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死ぬっていうのは逃げなんですか??
僕は小学生のころとてつもない陰湿ないじめをうけ,その影響から
ヒトと接することが苦手です.トモダチもいないのでいつも土日は
家に閉じこもりっぱなしです.平日は大学…,みんな表面的で
他人の嫌なところばかりみてしまう.おやともうまがあわないし…
つきあったこともない…
こういう精神状態って異常だと思いますか????

A 回答 (15件中1~10件)

おーい!! 大丈夫かい? 


ネットでのつながりだって、
本物だろ? 君を心配してくれる糸が、
こんだけ、伸ばされているぜ。
つかまってくれよ。つかまっていいんだから。

生きてく。ってことは、下手すりゃ、
とっても、大変で、面倒臭いことなんだ。
だれにとってもさ。おいらだってそう。
ここ数年来、イヤな情けない自分と、
おさらばしたい衝動と、うんざりしながら、
付き合っている。こんな風に伸ばされた糸や、
落っこちている糸を、拾いながら。
どん底に落ちゃったらね、ひざを抱えて
小さくなって、うずくまってみる。
そして、いつまでも、ここに居たいのか
自問自答してみる。(今、君はそうしてるだろ?)

気持ちが、イヤだ!!って、暴れ出したら、
あとは、浮上するだけだよ。すうっと、
浮上できなくても、あがいていれば、絶対、
浮上できる。本当だよ!! 信じて。

おいらは、君より、半分以上も年寄りだ。
でも、まだ、あっていない人、食べていない
美味しい物、見たことのない景色が、
山ほど、ある。short_shortさんの
おっしゃるように、小さな楽しみを、
見つけるのって、いいよ。

それと、自分を、ほめることも、やってみよう。
最初は、絶対できること。例えば、歯を磨く事。を
自分に約束する。できたら、自分をほめる。
そうやって、だんだん、出きることの負荷を
かけていく。だれかに、あいさつするとかね、
出来たら、ほめる。できなくても、あしたは、
できる。って思うんだ。

おいらも、おっかさんと、うまく付き合えなかった。
でもさ、もう、大人になってから、絶対、責められる
と、思ったことから、無条件に、おいらを守って
くれたんだ。素直に、ありがたい。って思ったよ。
君はまだ、知らないだけ。出会っていないだけ。

死は、必ず、訪れるもの。待っていればいいんだよ。
今は、生きている。んだから、生きている。を、
味わおう。ねっ。
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この回答へのお礼

こんにちは.みなさんのご意見読ませていただきました.
御叱咤や貴重なアドバイスを頂戴し,少し光が見えた気がします.
過去から脱却できない自分も情けないです.しかしながらなんとか
がんばろうというキモチになれました.インターネットの恩恵をこのような
コミュニテイの場でうけることができなんとも言えません.
最後に,みなさんありがとうございました.
みなさんの恩はわすれません.

PS : ここでご意見を頂いた方々全員にポイントをあげたかったです.
しかしながら2人までしかあげられないとのことなので,
すみませんが今回は該当なしということにさせて下さい.

それでは.

お礼日時:2001/10/31 15:32

異常でも、異常でなくても、自分は自分でしょう。



今そこにあるいやなものから逃げ出しませんか。

その選択の一つとして「死」を考えているのでしょう?

今すぐに「旅」に出ませんか。

日常生活、勉強、大学、家族、周りの人、就職、将来、すべて置き去りにして旅立ちませんか。

駅の改札で気に入った金額の切符を買って、そこに止まっている電車に乗り込む、

あとは成り行き任せの旅。

先のことは考えない。今のことも考えない。只あるがままを受け入れる。

まったく予想もしない土地へたどり着き、何が起こるかわかりません。

でも、「今」の状況よりマシだと思います。

難しいことは言いません。『旅』に出ましょう。『死への旅』ではなく『生』を見つけに・・・。
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ご質問の文章を読んでいて、他人事とは思えなかったので回答します。



私も小学生の時いじめられていました。毎日ひどい言葉をクラスの半分の人間に投げつけられ、自分の心がズタズタにされる思いを味わいました。その時、自分の命を断つことも考えましたが、結局考えるだけで終わりました。

そんな経験をしたので、人と接することが苦手というか苦痛になってしまい、希望して入った学校も途中でやめてしまって、ここ数年間は家に閉じこもっています。当然、仕事はしていませんし、遊んだりするような同年代の友人はいません。

こんな自分は生きている価値がないのではないか、死んだ方がいいのではないか、とよく思います。でも、死ぬのは一度きりなのだから、何もすることがなくても、悲しいことがあっても、とりあえず今日一日だけは死ぬのをやめよう、そう思って生きています。

だから私はご質問にあるような精神状態を異常だ、と決めつけることはできません。誰でも心が弱っている時には逃げたくなるものだと思います。

そういうつらい思いを抱えながらも、何もしたくなくても、とりあえず生きていくことしかないのではないでしょうか。
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もう少し、生きてみましょう?


何らかの仕事につくとか、状況が変われば、また考え方も変わってきます。
あわてなくったって、いずれこの世から離れられる日は来ます。
もう少し、様子を見てみましょうよ。

わたしはもういいオジサンですけど、ヒトと接するのは苦手です。
でも、ここまで生きてきて、昔に比べれば生きるのが楽になってきたと思います。
ただ、一日一日を生きていくだけでいいんです。
それだけで、月日とともに大分変わってきます。

何か、小さなことでいいですから、楽しみを見つけましょう。
近くの野良猫に会うこととか、通りの花の移り変わりを眺めるとか、あるいは帰宅途中の喫茶店で一息つくとか、お酒とか・・。
こういったひと時を作ることで、なんとかもう一日生きる気力が出てくるかも知れません。

あるいはpanicdjさんも、困っているヒトの悩み相談にこんな風に乗ってあげてみませんか。
ヒトの悩みに答えてあげるって、気持ちよくなりますよ。
ここなら、誰も面と向かって文句は言いません。
私がこうして回答を書いているのも、自分が満たされていないから、それを埋めるためにやっているんです。

何とか、苦しい状況を通り抜けられますよう、祈っています。
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私も、「小学生」~「高校生」の間に自殺を考えた事も有りますし、「いじめ」も受けてました。



質問に対する回答が困難ですが、私の経験や考えを記述させて頂きます。

先ず自殺に関しては、私なりに真剣に考えて見てました。

そもそも「自殺」とは何だろう?

もちろん「逃げる」事?

本当にそれ以外には無い?

「自殺論」と呼ばれる書籍や、カウンセリングの書籍、心理学。
色々と調べて行くけど、どうも自分に馴染まない。

何かが違うって言う感じが有りました。

もっと違う視点から見た時、実は「他殺」なのでは無いだろうか?
自分の肉体を、殺す事。
単純に、「加害者」と「被害者」が一緒なだけじゃ無いか。
そんな、解に辿り着いたんです。

じゃあ本当の「自殺」って?

自分命を絶つ事が自殺じゃ無いとすると、何だろう?

自分が、「自殺しよう。」と考えた時に、本当の目的は何だったのか?

そして、「自分の存在が、消したい。」と感じていたと気付き、そこから更に考えて行きます。

「自分の存在を消去する。」
色々な周囲のシガラミや、人。
そこから、自分の存在を消すには?

人は、「忘れる。」と言う事が、有ります。

それは、急に居なくなった人は、記憶に残って行きますが、徐々に離れて行くと出来るのでは無いだろうか?

そう考えて、その為の準備や周囲の環境を考えて行きました。

そこから先は...。
これは、それを行って無いと伝わり難いと思いますので、ここでは敢えて割愛します。

只、現在は、既に別の考えで生きて行ってます。
それが正しいか間違ってるかは解からなくても、自分では納得出来る形でした。

こんな事も、今だから書ける事でも有りますが。

「いじめ」に関しても少し。

私が、「いじめ」を解決した方法は、上に比べると遥かに簡単です。
「いじめられてる。」と、思わない事でした。

そもそも、相手も遊んでるつもりなのだったら、自分も遊んでるつもりで良いや。

それだけの事です。

長々と書きましたが、あくまで私の経験や考えです。

只、少し見方を変えれば、こんな考え方も有ると思って頂ければ幸いです。

本当は、まだまだ書いて行きたいのですが、文章では書き難い事も多いので、この辺にして置きます。

最後に。
自分が思った事は、相手に伝わると思います。
そして、それは、自分にも伝わると思います。
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専門家へのカウンセリングが最もよいと思います。


それまでのつなぎとして、少しだけ。

いろんな意味で自ら、全てを否定するあなた。それにしては、他者への否定する気持ちが弱いですねえ。

それだけ陰湿ないじめに合って、それからかなりの年月。今では、町に出ることさえ恐れている、と。彼らは、大きな顔をして街中を闊歩しているわけですね。

なぜ怒りを覚えないのかなあ。

もう小学校のような空間に生きているわけではないのです。例えばひどいことをしてくるうじ虫のようなヤツが現在も、例えばいたとしても、逃げ場や、戦う場はいくらでもありますよ。でかい顔をして町を歩いて、嫌なヤツと目が合ったら睨み返すぐらいの余裕を持ってほしいところです。あなたをこんな境地までに陥れてのは、そいつらなんだぞ、と。で、後は笑う。

否定、といっていますがあなた、首謀者に対する否定の意識は、弱いですよ。

あなたは間違っていない、悪くない。少なくとも現在は。

いじめたことを振り返りもしない相手が悪い。何十年たとうとも。
そう。自己肯定から始めなさい。既にあなたが何かにおびえる理由など、何一つ存在しないじゃないですか。

いろんなことに対して身構えてしまうのも、対人関係が苦手になってしまったのも、そんな環境で育ったならば当然、あなたが自分を責める理由などない。さあ、本当の自分とは、どんな姿なんだ。今から確かめの人生の旅に出る。自分の嫌な面が見えてしまったら、それはそいつらが原因、ということで、自分は責めない。治したいという自分の声が聞こえたならば、これから時間をかけてちょっとでもまともにすればよいだけ。

あとは、遅ればせながら、あなたが本当にやりたいこと、やっていて楽しいことを見つけることかな。就職への不安を持つことは仕方がないですが、心配しても始まらないことがあります。

自己否定する前に、あなたをそこまでに陥れた相手をもういちど否定しなおし、自分の非のないことを再確認すること。次に、自分の楽しみを見つけることです。
…苦しいのは確かだと思いますが(私にその苦しみの深さなどわかるはずもない)、死を考えてしまう、というのは、正直言って、かなりひまな証拠。まだあなたは追い込まれていません。卒業間近、あなたは、専攻している学科でもなんでもいいから、徹底してのめりこんでいますか?いや失礼、私の場合、卒業前は、不安以上に、専攻科目その他で大変忙しかったものですから。
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上の質問だけを見てると、しっかりしろよ!小学生じゃないんだから・・


と思ってました。でも、下記の方への補足を見ると死を思うほど
深刻ないじめだったんですね・・・。
きっとあなたがうけた心の傷は簡単には癒せないものですね。
いっそのこと、大学を出たら地元から離れることはできないのですか?
特に都会のようなだれひとり知り合いのいないようなところへ。
地元にいるかぎり、あなたは思いっきり上をむいて自信を持って歩けないのでは
ないですか?
死を考えるくらいならば、つらくてももっと前に進むこと、死ぬほど勉強する
死ぬほど働いて夢を実現する、そのように前向きに考えてほしいです。
リストラのことなんて、仕事する前から考えてどうするんですか!!
そして、一番反論したいのは、他人の嫌なとこばっかりみてしまう
ってことです。みんないい面も悪い面も嫌な面も持ってます。
いつも自分に優しくしてくれる都合のいい人間なんて一人もいません。
あなたにだって、いい面も嫌な面もありますよね?
社会生活や人付き合いって、ほんとにめんどうです。好きな人にばかり囲まれてる
わけにはいきません。どんなとこにも、嫌な人もいるし、自分と合わない人も
います。でもみんななんとか我慢したり、ぶつかったりしながら生きてます。
あなたも、部屋に閉じこもっていてはなにも解決しませんよ。
部屋から出ていける方法を考えて下さい。
そして簡単に死なんて言わないで下さい。
最近まわりで、幼くして難病にかかる子の話を偶然数人から聞くことになり
やりきれない思いでいっぱいなのです。だから健康な人が死にたい・・など
軽々しく口にすることが許せなく、きつい言い方になってしまったかもしれません。そして、最近は幼児虐待のニュースが頻繁です。あなたもクラス中からいじめ
にあってほんとにつらかったと思いますが、家の中で親からむごい虐待を受け育つ
のとどちらがつらいのでしょう・・(もちろんこんなこと比較するようなことでは
ないことは重々承知の上です。)トリイ・ヘンディの本、読んでみてください。
世の中には自分よりつらい人たちがいて、それでも死ではなく生きることを
選んでる、ということをわかってほしいです。
もちろん、あなたの苦しさはあなたじゃなければわかりません。
でも、このまま下をむいて生きるか、上を向いて前に進むか
あなたの心の持ちようです。がんばってください。
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>こういう精神状態って異常だと思いますか????



異常とは言えませんが正常とも言えません。小学校の時の出来事を
深い傷としてそのまま引きずっておられるように思います。人の介入を
拒絶して生きては行けません。

もし機会がありましたら是非、カウンセラーを受けられたほうがいいと
思います。カウンセラーであなたの思いを洗いざらし出して見られたら
いいでしょう。

「親思う心に勝る親心」
あなたがいくら親を思っても親があなたを思う心には勝てません。あなたを
思う親の心は世界一です。どんな愛より深く大きく無限大です。
しかも無償の愛です。


「死」を選んであなたはそれでいいかもしれません。しかしその死に
直面した周りの人たちはどうすればいいですか?

涙を流してくれる人たちがいる限り「死」を選んではいけません!!
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精神状態は異常じゃあないですよ。

panicdjさんが今まで経験してきたこと
からではそうなってしまうのは当然というかしょうがないと思います。

ただ今まで辛かったからって自分の命を自分で絶つのは一番やってはいけないことですよ!親とうまがあわないといっていますが、親があなたを心から憎んだり邪魔だと思うことは絶対にありませんよ。自分の腹を痛めて生んだ子供を見捨てることはありえません。あなたが思っている以上に親はあなたのことを思い、感じてくれるもんですよ。

No.2の人の回答の補足で、前途は闇に包まれ・・・と書いてありますが、
どんな人間にとっても前途は闇、見えないですよ。自分もそうですもん。
将来のことが見えたりわかっていたりしたらおもしろくもなんともないし、
むしろ怖いですよ。何が大切かってのは、今日という日は二度と戻ってこないんだから、与えられた時間を有効に使わないと!それは読書したり、散歩でもいいし、寝ていることだっていいと思いますよ。自分がこれでいいってことをすればいいんです。

世間の目なんて気にしちゃダメだよ。panicdjさんをいじめたやつらなんて、集団でイジメルしかできない、個人では何もできないちっちゃなやつらだよ。友達がいなかったら今からでも作れる!身内じゃなくてもあなたのことを親身に思ってくれる人は必ずいます!現にネット上だけど5~6人もあなたのことを思って書いてくれてますよ。今からでも自分が変化を期待すれば遅くはないです。つきあったこともないらしいですが、15歳で初めてつきあおうが40歳で初めてつきあおうがなんら変わりはない。早いか遅いかでけですよ。人それぞれ違った人生があるんだから、panicdiさんはpanicdiさんの人生を歩んでください。今からでも全然遅くはないですよ☆

なんかまとまらない文を長々とごめんなさいね。自分はアドバイスもできていないかもしれないですけど、頑張ってください!
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自分を変える、などといって、明るくて社交的な人間に変われれば良いけれど、とてもそんなことが自分に出来そうな気がしない、というところではないでしょうか。



私の結論は、人間は死ぬまで生きるだけのことだ、という事です。
寿命で言うなら7~80年の人生、そこまで行けば、みんな死にたくない!、という事以外、全ての物が価値を失ってしまうのかもしれません。築き上げた財産や華麗な経歴も、臨終の瞬間には意味を持たないかもしれません。
他者と比較したり客観的評価を気にしたりしていると、自分の存在価値とか考えたり、自分が許せなくなったりします。

まあ、社会の一員として守るべきルールというのはお互いの権利の尊重の為に必要な事ではありましょうが、社会的評価とか客観的な幸せの基準などというものは気にしない事です。

自分はこういう人間だけど、なんとか生きてはいけるさ、という開き直りと楽観視も必要です。友達の沢山いる、明朗な人だけが存在を許されるわけではありませんし、そうでない人も固有の権利を主張して飯を食って生きてます。

自分が思うような自分でない、という事に苛立って、必要以上の無力感に苛まれているのだと思います。自分がああであれば良いのに、という思いがあるからこそ自己嫌悪も生まれるのですが、今のままでも生きる道はいくつもあるという事です。いくつもある道を知らないから、あるいはその道は幸せには繋がっていないという先入観があるから、将来に光が見えないのではないですか?客観的幸福というのと別に、主観的な幸福というのも間違いなく存在します。
社会的成功は幸福に近づく道ではあるでしょうが、イコールではないと思います。

まあ、世の中、いろんなタイプの人がいます。社交的で明るい人物が目立ちますが、内向的、沈思黙考型、マイナス思考の人間も山ほどいます。自分一人がそうであって孤立しているのなら深刻ですが、恐らくもっと極端な人が沢山いるはずです。

仕事も、人と接する営業のような事ばかりではありません。沢山の非社交的な人物を受け入れ続けてきた社会です。特に意識しなくても、それなりの道は提供されるでしょう。
頭で考えて絶望するのは滑稽な事です。行動し、体験し、知ったあとに、どうにもならない状況に置かれてしまって、自分の頭では抜け道が見つけられない、という状態になった時にはじめて絶望する資格が与えられます。
いやな事、しがらみなんかを一度放り出すのも選択肢のひとつだと思います。それが出来ないのは責任感や義務感が強い証拠で、これを意に介さないいい加減な人だって生きてます。

それに、社交的で快活な人間は、特に苦労も努力もなく社会に適合できるのかというと、実際にはそうでもないようです。営業職などの分野では恐らく彼等に有利でしょうが、あえてそんな土俵で勝負する必要もないでしょう。
自分にあった仕事、生活設計などは、今見つからなければ先送りしても構わないと思います。だらだら流されて生きていても、なんとかはなるもんです。これではいけない、と考えるのは誰に限った事ではありません。多くの人が何回も自問自答しながら日々生きています。
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