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昔に繭・養蚕をやってた所と言うのは蕎麦の産地じゃないけどやせた土地柄とか山あい・谷あいの村であるとかと言う事があるのですか?

A 回答 (3件)

養蚕業が発達したのは、江戸時代に生糸の輸入制限が行われ海外からの生糸の輸入高が減ってからです(買い入れる為に必要な金銀の産出高が減ったことが制限の理由です)。


既に西日本の肥沃な地域では、稲作の他に換金性の高い作物として、綿作や菜種栽培が発達していましたが、東日本地域では山間部などに未利用地があり、そこへ桑を植え、養蚕・製糸業が発達することとなりました。

また、蚕は卵の時期にある程度の湿気を必要としますが、基本的に風通しの良い環境が育成に適していますので、その意味でも川沿いの山間部は養蚕の適地だったのでしょう。

わたしの母方の実家も富岡製紙工場の近所の農家で、本家の二階は全部「お蚕さん」で占められていました。そして家の廻りは全部桑畑。桑の実が成る頃には口の回りを真っ赤にして食べていましたね。
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この回答へのお礼

西日本は綿作、菜種、東日本が養蚕ですか、参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/18 21:02

http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/ep …
1643(寛永20)年、田畑勝手作の禁止が出されました。内容は、本田畑に五穀(米・麦・黍・粟・豆)以外の作物を植えることを禁止するもので、貨幣経済に巻き込まれることによる本百姓の解体を防止する目的がありました。
田畑に桑を植えるというようなことはかたく禁止をされていたんです。↓(と言っても植えてますが)
http://www.nias.affrc.go.jp/silkwave/hiroba/summ …

参考URL:http://www.nias.affrc.go.jp/silkwave/hiroba/summ …
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この回答へのお礼

勝手作禁止令があったのですか、どうもありがとうございます。

お礼日時:2005/08/18 21:03

必ずしもそうとは限りませんが、養蚕をおこなうためには桑が必要でしたから、水田にできるところをわざわざ桑畑にしたりすることはありませんでしたから、どちらかというと畑の多いところで、山間のところになりがちでした。

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この回答へのお礼

畑か山ですね、ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/18 21:00

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