哲学とは無縁な自分ですので、無知を露呈することになる
質問かもしれませんが、ぜひご回答お願いします。

人は、生来的に自分の知らない知識を獲得しようとする欲求があるのか?

これについて哲学の分野では、どのように考えられているのでしょうか。

よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

生来知らないものを知ることはもともとできないのか、イデアがあるのか。


いずれにしても想起です。
知らない場合は思い出すのではないかと思います。

イデアとはたとえば誰でも「善」と言えば善を思い、善で「悪」を表象することはできません。
知ろうとして考え進めるとその形式に辿り着きます。

なぜ知ろうとする人、しない人とわかれるのでしょうか。
わかりませんが、想起を求めるのでしょうか。
私はなぜだかそうなりました。学歴とは関係ないです。
私は子どもの頃よりも、大人になるにつれて増えました。20を過ぎてからです(遅過ぎ?!鈍いのか?!)。

人は自分の求めないものは求めない。求めないものを求めるということはできません。
ということは自分に合った、相応しい、必要なものしか求めることはできないということでしょうか。後で振り返り、何であんなものを、と思ってもその時はそれが欲しかった。必要だった。その時々で中身も変わります。
知識もまたそれを必要とした時に獲得しようと求めるのでしょうか。

なぜ必要とするのか。知識とは正に魂が求めるもっともたるものかもしれません。
その内容はいわゆる実生活にはほぼ無用です。実生活とは主に生存することの謂ですから、当然役には立ちません。
それ以前の部分、存在を存在たらしめる部分についての知識欲だからです。
それを魂がなぜだか求める。

知識欲がただ生活面でのことに限られるのか、生活以前に限られるのかが哲学への別れ目です。

いずれにしろ「人」は、でなく、「ある人」は、ではないかと思います。
もしくはある時に。
もしくは今生で無理なら来世?!
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  哲学について、それほど詳しい訳ではありませんので、自信なしとします。この場合の哲学を、一応、西洋哲学と考えさせて戴きます。インド哲学や中国哲学になってくると、どう考えていたのかまったくわたしには、分からないに等しいからです。
 
  古代の哲学にとっては、「知識」とは、多くの人にとって、「必要な道具」であり、その人が生きる上に必要な知識があれば、それで十分という考えでした。農民であるなら、農業を営む知識・実践知識があれば、それでよい訳で、商人となると、その扱う商品により、詳細な知識や最新の知識が必要になることもありますが、これも、商売上の実践知識です。政治家や軍人は、政治家となると、統治の知識や実践知識、古代なら、弁論術や修辞学も必要になったでしょう。軍人は下級軍人だと農民が戦い方を覚えた程度で、高級軍人以外は、別に戦略の知識も、文字の知識も必要ありません。古代には、知識奴隷ともいうべきものがあり、奴隷に色々覚えさせ、主人が辞書とか百科事典代わりに使っていたというのもあります。また、知識を売り物にしている職業の人は、やはり必要な商品の知識を仕入れて覚えたでしょう。総じて、職業に「必要な知識」は、生活に必要なのでこれは修得したのです。しかし、それ以上は、となると、古代哲学は否定的です。選ばれた「愛知者」は、真の知識を愛し求めるが、一般の人には、このような「情熱はない」というのです。実際、その通りで、一般の人は、生活に必要な知識しか必要としません。
 
  「知識欲」というのは、特権的なものなのです。社会階級が特権的というより、古代においては、或る人、おそらく神に選ばれた人が、新しい知識を求め、知識を愛し、知識欲を持っていたのです。人類の歴史は、このように、ごく少数の新しい知識を求め、開く人と、それに従う多数の人という構図でした。
 
  中世世界はどうかというと、古代と似ています。中世では、聖職者が知識の保管者・保持者・独占者ともなります。貴族も知識を持っていましたが、それは地位に相応しい知識で、多くの貴族は文字も書けないほど無知だったという記録もあります。聖職者も、新しい知識をむしろ禁じている風潮がありました。しかし、やはり、神が選んだのか、農民、職人、聖職者、貴族出身と色々ですが、新しい知識を求め探求する少数の人がおり、これらの人は知識欲を持っていました。また、商人は、大きな交易をする商人になれば、国王や一国の政治を操る人物と同じぐらいの知識を持ち、知識欲を持っていました。知識欲がないと大商人として競争に勝てなかったからです。
 
  総じて、人間は、「必要なことしか学習しない」存在である、これが中世までの、そして近世においても、哲学の人間観でした。選ばれた人は、真理への情熱を持ち、哲学者あるいは学匠となる、ということです。
 
  カントが啓蒙や世界平和についての意見を述べた頃、西欧社会は大きく変化して行こうとしていました。平等や平和や、豊かさや、よりよい世界は、「教育」によって、多くの人々の視野が広くなり、ものごとを合理的に考えることができるようになれば、実現する、当時の「合理主義者・啓蒙主義者」は、このような見通しを持ちました。普通教育の理念も彼らが立てました。
 
  現代、めまぐるしく新しい知識が出現し、次々にそれらを学習し、消化し、自分のものにして行かないと、普通のサラリーマンも商人も農民もやっていられない時代となりました。では、古代から考えられていた人間の本質についての哲学の考えは、ここで変わったのかと言えば、そうも言えません。
 
  ある人々は、知識への愛を持ち、知識欲があるようです。しかし、多くの人々は、実用目的で、色々な知識を覚えるようです。「知識欲」というのは、人間すべてに「本来的」に備わっているのではないと思えます。正確には、人間は、子どもの頃から、或る段階までは、猛烈な知識欲を持っています。しかし、それは他の高等動物もそうで、幼獣は、非常に大きな知識欲や好奇心を持ち、色々なことを学習し、そしてすぐに成獣になり、知識欲・好奇心は大部分消えます。
 
  人間の場合、不完全に生まれてくるので、それを補うのが「知識欲」だとも言えます。子どもは、言語を必死に覚えます。ただ、その努力は苦痛に満ちたものではありません。楽しい過程であるのです。猛烈な知識欲と、記憶がなによりも活発なのです。
 
  しかし、ある年齢になれば、多くの人は、生活の必要に応じて、新しい知識を学ぶので、そうでなく、「知識欲・好奇心」で、新しい知識を求めるというのは、やはり少数なのです。
 
  「知識欲」は、生物として人間が子ども乃至青年の時、つまり、大人への準備をしている時には、自然的にあるもので、その後も、知識欲があるのは、特定の人だけであるとなります。大学の先生でも似たようなことが言えます。職業であるので、色々な知識を学ぶのです。
 
  しかし、古代や中世、近世に較べれば、知識を求める人の底辺は大きくなったといえるでしょう。
 
  哲学では、「知識欲」は人間の本性としてあるが、それを維持し、一生持ち続けるのは、何かの恵みだというのが答えになるでしょう。
 
  人間は「智慧ある人(ホモ・サピエンス)」ではなく、本当は「無知なる人」なのです。そのことに気づく人が、智慧に向かう人で、「智慧ある人」でしょう。こういう人は、必ずどの時代にもいたので、人間の知識の進歩は、前進して来たのです。
 
  またロボットではないので、大人になると、新しい知識を求めなくなると言っても、ある意味程度の問題です。段々年齢があがるにつれ、好奇心が薄れて行くというのが人間一般で、まったく好奇心がなくなるのではありません。それは、人間が社会的言語的存在であることと密接な関連があるでしょう。
 
  そういう意味からは、人は、知識を求める、好奇心の生き物だというのは、正しいのです。
 
  おそらく、脳の容量や、記憶が年齢と共に複雑化して行くということが、人が年齢を取ると、好奇心を失って行く理由であり、阻害原因でしょう。現代的には、人間は、本来的には、知識を求め、好奇心をどこまでも持ち続ける、「尋ね求める人」だという姿が妥当だろうということになるのだと思います。最後は私見ですが、好奇心を失わせるマイナス要因が、年をとるにつれ、増えて行くのです。
 
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哲学はすぐに答えが得られませんし、得たとしても物質的な見返りがありません。



それでも人生の意味を知ろうとする人がいるのは、何よりも知識欲が生来的である事の証明になっているのではないでしょうか。
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●在ると思いますよ。


 知識欲は 性欲に似ていますね。
 因にふれて おこるところが似てますよね。
 知識欲の守備範囲は性欲よりも広いので 何にふれて欲がでるかは
 ひとそれぞれですよね。
●知識欲が生れたことが人間がここまで生き残り発達した
 ひとつの要因だと思います。
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 好奇心のことでしょうか?


 まわりの影響(感応)もあると存じます。それで、向上心も湧いて努力する方もみえるでしょう。
 肝心なのは、各人には過去世からの種々の宿業があり、花も時が来なければ咲かないように、開花する時期は人によって異なるのです。
 生まれて、間もなく死す方もいますし、植物状態、智慧遅れ、白雉、狂人等の考えることが、劣る方もおられます。
 すべからく「功徳」によるとされています。
 如何でしょうか?
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Q哲学の辞書か概説書 英語と日本語

あまり哲学に詳しくはないのですが、最近、英語の哲学関連の文献を読む機会があり、そもそもの用語の使い方からして、閉口しています。文献自体は、古代、中世哲学ではなく、近代、現代哲学に関わるものだと思うのですが、その分野もカバーしている英語の哲学の辞書(分厚い物である必要はありません)か、英語の概略書のようなものがあれば、教えて頂きたいと思います。
多少、古い辞書や文献でも構いません。
できれば、邦訳されているものであれば、両言語を確認できるので、なおよいですし、日本語の辞書、文献でも、英語での用語が載っているものであれば、意味があると思います。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

廣松 渉 (編集)『 岩波哲学・思想事典』、岩波書店(http://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%83%BB%E6%80%9D%E6%83%B3%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E5%BB%A3%E6%9D%BE-%E6%B8%89/dp/4000800892/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1415798992&sr=8-1&keywords=%E5%93%B2%E5%AD%A6%E6%80%9D%E6%83%B3%E8%BE%9E%E5%85%B8)
古いですが、各語句に対応する英語を含めた外国語も載っています。


Ernest Sosa,(編集)“A Companion to Epistemology”,Blackwell Publishers(http://www.amazon.com/Companion-Epistemology-Blackwell-Companions-Philosophy/dp/0631192581/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1415798674&sr=8-1&keywords=A+Companion+to+Epistemology)
認識論中心ですが、辞書形式です。古いです。

山崎 正一(編集)『現代哲学事典』、講談社現代新書(http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%93%B2%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-225-%E5%B1%B1%E5%B4%8E-%E6%AD%A3%E4%B8%80/dp/406115625X/ref=sr_1_fkmr1_2?ie=UTF8&qid=1415798208&sr=8-2-fkmr1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%80%80%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E3%80%80%E6%96%87%E5%BA%AB)
もっと古いです。外国語が載っていたか覚えていません。ただ、安価です。

廣松 渉 (編集)『 岩波哲学・思想事典』、岩波書店(http://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%83%BB%E6%80%9D%E6%83%B3%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E5%BB%A3%E6%9D%BE-%E6%B8%89/dp/4000800892/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1415798992&sr=8-1&keywords=%E5%93%B2%E5%AD%A6%E6%80%9D%E6%83%B3%E8%BE%9E%E5%85%B8)
古いですが、各語句に対応する英語を含めた外国語も載っています。


Ernest Sosa,(編集)“A Companion to Epistemology”,Blackwell Publishers(http://www.amazon.com/Companion-Epistem...続きを読む

Q無縁社会ってんなら 無縁慈悲の出番ぢゃん。

 《無縁社会》は あたらしい造語だそうです。
 そういう社会のあり方にすすんで行っているのでしょうか?

 地縁血縁のきづなが ほころびて来ているのでしょうか?
 

 農村にしろそうでないにしろ地方から都会に出て働きそこに住むようになったばあい 田舎とのつながりは断たれたのでしょうか?
 そういう場合は あらたな地縁とそして社(会社)縁のつながりができて来るとも言います。

 少子高齢化などにより単身者として生活する場合が増える。
 就職の形態が正規でない場合が増える。
 となると あたらしく出来たと思った地縁社縁もほころびて来るのでしょうか?

 昔から無縁仏になるという情況もあったようですが 社会的孤立の量も質も変わって来ていましょうか?
 ヰキぺの無縁社会には 《個人主義》という主題も関連項目として挙げられています。
 経済や社会の仕組みの変化以上に そういったあらたな思想の台頭も影響していましょうか?


 ○ ヰキぺ:無縁社会:
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%B8%81%E7%A4%BE%E4%BC%9A

 ○ ヰキぺ:個人主義:
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9


 ここでは 次の二点を問います。

 A. 無縁社会なら 単純に言って もはや人と人とのつながりは 無縁からの――ゼロからの空からの――出発であり そこに色をつけるなら 無縁慈悲としての人間関係論が展開されるであろう。
 としか考えられないのですが どうでしょうか?



 B. ヰキぺの《個人主義》には その対義語として 《全体主義・集団主義》とあります。ただちにキレて そんなばかなという反応を持ちましたので その反論をのべて問います。

  1. たとえば《無縁慈悲》なる行為をおこなうには――それが 人間のおこないうる経験事象であるとして―― 自分もひとり 相手もひとり それぞれが《ひとり》なる人間であるのでなければ成り立たない。互いに対等な存在であって初めて その愛は成り立つ。
 
 《主人と奴隷》なる A‐S連関制では 何も人間的なことは成し得ません。ほどこしと物もらいの関係では 動物以下の《縁》でつながっているに過ぎません。

 ゆえに 《主義》かどうかを別としても 《個人=ひとり》は 大切なことであり 欠かすことは出来ません。


 2. 全体主義がたしかに対義語であるのかも分かりませんが それはしかしながら先ほどの《A(主人)‐S(奴隷)》の連関制――つまり その主人にしたところでその奴隷がいなくなれば 主人ですらなくなりその限りで人間でもなくなります――が内容だとすれば それはむしろ論外とすべきことがらです。
 ということではないでしょうか?
 (哲学以前という論外だとまづ見なして それとして哲学は扱わねばならない)。


 3. けれども それでは《集団主義》が 《ひとりなる実存としての個人》の対義語になるでしょうか?

 これも《主義》と言うと一般に極論を指し示そうとする傾向がありますので そのあたりのことは別としますが それでもたとえば《集団志向》 これは 単純に人びとが互いに協力するということであり チームワークの問題であって そのときには《個人》をも互いに活かすという前提に立っているのではないでしょうか?
 
 おそらく家族や身内としての集団による拘束から始まって組織集団の内外における人縁は シガラミにまで成り得るので 《個人 vs. 集団》という図式が描かれるのかも分かりませんが 家族にしろ経済活動の組織にしろ 基本的な前提としてじゅうぶんに個人を活かしそれぞれの自由を発揮しまもろうとする志はある。と言わねばなりません。

 自律・他律の問題ではなく それぞれの個人の《ひとり》としての自立において自分も活きるし他人(ひと)も活きるそういう共同・協働の体制であるはずです。

 すなわち 集団志向は個人志向と相容れないものではない。集団主義の対義語が 隠遁だとか言うのもおかしい話でしょう。


 C. あらためて われわれ現代人のあいだに 《無縁慈悲》は成るか? こう問います。

 《無縁社会》は あたらしい造語だそうです。
 そういう社会のあり方にすすんで行っているのでしょうか?

 地縁血縁のきづなが ほころびて来ているのでしょうか?
 

 農村にしろそうでないにしろ地方から都会に出て働きそこに住むようになったばあい 田舎とのつながりは断たれたのでしょうか?
 そういう場合は あらたな地縁とそして社(会社)縁のつながりができて来るとも言います。

 少子高齢化などにより単身者として生活する場合が増える。
 就職の形態が正規でない場合が増える。
 となると...続きを読む

Aベストアンサー

☆☆☆☆☆☆
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 A. 無縁社会なら 単純に言って もはや人と人とのつながりは 無縁からの――ゼロからの空からの――出発であり そこに色をつけるなら 無縁慈悲としての人間関係論が展開されるであろう。
 としか考えられないのですが どうでしょうか?
~~~~~~
《無縁》を、他者との関係性やしがらみが失われたという意味で考えるならば、関係性やシガラミが失われた人の間に、その関係性を理由としない慈悲は起こり得るのでしょう。
ただ、それは、《他者との関係性やシガラミの失われた》人が、それと同様な境遇に対する人に対する同情心や強い共感、シンパシーに起因しているのではと思います。
なので、それは、理由を必要とせず、万人に無条件で与えられる《無縁慈悲》とは異なっているのではないでしょうか。
そのような気がします。



☆☆☆☆☆☆
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 B. ヰキぺの《個人主義》には その対義語として 《全体主義・集団主義》とあります。ただちにキレて そんなばかなという反応を持ちましたので その反論をのべて問います。
~~~~~~
Wikipediaの記事を読み、わたしも、《全体主義》が《個人主義》の対義語であることをはじめて知りました(ポリポリ)。
全体と個人を対立構造の中でとらえれば、そういうことになるのだろう、でもすこし違うのでは、というのがWikipediaの記事を読んだ感想です。
全体や集団、共同体とまったく無縁な個人は存在し得ません。個人の利益や自由は、個人が所属する共同体によって制限を受けます。その制限は、共同体に所属している個々人の同意や合意の上で成立しているわけですから、Wikipediaの定義は、どうなのかなという気がします。
圧倒的な武力や暴力などを有し、それを背景に一部の為政者がそれ以外の人々を支配し、隷属させているのならば、《全体主義》は、実は為政者の側の利益を守る口実になるのでしょうが、現代の日本においてはもはやこの構図は成立しないでしょう。国家や共同体が構成員である個人に隷属するようになっているのですから。
全体主義と個人主義は、もはや溶け合っているんじゃないですかね。
そして、
そこに今日の状況の難しさが存在していると考えます。

☆☆☆☆☆☆
~~~~~~
 A. 無縁社会なら 単純に言って もはや人と人とのつながりは 無縁からの――ゼロからの空からの――出発であり そこに色をつけるなら 無縁慈悲としての人間関係論が展開されるであろう。
 としか考えられないのですが どうでしょうか?
~~~~~~
《無縁》を、他者との関係性やしがらみが失われたという意味で考えるならば、関係性やシガラミが失われた人の間に、その関係性を理由としない慈悲は起こり得るのでしょう。
ただ、それは、《他者との関係性やシガラミの失われた》人が、...続きを読む

Q英語での哲学問答サイト

 このOKウエブの哲学サイトのような問答を英語で出来る
 国際的なサイトをご存知の方教えていただけないでしょうか?
 たとえば、ハイデッガーやデカルトなど、訳本そのものが難解で
 日本語の問答では意味不明のものになっている過去の哲学者について
 なるべく原典に近い言語でQアンドAをしたいと思います。
 
 もしご存知の方おられたらよろしくご教示ください。
 

Aベストアンサー

初歩の哲学から難解な哲学まであって…
最初に確かレジスターで登録作業があるんです。

私には難解過ぎた部分があったのでチラ見でしか
なかったですが。(人物の名前すら一苦労)

英語に自信がおありなら覗く価値はあるかと
思います。よ。

参考URL:http://www.ilovephilosophy.com/phpbb/index.php

Q哲学の実践と、「無知の知」

たぶん「無知の知」は、哲学カテゴリでもつとも頻出する用語だとおもひます。そして、それを否定する投稿を私は読んだことがありません。では、この言葉をどのやうに自分自身にあてはめてゐますか。


私の場合
(1)知らない世界を少しづつでも知つてゆくのが楽しい。本を読んでも既存の知識しか得ることができないので、このQ&Aサイトのさまざまなタイプの人から多彩な意見を聴けるのは貴重である。
(2)自分の知らないことを教へてもらへるのが、ありがたい。そのためには、できるだけ人と接したい。
(3)知らないことや間ちがへやすい人間であることを誇りにできる、もしくは自分を笑へる。

Aベストアンサー

なんとなく実績あげて調子こいてる時に、ミスしたとき。

Q院試対策として英語か仏語で哲学史の勉強がしたい!おすすめの本を教えてください!

こんにちは。大学院進学志望の大学三年生です。
私は将来、フランス哲学の研究者になりたいと思っています。
大学1、2年の頃はなんとなく興味があり、趣味として哲学を勉強していたのですが、今から半年前の大学3年の夏頃から、真剣に哲学を勉強したいと思うようになりました。
それからの半年間は、所属している大学に哲学科がないので、所属しているゼミ(応用倫理学)の先生に他大学の授業を紹介して頂いたり、自分で研究書を読んだりして勉強してきました。
しかし、半年前までは研究者になることを真剣に考えていなかったこともあり、私は語学をほとんど勉強してきませんでした。
英語は大学に入学して以来ペーパーバックを二冊読んだ程度で、おそらく高卒の直後から実力はまったく伸びていません(2005年4月に受験したTOEFL IBTで520点程度)。
フランス語の勉強を始めたのは三ヶ月前の12月からで、もう少しで基礎文法が一通り終わるくらいの実力です(コレクションフランス語の入門編、初級編、文法編を一通り学習した程度)。
また、専門的な哲学の講義を受けたことがほとんどなく、哲学史全体の流れなどがまったくわかりません。

そのような私ですが、2008年9月末から行われる東大文学部の学士入学試験、2009年1月末から行われる東大大学院人文社会系研究科の修士課程入学試験を受験することを考えています。
前者については哲学あるいは倫理学の専修過程、後者については哲学研究室あるいは倫理学研究室を志望するつもりです(来年度、直接に研究室を訪問して決めたいと思っています)。

入学試験対策として、語学の勉強と哲学(史)の勉強を並行して進めていきたいと考えています。
フランス語に関しては、さしあたり、渡辺諒『フランス現代思想を読む』『20世紀フランス思想を読む』を購入しました。仏語の原文と日本語訳、加えて丁寧な解説が載っていることから、目的に適っていると考えたためです。
しかし、英語に関しては、適当なものが見つけられずにいます。「自分が院試の勉強をしたときにはこれを使った」、あるいは「おそらく、これはいいと思う」というものがありましたら、教えて頂けますでしょうか。仏語のものも、なにか他に良いものがあれば教えて頂けると幸いです。
ご回答のほど、どうぞよろしくお願い致します。

こんにちは。大学院進学志望の大学三年生です。
私は将来、フランス哲学の研究者になりたいと思っています。
大学1、2年の頃はなんとなく興味があり、趣味として哲学を勉強していたのですが、今から半年前の大学3年の夏頃から、真剣に哲学を勉強したいと思うようになりました。
それからの半年間は、所属している大学に哲学科がないので、所属しているゼミ(応用倫理学)の先生に他大学の授業を紹介して頂いたり、自分で研究書を読んだりして勉強してきました。
しかし、半年前までは研究者になることを真...続きを読む

Aベストアンサー

んー回答つかないね。笑
哲学の質問じゃないからだろうけど。
東大の院試、文系はどこも変わらないし
コンセプトはずっと今もかわらないと思うから書きますが、
英語もフランス語も、文法レベルは通り越していて、
正しい意味を汲み取り、思うところを正確に伝えられるか。
だから気を大きく持って取り組めばいいんです。
英語でペーパーバックが誤解なく読めて、あらすじや感想がまあなんとか書けるくらいなら大丈夫。
フランス語もそのくらい。文法だけなら準一級程度で十分。
とはいえ、インテリジェンスを示すだけの意思疎通をこなすには、
半年や一年の学習ではスパイの訓練でも受けない限りまず無理だと思う。

で、哲学書つまり第一次資料の原書は、学部では数ページの短いものや抜粋しか読まない。
サルトルやバルト、フーコー、ミッシェル・セールやルイ・アルチュセールくらいは一冊二冊読んでみましたと言ってすむけれど、
デリタやクリステヴァ、ドゥルーズ、ガタリを一冊読むように学部生に期待している人は誰もいない。。。

それよりも、学部生は、レポートや論文を書くために、自分で探した研究者の論文を読むわけだ。
自分で探すことで勉強になっているのと、
日本語だけでなく英語やフランス語で書かれている二次資料をはじめから終わりまで読みきることで、
難解ではなく理路整然とした使える外国語を勉強する。
つまり、研究発表や論文執筆に役立つ語学力が、院に入るときの問題なのであって、
何冊も原書で一次資料にあたる語学力は、もっとあとでドクトラを取るにあたっての課題となるわけです。

渡辺さんの本は、Passageなどの東大現行の語学テキストと並行して、語学書として読み、
哲学史と哲学書は、日本語ですばやくしっかりとお勉強なさるほうがよろしいです。
そして、大学の図書館に海外の論文がたくさん置いてありますから、
興味のあるもの10本くらいコピーを取って挑戦してみられるとよいです。
アメリカではフランス現代哲学の研究は非常にさかんですから、英語の紀要論文がたくさんあります。

んー回答つかないね。笑
哲学の質問じゃないからだろうけど。
東大の院試、文系はどこも変わらないし
コンセプトはずっと今もかわらないと思うから書きますが、
英語もフランス語も、文法レベルは通り越していて、
正しい意味を汲み取り、思うところを正確に伝えられるか。
だから気を大きく持って取り組めばいいんです。
英語でペーパーバックが誤解なく読めて、あらすじや感想がまあなんとか書けるくらいなら大丈夫。
フランス語もそのくらい。文法だけなら準一級程度で十分。
とはいえ、インテリジェ...続きを読む

Q哲学は非生産的で無価値な学問分野という考え

工学部の教授の講義で、「哲学は非生産的で無価値な学問分野です。何が楽しくて4年間も勉強するのでしょうね?(笑)」
と言っていたのですが、哲学を専攻している人は哲学は非生産的で無価値な学問分野という批判をどのように反論しますか?

Aベストアンサー

私なら反論はしませんね。
質問攻めにします(笑)

まず、生産的・非生産的というのはどういう意味か問います。
生産的というのが、「物質を加工して何かを作る」事であると答えられたと仮定します。
非生産的な事が「無価値」という事は、農業・工業以外のサービス業に従事する人は無価値と言うことになりますね。
今や、日本でサービス業に従事する人は6割以上に昇ります。
つまり、この論理でいけば、殆どの人が「無価値」な事をしてるわけですね。
ということは、「無価値」な事でもそれなりに人間にとって必要ということですよね?(必要ないなら、サービス業は淘汰されねばならないでしょう)
ということは、哲学が「無価値」でも人間にとっては必要ということですね。

また、生産活動とは「人々に幸せをもたらす事」と抽象的な事を仮定したとしましょう。
確かに、サービス業も商品を分配したり娯楽の時間を作ったり(無形生産)しています。
しかし、同じように哲学も「知的好奇心を満たす」為の生産活動を行っています。
例えば、哲学者は自分の研究の結果を本という「形」にして世に送り出します。
これは「生産活動」とは言えないのでしょうか?
それを読んで愉しむ人が居るなら、他の娯楽のサービス業と何処か違いがありますか?
例えば、パチンコ店なんてパチンコ好きには価値ある存在ですが、パチンコ嫌いには無価値な存在ですよね?
ということは、哲学も貴方にとって無価値でも私にとっては価値があると言うことになりませんか?

まぁ、ともかく生産的・非生産的徒は何か、価値あるものと価値のないモノの違いは何かを定義してくれなくては、反論のしようがありませんので。
そうそう、私の経験則なんですが、「確乎とした信条・理論(≒哲学)」を持っていない人は、質問攻めにすると必ずボロがでます。

私なら反論はしませんね。
質問攻めにします(笑)

まず、生産的・非生産的というのはどういう意味か問います。
生産的というのが、「物質を加工して何かを作る」事であると答えられたと仮定します。
非生産的な事が「無価値」という事は、農業・工業以外のサービス業に従事する人は無価値と言うことになりますね。
今や、日本でサービス業に従事する人は6割以上に昇ります。
つまり、この論理でいけば、殆どの人が「無価値」な事をしてるわけですね。
ということは、「無価値」な事でもそれなりに人間...続きを読む

Q哲学者ゲーテの言葉 この言葉を英語で知っている方

ゲーテの言葉で気になった言葉があったのですが、英語だとどのように訳されているのか知りたいです。

日本語では、
ただ、ひたすら自分が正しいと思う、道を歩けばいい。
他人がどのような道を歩こうと、気にしてはいけない。
と書かれています。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ゲーテの言葉で有名なのは、以下のものです。
自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。

一方、ダンテの言葉で以下のものがあります。
お前の道を進め。人には勝手なことを言わせておけ。
Go your own way and let the people talk.
又は Go your own way; let others talk.
ネットの例
http://www.meigennavi.net/pc/word/026/026339.htmhttp://matome.naver.jp/odai/2124529995468747114/2124530021991150065
http://ameblo.jp/salesjapan/entry-10150318612.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012408690
http://topquotescollection.com/go-your-own-way-let-others-talk/
http://lee-byungkyu.jugem.jp/?eid=11

ゲーテの言葉の方がひねくれています。
ダンテの言葉の方が御質問の言葉に近いように思います。

ゲーテの言葉で有名なのは、以下のものです。
自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。

一方、ダンテの言葉で以下のものがあります。
お前の道を進め。人には勝手なことを言わせておけ。
Go your own way and let the people talk.
又は Go your own way; let others talk.
ネットの例
http://www.meigennavi.net/pc/word/026/026339.htmhttp://matome.naver.jp/odai/2124529995468747114/2124530021991150065
http://ameblo.jp/salesjapan/en...続きを読む

Q哲学の分野で「親和力」はどういう意味で使われていますか?

哲学の分野で「親和力」はどういう意味で使っているのかがよくわかりません。ほら、国語辞書の定義と異なった意味で使われているばあいがありませんか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3

ベンヤミンは「ゲーテの「親和力」について」を書いてるようですが、畑違いで、ギブアップ。

ご参考?まで。

Q英語の哲学てきな質問です。質問も理解できてない・・

質問はis world government necessary to overcome the negative consequence of anarchy?です。
自分の質問の日本語訳は「世界政府は無政府状態の否定的な結果を克服する必要性があるか?」
だと思うのですが、世界政府があるのに無政府状態とはどんな場面なのでしょうか?
それと訳が間違っていれば直してもらえると助かります。。。是非お手伝いおねがいします。

Aベストアンサー

こんにちは。

哲学はよく分かりませんが・・・^^;
Is world government necessary ...?といっているので、
普通に訳せば「無政府状態の否定的な結果を克服するために、世界政府は
必要なのか?」というのが質問の内容だと思います。

英語でエッセイ(レポート)を書いていらっしゃるんでしょうか。
私だったら・・・まずそのthe negative consequence of anarchy とは
何かを文献を元に示して、世界政府によってそれが克服できるかどうかを議論する
と思います。

あんまりお役に立てなくてすみません。
ご参考まで。

Q知識が哲学の邪魔をすること(場合)ってありませんか?

先の質問で判断停止という用語を覚えたのですが、ひらたく解釈すると、
何らかの前提を信じることで、その前提より以前に前提があるかもしれないことを保留してしまう
、、、という意味に受け取ってよいのでしょうか?
「何らかの前提を信じることで」の部分がちょっと違うような気もしますが、
おおざっぱに言ってしまえばこれでOK?
もし解釈が間違ってたらここから先は質問になりません。
間違いを正してください。

さて、解釈がまあそれでよしとしようであるなら、
そうして得た答えというのは、生活上の解決にはつながっても、
元々の問いに対する答えとは別物の気がします。

知識を得ることで、なんとなく納得できてしまう疑問。
考えることをそこでやめてしまうとしたら、
知識が哲学することの邪魔をするということになりませんか?

Aベストアンサー

こんにちは。

 ぎゃくにエポケー(判断中断)というのは:

   知識やそのときの状態と段階でさらに思考を繰り返しおこなうことで
  ひょっとすると哲学することが邪魔されるかも知れない
   という考え方の上に立っている。

 はずです。そしてその場で判断を一たん打っ棄っておくことによって――その提唱者( E. フッサール)の思惑にあっては―― さらに《直観(ヒラメキですね)》が得られるという見通しのもとにあります。

 判断を中断することによって――知識も気持ちも余分なものにはいっさいこだわらないとすることによって―― 《純粋意識》に達して言わば《ものの見えたる境地》にいたる。ということだと捉えられます。

 参考資料として:
 【Q:現象学の 本質直観を くわしくおしえてください。】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7034634.html


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