重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

戦時中日本でも核兵器を開発していたという話を聞いたことがあります。
もし開発したとして、それをどうするつもりだったのでしょうか?
アメリカまで持っていって空爆することは可能だったのでしょうか?
米本土空襲を一度も試みていない以上不可能だったのではないでしょうか。

中国にでも落すつもりだったのでしょうか?
あるいは和平の手段とか。

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

現実には「使用方法は原爆ができてから考える」であったでしょう。

昭和20年段階で日本の原爆は完成の目途が立っていませんでしたから、下記は全て仮定の話になります。

原子爆弾が他の爆弾と決定的に違うのは「放射能による被害を与える」ことです。これについては、何しろ現物がない以上、アメリカも投下するまでは良く知らなかったはずです。それ以外で他の爆弾と決定的に違うのは「威力が桁違いに大きい」ことです。これが何を意味するのかと言うと、「目標に命中しなくても、近くで炸裂すれば被害を与えられる」ことです。

昭和19年以降になると、日本が送り出した攻撃機、特攻機は、敵艦隊のはるか手前で戦闘機や対空砲火で撃墜されました。敵艦隊を狙う潜水艦も、敵艦隊に到達する前に対潜艦艇に見つかって撃沈されました。このような状況でも、原爆があれば敵艦隊に被害を与えることが可能になります。原爆と言うのは、降伏間際の敵国の都市に飛行機で投下して一般市民を虐殺するだけの兵器ではありません。

昭和20年の日本に仮に原爆があり、双発の爆撃機で運搬できる程度の重量であったとすれば、下記のような使用法があり得ます。

* 爆撃機に積んで、敵艦隊の泊地に夜間特攻。敵艦隊の外周部まで到達することはできたでしょう。飛行機が墜落する寸前に起爆することができれば、敵艦隊に重大な被害を与え得ます。

* 人間魚雷「回天」に積んで、敵艦隊の近くに到達、起爆。ビキニでの核実験での「核機雷」の効果になり、敵艦隊にかなりの損害を与えるでしょう。

* 例えば沖縄戦で、敵の上陸想定地点に原爆を埋設しておき、敵部隊が上陸して橋頭堡を築いたところで遠隔起爆。上陸した敵部隊は瞬時で消滅します。どこに原爆が埋めてあるか分からないので、敵軍は上陸をあきらめて撤退するでしょう。
ただし、その近くにいる味方部隊や非戦闘員も巻き添えになります。さらに、上陸前の艦砲射撃で起爆装置が破壊される可能性が高く、この作戦は失敗に終わったでしょう。
    • good
    • 0

中国で核兵器を効果的に使おうと思うと、何発あっても足りません。


当時はもっと威力が小さいと思っていたようですし。

アメリカに追いつめられた局面の打開を狙っていたようですから、サイパンのB29の基地に特攻で突っ込むあたりが関の山でしょうね。

和平の手段はあり得ますね。
昭和20年3月の時点で、ドイツのゲッペルが日本の政府がソ連に和平の仲介を依頼し、様々な活動をしていることをぼやいています。
また、長崎に原爆と同時に投下された観測器が原爆の不発弾と勘違いして、ソ連に渡して、アメリカと戦争するように暗にしむけました。
米ソの戦争が始まれば、日本が生き残れると踏んだのでしょうね。
ソ連に原爆と満州、北朝鮮を渡すことを条件に、和平の調停を依頼した可能性はあります。
    • good
    • 0

米本土空襲は、実施されていますよ。

しかし当時、これを可能なのは潜水艦搭載の偵察機だけでした。零式小型水上偵察機によりオレゴン州を空襲しています。もちろん当時の技術による核爆弾は搭載できません。

管制機雷が一番可能性が高いのではないでしょうか。
    • good
    • 0

No.6の方の答えにあるカタパルトですが、アメリカの空母(エセックス級)には戦争中に既にカタパルトが装備されていました。

イ400の技術を流用したわけではありません。
カタパルトの技術が遅れていたのは日本のほうです。
カタパルトは空母以外の戦艦・巡洋艦になら日米とも戦前から付いています。

原爆ですが、たぶん、どう使うかは全く考えていなかったと思います。
原爆開発は理化学研究所(陸軍の依頼)と京都大学(海軍の依頼)で行われていました。
陸軍と海軍は仲が悪いので共同で何かするという事を全くしていません。
どちらのグループが先に開発したかで、その方法は違っていたと思います。
陸軍で理化学研究所に原爆開発を依頼したのは、航空本部と航空技術研究所なので、飛行機による爆撃を想定していたのかもしれません。

でも、海軍は1943年段階で開発を断念。
陸軍は1945年5月に理化学研究所のウラン濃縮実験装置が空襲で焼失したときに開発を断念しています。
    • good
    • 0

もし開発に成功していたら、米国本土への攻撃は可能だったかもしれません。


映画にもなっているので名前は聞いた事あるかもしれませんが、当時の日本には空母潜水艦等とも呼ばれた「伊号潜水艦」というのがありました。
この潜水艦はUボートの2倍の大きさがあり当時世界最大で、世界初のカタパルト発射台を備え戦闘機を搭載していました。
(このカタバルト技術を得た米軍は戦後に空母のカタパルトを作っています)
搭載していた攻撃機「晴嵐」は航続距離2000kmで800kgの爆弾を搭載可能なので広島型原爆の重量4tクラスをそのままでは無理でしょうが、燃料をけずるなりの原爆攻撃専用機への改造、通常爆弾までとはいかなくても、広島型よりも重量を抑える事で搭載は出来たと思います。
    • good
    • 0

実際には製作されなかった幻の爆撃機「富嶽」にでも搭載するつもりだったのではないでしょうか?

    • good
    • 0

兵器の開発は当然使用を前提にしているのですが、当時の開発活動は兵器の創作まででどう使用するかなどはまだ霧の中だったと思います。



重量が不明ですから運搬手段など考える所までいっていないだろうと思います。
確かに米国本土の爆撃、計画はありましたが通常爆弾によるもので、せいぜい200キロ爆弾まででした。
風船爆弾は少量の焼夷弾くらいでした。

ただ原爆を持つという事が抑止力になったかどうかでしょう。
    • good
    • 0

空中輸送の手段はありませんでしたから、潜水艦に積んで自爆でもするつもりだったのかもしれません。


もしかしたら、使用方法も考えてなかった可能性もなきにしもあらずですが。
    • good
    • 0

あまり知られていないことですが、日本は戦時中


1.潜水艦艦載機による爆撃
2.気球による爆撃
でアメリカ本土に直接攻撃を加えた実績があります。

なので「不可能ではなっかた」というところではないかと思われます。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!