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鎌倉新仏教についての質問です。法然は、専修念仏による極楽浄土を唱えましたが、そのときに、南都仏教の連中から攻撃をうけました。新興勢力をたたいたかんじもありますが、彼らは法然の何を批判・攻撃の根拠としたのですか?攻撃を受けた理由がわからないのです。どなたか詳細お願いいたします。

A 回答 (4件)

 中世仏教というと法然・親鸞・日蓮などに代表される「鎌倉新仏教」のイメージが強いですが、彼らの教えは当時からすれば異端仏教です。

あくまでも当時の仏教の主流は、真言や天台、それに華厳・法相など、いわゆる「顕密仏教」ですね。特に天台本覚思想や王法と仏法の融合、神祇信仰との習合などです。
 浄土信仰ですが、これ自体は通仏教的信仰で、特定の宗派に属さない教えです。つまり真言や華厳を学びながら念仏行を行うなどですので、念仏それ自体を否定することはありませんでした。しかし専修念仏(専修念仏は法然以前から存在しました)は、自戒作善の否定、阿弥陀仏以外の諸仏の排斥、浄土経典以外の大乗経典の排斥、神祇不拝などが批判の対象とされました。特に南都や叡山の学僧からすれば、仏教の根幹の否定ともとられたのでしょう。
 法然自身も弟子や信者に“諸仏諸宗を否定してはいけない”などの注意をしているぐらいですから、過激な信者の行為は目に余るものがあったのでしょう。『天狗草紙』などを見ると専修念仏のものは仏教徒の姿を借りて、仏法を滅ぼそうと企む天狗(悪魔)であると表現されています。また 鎌倉期の書かれた『沙石集』。著者の無住は禅僧ですが、真言・天台・華厳・法相などの諸宗を学び、通仏教的な思想を有していますが、その故にか「専修念仏」に対しては批判的で、専修念仏の徒が法華経を燃やして喜んでいる。地蔵尊を破壊している。神祇を敬わない。また末法の世では自戒や善行をなす者は救われず、破壊者・悪人が救われるのだと称して進んで悪行を行うなどと記し、彼らが悉く冥罰を被ったと書きます。特に「進んで悪を行う」というのは専修念仏の徒に広まった考えでしょうか、法然自身も阿弥陀の本願の曲解と、弟子に厳重に戒めています。

 いずれにせよ現代でもいえることで、新興勢力は過激な方向に走りやすい。また多くの人々はその行動に対して、必ずしも彼らに賛同していないのと同様です。それに「分かりやすい教え」というのは、どうしても伝統の破壊や教義の劣化を招きやすいものです。しかし、分かりやすくしなければ教えは広まらず一部のものになってしまう。書店で手にしやすい著名人の書く“分かりやすい仏教入門”などと称する本が、なんだかトンチンカンな内容であることと同じですね。でもそれであっても仏縁を結ぶきっかけになる。しかし、それが「仏の教え」だと思いこまれるのも困る。多くの祖師が悩んだジレンマですね。

ただし中世仏教の諸相は単純ではないので、いろいろと調べてみれば面白いですよ。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。たいへんご丁寧に回答いただき、とても感謝しています。また、機会があれば、教えてください。教育関係のかたでしょうか。

お礼日時:2005/10/31 10:04

 念仏は初期大乗の基本的修行で「仏を念じる」という観想(瞑想)の一種ですが、その方法として「仏の名を唱える」「仏の姿を見る」「仏の誓願を想う」などがあります。


 ですから釈迦如来の念仏もあれば、弥勒如来の念仏など、礼拝対象とする仏の数だけ念仏はあるのですが、特に阿弥陀如来の念仏は極楽往生の修行とされました。さらにその念仏の一つである「仏の名を口にする」という「口称念仏」が特に中心となりました。そのため「念仏」=「南無阿弥陀仏(阿弥陀如来に帰依し奉る)」と一般に理解されるようになりました。
 この口称念仏のみを他の修行(自戒作善や読経礼拝、真言念誦、観想念仏など)を交えずに“専ら修する”ことを「専修念仏」といい、支那浄土教の善導によって大成されます。
 前述したように念仏自体は特定の宗派に属するものではなく、修行の一形態です。ですから、真言・天台・華厳などの僧侶が念仏(口称念仏や観想念仏など)を修していたので、念仏自体は排斥されません。ただ専修のあまりに、それ以外を雑行と排斥、さらには否定へと過激化したことが批判されたのでしょう。
<なお南都の大寺院は江戸時代まで諸宗兼学。つまり一つの寺院で華厳を学ぶ人もいれば、法相や三論を学ぶ人もいる。法会・儀式は真言に基づくという形態でした>

また神祇不排ですが、中世仏教の特色である神仏習合の思想では、神祇は仏法によって威光を増し、仏法は神祇の威光によって興隆するという考えであり、また仏(本地)が日本人を救済するために神祇(垂迹)として現れた姿とされました(本地垂迹説)。それに伴い僧侶側からも仏よりも神祇こそが日本人の救済にふさわしいという考えが生まれるほどでした。ですから、仏法と神祇の関係は密接であり、神祇不排は仏法を滅ぼしかねない教えととられたのでしょう。
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法然・念仏に対する批判には、いくつかありますが、


貞慶の作とされる「興福寺奏状」では、
肉食など戒律の無視(#1さんと同じですが)、
勅許を受けていないのに「宗」として活動している点などが批判されています。
また華厳宗の明恵「摧邪輪」では、菩提心(悟ろうとする気持ち)がないこと=他力本願であることを批判しています。
ちなみに貞慶・明恵ともに、戒律を重視することで、南都仏教の引き締めを図ろうとした人たちです。
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本来の仏教は、戒律に基づき、受戒する必要があります。


※ 鑑真が来日したのは、ちゃんとした受戒システムが日本になかったから。また、比叡山延暦寺が、必死になった政治工作したのは、延暦寺に受戒壇を作るためでした。
聖徳太子曰く、厚く三宝を敬えというのは、仏・法・僧であり、ここでの法とは、戒律のことを言います。

んじゃ 戒律なんか無くても、念仏だけでOKと言われた日には、自分たちが本当の仏教徒と固く信じている、南都仏教の方々に取っては、どう受け止められるでしょうか?

「あんなやつは、仏教じゃない、え?自分のことを仏教徒と思っているの?あいつは!」

ということで、法然は仏教徒ではない運動を始めるのは、理路整然とした行動になります。
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