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つくる会教科書の採択に反対する人たちの多くは、「戦争賛美の教科書、ノー」「アジアの平和と友好、イエス」と言う主張をしていますが、どうにも分からないことが生じています。私の把握している限りでは採択に反対している日本の団体は「平和とはあらゆる武力行使を禁止すること」と考えていると思います。しかし、つくる会の教科書に反対する韓国の団体の意見広告を新聞で見ましたがその団体は「アジアの平和と歴史教育連帯」と名乗っていて、意見広告において「ともに東アジアの平和の担い手へ」と主張しています。私の記憶では、韓国は教科書において応永の外寇を侵略とは書かず、己亥東征と記載していたと思います。百歩譲って仮に応永の外寇が侵略ではないとしても、今年にはいってから韓国の馬山市議会が「対馬の日」条例案を可決したことからも応永の外寇という武力行使を韓国人は好意的に見ていると思います。また、韓国は現在でも徴兵制があります。以上のことから、少なくとも韓国は「平和とはあらゆる武力行使を禁止すること」と考えていないと思います。このように日本と韓国では「平和」の認識に大きな隔たりがあるにもかかわらず、日本の団体と韓国はこのような認識の隔たりがまるでないかの様に共同歩調をとっています。そのため、テレビで採択反対の立場の主張する「平和」と言う言葉を聴くたびに首を傾げるばかりです。どなたか、彼らの主張する「平和」の意味がお分かりでしたらご教示ください。

A 回答 (6件)

その昔、“パックス・ロマーナ”という言葉がありました。

似たようなもので“パン・アメリカーナ”という言葉も現代にはあります。

その意味はそれぞれ“ローマ(帝国)による平和”、“アメリカ(合衆国)による平和”というものです。

何を言いたいかといえば、それぞれ国家・民族には自民族中心主義というか、要はそれぞれに“ナショナリズム”的な考え方が強いものです。故に「平和」という言葉・概念ひとつとってみても、国家・民族によってはそれはその数ほどにまちまちともいえるのです。

まして中国と韓国はそれぞれに「中華主義」(自国が世界の中心である)という考え方の国々です。そういう国家からすれば「平和」という元年ひとつとってみても、自国を中心として保たれなければならないものなのです。

それは仮に全世界は無理だとしても少なくとも東アジア世界では通用すべきという考え方が彼らの根底にあるのでしょう。“戦争がなくて誰しも飢えずにそこそこ食えて、差別もなく言いたいことが自由に言える”というのではなく、彼らの理想を言うならば“パックス・チネーゼ(中国)”“パックス・コリアーナ(韓国)”でなければなりません。彼らの本音としてはそれが仮に武力で実現・達成できるものならば既にやっているか、やりたくてうずうずしているところでしょう。

日本人として日本までも“自国中心主義”“中華主義”であってほしいとは思いませんが、それでも日本という自由な国家には様々な考え方を有する人々が存在しており、中には(日本人なのに)[日本が嫌い。中国や韓国が好き]という人々も多数存在しています。そういう人々からすれば、日本にとって都合が悪くて中国や韓国に良いものであれば採用されるべきと考えているところが大いにあるのです。

日本の国内、そしてその周囲にはその内外を問わずそういう考え方をしている人々、そしてそれに同調すらしてしまう人々が残念ながら存在しているのです。「平和」という一見同じ言葉にも見えますが、それはその国によって、あるいは特定の人々・集団によって、それぞれに違うわけですから日本政府も、そして私たちもよくよく見極めて対処していかなければならないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

うまく言えませんが、興味深くご回答を読ませていただきました。

お礼日時:2005/08/25 22:03

田嶋陽子さんをご存知でしょうか?あの方の言われる平和と同じだと思います。


60年戦争が起きていないからこれからも起きない、日本が仕掛けなければ起きないという非現実的な思想です。

真の平和のためには戦争が起きた原因を直視することだと思います。大東亜戦争のきっかけはアメリカによる資源封鎖です。
資源輸入に頼る日本ではシーレーンの確保が命綱です。現在米軍と海上自衛隊がシーレーンを共同で確保していますが、中国の台頭でどうなるか分かりません。
日本の場合は人件費や基地騒音費用等が高い上に、海に囲まれているため、防衛費はGNP2%は要ると言われています。
そのため現在装備費用は先進国でも最低クラスですし、弾薬は2.5日から1週間分程度しか無いと言われています。
にもかかわらず民主党は5000億円削減する等と言っていますから、これで次期政権政党などと良く言える物だなと呆れてしまいます。

個人的にはまたもや日本は中国と戦争もしくは紛争する羽目になる可能性も非常に高いでしょう。その時に日本は自国を守れるのか疑問ですが・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/25 22:04

連中の言う平和など現実社会にないことは、少し考えれば分かることですが、それが分からないのですから、連中の言う平和とは単なる夢のようなものでしょう。

まじめに取り合う価値もありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/25 22:03

あなたが平和の意味が判らないのは、個別の民間レベルの活動と「韓国」という十把一からげにまとめた概念という違うレイアのものを比較しているからです。


政府首脳による靖国神社参拝に反対する人が過半数いるにも拘わらず、日本人全体が参拝賛成と勘違いする(または、特定のニュースを我田引水的に利用する)中国人と同じことをあなたはやっているわけです。

旧ソ連時代に、ソ連国民全部が官僚的社会主義者ではありませんでした。国家レベルでは体制も思想もまったく違っていたとしても、個人(民間団体)レベルで自由主義・資本主義・反独裁(官僚)主義等の共通項で、密かに連帯しあっていたからこそ、崩壊もうまれたのですよ。

民主主義というのは、100点満点や完全一致なんて理想を目指すものではなく、そこそこ、まあまあの公約数で活動するものなんですよ。
ジョンレノンのイマジンのようなレベルの「平和」という概念を、韓国だけ誰も理解していない、とも思えませんし。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あなたが平和の意味が判らないのは、個別の民間レベルの活動と「韓国」と
>いう十把一からげにまとめた概念という違うレイアのものを比較している
>からです。
>政府首脳による靖国神社参拝に反対する人が過半数いるにも拘わらず、日
>本人全体が参拝賛成と勘違いする(または、特定のニュースを我田引水的
>に利用する)中国人と同じことをあなたはやっているわけです。

何も私は全ての韓国人が同じ考えを持っているとは考えておりません。
とはいえ、経験上私は歴史教育の影響で20歳を過ぎるまでマルクス主義に取り付かれていました。私の友人も少なからず影響を受けていました。まして韓国では「歴史教育は学問の自由の領域ではなく、政府の責任の領域だ」(ノムヒョン大統領の弁、http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/seiji/2005050 …より)との政策で、たった一つしかない歴史教科書(日本から受けた被害は大量に記述しておきながら、日本に対する自らの加害行為は徹底的に正当化する)を使い、国民を教育しているとなると、韓国の教育を受けた人たちの「大部分」が「反日」という思想を持つのも致し方ないと考えて発言しました。あしからず。

お礼日時:2005/08/25 22:32

 彼らは実のある主張をしているわけではありませんから、言葉からロジカルに考えて理解しようとしても、無理です。


 過去、慰安婦問題や南京事件問題などでも実の無い発言を続けてきた人々とほぼ被っており、その目的は一緒なのです。

 実が無いかどうかは、扶桑社の教科書を読んでみれば分かります。その教科書の内容を言葉からロジカルに考えて、「戦争賛美」という結論が出てくるかというと、出てこないのです。よほどのバイアスをかけて、書かれてもいないことを勝手に追加でもしないと、そのような結論は出てきません。
 このことから、一つ目のスローガンが、事実から遊離しているということが分かります。

 となると、二つ目のスローガンも事実から遊離したものだと捉えるのが合理的というものです。

 以上の前提を置いて極めてシンプルに答えると、「平和と有効」とは、主体性を持たず相手に無条件に従属する奴隷のような状態になることです。この「相手」とは、中国のことです。韓国は、彼らの運動の中では、あまり大きな力は持っておらず、支店のような位置づけですね。

 詳しい解説は長くなりますので省略しますが、例えば参考 URL など見てもらうと分かりやすいと思います。

参考URL:http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>以上の前提を置いて極めてシンプルに答えると、「平和と有効」とは、主体
>性を持たず相手に無条件に従属する奴隷のような状態になることです。

合理的に考えると、確かにご回答のような結論に達すると思います。

お礼日時:2005/08/25 21:59

単に運動の流れと水準の違いだと思いますが。


「平和」という言葉の辞書的な意味などここではもちろん関係ないわけで。
韓国の考え方が普通、と考えられるのも実際はどうでしょうね。あの国はずっと最前線の意識でなりたっていましたから。
今でこそ「北」の無茶苦茶な国情が明らかになっていますが、韓国も全斗煥政権が倒れるまでは独裁政権の国でした。(1948~1987)(1945~48は、占領中。)
ですから、そもそも平和運動など問題にならなかった。そういうことを唱えるだけで殺される可能性も十分あったわけです。というか、金大中あたりまで共産主義者扱い(あきらかに違うんですが)して排除ないし死刑にしようとしていたような(しかも日本から拉致しています)そういう中からやっと生まれてきた「平和」運動であり、また「北」の存在、はっきりいってこれは停戦状態ではあっても現実の平和とは言えません。

一方で日本の平和運動ですが、その中にもいろいろな考えや水準があって、「つくる会に反対する人たちはこうだ」というのはレッテルはりならともかく、現実には決めつけることは困難でしょう。たとえば、日本で最初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士は、平和運動にもかかわっておられましたが、「憲法に書かれているから、自衛隊はいけない、というのではない。そんなんにかかわりなくあれは悪いものだ」という考え方でありました。

で、運動というものは完全な考えの一致など追求しないのがよいと思います。(でなければ、全体主義か宗教運動です)そのかわりに一致する内容、考え方、課題で協力するわけです。

その柱というのが日本の場合憲法第9条なんです。9条の是非はここでは関係ありません。現実に現行の通用している憲法はこれなので、それをやぶることは(仮に不条理だという考えが一般的であったとしても)違法行為です。だから、法によって政府の戦争行為を規制する考えですね。その憲法の主張している内容が「あらゆる武力行使を禁止する」ことなんです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/25 21:56

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