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院政期において、南都北嶺の僧兵が院の御所に強訴にいきますが、いったい僧たちは、何を訴えにいくのですか?院政に対する不満なのでしょうか。また南都(興福寺)は強訴の際に神輿を用い、北嶺は神木を用いたといいます。これらはなんの意味があるのでしょうか。以上の二点、教えていただきたいです。お願いします。

A 回答 (2件)

神輿、神木は神の宿られるものですから、それにたいして武力行使をすると神罰が下るということで手出しができなかったのです。

(武士の時代になると、そういうことは気にしなくなって効果がなくなりますが)
強訴でなにを求めたかというと、所領争いだとか、寺の上層部の人事への不満(このころの寺のトップは朝廷が決めて任命していました)、などで自分たちの主張を押し通そうと言う者がほとんどでした。

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/G/G105L300.HTM
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当時の寺領は朝廷から与えられた、治外法権の独立地域でした。


さらに有力者の寄進や重税に苦しんだ農民などが避難の為流入する事もあって人口の増加もありました。

自衛の為に武装したのが僧兵で彼らはもと武士であった者も混じっており乱暴者の集団でした。
これらが不満があると強訴と称して朝廷(院)に押し掛けるのです。
武装したデモ隊のようなものです。

寺領の権威を守護神として担ぎ出したのは治外法権の独立集団であることを示し対抗する勢力に仏罰が下るという恐怖を与えるためです。
従って院の命令を受けて立ち向かった武士も恐れて弓を引くことはなかったのです。
当時はまだこのような素朴な信仰のある時代でした。
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Q「前九年・後三年の役」の呼び名の由来は?

日本史に詳しい方、どうか教えてください。
平安時代後期の「前九年・後三年の役」ってありますよね。
鎌倉時代初期までは、前九年の役は「康平の十二年合戦」と呼ばれていたと古今著聞集にあるのですが、ではいつ頃からどういう由来で「前九年の役」と呼ばれるようになったのでしょうか。
同じように、後三年の役も、後白河法皇が後三年合戦絵詞をつくったことからそう呼ばれるようになったことまでは分かっているのですが、その後三年という言葉がどこから出てきたのか分かりません。
やっぱり、「前・後」というからには何かから起算して9年だったり3年だったりするんでしょうか?
学校の先生に聞いても「知らん」と言われてしまいます。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

源頼義と安倍氏の戦いは、古くは、「奥州合戦」とか、「奥州十二年合戦」と呼ばれていました。それが、「前九年の役」と呼称されるようになったのは、鎌倉時代からです。ところが、この九年という年数がどこから出されたものかは甚だあいまいで、恐らくは十二年合戦というのを源義家の「後三年の戦い」を合わせたものと錯覚し、十二年から後三年を差し引いて出された年数と考えられます。もっとも、十二年合戦という呼称は、頼義が陸奥守となって赴任した永承六年から、安倍氏との戦いの終結する康平五年まで足かけ十二年に及んだことに基ずくのですが、実際に十二年の間戦闘が行われたわけではなく、こうしたことも後に誤解を生む原因の1つにもなりました。

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
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Q強訴・・・なぜ白河法皇は日吉大社を畏れたのか

『賀茂川の水、双六の賽、山法師』
は白河法皇の意のままにならないものであったそうですが

山法師とは延暦寺の僧兵のことですね。

彼らは気に食わないことがあるたび、延暦寺の山麓にある日吉大社の神輿を担ぎ出して
「神罰が下る」と脅したそうです。

平安時代の人々は神罰というものを信じていたということだと思いますが
それだけでしょうか。

白河法皇や朝廷には日吉大社に対して負い目があった、なんてことはないんでしょうか?

Aベストアンサー

No.1です。
わざわざ、お礼を記入して頂き有難うございます。
お礼の中に追加のご質問がありましたので、説明させて頂きます。

>白河法皇は神罰がこわくて強訴を聞き入れたというよりは延暦寺や興福寺の政治的な権力を畏れたという解釈でよろしいでしょうか。
>僧兵と朝廷内部の反対勢力が手を結んでいたということでしょうか。

組織的に手を結んでくれるのであれば白河法皇も苦労はしなかったでしょう。
王朝貴族(公家)や腐敗官僚というのは、直接自分が攻撃されない手法をとります。
白河法皇が強訴の僧兵を取り締まった後になにか起これば、それを、神罰だ仏罰だと騒ぎ立てて、法皇は神仏を畏れない悪鬼のような人間だと、神仏を信仰する従順な人達を信じ込ませて引き摺りこめばいいだけです。
延暦寺も興福寺もよろこんで手を貸すでしょう。
そのあとで、神罰、仏罰を招いた責任を問えば、法皇の権力も支持者も激減します。

当時は、病気になる理由も分からなければ、治療方法も木の皮草の根を煎じた漢方薬だけが頼りです。
病人などはいくらでもいました。その大半が不治の病でした。
場合によってはあっと言う間に疫病として流行してしまいます。
盲腸一つで命を落とす時代です。
いかに法皇でも、病気が起きないようにはできません。
まして地震、落雷、台風はいつ襲ってくるのか全くわかりません。

このような既得権貴族や腐敗官僚の手法を熟知していた法皇としては、うっかりした手段はとれません。
このような既得権貴族や腐敗官僚の手法というのは、現在でも頻繁に起きています。
永田町の政治屋のみならず、サラリーマン社会で出世頭の足を引っ張るさいにも取られます。
世論操作と呼ばれます。

ちなみに、後の後白河法皇の時代になると平家の侍が叡山の神輿など弓を射かけて蹴散らしてしまいました。
武力を持った北面武士には、さすがの既得権貴族連中も歯が立ちませんでした。
武士を怒らせれば、問答無用で屋敷に火をかけられるかも知れません。
結局源平の武士の時代へと移っていくことになります。

No.1です。
わざわざ、お礼を記入して頂き有難うございます。
お礼の中に追加のご質問がありましたので、説明させて頂きます。

>白河法皇は神罰がこわくて強訴を聞き入れたというよりは延暦寺や興福寺の政治的な権力を畏れたという解釈でよろしいでしょうか。
>僧兵と朝廷内部の反対勢力が手を結んでいたということでしょうか。

組織的に手を結んでくれるのであれば白河法皇も苦労はしなかったでしょう。
王朝貴族(公家)や腐敗官僚というのは、直接自分が攻撃されない手法をとります。
白河法皇が強訴の僧...続きを読む

Qこの世おばわがよとぞ思う望月の 歌の解釈 

「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」

この歌はたしか学生時代(小学校か中学校で)に習いましたが、
教師に教わった解釈は 満月のようになにも欠けた所がない、栄華を極めたワタシであることよ』というような自慢っぽいものでした。

しかし、ふと思ったのですが

『月が欠けることが無ければ、この世は自分のものだと思えるのに・・・』
という意味、とれるように思うのです。
満月を見て詠んだのではなく、ほんの少し欠けはじめた月をみて詠んだのではないかと。

作者の藤原道長は源氏物語のモデルと言われている人物でしたよね。
たしか光源氏は晩年、さみいしいというか、落ちぶれていくという結末ではなかったでしょうか。

栄華のなかにあって、ふと自分で何かを予感するような、そんな歌のような気がしたんですが・・。

今の国語の解釈ではどうなっていますか?宜しく御願いします。

Aベストアンサー

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞している。
4)「望月の歌」を詠んだ翌年には、出家している。

No3のkogotokaubeweさんの情報と以上の事を踏まえて、
質問者usiodonさんの解釈を敢えて採用するようにしてみるとこんな感じになります。
○病気が多くてそれは道長の悩みだったようで、
 病気がちの道長は晩年「糖尿病」だったそうです。
 自分個人の自信は失いかけていたかも知れません。
 また、「望月の歌」の前後で、役職を辞したり、出家してますから、
 自分の人生の事後処理モードに入っていた=欠けはじめた月の状態にあったとも
 取れます。
 「望月の歌」はそんな中で読まれているので、
 そんな本心の裏返し=強がりとして、酒の酔いにまかせて
 「いままさに栄華の絶頂にある」と詠んだ可能性はあると思います。

 それでも、出家後8年ほど生きていますので、役職は辞していても外戚政治で
 まだ権勢を奮っていたかも知れません。

質問者usiodonさんの解釈には共感できる点もありましたので
ちょっと余計な事まで回答してしまいました。

参考URLは、
「藤原道長の悩み」 http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm
です。

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞し...続きを読む

Q日本史Aと日本史Bの違いについて教えてください。

こんにちは、疑問なのですがセンター試験の日本史Aと日本史Bとはどのような違いがあるのでしょうか?
ちょっと気になって調べてみたのですが、ほとんど日本史Bの事しか載っていませんでした。

二つの教科の違いや、選択時の有利不利などを教えてください。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古代史からスタートするので日本史Aの教科書より内容的に若干難しい内容も取り扱います。

 したがって、単位数の違いにより、日本史Aと日本史Bの教科書を使い分けていることです。主に、日本史Aは、職業科の学校で使われています。

 農業高校・商業高校・工業高校など普通科以外の学校で日本史Aの教科書を採択しているケースが多いです。普通科の高校でも日本史Aで近現代をやって、日本史Bで古代から江戸まで勉強して、受験するときは日本史Bで受験するというケースも見られます。

 つまり、日本史Aでは、教科書の構成上、近現代史がメインになりますが、日本史Bでは、古代史からスタートして現代史まで扱うという幅広内容になるということになります。そういうことから、日本史Aで勉強したいようで、勉強していないところ古代史~江戸時代の内容に関しては自力で勉強することが求められます。

 【大学受験での日本史選択】
(1)センター+私大(日本史で受験)する場合
 →「日本史B」を選択
(2)センターのみの場合(日本史A・B両方選択可で2次試験で日本史を必要としない学部学科を受験の場合)
 →「日本史A」を選択(学習時間が少なくてすむ)

 ※私大受験を考えていて、日本史で受験を考えているのであれば「日本史B」を選択するのが無難です。リクルートの進学サイトのURLを載せておくので受験科目の選択に参考にして見てください。

 何らかの参考にならば幸いです♪

参考URL:http://www.shingakunet.com/cgi-bin/shingakunet.cgi

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古...続きを読む

Q上院と下院の違いを教えて下さい。

アメリカの選挙の上院と下院の違いが分かりません。
分かりやすく教えて下さい。

また、上院のほうが上なので、良いのでしょうか?

Aベストアンサー

アメリカは連邦国家です。アメリカ合衆国を構成する各州は、日本の都道府県とは異なり、それぞれが「国」なのです。平等な資格を持った州(国)の集合体がアメリカなのです。ですから、合衆国憲法によって連邦政府の専権事項とされている事項と州の権限が明確に否定されている事項以外は、全て州に権限があります(連邦と州の権限が競合し、相反する決定がなわれる場合さえあります)。アメリカ議会は、このような連邦国家の議会なので、連邦を構成する州の代表(各州2名、州は平等)からなる上院と、国民を代表(人口に比例して州選出議員の数には大差)する下院とで構成されているのです。

このように、アメリカ議会の上下両院は全く異なる存立基盤に立脚しているので、原則として同等の権限を持っています。上下両院の議決が一致しない場合は、すり合わせが行われます。

ただ、一般に、外交・軍事については州の代表である上院の、社会福祉・税制などについては民意を代表する下院の議決が重んぜられています。これは議院運営の慣行であって明確な法的根拠はありません。しかし、アメリカでは、母国であるイギリスの伝統を受け継ぎ、議会における慣行は非常に重視されており、議会の慣行は実質的な(文字で書かれていない)憲法といっても過言でない国柄なので、この慣行の安定性は非常に高いものです。

アメリカは連邦国家です。アメリカ合衆国を構成する各州は、日本の都道府県とは異なり、それぞれが「国」なのです。平等な資格を持った州(国)の集合体がアメリカなのです。ですから、合衆国憲法によって連邦政府の専権事項とされている事項と州の権限が明確に否定されている事項以外は、全て州に権限があります(連邦と州の権限が競合し、相反する決定がなわれる場合さえあります)。アメリカ議会は、このような連邦国家の議会なので、連邦を構成する州の代表(各州2名、州は平等)からなる上院と、国民を代表...続きを読む

Q横たえる(lay)と横たわる(lie)の違い

横たえると横たわるという日本語の違いがよくわかりません。
lieを辞書で引くと横たわる、横になると書いてあるので横になるの方で覚えていたのですが問題を解いていると
He was so tired that he (lay,laying,lain,laid) himself on the grass. 彼は非常に疲れていたので芝生の上に横になった。
という選択問題がありました。
横になったなのでlieの過去形のlayにしたのですが、答えはlaidでした。

横たえると横たわるというのはどの様に違うのですか?
後、上の問題の解説を教えてください。

Aベストアンサー

はじめまして。

lieとlayの問題はよく出題される問題ですので、しっかり違いを把握しておきましょう。

1.lieは自動詞で「横になる」「横たわる」という意味。自動詞ですから目的語をとりません。活用は
lie lay lain lyingとなります。

2.layは他動詞で目的語をとり、「~を横たえる」「~を横にする」という意味。活用は
lay laid laid layingとなります。

3.lieの過去形と、layの現在形が同じなので間違い易いですが、要は問題文の中で、自動詞か他動詞を区別できれば解答を導けます。

4.ご質問文では、主節がHe was so tiredと過去時制になっているので、that節の中の時制も、過去時制に一致させなければなりません。選択肢の中で、過去時制なのはlayかlaidになります。

5.himselfに注目して下さい。himselfは他動詞layの目的語になっています。「他動詞+oneself=自動詞(の意味)」という公式があります。つまり、他動詞に再帰代名詞oneselfという目的語を取ると、自動詞の意味になるのです。例:

You lie on the grass.(自動詞lie)
「あなたは芝生に横たわる」
You lay yourself on the grass.(他動詞lay+oneself)
「あなたは芝生に自分自身を横にする」→「あなたは芝生に横たわる」
この2文は結局同じ意味になります。

6.himselfという目的語があることから、ここの動詞は他動詞のlayだとわかります。その過去形はlaidとなるわけです。

7.ちなみにlieには「嘘をつく」という別の動詞もあり、活用は
lie lied lied lying
となるので、自動詞lie「横たわる」と区別して下さい。

以上ご参考までに。

はじめまして。

lieとlayの問題はよく出題される問題ですので、しっかり違いを把握しておきましょう。

1.lieは自動詞で「横になる」「横たわる」という意味。自動詞ですから目的語をとりません。活用は
lie lay lain lyingとなります。

2.layは他動詞で目的語をとり、「~を横たえる」「~を横にする」という意味。活用は
lay laid laid layingとなります。

3.lieの過去形と、layの現在形が同じなので間違い易いですが、要は問題文の中で、自動詞か他動詞を区別できれば解答を導けます。

...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Qevery other dayでどうして「一日おき」なのでしょうか?

こんにちはお世話になっています。

every other dayという表現があります。意味は「一日おき」ですがどうしてもこのような意味になるのでしょうか?直訳すると「すべての他の日」ですがよくわからないのです・・。

どうかよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こういうことではないでしょうか?
other がなくて、every day なら、毎日といういう意味になります。その間に、other つまり別の(日)が入るわけです。だから、一日置きにとなるわけす? 納得してもらえます?

Q太政大臣と征夷大将軍の違い

初歩的なことですいません。太政大臣と征夷大将軍の違いがわかりません。どなたかお願いします。

Aベストアンサー

太政大臣は天皇を頂点とする朝廷(律令によった統治機構)の最高地位、
征夷大将軍は武士が朝廷より許されて開いた幕府(軍政の為の現地行政府)の長、
と考えれば分かりやすいと思います。

中国の唐では、節度使という各地へ派遣された将軍たちが軍の力を背景に、常設的な軍政府=幕府を開いていました。
日本とは異なり複数の幕府がありました。

日本へは、律令制度の導入や遣唐使などを通してこう言う軍事制度があることが伝わっていたようです。

日本では平安時代になると東北地方にしか軍事的な敵対勢力がなかったため、自然幕府は征夷大将軍府だけになっていきます(この段階では、戦争のたびに任命され解任されています)。

これが、後に「武士政権=常設的な幕府」となり、その長が征夷大将軍職を引き継ぐ流れへと続いていくわけです。


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