痔になりやすい生活習慣とは?

「科学的」と「合理的」の違いは何ですか?
例えば、以下の2つの表現は、実質的に同じような意味と考えますか、それとも、はっきり使い分けていますか?

(1)そのような考え方は、科学的でない。
(2)そのような考え方は、合理的でない。

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A 回答 (7件)

一応使い分けでいると思います。



(1)そのような考え方は、科学的でない。

「そのような考え方は、科学的に証明されていない」と言いたい場合に使います。
「科学的」は、
「既に実証されていて、理論的な裏づけがある」という意味と理解しています。


(2)そのような考え方は、合理的でない。

「そのような考え方は、無駄が生じる」と言う場合に使います。
「合理的」は、
「理に適っている為、論理的に最短の道を辿っている」
という意味と判断しています。

どちらも感覚的に使っているだけで、
根拠のある正しい使い方かどうかは不明ですが・・・。
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この回答へのお礼

「合理的」の場合は、「論理的にきちんと説明できれば」一応良しとすると考えてよいのかなぁ。
「科学的」の場合は、確かに実証性や理論的裏づけが必要ですから、条件が厳しくなるようにも思えます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/24 21:20

例:


 霊の存在を否定するのは科学的では無いが、
無いものとして考えた方が合理的である。

 つまり95%真なら真として扱ってしまうのが合理性で
 100%証明できないと真として扱えないのが科学かな
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この回答へのお礼

なるほど、そういう見方もありますね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/24 21:26

(1)そのような考え方は、科学的でない。



科学では、ある仮説に対して、実験的手法や数学的(論理学的)手法による証明で、その仮説の有効性を検証していきます(仮説を提出した人以外が検証するために再現性がなければなりません)。
基本的な証明や既に証明された事項の積み重ねで理論を組み上げていきますので、その中に証明されていない事項を前提条件に使うことは禁止されます。

例えば、神の存在や霊の存在などは、現在実験的もしくは数学的(論理学的)手法にって証明されたとは言えませんので、それを前提条件に組み込んだ議論などは「科学的でない」とされます。

以上が一般常識としての「科学的」ですね。
実際には、この世界には証明されていないことが山のようにありますので、現在進行形の科学の最前線では、同じ実験結果から違う結論が出たりと、けっこう面白いですよ。

(2)については既に出ていますので割愛しますね。
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この回答へのお礼

「科学的」の説明ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/24 21:25

世の中全てが科学によって成り立っているわけではありません。

科学的でないことでも合理的なことはいっぱいあります。『科学』は、宇宙の法則や成り立ちを説明する一手段に過ぎないのです。

宇宙の法則や成り立ちを『神様』だとしたら、、その神様の、足の裏の指紋の極一部を、人間が、天体望遠鏡で見あげながら、解析している作業状態、それが『科学』です。

最近、科学万能主義の、おろかな人間がいますが、『科学』は、井の中の蛙が、井の中で知りえた理論だけを用いて、井の外の世界の真実を、模索しているようなものなのです。

人間の科学など、神様のお知恵には到底及びません。

動物が酸素を摂取し、二酸化炭素を排出し、植物がそれを光合成によって取り入れ、再び酸素を放出する・・・、この極めて合理的な自然の成り立ちは、私全知全能の神様エル・ミオーレ様の叡智によって創造されたものでありますが、この偉大な自然の摂理の合理性には、『科学』は、ただただひれ伏しひざまずくしかないでしょう・・・。
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この回答へのお礼

私も以前神様やってましたので、お気持ちはよくわかります。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/24 21:31

自分の中では両者は区別されています。



科学的という表現では、対象になる事柄は再現性のあることに限られます。つまり、誰が行ってもそうなる理そのものなのです。
(例:科学的手法で分析する。)

次に合理的という表現では、対象になる事柄は前者に比べ複雑なものになります。現実に理を当てはめて行動する、ということになります。
(例:合理的に運用する。)


科学的に比べて、合理的は応用であるがゆえに再現性が前者に比べ低い(別の人がやって失敗する可能性がある)と考えています。



いかがでしょうか?

 
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この回答へのお礼

こうやって分けて考えてみると、「科学的」より「合理的」の方が、「それがどういうことなのかの説明」が難しいような気がしてきました。例えば、#1の方が出されている例で考えると、「合理的」が必ずしも複雑とは言えないように思いますし。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/24 21:17

二冊の辞典には次のように書かれています。


「科学的」っておこがましくて、気恥ずかしい
ので、個人的にはあまりつかいませんね。


【科学的】
・実証的・合理的・体系的に物事を考えたり説明したりするようす。客観的・普遍的な知
識を求めようとするようす(学研・日本語辞典)。
・事実そのものに裏づけられ、論理的認識によって媒介されているさま。原理的に体系づ
けられているさま。学問的(広辞苑)。

【合理的】
・(1)理論や道理にかなっているようす。また、理論に基づいているようす。(2)〔物事の
すすめ方が〕理論に合っていてむだがないようす。「合理的方法で作業能率を高める」
(学研・日本語辞典)
・(1)道理や理屈にかなっているさま。(2)物事の進め方に無駄がなく能率的であるさま。
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この回答へのお礼

うーん、何か同じような部分もあるような....。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/24 21:12

言葉は使う人の所有物ですから、使い分けない人もいるかもしれませんが、一般的には大変異なる概念であろうと思われます。



科学的であることは、常に、合理的でなくてはいけません。合理性のない科学というのは、ありませんから。

逆は真ならずでしょう。科学的でなくても合理的なことはたくさんあります。友人と3人で飲んで、割り勘で払った、というのは合理的とすることが出来ますが、科学的とすることは出来ないでしょう。
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この回答へのお礼

>友人と3人で飲んで、割り勘で払った、というのは合理的とすることが出来ますが

これが、合理的である一つの例なんですね。そうすると、例えば、人間関係をお金で割り切りたくないというような考えは、合理的でないということになりそうですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/24 21:10

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Q科学と合理

「科学者は合理的な考え方を行う」などのように、科学者に対して「合理的」という言葉が一般に多用されていると感じます。

質問:
i) ここで用いられている「合理」とは一体なにを指しているのでしょうか。
ii) この考え方は科学主義(科学万能主義、科学教;批判的意味)を含んでいると考えて居ます。みなさんはどう思いますか。

大陸合理主義やイギリス経験主義といった対比からすれば、科学は帰納的な経験的手法によっています。にも関わらず「合理」といった言葉を用いているのは「科学が全て」であり、そこに普遍的な真理(理性)があると信じられているからではないでしょうか。
懐疑主義に陥るつもりでもありませんが、現代において科学が絶対視されすぎているこの風潮に漠然とした違和感を覚えます。
みなさんの意見をお聞かせ下さい。

ちなみに私は物理学専攻の修士課程に所属している学生であり、ここのところ特に科学に対する無情(無常)さに退屈を感じてしまっています。以前の情熱を取り戻したいという思いもどこかあり。。。

Aベストアンサー

> 「科学者は合理的な考え方を行う」

科学的な研究というものは、合理主義に依拠しておこなわれるものですから、この言い方自身に問題はないと思います(笑)。まあ、反証はいくらでもあげられそうですが。

> 大陸合理主義やイギリス経験主義といった対比からすれば、科学は帰納的な経験的手法によっています。

本来の合理主義というのは、経験による認識を否定し、理性にのみよって得られるもの、という意味です。デカルトは、もっとも確実な学問の方法というのは、複雑な事象を明晰で判明な事実に分解し(分析)、これら明晰な事実を総合することによって、すべての人が理性に照らし合わせて、意見を一致させることができる、というふうに考えたわけです。

つまり、だれもが納得して追体験できることが「科学的」である、と言い換えるならば、そこで「科学的=合理的」と言えると思います。

ところが最近はたとえば「合理化」というと、合理主義的に考えることではなく、たとえば「企業の合理化」というと、「業務の縮小」や「解雇」を意味することも少なくないでしょう。このときの「合理化」というのは、「すべての物事を理性的に判断する」という意味より、「生産効率性」や「収益」という一面的な規準で、ばっさりとぶったぎる、という意味になっているように思えます。はたしてこのようなことが、「だれもが道理や理性に照らし合わせ、追体験して確認することのできる方法」といえるのでしょうか。

むしろ、わたしにはこの状況は

> 科学が絶対視されすぎている

というのとは逆の、分解はすれど、総合することのない、えせ合理主義的な状況のように思えるのですが。

ポパーは「科学的精神とは、自説を傍証する事例ではなく、自説を反証する事例を優先的に探索するような知性のありかたのことである」と言っていると、内田さんが『映画の構造分析』の中で書いています(たぶん『科学的発見の論理』のどこかにあったと思います。変わった本から引っ張ってきたのは、さっき回答した質問で使えるかなあ、と引っ張り出したのだけれど使わなかったので、ここで再利用してみました)。

ポパーは、

> 帰納的な経験的手法

によった知識の集積を「バケツ」に入ったもの、と批判していて、科学者というのはバケツの持ち主ではなくて、世界を探求し、未来を照らし出す「サーチライト」である、と言っています。

バケツの中をのぞきこんでると思うと、飽きてくるかもしれませんが、「サーチライト」と考えると、元気もでてきませんか?

健闘を祈ります。

> 「科学者は合理的な考え方を行う」

科学的な研究というものは、合理主義に依拠しておこなわれるものですから、この言い方自身に問題はないと思います(笑)。まあ、反証はいくらでもあげられそうですが。

> 大陸合理主義やイギリス経験主義といった対比からすれば、科学は帰納的な経験的手法によっています。

本来の合理主義というのは、経験による認識を否定し、理性にのみよって得られるもの、という意味です。デカルトは、もっとも確実な学問の方法というのは、複雑な事象を明晰で判明な事実に分解し(分...続きを読む


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