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金・女(自分は男性なので)・容姿の満足・何にも束縛されない自由(結局金)・趣味趣向を追求できる環境(金・自由)・もちろん健康な体
くらいしか、人生を豊かにする要素が見つかりません。
しかし、古き人や親は「違う」と言ったりしちゃいます。じゃあ何?と聞くと「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」
という抽象的な表現で収めます。何が人間の心を豊かにするのでしょうか?。
結局、心理学からしても細かいフラストレーションの解消の積み重ねが人間の欲求原理として幸せをもたらすのではないでしょうか?。
古き人や言う台詞は自分が欲求を発散できなかったけど、自分を否定するにも辛い。だからその代用として、用いた心理ロジックのように思えてしょうがありません。

A 回答 (19件中1~10件)

あくまで一個人の意見として。




たぶん、質問者は健康で幸せなのだと思います。

「優しい」とか「豊か」とかっていうのは、
矛盾や悪意に傷つくこと、
辛くて余裕がなくなることなどを経験して、
実感することだと思います。

「よくある名言」が理解できないのは、どんな場合に使うかわからないし、自分が本音でそう思えるかどうかに疑問があるからじゃないでしょうか。

わからないものに従う必要はないと思います。
金や女や容姿を手に入れることを目指せばいいと思います。自分がどうしたら満足するかなんて試してみないとわからないですから。
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金・女(自分は男性なので)・容姿の満足・何にも束縛されない自由(結局金)・趣味趣向を追求できる環境(金・自由)・もちろん健康な体。


 上記のものが全て揃ったとしても、人間は充分に幸せだとは感じられないところが難しいところのようです。自分以外の誰かに必要とされたり、学問や芸事を究めたり、美に共感する感性を持っていたりしないと「豊かな人生」を送っているなあー。と、実感できないようです。
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そうですよ。



『金・女(自分は男性なので)・容姿の満足・何にも束縛されない自由(結局金)・趣味趣向を追求できる環境(金・自由)・もちろん健康な体』が全てです。他になにかありますか?

問題は、それが全部手に入らないことなんです。
だから口惜しんで、ケチくさく言い訳のタネを見つけようとする。それが世間という奴です。

手に入らなかったら、「俺は不幸だ!」って認めるべきなんですが、ケチくさいので「でも、こういうのも楽しいよね」とすり替えて自分を慰めるわけです。

大人になればわかります。
「金に不自由しない」という単純な幸せさえ、なかなか手に入りませんから(笑)。
若いうちはでも、理想を目指すべきですな。
そして、大人になっても詭弁は言わない。
「あー俺って不幸だ」って素直に認める大人のほうが僕は格好いいと思います。
僕は毎日思ってますよ。
俺ってなんて不幸なんだろう、って。
でも、マシになるように今でも努力してますよ。
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これは簡単な理屈なんです。



たとえば、自動車ばかりに乗っていれば、自分の足腰が弱るのは自明のことです。
快適さばかりを求めて、自分以外の何かに頼ってばかりいれば、肝心の自分が「衰弱」するんです。

「衰弱した人間」はさらに快適さを求めて欲求が強くなり、わがまま、利己的になって、杖をついたり、誰かの背に乗ったり、ますます依存的になるんです。
そして気がついたら、自分の足腰はヒョロヒョロのガリガリにやせ細ってしまうんです。
つまり「贅沢は敵だ」なんです。
この逆、いつでも自分の足で歩いていれば、・・・いうまでもありません。


で、次に、自然の法則は、原因があって結果あるんです。
逆にいうと原因がないところには、結果もないんです。

林檎の種をまくから、林檎の樹がなって、林檎が収穫できるんです。
林檎をまいたのに、みかんがなって、カボチャが収穫できるということは無いんです。
その原因に相応しい結果が報酬として収穫できるというのが自然の道理なんです。
ですから「お金」というのも、やった仕事に対して支払われる報酬なんです。

で「仕事」というのは、誰かに必要とされて初めて成立します。
誰の役にも立たない、誰にも喜ばれない、自分が快適になることだけを求めた仕事をいくらやっても駄目です。たとえば自分部屋の掃除をいくらやっても収入にはなりません。
どこからも報酬が得られないんです。

つまり誰かの役にたつ「利他心」が、アイディアとなり、仕事となり、報酬となって帰ってくるんです。
「こんなものがあれば、みんなが喜ぶだろうな」という利他心が、原因となって結果になるんです。


ですから、実は、矛盾しているんです。
利他的な心を持った人から出来た自動車に乗って、衰弱した利己的な人間が育つんです。
また逆に利己的な人間に酷いことをされるから、利他的な心の持ち主も育つんです。
陰と陽、二律背反ですね。。。。
どちらを選択するかを決めるのは、各自の「心」なんです。


自然界では動くものは「賦活」して、動かないものは「衰弱」します。
筋肉に喩えると判りやすいと想います。

世間の大半の人は、豊かになりたいから働いて、豊かになって衰弱していくんです。
だから歳を取ると偏屈な人が多くなっていくんです。(政治家にも多いですね)
これは「欲望の奴隷」なんです。
顔面に、おどろおどろしいシワが刻まれていくんです。


「聖人」といわれるようなレベル人は、私心がありませんから、誰かのために働き続けるんです。
だから、衰弱することもないんです。
「私心無き献身」というものです。
いくつになっても若々しいんです。


使えば育つ、使わなければ衰弱する・・・というだけの自然の理屈です。
欲望だって使い続ければ、我欲の強い、エゴの塊のような人間になります。
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 読んでいて足りないと感じたのは人間関係となにより自分自身がないという事です。


 「自分の能力が発揮出来、それが正当に評価される」「良い人間関係を築き、その恩恵を受ける」事は諦めているのですか?

 古い人はその為に「自分が何をするか」という事を考え、あなたは単に欲しいモノを挙げたという違いもあります。
 その為にあなたは何をするのですか? 方法が無ければただのないものねだりであり、それは「人生を貧しくする」事でしょう。

 まあ、結局の所全ては「満足感」を得る為の条件であり、幸せの要素とは少々違います。
何で満足するかは人によって違うでしょうし、その辺の才能というものもあるでしょう。
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こんにちは。



 ご存知ならばスルーしてください。

 ご質問文を拝見していると、ニーチェの「ルサンチマン(怨念)」「力への意思」という考え方が、ご質問のような事柄を考える上で参考にならないかな、と思いました。

 適切に解説することは自分には無理なので、思い浮かんだことだけ書いただけになってしまい申し訳ないですが、もしご興味があれば調べてみてください。では。
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私が思っている人間の本当の価値は...


 「人間の本当の価値とは、何を禁じるかではなく 何を受け入れるのかである」です。
何年前か忘れてしまいましたが、TVの1分番組に出てきた言葉です。
お酒は飲みすぎたら毒になります、でも適量なら薬になります。
イスラムの過激派などはコーランの真の教えではなく、間違った解釈を受け入れています。
何事も自分自身で決めますが、そこで何を受け入れるのかが大事だと思います。
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心の豊かさとは、月を眺める人のあり方のようです。


三日月を見て、足りない事を嘆くことがないように、欲についても、満ち足りないことで、嘆いたりはしません。
月(欲求)が、満ち欠けするものだと知っていることが、心の豊かさなのです。
 
物欲、性欲、精神欲、それらを埋め合わすことに忙殺されるのは、三日月を楽しむと言う豊かさを、知らない。
 また、それらの欲求が満たされ、おおよそ満月だから、とそれに満足してしまうのは、ほんとうの満月を見ていないからです。
そして、新月のとき、つまり欲求が一切満たされず死ぬときに、月(欲)がないことで現れた星空を見て、それを楽しめるのが、心の豊かさなのです。
 
欲求の充足を求めるあなたは、今、満ちてゆく月です。あなたの親御様は、おそらく欠けて行く月でしょう。彼らが満月を求めるのは、道理に叶わない。でも、あなたが満月を求めるのは、当然のことです。
 足りない事を嘆かず、今は今の月を楽しむことです。それが、満たすと言うことなのです。お金も、異性も、趣味の時間も。
月は、影の部分を見るものでなく、光っているところを見るものだから。
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金、女などは手に入る人はいいのです。



しかし、全ての人がそれを手に入れられるというわけではありません。

そのような手に入らない愚民は「人に優しく」などと言うのです。

なぜなら、これは全ての人がそれを手に入れることができるようなものだからです。

そして、それが虚偽であったとしてもそれで心が満たされる人もいるのです。

しかし、「この私は愚民にはなりたくない」と思うでしょう。それは少し苦しいことでもあります。愚民に甘んじていれば楽なのですから。それゆえに愚民なのです。

一般に、大人になるということはあきらめの一途をたどっていくことだと思います。全能であった赤ん坊がその能力を次々に奪い去られてしまうのです。
古き人や親もはじめから古き人、親であったわけではないのです。しかし、社会生活の中で、培ったものがあるのです。

私は社会というものが大嫌いです。しかし、その社会がなくてはやっていけないというのも事実なのです。
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そうではありません。



「金・女(自分は男性なので)・容姿の満足・何にも束縛されない自由(結局金)・趣味趣向を追求できる環境(金・自由)・もちろん健康な体」
を得る手段として、実は
「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」があるのです。

金を稼ぐには、人に優しく心を磨くことで、あなたは会社のなかで地位を得て最後は経営者になります。
顧客や従業員の満足を高めるには「人に優しく」「社会に対するミッションを実現すべく心を磨く」ことが
不可欠というより最も早い有効な手段だということです。

女にモテるには、「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」が一番有効です。何より
深く愛されます。だってそんな人貴重だし尊敬できるし手放したくない。って女性なら思う。

容姿の満足も
「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」が一番手っ取り早いです。
チビで卑屈な表情をしてすごすか、容姿を気似せず堂々と人に優しくふるまうか、内面を磨いて
オーラを出すと表情まで変わってきます。

何にも束縛されない自由(結局金)を得るには「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」
が最短の近道です。
人に優しくすることで、人の喜びを分かち合え、人が自分を助けてくれます。自分だけではできないこと
が出来たりします。人間は社会の中でいきているから実際金があっても有効に役立てるには人の力
が必要です。レストランでウエイターに優しく振舞うことであなたは同じ8000円のコース料理を食っても
2倍の楽しい時がすごせます。
一緒にいった彼女に優しくすることで、彼女は8000円のコースを16000円以上に感謝してくれます。
バーキンを手にしても心が磨かれていないと、単にミーハーな成金にしか見えません。
心が磨かれていたら、持つ人の内面を輝かせる効果があるのです。
自由であればあるほど他者への思いやりや感謝を持たないといけません。逆に他者に思いやりや感謝の
気持ちを示していればさまざまなチャンスが与えられるのです。

趣味趣向を追求できる環境(金・自由)を得たいときは、まず「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」
です。
ウソ言うなと怒らないで下さい。
人に優しくしていたら、必ず相手はあなたに何かお礼がしたくなります。なぜならその人は自分の趣味趣向を
堪能していてあなたにも共感して欲しいと思うから。
同時に、心を磨くことで、あなたは趣味趣向の世界で必ずひとかどの人物と目されます。逆に金がいくら
あってゴルフがシングルでも、人徳がない人とはプレーしたくないです。
自由な時間というのは、自分がつくればいいです。それは心を磨くことでいくらでも生み出せます。
いつも自信がなくて不安でせわしなく動いていたり、どうでもいい娯楽や雑用で時間を浪費するのをやめて
高邁な意思を持ったら自由な時間などいくらでも沸いてでます。
また、人に優しくすることで人が自分のために何かしてくれる機会が増えます。そうすれば、自由な時間が
生まれるのです。
働くということはせんじつめたら、人に優しくしてお金をもらい人にやさしくすることで心を磨くことなのです。

「もちろん健康な体」も「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」が一番有効な手段です。
人に優しくすることで、心がおおらかになって呼吸や血行が正常化します。血圧も下がるし、肥満も防げます。
中性脂肪も減るしにこやかな表情になります。
こころに余裕が生まれます。
原因と結果は実は同時に起こるということです。お金があるから豊かだから人に優しくなれるのでなく
人に優しくすることで社会から財や富が還元されてくると考えましょう。これはやってみたらすぐにわかります。
心を磨けば、身体も健康になります。でも身体を一生懸命健康に保とうとしても、心が歪んでいたり病んでいたら
いくらやっても無駄ということになります。

>何が人間の心を豊かにするのでしょうか?

人に優しくすることと、人格の陶冶が結果として富や欲望の充足をもたらして、こころが豊かになります。

人は、ビジョンを持ちそれが達成されたとき満たされます。
ですから、心を磨いて、やさしさを持って人に尽くすことで、そのビジョンを実現したらいいのです。
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