この俳句の意味を教えてください!

1千年の留守に瀑布を掛けておく

瀑布っていうのが滝っていうのはわかるのですが、
他の部分をどう解釈すればいいのかわかりません。

簡単にでいいので教えて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 夏石番矢さんの句集『メトロポリティック』にある有名な句のようです。

参考URLでは、「未来より滝を吹き割る風来る」という句と並んでいます。
 
 「1千年の」とありますが、「いっせんねんの」では字余りですので、「千年の」ではないかと思っていましたが、やはり「千年の留守に瀑布を掛けておく」が正しい句形のようです。

 『メトロポリティック』は昭和60年刊ですので、残念ながらミレニアムとは関係なさそうです。

 大岡信さんの、岩波新書「第十 折々のうた」の94頁に、誇張表現を用いた「大言壮語」の句だと解説されています。詩人の高橋新吉の作品の一節「留守と言え/ここには誰も居らぬと言え/五億年経ったら帰ってくる」を引用して「滝を千年間留守番におく」と説明されていますので、「俺は千年経ったら(ここが大言壮語)帰ってくる。その間の留守番としてここに滝を掛けておく」というぐらいの意味でしょうね。

 すばらしい風景の滝を見て、必ずまたここにやって来ようという気持ちを詠んだ句ということでしょうか。
 私は滝の主(ぬし)の竜かなんかがどこかに居なくなったというような伝説でもある滝なのかと思っていましたが……。(^^;)
 
 瀑布(滝)が夏の季語です。

参考URL:http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~ektsasa/haiku6.html
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この回答へのお礼

そうですね、よく本を見てみたら「千年の」に
なっていました。

とても難しい句なんですね。
国語の先生にも聞いたのですが、はっきりした答えがなくて
ちょっと困ってたんです。。。
でも、とても分かりやすい解説をしていただいて助かりました!
これを参考にさせていただきます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/23 17:10

雄大な俳句ですね。

1千年で思いつくのはキリスト生誕千年後に最後の審判が下されるという話です。この俳句の読まれた背景が分からないので、全くの当てずっぽうですが、1999年から2000年にかけて21世紀は何時から始るのかとか、ミレニアム(millennium)が話題になった頃、ナイアガラ(北米)イグアス(南米)ビクトリア(アフリカ)の三大瀑布のどれかを歌ったものではないかと思われます。神様が次の千年祭に戻ってくるまで地球環境を守るよう願って瀑布を地球にかけたと解釈できるのかどうか・・まったく自信なしというかヒントなしでわかりません。
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この回答へのお礼

キリスト生誕・・・全く思いつきませんでした。
私も背景とかヒントの全く無い状態なので、
正しい解釈の仕方は未だにわからないんですが、
参考になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/23 16:53

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Aベストアンサー

明智平から華厳の滝は歩ける距離ではありませんので、来たときに降りたのと同じ路線バスに乗れば、華厳の滝に行けます。

東武バス中禅寺温泉、湯元温泉行きに乗車し、中禅寺温泉で下車すると、バス停から華厳の滝は、歩いてすぐの場所にあります。

華厳の滝には、まだ雪があり、足元は固まっているかと思います。
二年前の四月初めに行きましたが、足元にガチガチの雪がありました。

服装は襟元を暖かく出来るような、調整出来るものをお持ち下さい。

戦場ヶ原は、まだ雪に埋もれていますからね。

昼食は華厳の滝のエレベーター周辺にも軽いものは販売していて、寒いときに暖かいものを販売しているので、とても美味しそうに感じました。
周辺には蕎麦屋やゆばまんの店は沢山あります。

洋食でシェ・ホシノは、歩いても近いです。
http://tabelog.com/tochigi/A0903/A090301/9002995/


ところで、日光では、金谷ホテルの100年カレー、カレーパン、カレーパイが名物です。
東照宮の参道にも、金谷ホテルのレストランがあり、カレーパイを販売しています。
レストランではなく、レストラン前には椅子が置かれていて、まわりのそば屋や軽食を一緒にいただくことができます。
イメージとしては、和風のフードコートのようなもの。

ですから、そこでの食事もたのしいですし、カレーパイを購入して華厳の滝の入り口で他の暖かいものを購入して一緒に召し上がるのもよいかもしれません。

金谷ホテルのパンは、東照宮の入り口近くにある金谷ホテルの売店や日光の駅でも販売しています。

明智平から華厳の滝は歩ける距離ではありませんので、来たときに降りたのと同じ路線バスに乗れば、華厳の滝に行けます。

東武バス中禅寺温泉、湯元温泉行きに乗車し、中禅寺温泉で下車すると、バス停から華厳の滝は、歩いてすぐの場所にあります。

華厳の滝には、まだ雪があり、足元は固まっているかと思います。
二年前の四月初めに行きましたが、足元にガチガチの雪がありました。

服装は襟元を暖かく出来るような、調整出来るものをお持ち下さい。

戦場ヶ原は、まだ雪に埋もれていますからね。

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近所でお月見の集いがあったんでしょう。
その門口に「入り口に段差あります」と貼り紙してあったんじゃないでしょうか?
「名月に見惚れてつまづかないでくださいよ」という
主の心遣いなんだと思いますよ。
その字を見ているうち、いっそう興趣がつのってこられたんじゃないでしょうか。
「入り口に段差あります十三夜」
ほのぼのとした句だなぁと思います(俳句と言うより川柳みたいだけど)。

十三夜は、昔から十五夜にまさるとも言われる名月だと言われているそうです。また、十五夜よりも気候がよく、くっきりと見えることが多いそうです。みなで集まって十五夜も、十三夜もともにめでると言う習慣が段々なくなってきているので(私も含めて)、「十三夜」と言われても雰囲気がぴんと来なかったりするんですね。

一葉の「十三夜」は、この「後(のち)の月」の光に照らし出されたひとつのエピソードのようにして語られています。
泣かされますよ。機会があったらお読みになってください。

http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/13.htm

http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0711.htm
(下のは二行でひとつのURLです)

近所でお月見の集いがあったんでしょう。
その門口に「入り口に段差あります」と貼り紙してあったんじゃないでしょうか?
「名月に見惚れてつまづかないでくださいよ」という
主の心遣いなんだと思いますよ。
その字を見ているうち、いっそう興趣がつのってこられたんじゃないでしょうか。
「入り口に段差あります十三夜」
ほのぼのとした句だなぁと思います(俳句と言うより川柳みたいだけど)。

十三夜は、昔から十五夜にまさるとも言われる名月だと言われているそうです。また、十五夜よりも気候がよ...続きを読む


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