2024年のうちにやっておきたいこと、ここで宣言しませんか?

以前から引っ掛かっているのですが、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」で始まる有名な詩の「一日ニ玄米四合ト」の部分ですが、玄米四合は約600g。調べて見ると、約2100kcalにもなります。これで、成人の所要エネルギー量を超えてしまいます。確かに、これに続く「味噌ト少シノ野菜」の内容にもよりますが、実際には、他におかずのあることもあるでしょう。いずれにせよ、詩全体の清貧に生きるというイメージに比べ、ちょっと食いすぎでは、と思ってしまうのです。四合は、どう考えても腹いっぱい食うイメージであり、控えめには思えません。宮澤賢治は大食漢だった?これをどう解釈すべきかについて、御教示ください。

A 回答 (6件)

ANo.#1 6dou_rinn さんも書かれていますが少ないでしょうね?



仕事量によっては、貧弱すぎるかもです。今は農作業といえど専業
農家になればなるほど機械化されていますが兼業や家庭菜園の作業
で使うエネルギーは相当なものです。

まして、宮沢賢治の時代に、機械なんてないですよ。あって道具て
いどです。痩せ細っていたと思いますよ!山に住んでいますが、昔
畑を鍬で起こすときには1日、1升飯(1.8リットル)を食べて
もおなかが空いて堪らなかったように先人はおっしゃってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。時代の違いということは、よくわかります。このようなご回答は、実は予想はしていたのですが、現代の我々が、そんなに食えるだろうかと思って、質問した次第です。

お礼日時:2006/02/28 09:45

江戸時代、江戸では脚気が流行します。

その原因は飯(めし)として白米を食べていたからです。
 白米食なら現代でも行っているのに、なぜ江戸はそのような事が起きたのか。

 日本人の食生活が、大量の飯とわずかな副食で腹を満たしていたからです(昭和30年代まで)。飯を大量に食べやすくするため、副食も塩分過多のものが多くなります。そして、当時はごく一部の都市圏を除き、飯は白米に麦・粟・稗などの雑穀を混ぜて食べることが普通でした(米も籾のままで保存し、消費する分のみ脱穀していましたから、その手間を考えれば白米より玄米に比重が傾きます。さらに米は農家にとっては現金収入源でもあるので、雑穀食によって家での消費量を浮かすのは合理的判断です)。
 しかし江戸などのほんの一部の都市では流通の関係で白米食が行われていました。そのため、前述の通り大量の飯で腹を満たすという食生活を行っていれば、雑穀食よりも白米食の方がビタミン不足になりがちで、脚気の流行へとつながったのです。

 ちなみに旧日本軍の「軍隊調理法」では、大東亜戦争までは1日に1人6合が基本でした。そんな平時においても軍隊生活は空腹の連続だったといいますから、飯の消費量と運動量が現代人と格段に違っていたのでしょうね。
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この回答へのお礼

「江戸患い」のことや、日露戦争で海軍は食生活改善に取り組んでいたが、陸軍は白米中心だったので(軍医森鴎外(誤字ですが、文字化けするので止むを得ない)がビタミン説に反対したためだと言われている)脚気患者を多く出したという話は、聞いたことがあります。ご指摘、ありがとうごさいました。

お礼日時:2006/02/28 09:51

>実際には、他におかずのあることもあるでしょう。



これがまったくのお考え違いです。他に喰うものなんかないんです。しかも昔の人の労働量は今と段違いですから、これはもう慎ましやかとしか言いようがありません。

玄米四合は六百グラムとして二千百キロカロリーはもちろん正しい計量です。ただしこれで運動量の多い成人の一日当たりの所要エネルギーを超えているという認識は間違いです。足りません。

だいたい食べ物を熱量で計るというのが随分と狂った話で、これだけ燃やしてしまって、しかも不足で、体はどうやって作り、補修してゆくのでしょう。栄養学ってほんと狂ってますよ。

昔はほんとに貧しかったんです。とくに蛋白源を米に頼っていたという、今の肉喰い放題からすれば信じがたいほどの無茶をしていたので、平均寿命も短ければ体格も貧弱だったのです。伝統的な日本食が健康のために良いなどというのは大嘘なんです。
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この回答へのお礼

ご指摘、ありがとうございます。ただ、私の言う「実際には他におかず」について、若干補足させていただきます。この詩は賢治の理想を書いたものであって、実際の生活とは別物と考えるべきだと思ったのです。

お礼日時:2006/02/28 09:47

通常お茶碗の容量は190gです。

それを考えると、彼の食事量は時代背景から考えて普通です。

恐らくですが、カロリー計算のさいに『こめ・玄米』と『めし・玄米』を間違われたのでしょう。

計算しなおして見てください。彼は大食漢ではありませんよ。
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この回答へのお礼

わざわざのご指摘はありがたく存じますが、計算間違いではありません。

お礼日時:2006/02/28 09:42

過去に、似たような質問がありました。



参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1495330
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この回答へのお礼

ありましたか。ご指摘ありがとうございます。検索してから投稿したつもりでしたが、検索が足りませんでした。

お礼日時:2006/02/28 09:40

昔は4合は少ないほうです。


今と違っておかずがそんなにあるわけではないので米や雑穀をたくさん食べていました。
ちなみに江戸時代の扶持米で1人扶持といえば男扶持で1日5合、女扶持で1日3合でした。
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この回答へのお礼

ご指摘、ありがとうございます。ただ、扶持米の基準は知っておりましたが、これは実際に食べる量なのかどうか、と疑問を持っておりましたが…

お礼日時:2006/02/28 09:38

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