられた生涯の中で、一点も妥協されず、
>「南無>妙法蓮華経」流布のため生きられた生涯であったこと。

●他宗教を否定する際に、教義ゆえの極端な行動について批判することが多々見受けられます。たとえば、○○テロはイスラム原理主義の過激派によるものだ。だからイスラムはダメだ…というような批判です。
相対的に、他宗を受け入れる寛容さをもっている日本の『ご都合主義』的な思想は平和的だ…というような論法も見られます。

私が提示している疑問は、日蓮様を立てている方に、波風が立たない『ご都合主義になれ』といっているのではありません。

★つまり法華経の理念を達成する為に歩みよるという事です。

キリスト教世界の言葉を借りて説明します。
『始めにロゴス(言葉)があった。 ロゴスは神とともにあった。ロゴスは神であった。』
 これは、ヨハネの福音書の冒頭の部分ですが、ロゴスというギリシャ語は宇宙を貫く秩序・法則というような意味があります。(カオスと相対的な意味で捉えてよいと思います。)

ロゴスは、法華経の思想と相容れないものでしょうか?
宇宙を貫く真理に沿った道とは、現代においてはどのような道なのでしょうか?

補足日時:2005/08/18 23:35
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この回答へのお礼

時間を頂きました。回答ありがとうございます。
日蓮様(私はこう表記したいと思います。)を信じる言葉に自信と、確信が満ちていて読んでいる私にも力が湧いて来るようです。
 『日蓮様の生き様は正義の味方の頂点に君臨するものである。』という見解に私も賛成します。信仰に硬く立って世の為に法華経を流布した生き様は誰にも否定できないものであると私も思います。
 そして、日蓮様が生きていた時代の正義は絶対的なものであり、相対的に他宗は邪宗であり、戦って(勿論言論によって)切り開いていったのも頷けます。

では、
●『現代の日蓮様とその道を信じる方たちの正義の道とはどのようなものか?』というのが何度もお礼で提示した疑問です。
現代という時代に法華経の理を具現する為には、マクロな視点で他宗と共に歩む事が必要なのではないかということです。

●たとえば、宇宙体験により排他的なクリスチャンであるにもかかわらず他宗を認めてしまったジーン・サーナンという人がいます。(彼はカトリック)
『(宇宙体験で変わったのは)・・・神の認識の存在だ。神の名は宗教によって違う。キリスト教・イスラム教・仏教・神道、みな違う名を神にあてている。しかし、その名前がどうあれ、それが指し示している、
「ある同一の至高の存在」がある。「それ」が存在するということだ。
宗教はすべて人間が作った。だから神に違う名がつけられた。名前は違うが、対象は同じなのだ。
 宇宙から地球を見るとき、そのあまりの美しさに・・・こんな美しいものが、偶然の産物として生まれる筈がない。
ある日ある時、偶然ぶつかった素粒子と素粒子が結合して、偶然こういうものができたなどということは、絶対に信じられない。・・・』
「宇宙からの帰還」(中公文庫)立花隆著PP265抜粋

●あるいは、戸田城聖第二会長の言にあるように、『大きい慈愛の心で語り合い、譲り合い、尊重し合っていくであろう。そして根本的目的である人類の恒久の幸福に向かって、戦争・暴力・紛争を断じて食い止めようと、ともに手を携えて立ち上がっていくことだろう。』

という事を具体的に出来ないかということです。
正直な意見をお聞かせ下さい。

お礼日時:2005/08/18 23:30

ちょっとまた違ったところでおじゃまです。


日蓮は戦い、勇気、奇跡、などを通じて仏法流布の使命を全うした方です。
天使や菩薩も長年の経験による魂の傾向性があり日蓮は(上記特色)を
役割として下生された方であります。
発する光の色が赤色光線なんです。(たとえです)
スケールはやや違うかもしれませんが、モーゼ様的な役割と言ったら
わかりやすいでしょうか。または、旧約のエリヤ的、な存在といっていいでしょうか。
戦う魂なのです。義を重んじ、貫く魂なのですね。宗教の中に
このような個性を持つ方が出て、教えに彩りを添えていく、のでしょう。
ちなみに仏陀は智慧と慈悲の光線、教えの光線は黄色光線、
イエス様は愛と救いの白色光線、正義、法戦の赤色光線、
ソクラテス様は智の青色光線、孔子様は秩序の紫光線、老子は自然の
緑光線、ニュートンは科学の銀色光線、
七色の教えがこの地球を虹色に輝かせているのです。
(たとえばっかですいませんでした)

この回答への補足

★★やってしまいました。

回答9に対する補足の聖句
 ×始めにロゴス(言葉)があった。
 
 ○初めにロゴス(言葉)があった。

聖句を間違えると、さすがに反省します。(^^;

補足日時:2005/08/18 23:52
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この回答へのお礼

続いての回答に感謝します。

hwさんはキリスト教世界になぞらえて分かり易く解説していただけるので助かります。モーゼと同じ赤色というのは、私にはこれ以上ないわかりやすさです。

>七色の教えがこの地球を虹色に輝かせているのです。

◆虹色は、7色集まってこそ虹色になりますね。
そして、降り注ぐ太陽の光も虹色のスペクトルの集積ですね。

様々な思想がより集まって、地球を輝かせるものであれば、これ以上の祝福はないですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/14 17:02

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Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q日蓮正宗ってやばいのでしょうか・・・

日蓮正宗(カルト集団と呼ばれる)に・・・
という質問を見たことがあるのですが
そうなのですか?
自分が日蓮正宗ながら知りませんでした。
数珠が皆と違う事と
お花はダメとされている事はなんでだろ~と
思ってましたが、カルト集団と呼ばれる
宗教だったと思ってませんでした
そう思われてるのでしょうか。。

Aベストアンサー

日蓮正宗は、カルトではありません。
日本では、「カルト」の定義が誤って考えられています。
「カルト」とは、宗教団体の開祖か開祖に直接かかわった人達が、教団の中心となっている時期で、教団の方向性が確定していない時期を指します。
カルトの次の段階が「セクト」で、教団が安定化してくる時期で、だいたいカルト時代の人達を知っている・指導を受けた人達が、中心となってくる時代を指します。
次の段階が「チャーチ」で、教団が安定化する時期になります。

そのため、日蓮正宗は、完全に「チャーチ」の時代で、教団も安定化しています。
創価学会による信徒の大量離脱で、揺れる事はあっても、基本的には安定化した集団とみてよいでしょう。
一方の創価学会は、実質池田氏の始めた宗教で、完全に「カルト」時代です。
そのため、創価学会は、国際的にも「カルト教団」と認識されています。
(カルトとは、危険教団という意味ではありません。カルト時代にあるという意味です)

質問者のご心配は、以前創価学会が、日蓮正宗に属していたため、現在でも混同されている方の声を聞いたからではないでしょうか。

日蓮正宗は、カルトではありません。
日本では、「カルト」の定義が誤って考えられています。
「カルト」とは、宗教団体の開祖か開祖に直接かかわった人達が、教団の中心となっている時期で、教団の方向性が確定していない時期を指します。
カルトの次の段階が「セクト」で、教団が安定化してくる時期で、だいたいカルト時代の人達を知っている・指導を受けた人達が、中心となってくる時代を指します。
次の段階が「チャーチ」で、教団が安定化する時期になります。

そのため、日蓮正宗は、完全に「チャー...続きを読む

Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会って同じですか?

わたしはずっと日蓮宗と創価学会って同じものだと思っていたのですが教えてgooのスレで‘結婚しようとしている男女が一方の宗教が日蓮宗でもう一方は創価学会’で双方の家が揉めているという相談を見ました。私は今まで同じものだと思っていたのですが違うのでしょうか?

Aベストアンサー

日蓮宗には日蓮正宗という分派があり、創価学会は本来はその信徒団体でした。
ただの信徒団体で、教祖もいないのに、なぜ「宗教団体」として認められたのか?
いまだに謎とされています。

Q真の日蓮の教えとは?

日蓮上人の日蓮宗に関してですが、なぜ、日蓮の解釈が勝手にされているのでしょうか?
創価学会や顕正会など、日蓮を勝手に神格化したりするのはおかしいことです。
日蓮宗という宗派があるのですから、日蓮を信じる人はそれを信じればいいはずです。
日蓮はキリストと同じと言っているカルトも存在していますが何故、こんなに分裂している宗徒がいるのでしょうか?

Aベストアンサー

 最澄が開いた天台宗も,天台宗・天台寺門宗・天台真盛宗に分かれています。
 空海が開いた真言宗も,高野山真言宗・東寺真言宗・真言宗醍醐派・真言宗御室派・真言宗智山派・・・・(以下略)・・・に分かれています。
 法然が開いた浄土宗も,浄土宗・西山浄土宗・西山浄土宗深草派・・・(以下略)・・・に分かれています。
 親鸞が開いた浄土真宗も,浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・真宗高田派・真宗佛光寺派・・・(以下略)・・・に分かれています。(そもそも浄土真宗は浄土宗からの分派とも言えますが。)
 禅宗は,日本国内では分派していません。曹洞宗・黄檗宗・臨済宗各派がありますが,これは中国から日本に禅宗を持ち込んだ僧が違うために宗派が分かれている訳ですが,どの禅宗の宗派も遡れば,六祖慧能に辿り着く訳ですから,六祖慧能から分派したと言えなくもありません。
 
 このように,日蓮宗に限らず,大抵の宗派は分裂しています。ただ,互いに尊重し合っており,罵り合ったりしないので,平穏であるわけです。
 
 宗教団体は,教義の布教と宗団の運営という相反することをしなければ成り立ちません。宗団運営に重きを置くと,必ず復古運動というのが起こります。復古運動により,軌道修正をする宗派もあれば,分裂を起こす宗派もあります。日蓮宗はそのたびに分裂をしてきた宗派なのです。
 
 日蓮に始まる宗派でも,日蓮宗や法華宗は,おとなしい宗派ですが,日蓮正宗や日蓮正宗から分裂した創価学会や顕正会は先鋭的な宗派です。

 仏教では,仏法僧の三宝に帰依するわけですが,日蓮宗では,お釈迦様を仏宝,日蓮を僧宝としていますが,日蓮正宗やそこから分裂した教団は,日蓮を仏宝,日興(日蓮の弟子)を僧宝としていますので,「南無妙法蓮華経」と唱えるならば,日蓮宗いいじゃないかと言っても,同じように「南無妙法蓮華経」と唱えているが,日蓮宗とは違うんじゃぁというのが,彼らの言い分です。
 
 なぜ日蓮が仏宝なのか,神格化(仏格化?)されたのかと言いますと,お釈迦様が末法の世に,正しい教えを広めるためにお遣わしになった上行菩薩が,日蓮であるということに由来します。

 最澄が開いた天台宗も,天台宗・天台寺門宗・天台真盛宗に分かれています。
 空海が開いた真言宗も,高野山真言宗・東寺真言宗・真言宗醍醐派・真言宗御室派・真言宗智山派・・・・(以下略)・・・に分かれています。
 法然が開いた浄土宗も,浄土宗・西山浄土宗・西山浄土宗深草派・・・(以下略)・・・に分かれています。
 親鸞が開いた浄土真宗も,浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・真宗高田派・真宗佛光寺派・・・(以下略)・・・に分かれています。(そもそも浄土真宗は浄土宗からの分派とも言えま...続きを読む

Q般若心経はすべての宗派でもよいと思っていたのですが…

日蓮宗だけはちがうのでしょうか?
写経を納経したいのですが…

そして~
法華経を写経したいのですが、日蓮様が祭られている、〈例えば池上本門寺など〉でお経を購入できるのでしょうか?

Aベストアンサー

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典を称えます。また日蓮宗は法華経を根本に据えるはずですね、
それらのお経の据え方の違いの大きくは、その時々の時代背景によるものとだけ申し上げておきます。
ただ、浄土真宗開祖の親鸞上人も日蓮宗開祖の日蓮上人も修行時代はどちらも比叡山(天台密教)に教えを請い、その遍歴の中から衆人の救済のために自らの解釈をお説きになったものと考えます。
お経とはそもそも、釈迦の言葉をお弟子さんたちが書き残したものです。
般若心経は数ある経典のなかでも、人々が生きるための知恵を纏めた大般若経600巻といわれる大経典のエッセンスといわれ、最も短く、もっともありがたいお経といわれています。
もちろん、上記の二大上人も勉強しているはずですし、称えているのは仏教に限らず神道の在家の方々も称えるそうです。
古くは、後奈良天皇の時代、世に疫病がはやったため同天皇が自ら般若心経を書写して諸国の神社に奉納したという話もあるくらいです。
生きるための心理を説いているので何物にも妨げられないということでしょうか・・・
日蓮宗の解釈を理解もせず軽軽には申せませんし、日蓮宗のお寺に納経するのはどうかと思いますが、日頃、般若心経を写経することは構わないのではと私は思います。
また、それぞれの宗派のお経のポピュラーなものはどこでも売っていますが、法華経や阿弥陀経などは大変な量となりますので、功徳を積むには達成感もあろうかと思いますが、よくお考えになってはどうでしょうか。
以上、私の解釈として自信ありでご回答させていただきます。

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典...続きを読む

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Q仏教 法華経が真の仏陀の教えなのですか?

仏教には、様々な経典や宗派がありますが、、
ある宗派の方から仏陀の真の教えは法華経であり、他の経典は方便に過ぎない。だから法華経を礎とする日蓮上人の信仰が本道だと聞かされました。
経典自体は仏陀が書き残した物が無いのに、何故言い切れるのか不思議です。
また法華経は現世では理解できないも聞きました。現世で理解できない経典を礎にするのに反感を持ってしまいます。

Aベストアンサー

こんばんは。
私は本来の「仏陀の教え」は「哲学」だと思っています。

数ある仏典の中で「法華経が最高の教え」ではなく「最も難解な内容の教え」と言う事ではないでしょうか?また、大乗仏教の経典は、法華経を含めて全てが方便だと思います。

釈迦はそもそも「自帰依」と言うか、他人に頼らず、各個人が自分で真理にそって努力、行動しなければ救われないといっています。つまり「仏」ではなく「法(真理)」が人を救うと言う事になります。

もし釈迦が実際の教えに出来るだけ近い、忠実な内容を知るには、前の方がおっしゃるように、上座部仏教のサンスクリット語やパーリー語の経典から見出すしかないのでしょう。
また、もっとも古い部類の経典には、仏陀が自ら「実際に超常的存在(霊の類)を見た」、と発言したと書かれていたものが無かったはずです。いろいろな仏教の経典には悪魔や古代インドの神が仏陀の前に現れ問答したと書かれていますが、これは後に信者の誰かが仏陀を神秘化するために付け加えたないようだといわれています。

※中国の天台大師智顗が、最初に五時八教説(簡単に言うと、世の中に存在する経典のうち法華経がもっとも重要な教えだと言うこと)を唱え、その後の時代、法華経を学んだ人間達の(世界的視野から見て)一部の人間が法華経が最高の教えだと主張しています。
実際には、後の客観的な研究で法華経のみならず大乗の多くの仏典が、後の時代に色々な人間により内容が付け加えらたり、各人の解釈が加えられた事が明らかに成っいます。

私の場合は色々な宗派の経典を読んだ事はありますが、宗派とは関係ない者です(いわば中立です)。仏陀の本当に近い説法を読んで、考えたり実践したり、何かの足しになればと思っている程度の者です。
参考になれば。

こんばんは。
私は本来の「仏陀の教え」は「哲学」だと思っています。

数ある仏典の中で「法華経が最高の教え」ではなく「最も難解な内容の教え」と言う事ではないでしょうか?また、大乗仏教の経典は、法華経を含めて全てが方便だと思います。

釈迦はそもそも「自帰依」と言うか、他人に頼らず、各個人が自分で真理にそって努力、行動しなければ救われないといっています。つまり「仏」ではなく「法(真理)」が人を救うと言う事になります。

もし釈迦が実際の教えに出来るだけ近い、忠実な内容を知る...続きを読む

Q釈尊が法を説いた順番

私は仏教徒の家に生まれ、
仏教に興味があるのですが、
釈尊の説いた法は莫大な量であるようです。

そこでお伺いしたいです。

(1)釈尊は華厳、阿含、方等、般若、法華、涅槃の順番で
経を説いたと教えられましたが、
それは真実なのでしょうか。
論拠、反証も大歓迎。

(2)特に法華経は釈尊の最晩年に説かれた経で、
法華経以後には涅槃経しかとかれなかったと教わりましたが、
それは正しいのでしょうか。
論拠、反証も大歓迎。

(3)日蓮は念仏宗を激しく批判していると聞いたのですが、
日蓮の依経と法然の依経は、それぞれなんなのでしょうか。
また、それぞれの依経はどちらが後に説かれたものなのでしょうか。
それぞれの論拠、大歓迎。

以上、(1)~(3)で少しでもご存知のことがあれば、
教えてください。

Aベストアンサー

>>鋭い知性と深い教養を感じました。
そんなにほめても何も出ませんよ(笑)

>>私の生来の信仰では、
>>念仏無間と教えられました。
どうやら日蓮系の方のようですね。私は某日蓮系新興宗教の方々に折伏なるものを何度か経験したことがあり、しっかりと日蓮教学を学ぶ必要があると感じ日蓮聖人についてもずいぶん学ばせていただきました。
学んでみると日蓮聖人自身は非常に優れた宗教家であり、私は浄土真宗を信仰していますが法然上人や親鸞聖人とはまた違ったパワフルな魅力の持ち主であるとおもっています。

>>十八願の唯除五逆誹謗正法の句に、念仏宗がどう答えるのか、
疑問に思ってもいます。

 これについては先に少し述べましたが、浄土教側の意見としては「誹謗正法」などしてはいないと考えています。法然上人の立場はあくまで「仏説は全て百点満点」という立場をとります。「大原問答」という法然上人が天台宗、真言宗、南都六宗などの方々とが問答することになったときも、「教えはお釈迦様がお説きになっている以上、どちらが優れているとか優れていないとか決めることはできませんが、自分自身の機根を時代背景や心の中を見つめなおし考慮したとき自分自身は「凡夫」であって、凡夫が誰でも救われるという立場からなら浄土教の教えが最もあっているといえるでしょう。」とお説きになって、仏説はすべてがすばらしいものであって、甲乙付けることはできないとしています。しかし、自分は末法に住む凡夫であるからにはその機根に相応した教えを選択するのがベターであるとします。ですから、問題は経典のほうに存在しているのではなく、自分自身の中にあるとします。これって「誹謗正法」になりますかね?
 また『無量寿経』「唯除五逆誹謗正法」の言葉は、まだ作られていない悪に対してそれを制止させるためのものであるとも考えます。それを「抑止門(おくしもん)」とよびます。 これに対して、『観無量寿経』下品下生には「十悪五逆を犯したものも、仏教を誹謗したものであっても、そのことを改めて心から念仏すれば極楽に往生できる」と説かれています。これは、すでに作られてしまった悪をも救いとるためのものであると考えます。それを「摂取門(せっしゅもん)」と呼びます。仏様の思いはすべての者を救いとるということには違いないが、悪いことをすれば悲しみ、善い行いをすれば喜んでくれるのであれば、仏様が悲しむようなことはしてはならない。ということになりますかね。
 今まだはBの立場です。つぎにAの立場から言えば『無量寿経』の「唯除五逆誹謗正法」の文に関しては、東大の名誉教授である山崎正一氏の説によれば、この文は比較的古い経典には欠けていて、比較的新しい経典に多く書かれているという。したがって、この部分は後世になってから経典が増広や補筆されたときに書き加えられた部分であるようです。このように、阿弥陀仏の凡夫に対する救いに「唯除五逆誹謗正法」という制限を加えたのは後代の人間であって、阿弥陀仏の救いにはもともと制限は存在していないことになります。

>>反面、理屈ではなく、生命感覚として、念仏に魅かれるものも感じます。
 私自身屁理屈な人間なもので理屈を並べましたが、あなたのおっしゃるとおりであるかもしれません。質問者にとってのお題目はそうかもしれませんが、私個人は阿弥陀佛が十八願に定めてくださったお念仏をとなえるからこそ、今を安心して一生懸命生きることができるように思います。理屈ではないんですよね。
 
>>私は自分の信仰を選び取る年齢に来たと感じています。
>>それが自分自身の知性と感情の両面で納得できるのであれば、
>>仏法でもキリスト教でもイスラム教でも構わないのです。
私もそのように思います。その、感覚は忘れないようにしていただきたいなと思います。
また連絡は、メールお教えていただければこちらからメールさせていただきます。

また長々書き連ねまして申し訳ありません。あしからず。
合掌 南無阿弥陀佛

>>鋭い知性と深い教養を感じました。
そんなにほめても何も出ませんよ(笑)

>>私の生来の信仰では、
>>念仏無間と教えられました。
どうやら日蓮系の方のようですね。私は某日蓮系新興宗教の方々に折伏なるものを何度か経験したことがあり、しっかりと日蓮教学を学ぶ必要があると感じ日蓮聖人についてもずいぶん学ばせていただきました。
学んでみると日蓮聖人自身は非常に優れた宗教家であり、私は浄土真宗を信仰していますが法然上人や親鸞聖人とはまた違ったパワフルな魅力の持ち主であるとおも...続きを読む

Q 「法華経」に違和感を感じてしまいました。

 「法華経」に違和感を感じてしまいました。
 私は、仏教に興味を持ち「スッタ・ニバータ」、「アーガマ」、「仏教の思想1~8」(角川ソフィア文庫)、「この人を見よ=ブッダ・ゴタマの生涯」(増谷文雄著)その他諸々の仏教関係の本を読み独学している者です。この度、現代語訳「法華経」(中村元著)を読んだ時に、かなりの違和感を感じてしまったのです。
 原始仏教の経典等からは、ブッダ・ゴータマは、仏陀であるけれども正しく「人間」であると感じられます。また、悟りを開くには縁起を良く理解し、四諦八正道を実践する事だと説いています。また、晩年自らの死を前にしては、自分も諸行無常の理から免れる事はないので、やがて死ぬであろう。しかし、死後は「法」を拠り所として、修行せよと弟子たちに語っています。
 しかし、「法華経」に登場する仏陀は、自分は「久遠仏」であり、過去、現在、未来において永久に存在する、とか。仏国土は永遠である、とか。法華経のみが真説であり、他の経は方便だ、とか。法華経を読んだり仏像を作ったり、礼拝すれば仏の慈悲により悟りを開ける、とか。甚だ原始仏教の内容とは矛盾しますよね。諸行無常なら、仏陀とて永遠の存在ではないし、諸法無我ならば、仏陀とて実体がないのではないでしょうか。
 よって、「法華経」は、仏陀を人間ではなく神格化して信仰の対象とすることによって、仏教の大衆化及び教団の強大化を目指すために当時の弟子達が創作したものではないのだろうかと考えるようになりました。悟りを開くには、難解な法を理解し大変な修行が必要と説けば、一般庶民には受け入れられませんからね。
 ここで、質問です。
 (1)「法華経」は、弟子の創作だと思いますか。
 (2)最澄、道元、日蓮などは、「アーガマ」等の原始仏教の経典を読む機会が無かったのでしょうか。
 念のため、言って置きますが、私は「法華経」は宗教的には優れた本だと思っていますし、法華経を信心している人を批判しようという意図は全くありません。

 「法華経」に違和感を感じてしまいました。
 私は、仏教に興味を持ち「スッタ・ニバータ」、「アーガマ」、「仏教の思想1~8」(角川ソフィア文庫)、「この人を見よ=ブッダ・ゴタマの生涯」(増谷文雄著)その他諸々の仏教関係の本を読み独学している者です。この度、現代語訳「法華経」(中村元著)を読んだ時に、かなりの違和感を感じてしまったのです。
 原始仏教の経典等からは、ブッダ・ゴータマは、仏陀であるけれども正しく「人間」であると感じられます。また、悟りを開くには縁起を良く理解し...続きを読む

Aベストアンサー

こちらのカテゴリーには専門家の方がたくさんいて、私よりも知識のある方からたくさんの回答がよせられると思いますが……。

(1)「法華経」は、弟子の創作だと思いますか。
仏教学を学んだ者の常識としては、『法華経』などの大乗経典は、釈尊の死後、弟子たちによって創作されたものとされています。つまり『法華経』それ自体を釈尊が実際に説いたということはないと思います。
ですが、全部が全部、弟子たちの創作かといえばそうではないと思います。
釈尊の教えを、弟子たちが極端にデフォルメしたものというふうに私は理解しています。

(2)最澄、道元、日蓮などは、「アーガマ」等の原始仏教の経典を読む機会が無かったのでしょうか。
機会がなかったというよりは、当時、政治や文化の面でお手本にしていた中国での“最新流行”の教義を学んだということでしょう。もちろん『阿含経』なども基礎知識として持っていたはずですが、それよりも広く人々を救ってくれる有り難い経典として『法華経』をとらえていたのだと思います。

中国ではすでに天台宗の教義ができており、釈尊が経典を説かれた順番を“五時教”(最初に『華厳経』、次に『阿含経』、『方等経典類』、『般若経』と説かれ、最後に『法華経』『涅槃経』が説かれたとする)に分けています。
実在する釈尊が実際にどういう順番で説いたか、歴史的に見るのではなく、思想の上で順番を決めて、結局、『法華経』が最後の最後に説かれた重要な経典だとしたわけです。

これがその当時の最新の教えだったわけですから、インドから歴史的にも地理的にも遠く離れた当時の日本人にとっては、中国の最新の教えが一番であるととらえていたのだと思います。
それが連綿と伝わって、今の日本の仏教が形成されたのではないかと思います。

明治以降、こういう歴史に反する仏教は本来の仏教ではないとする主張がなされ(大乗非仏説)、伝統的な仏教学と両立する形で、学問的には釈尊の時代に原点回帰する傾向にあります。

こちらのカテゴリーには専門家の方がたくさんいて、私よりも知識のある方からたくさんの回答がよせられると思いますが……。

(1)「法華経」は、弟子の創作だと思いますか。
仏教学を学んだ者の常識としては、『法華経』などの大乗経典は、釈尊の死後、弟子たちによって創作されたものとされています。つまり『法華経』それ自体を釈尊が実際に説いたということはないと思います。
ですが、全部が全部、弟子たちの創作かといえばそうではないと思います。
釈尊の教えを、弟子たちが極端にデフォルメしたもの...続きを読む


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