中国歴代皇帝って、秦の始皇帝から始まってずっと「○帝」なのに、唐になって突然「○宗」になるのはなぜなんでしょう?帝と宗はどう違うんでしょうか。

A 回答 (2件)

はじめまして、こんにちは。


長いですが、お付き合い下さい。

中国には、「廟号」と「諡号(帝号と呼ばれる方もおられます)」という、偉い人が死んだ後に、その子孫によって贈られる名前があります。(日本の天皇家にも諡号のしきたりがあります。日本の○○天皇というのは諡号です、つまり死んだ後に付けられた名前)

中国の歴代皇帝は皆この二つの名前を持っております。
廟号 = ~宗
諡号 = ~帝
という具合です(例外もありますのでご注意を!)。唐代前までは、諡号で呼ぶことが一般的であったのが、唐代からは廟号で呼ばれることが、一般的となりました。なので唐のあたりから呼び方が変わります。
明の時代になると一世一元制が認められ、一般には元号で呼ばれるようになりました。

別の方のお答えで、『~宗が王朝の開祖だ』という発言がありましたが、それは間違いで~宗は開祖でなくても付けられています。しかし~祖(高祖とか太祖とか)という廟号は王朝の開祖にのみ贈られています。参考までに唐の開祖:李淵は高祖、二代目李世民は太宗です。~宗が皆開祖なら、中国にはもの凄い数の王朝があったことになってしまいます。

それでは。
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この回答へのお礼

長年の疑問が解けました。ありがとうございます。

お礼日時:2002/01/10 08:48

~宗と呼ぶ人は,その王朝の開祖を指します。


中国は日本と違い,同じ家が帝位を継いでいるのではない為,開祖を特に表す為に使用します。(まれに中興の祖に対し~宗をつけます)
当然~宗~帝と,呼ぶのが正しいのですが,~宗は一人しかいない為,通じるのです。

以上,高校の歴史の授業を思い出しました。
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??? 去年から思い切り掘ってますよ。
再発掘で、最近、彩色の残った兵馬が見つかったばかりです。
広大な未発掘地域があるのは、あまりに範囲が広くて、予算や残土のやり場などにめどがたたないからでしょう。
あと一回発掘したものを、埋め戻したのは、出土品の劣化を恐れてのことです。
兵馬俑が見つかったのは、文革の頃でしたから。
中国の場合、秦だけではなく、他の巨大陵墓もたくさんあるので、きりがないし、
始皇帝陵墓も、全部発掘終わるなんてことは、到底ないでしょう。

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??? 去年から思い切り掘ってますよ。
再発掘で、最近、彩色の残った兵馬が見つかったばかりです。
広大な未発掘地域があるのは、あまりに範囲が広くて、予算や残土のやり場などにめどがたたないからでしょう。
あと一回発掘したものを、埋め戻したのは、出土品の劣化を恐れてのことです。
兵馬俑が見つかったのは、文革の頃でしたから。
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始皇帝陵墓も、全部発掘終わるなんてことは、到底ないでしょう。

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ご協力よろしくおねがいします!!
なるべく早く知りたいです。

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始皇帝は有名なもので3回刺客に襲われています。
いずれも未遂なので、暗殺未遂事件です。

・荊軻

前提1
秦王政(始皇帝になる前)は幼少時に人質として趙の人質として
すごしていましたが、その時に同じ人質として燕の王子である丹は
友人としてすごしていました。
時代が変わり、丹が燕の人質として秦にやって来たとき、
旧交を懐かしむ丹に秦王政は冷淡で、待遇もよくありませんでした。
このことで丹は人質の身分にもかかわらず逃亡しました。

前提2
秦王政が経済的理由などで軍制改革の一環として少数精鋭を勧め
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地図に毒を塗った短剣を隠したとか、易水で句を詠んだとか
豪傑と勧められた副使の秦舞陽が怖気づいて動かなかったとか、
いろいろお話はありますが、暗殺は周知のとおり失敗し、
激怒した秦王政は燕を攻め、逃亡した丹は部下に討たれました。



・高漸離

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演奏していましたが、荊軻の親友であることで目を潰されました。
筑に鉛の棒を入れ、演奏中に秦王政へ投げつけましたが失敗し、
処刑されました。



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若かった張良は逃亡し、その財産の全てを報復に使いました。
このため、弟の葬式も出せなかったそうです。
博浪沙で配下が石を投擲しますが失敗して逃亡します。
この暗殺未遂事件により、秦はより弾圧政治へと進み、
民衆の怨嗟をうけることになります。
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・嫪毐
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暗殺ではありませんが、有名な反乱。
始皇帝を救出したことで出世した呂不韋は、実は秦王政の実母と
不倫関係にあり、嫪毐はその関係を清算するためにあてがわれた男。
宦官に偽装していましたが、密告により露見して反乱を起こします。
しかし、予め準備していた秦王政により返り討ちにあい、車裂きの刑に。
この後、呂不韋も失脚しその後自害しました。

始皇帝は有名なもので3回刺客に襲われています。
いずれも未遂なので、暗殺未遂事件です。

・荊軻

前提1
秦王政(始皇帝になる前)は幼少時に人質として趙の人質として
すごしていましたが、その時に同じ人質として燕の王子である丹は
友人としてすごしていました。
時代が変わり、丹が燕の人質として秦にやって来たとき、
旧交を懐かしむ丹に秦王政は冷淡で、待遇もよくありませんでした。
このことで丹は人質の身分にもかかわらず逃亡しました。

前提2
秦王政が経済的理由などで軍制改革の一環として少数...続きを読む

Qピアノソナタ第8番の悲愴の第二楽章聞くと涙が出そうになるんですけど同じ人いませんか?? クラシックと

ピアノソナタ第8番の悲愴の第二楽章聞くと涙が出そうになるんですけど同じ人いませんか??

クラシックとかについて語れる友達とかいないので初めていうんですがどうして何でしょうか?

なにか曲の作りでそういう風な工夫があるのでしょうか?

Aベストアンサー

ご質問から、感受性が豊かなのですね。
音楽は、人の心に影響することは昔から知られていました。
このため最近は「音楽療法」という治療法もあるのです。

昔に名曲を作曲した人は、ご質問者さんと同様に「感受性が豊か」で「こころに響く音楽」を創作したのです。彼らに「音楽療法」の考えは無かったかもしれませんが、「心を打つ音楽」を発明したということですね。

ご参考まで。

Q中国歴代皇帝のおくり名にこめられた意味

陳瞬臣の小説を読んでいた時に、あまりよい行いをしなかったために○帝という名がつけられた、というような記述を目にしました(具体的な名前は忘れてしまいました)

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私のイメージでは
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太宗…二代目
武帝…異民族の討伐を積極的に行った
三武一宗の法難のように弾圧的
太武帝 光武帝…武帝と同じようなもの
文宗…学問に力を入れている?
粛宗…あまりよくない?

こんな感じです
上の誤りや他にもありましたら教えてください
特に教科書に載っているような皇帝はありがたいです

それから
唐の高宗、中宗(高中(低、小)何か続いているようなイメージがある 二人とも皇后に利用された所、武則天よりい后の方が小物臭いところ)二代続いているのに何か理由があるのか
わかりましたら教えてください

Aベストアンサー

まず、「高祖」はおくり名(諡号)ではなく廟号です。唐の高祖の諡号は「紙尭大聖光孝皇帝」です。

それから、質問者さんの抱かれている廟号のイメージは、おおよそそれで合っていると思います。例外もありますが、二十四史に名を連ねる著名な王朝では「太宗」は2代目に多いのは事実です。「武帝」は対外討伐の他に、武断政治を行った天子のイメージがあり、太武帝などがそれに相当するのではないでしょうか。「文帝」は内治に注力し、または文治主義政策の天子に多いという感じは確かにあります。

その他に、中興の祖としては「世祖」(フビライなど)や「聖祖」(清康煕帝)があり、世が治まっている時代の帝では「世宗」(清雍正帝など)、「高宗」(清乾隆帝など)が見られる傾向があります。廟号で当時がどのような世の中であったかは推測ができ、前漢の「明帝」・「景帝」などは比較的安定した時期の帝であることがわかります。「憲宗」(蒙古のモンケ・ハンや唐・明朝など)では、外征か外敵を防いだ天子のイメージがあります。ただ、明の憲宗は蒙古族の侵入を許しており、一概にそうと言い切れない部分があります。これはどの廟号でもそうですが、唐の高宗などその好例とみなせるでしょう。

唐の高宗は病弱ではありましたが、北魏の外戚の力で天子になり、一応高句麗討伐の治績があり(新羅統一によって朝鮮平定はなりませんでしたが)、則天武后の意向も働いてこの廟号になったのではないかと推測されます。大体において、「高」「大」「世」「聖」「武」「文」「明」「憲」など以外の文字が廟号の帝は凡庸なのが多いイメージがあるのは事実でして、唐の中宗もその類であることはまず間違いないでしょう。悪いイメージを意図的に狙ったのが、隋の「煬帝」です。陳舜臣先生が書いておられたのはこの帝のことではないかと思います。

武則天は前述の旧北魏勢力と対立し、これを誅滅して実権を握り、素姓の知れない酷吏による暴政を行ったとされます。しかしそれは人材登用を積極的に行った結果であることも否定できません。これにより、朝廷には旧来の門閥を否定する空気が漂いはじめ、中宗后の内乱もその空気が残る中で行われた感があります(実際、后は武則天の残党と密かに結び、武周革命に倣って中宗を毒殺しております)。それから、中宗が擁立され、またこれを一旦廃したのも武后の都合に他ならず、自身の執政をジャマしない傀儡を敢えて帝に選んだ結果と見ることができます。高宗・中宗と唐室の悲劇が相次いでいるのは、外戚勢力の消長がこれに連動しているとも取れますね。外戚が帝室を揺るがす例は、後漢にもそれを見ることができます。後漢の系譜を見るに傍系の帝が相次いで迭立されているのは、外戚の力が働いた結果と見られます。

まず、「高祖」はおくり名(諡号)ではなく廟号です。唐の高祖の諡号は「紙尭大聖光孝皇帝」です。

それから、質問者さんの抱かれている廟号のイメージは、おおよそそれで合っていると思います。例外もありますが、二十四史に名を連ねる著名な王朝では「太宗」は2代目に多いのは事実です。「武帝」は対外討伐の他に、武断政治を行った天子のイメージがあり、太武帝などがそれに相当するのではないでしょうか。「文帝」は内治に注力し、または文治主義政策の天子に多いという感じは確かにあります。

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ずい分前の話になりますが、ヴィヴァルディ「四季~冬」第二楽章ラルゴに歌詞を付けて歌われているのを何かの番組で聴いた事があります。
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Aベストアンサー

「白い道」で検索されるとでてくると思います。
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参考URL:http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shiroimichi.html

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唐の皇帝名が廟名で呼ばれたり本名で呼ばれたりまちまちなんですがこれはなぜですか?例えば、第一代皇帝は李淵、第2代皇帝は李世民で、第3代皇帝からは高宗、武宗、玄宗、徳宗などになりますよね?もちろん李淵や李世民も太祖、太宗などと呼ばれることがあると思うんですが、普通は名前で呼ばれますよね。これはどう考えればよいのでしょうか?

Aベストアンサー

歴史上の人物の名前は必ずしも本名で呼ばれる訳では有りません。
ポピュラーネームで呼ばれているのです。
一人でいくつもの名前を持つことが多いので一番ポピュラーな名前で呼ばれてます。単に覚えやすい為、混乱を避ける為です。

周の文武、漢の高祖、後漢の光武帝などの初代は国が成立する前は本名で出てくるので両方有名ですが後代の者はあまり本名では出てきません。

日本人の例なのでベストな例では無いですが、
吉田兼好をご存じでしょうか。
「徒然草」の作者ですが、この名前は後世の人が勝手に付けた名前です。
彼の名は卜部兼好で吉田神道、吉田神社が有名なのでそう呼ばれているのです。
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歴史上の人物は覚えやすい名称で呼ばれているだけです。

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ベートーベン「悲愴」の第二楽章を弾いてみようと思い練習してます。
元々ピアノは習っていて、一応弾けるようにはなったのですが、初めて聞いたのが「のだめカンタービレ」の「のだめオーケストラ LIVE!」というCDの器楽編に入っている演奏で、そのイメージのまま練習をしていました。
それが最近、ヴラディーミル・アシュケナージとシュナーベルというピアニスト達の演奏を聞いてその違いにびっくりしました。
「のだめ・・・」の演奏は音が多かったり、途中でかなりテンポが速くなったりしますが、私はこちらの演奏の方が好きです。
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演奏者の理解と表現の違いだとは思いますが、「のだめ・・・」の中の演奏は本当にドラマやマンガの中だけのもので普通はあのような弾き方はしないものなのでしょうか?
また、他のピアニストはどんな風に弾いているのか、これはこんな風に「悲愴」第二楽章を弾いているという情報、お奨めというCDなどありましたら教えてください。
よろしくお願いします。

ベートーベン「悲愴」の第二楽章を弾いてみようと思い練習してます。
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Aベストアンサー

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問題は、この曲の本当の性格はどんなものなのか、ということです。
Adagio cantabileと書いてあることからわかるように、ゆっくりと歌わせることが主眼になるということです。
そして音量はp、ppだけで構成されています。そのピアノとピアニッシモの音量の中でsf、fp、rf、cresc.をかけていくという、実は非常に神経を研ぎすまさなくてはいけない曲なのです。
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