一回も披露したことのない豆知識

こんにちは。

私は、中学生の頃に心霊現象に興味をもちました。
小野不由美先生という作家さんの作品の影響です。

私の霊に対する考えは「肯定も否定もしない」ということです。

でも、凄い勢いで否定する人がいますよね。
酷いと思うんです。
私、霊はサンタクロースと一緒だと思っているので(笑)信じている人に否定してみせるのはどうよ?という感じです。

本当に霊が見える人がいたのなら、否定することはその人を否定すること。
例えば今私はキーボードを打っているのは事実だけれど「パソコンなんていう物体はない」って強く否定されたら「私は幻覚を見ているのか……では今の私は現実なの?私が存在していること自体が本当なの?」というアイデンティティの崩壊に繋がるのでは。

それに、本当に霊が見える人は公言しないと思うんです。
否定しまくられるのは分かっていますから。人格さえも否定されるから。
だから、テレビに出ている霊能者さんなどはあまり信用できないんですけどね。
だけれど私はその人になれないので分かりません。

なぜそこまで否定するのでしょうか。
皆さんは、例えば愛した人が「結婚する前に何だけれど・・・・・・霊が見えるんだよね。あ、壷とか売らないから安心して。除霊もできません」なんていわれたらどうしますか?

霊感商法が流行っているからでしょうか。

A 回答 (28件中11~20件)

>なぜそこまで否定するのでしょうか。



私も強くは否定も肯定もしませんが、それでもちょっと否定したく
なるのは、肯定したら恐すぎるからです^^;

>『「結婚する前に何だけれど・・・』

すっごく苦手だから、これから一生、もし見えても私は教えないで!!!
と頼みます。できれば、見えても平然を装えるように訓練してもらい
ます。

看護婦時代、自称霊感が強いという同期が、夜勤の巡視で『見えた』
と言い出し、本当にブルブル震えて真っ青になった事がありました。
その時は、仕事なのに、その後も仕事は続けないといけないのに、
何でそういう事言うかな(怒)と思いました。巡視サボリたい???
とも。

ちょっとでも利害が絡むと、余計怪しく思えてしまいますね。

サンタクロースとかトゥースフェリーとかレプラコーンなどは
全然オッケー、楽しんでいますが。

私見でした。
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 胡散臭い・・・からでしょうね、やはり。


 霊、超常現象、超能力etc.
 話のネタとしては面白いですが、声高に『絶対にあるんだってっ!』と騒ぐ人。特にメディアに露出したりしてる人達はやはり怪しく見えたりしますよね?

 僕は『別にあってもいいんじゃない?』くらいの意見しか持ってませんね。
 科学で説明のつかないことは全てインチキだとは言いません。(科学が万能でない事は”分かりきった事”ですので)
 …が、怪しげな写真や霊媒師等を見せられても…ねぇ?^^;)
 訳の分からない理屈や心霊写真よりも、現在までの人類の積み重ねとも言える”科学”の方を信じたいですし信じますね。

>例えば愛した人が「結婚する前に何だけれど・・・
 『へぇ、そうなんだ?』
 としか言いようがないですね。否定も肯定もしません…僕自身は霊を見た事も感じた事もないので。
 彼女は怒り出すかも知れませんが(過去に同様の経験ありw)、見えないものは見えないんだから仕方ないです。
 それに死んだ人の事を気にする暇があったら・・・目の前の彼女の事を気にしてあげたいですしね。
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そうですよ。


いるか居ないかを調べるためには徹底的にまず霊の存在を一度仮に容認して、その上で現地に赴いて調べる必要があります。学会のように集団で動く必要があるでしょう。
しかし、こういうことをするには、今の世の中はあまりにも「霊に巣食う」悪人たちが多すぎるのです。
ということで、端からないと決め付けたほうが生き易い訳です。
こういう風に現実的な行動を考えた上で前提として決め付けをする行為を、「要請」といいます。
あなたは本当のことがわかっていらっしゃるようだから大丈夫でしょうけど、それでも狙われると言うのは恐ろしいことですよ。簡単には信じないようにしたほうがいいです。
例えばとある有名宗教では、汚い川に鯉を放して、指導者がその川にえさをまくと鯉が現れるなんてことをやって、指導者が生き物を生んだように見せかけて信者をだましたそうです。
だから仮に不思議な現象を見たとしても、人間でもできるようなものは当然、人間に一見できないと思ってももしかしたら、と考えておくことも、あなたの身を守る上で必要なのです。
どんなに人当たりの良さそうな人に勧誘されても、それ以外の人は最低な人間ばかりだったりなんてことは良くあります。そうやって「認識の裏をつく」「手品」が今の世の中では常套手段として蔓延っています。
キーワードとして
他の人の認識を信じない
他の人に認識を操作された可能性を疑う
自分の認識(信じたい心)の誤謬性を疑う
最低でもこの三つのことを守らないと、こういったものに手出しした途端にお先真っ暗な人生が待ってます。しかもこれはそんな簡単なことではありません。ですからもっと芸能人とか金持ちとか専門家とか、自分の基盤が安定している人が、安心できる人間を総動員して、慎重に行なわないとあまりにも危険なのです。
霊がいても、人がその前に陣取っている。それが今の世の中なのです。
それでも、そういった霊を見たという人間を守りたいなら…?あなたにもできることが(かなり制限されますが)あるかもしれません。
…それも危険だけどね。いつその人に金を取られるかわからないし。
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私は、霊があると仮定したら、新しい世界(研究分野)が広がり、あらゆる場面でいままでの常識がひっくり返り、とても興味深いことであると思います。


(霊が居れば、エネルギー問題や、高齢化、軍事的いざこざなど即座に解決でしょう。宇宙人と会えるかもしれません。タイムマシンも作れるかも)

しかしですねえ、例えば、特定の場所に霊が居ると複数の人間が証言する場合、

(1) その場所が、いかにも霊が居そうな雰囲気だけなのか?
(2) 外国人(育った環境が違う)ではどうなのか?
(3) 犬や猫の動物ではどうか?
(4) 目隠しではどうか?
(5) その場所そっくりのCGではどうか?模型ではどうか?
(6) 霊らしき写真を合成で作成して(あるいは(5)を)、その分析を霊能力者に依頼する(見分けられるか?)

などを確認する必要があります。
おそらく、総合的に見て、霊は居ないでしょう(というか、居ません)。
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霊に関してとは言わず、よく否定する人がとても嫌いです。


聞いていてすごく腹が立つんです。

なので私は否定したくても否定せず、肯定もしない事が多かったりします。

本人は、どんな事でも「認める」事が嫌いなだけで、霊なんて存在のはっきりしないものならなおさらだ!的な考えなんだろうと思いますね~。
そういう人は無視するのが一番です。

で、霊についてですが…私は肯定派ですね。
私の元バイト先で、霊感の強い人が4人居たんですよ。
その人たちが口を揃えて言うのが「気配」と「音」に対してなんですよね。
2人ほどは「おおよその姿」も見えるみたいですが。
(おじいさんとか、子供とか)
なので気配と音に関して凄く敏感なだけかなと思ったりするのですが、
べつに敏感じゃない私でも、その職場では謎の気配だけは何度も感じ取れたんですね。

近くに誰か居る!けど、居るはずがないし、実際居ない。

っていうあの感覚は本当に幽霊じゃないかと思ってしまいます。

働き始めてから実家で、霊感の無い家族も私も謎の気配と声と音を
感じるようになったり、不思議な出来事が起こってました。

結婚する前に霊が見えると言われたら、過去に悪霊のしわざだと思うような出来事があったか聞いてしまいますね(汗
よほどあるのだったら結婚やめちゃうかもしれません。
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霊の存在を疑うことなく信じている人がいるように、霊が存在しないことを「信じている」人がいるのです。


そういう人にとって霊の存在を認めるということは、自分がそれまで得てきた知識という後ろ盾を否定することであり、アイデンティティの崩壊に繋がるような重大なことなのです。
ですから自分のアイデンティティを守るために頑なになっているのです。

以上、恥ずかしい過去の経験からの回答です
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>> なぜそこまで否定するのでしょうか。



霊が見えない人のほうが多いからだと思います。
特に日本では、ちょっとでも変な子は、すぐ
イジメられちゃいますよね。なので常日頃から
自分は皆と同じだということをアピールしとく
必要がある。霊を否定する人は、要するに
「 俺は変人ではない。正常だ。」と周りに
主張したいだけなんだと思います。霊が見える
人をこきおろすだけで、自分も、その他 大勢の
普通の人として認めてもらえるのだから。
そういうチョット強迫観念の強い人なんだと思います。
おそらく子供の頃イジメたかイジメられたかの経験が
1回はあるんじゃないかと…(ォィ) ※冗談です。

もし霊が見える人の割合のほうが多かったら、どう
でしょう。きっと逆の展開になるんだと思いますょ。
霊が見えるほうが普通なのだから、そのテの人は
今度は 一生懸命 たとえ見えなくても見えるフリを
するのでしょう。そういう性格なんです。

>> 本当に霊が見える人は公言しないと思うんです。

ということなので、疑われちゃいそうですが、
わたしも今まで(普段は何も見えないし感じないのに)
身近な人の死亡の前後に限って変な体験をするんです。
まぁ長くなるので詳しくは書きませんが。
なのに、じゃあ霊の存在を信じているのか?
と聞かれたら、正直 困ってしまう…。体験の度に
「疲れてたから変なものが見えただけ。あれは幻覚。」
と必死で自分に言い聞かせてきたもので;

何度も体験してる自分でさえ否定したいのに
1回も経験してない人が否定する気持ちは分かります。
やっぱり誰しも変人扱いはされたくないですよ。。。

>> 例えば愛した人が「結婚する前に何だけれど・・・
>>(中略)なんていわれたらどうしますか?

「実はわたしもこんなことが…」って、自分の体験を
話すと思います。むしろ少し安心するでしょうね。
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霊感、というものについて、私は肯定的な意見を持っています。



というのも、例えば私の周りに、いわゆる「霊感のある人」が数人いるのですが、示し合わせたわけでもないのにある特定の場所を「何かいる」「やばい」と表現しているのです。一カ所ではなく複数箇所であり、その箇所は一致しています。
私の知っている限りで、同様の事例は数例あります。
ので、これがある種の磁場などの影響なのかは分かりませんが、ある種の「霊感」が存在するのは事実だと思います。

現在のところ存在は証明されていませんが、つい200年前まで細菌の存在も証明されていませんでしたので、証明されていないからといって存在しないと考えるのは早計だと思います。
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こんばんは。



 あるのないのっていう人の意見は関係がないと思います。それは、ひとりの人間が知覚したものなら、それは、他人が肯定したり否定したりするものだとは思わないからです。しかし、そうした経験がないのなら、それは、肯定も否定も出来ないということだけのことだと思うのです。これは、物理学の分野ではないからです。

 精神分析医のフロイトとユングの会話で、こうした話があります。フロイトは、ユングの学説を否定しました。私は、フロイトが、ユングの家で起こったポルターガイスト現象などを、どう受け止めたのかは、良く覚えていません。ただ、フロイトは、それを追いかけることを反対しました。その考え方は、医者としては正しい助言だと思います。しかし、もしも、自分が見たものを、自分で否定したとしたら、自分自身の記憶自体を否定することにはならないかと考えます。私たちは、そうした現象を物理学では証明することは出来ないものがいくつかあります。それは、記憶と心の問題の問題だからです。

 ほとんどの人は、霊など見えません。それはそれで良いのだと思います。霊感というのは、ユングも同じだったのですが、血のつながりの中に現れるものだと思っています。沖縄のカミダーリを研究している医師もいるそうですが、これは、統合失調症に極めて近いものとされてはいますが、社会的な適応が出来、地域社会でも受け入れられているわけです。

 私が、ある大学の教授から教わった講義の中で、日本人は、古代からひじょうに死と死人に対して恐怖心が強かったとのことです。そして、日本には、表の歴史と裏の歴史があって、一応、表の歴史は、人の死を何ほどにも思わず殺戮し、人の死を顧みないできたものであり、裏の歴史では、常に、自分は霊に祟るという不安に怯えてきたわけであります。この裏の歴史、つまり、闇の感情は、日本人の古代からの原初的な感情であって、それを否定しなければ、近代化・現代化がないとしてきたわけです。

 モダニズム(現代化)というのは、古代や中世の闇の思想を現代の科学という名に破壊しなければならない、として今日を築いてきたわけで、だから、強く否定する人たちがいるのだと私は考えています。明治政府の廃仏毀釈や神社統合令なども、そのひとつであり、ひいては、二度の世界大戦もそれに入るのだろうと思います。こういう考え方も、非ヌーメンと呼んで良いと思いますが、しかしながら、私は、古代からの原初的な感情(神的なものに対する畏怖や尊敬することをプロ・ヌーメン・悪魔・悪霊に対するものを恐怖することをアンチ・ヌーメンと呼びます)を、完全に否定し去ることは、私は、私たちの古代からの感情を壊すことになるのではないか、と思うのです。つまり、ヌーメンも感情の発露として、その感情の中に、私たちの自然な心の形と未来があるのではないか、と思うのです。

なお、書籍としては、『怪談の科学』(中村希明著 講談社ブルーバックス)、『霊』(宮城音弥著 青春出版社)などが、参考になるかと思います。
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 科学的に否定するための材料は有り余ってるのに対し、肯定するための材料はほとんどありません。

更には「心霊現象」といわれていたのがいかさまであった例も枚挙に暇がありません。

 「頑なに否定している」のではなく「調べれば調べるほど否定材料が増えていく」のです。はっきり言えば、信じていないという人の方がよっぽど詳しく調べています。言い換えれば、否定している人も霊の話が大好きなのです。
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