プロが教えるわが家の防犯対策術!

死への欲望があると聞いたのですが(たしかタナトス)、いろいろと意見をお願いします。
私は死にたくはないと思うのが普通だと思っていたので、初めて聞いたときは戸惑ってしまいました。今もちょっと戸惑ってます。

A 回答 (17件中1~10件)

こんばんは。


精神疾患を抱え、ついこの間まで死にたいと思っていたものです。
生きていると辛いことが沢山あります。
頑張っても頑張っても報われないこともあります。
あまりに苦しくて、死んで楽になりたいと思うのです。
一種の「逃げ」ですね。
「死」に対して「安らぎ」を求めてしまうのです。
しかし、今はあまり無理をせずに今を楽しんで生きていこう、せっかくいただいた命だからと思えるようになりました。
参考になれば幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

さっそくの回答ありがとうございます。

死によって今ある不幸を終わらせたい、ということでしょうか。ハムレットもこのようなことを悩んでいましたよね。
参考になりました。

生きることに前向きになるほど回復して良かったですね。きっとまだ経験すべき楽しさや面白さが待ってると思います。

お礼日時:2006/03/19 22:34

すべての生物にも物質にも、安定した状態へ


向かう性質があると聞いたことがあります。
生物より物質、有機物より無機物のほうが
より安定しています。

人間も精神よりはるか深いところで、
安定した死の状態を求めているのかも
しれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も“安定”を求めてます。“死”ではないんですが。やはり物でも人でも、不安定な場所に存在したいんですね。

お礼日時:2006/03/19 22:58

私も死にたいと昔思った経験があります。


理由は、幼少の頃からアルコール依存症の父から毎日虐待を受けながら育ちました。具体的には、毎日頭を殴られて体中を蹴られたり、耳の鼓膜も破れました。目を蹴られて目の血管が切れて失明寸前になったり、叩かれたあざから血がにじむほど同じ所を叩かれたり・・いつか殺されると思っても誰も助けてくれませんでした。母は、離婚をすると言って実家に私を連れて行きましたが、別れさせてくれませんでした。
そんな毎日だったので、自分は何の為に生まれてきたんだろうと思っていました。
人が恐くて銀行に行くにも心臓がよじれそうでした。
そんな私だったので学校でもいじめられ、死にたいと思ったりしました。

こんな絶望のどん底の時、生まれてきた事の意味や人生の目的や目標などがあれば少しは違ったのかも知れないと思いました。
その様な倫理観や哲学を持っている人は強いと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

何かの本で、絶望とは生きたまま死ぬ状態である、と書かれていたことを思い出しました。この場合の“死”とは完全に否定的な意味ですが。
私も絶望の淵に彷徨い歩いたことはありますが、回答者様たちの話を聞いていると、きっと自分の絶望エピソードなんてたいしたことないと思われるんだろうな、と思います。

お礼日時:2006/03/19 23:03

私も精神疾患患い中です。


発病する前は、仙人になりたいくらい「生」への欲望が強かったのですが、患ってみると...
「今現在辛くてたまらない」→「死んだら楽になるかなー」と、ふと考えたりしています。不幸からの逃避というより、「辛い現実からの逃避」ですね。

現在は、「タダ死にするなんてもったいない。発病させた上司と会社に復讐してやる~」と怨みにかわり、アレコレ復讐計画を練っている間に、好調期に入ってサッパリ忘れるナンダコレという生活です。

あ、あとたまに「あてつけに死んだろか」と考えることもありますね。あてつけに死んでも、何も感じなさそーな上司なんで、実行しようとは思いませんが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

きっと復讐してやろうとあれこれ考えているうちに、いつの間にか体調が好転していき、時間が経つにつれ忘れていきますよ。

お礼日時:2006/03/19 23:09

心の中の悪意を打ち消して人間らしく正しく生きたいと考えるとき、その人自身は悪意に死んでくださいとお願いをしたも同然です。


こういうときに自己の同一性とは切り離された心の中の死と言うか、新陳代謝が働きます。
もしもこのときに死の予感や願望が心に浮かんでくるとしたら、それは悪意があなたに責任転嫁してもがいていることを示します。まったく自覚の無い場合水面下に抑圧された状態でこれらの代謝が行われているわけで、脳が規則正しく仕事をしていることを示しています。
これらの心の動きは神経伝達物質の動きで観察できます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

科学的な回答ですね。とても参考になります。

お礼日時:2006/03/19 23:12

 こんばんは。

大学生の男です。
私は数年前までは死への欲望があり、今は生への欲望があるものです。
意見を言う前に、まず私が死から生への欲望へ変わった経緯を書きます。
長文でめんどうであれば『●死への欲望を持つ人とは?』以降からを読んでください。

●経緯

 私は中学・高校時代、勉強を執拗に強要する母親の元で過ごして来ました。

 中学校時代、成績が悪くなると、夜9時以降にテレビを見ているたびに勉強をするように言われ続けました。
そのせいで勉強嫌いになっていましたが、中学3年時には周りの受験ムードで熱心に勉強しだしました。
元々、努力はするタイプ・勉強はやれば良い点が取れるタイプだったので、高校は私立の進学クラス入る事ができました。
 
 高校時代、親からの教育洗脳もあってまじめに勉強しましたが、現役で大学は受からず1浪して大学に入学しました。

 親からの要望で大学進学を目指していた私にとって、浪人生活はまさに地獄でした。
何のために勉強しているか分からないけれど、真面目な性格なので懸命になって勉強をしてしまう・・・。
そんな日々でした。この時期は毎日のように死にたいと思っていました。

 大学進学後は親元を離れ自由な生活が出来たので、生活がとても楽しく生きたいと思うようになりました。

 今では課外活動も学業も、とても楽しく思っています。

●死への欲望を持つ人とは?

以上のような体験から、私は次のような人が死への欲望を持ち得るのだと思います。

・真面目な人 or 自分の考えが他人に理解されない人の中で、自分にとって不都合・嫌な現状(死への欲望を持った現状)を打開する、具体的な解決法や価値観を現在持っておらず、今後もそのような環境が続くと考えられ、将来に希望が持てない人

・それ以外に先天的にそのような病を持っている人(←このような人は私の周りにいないので、これは単なる私の直感)


 世の中には色々な人がいて色々な生活環境があります。
だから、死にたくないと思う事・死にたいと思う事は各個人において普通であり、普通ではないと思います。

 ある哲学者(名前は忘れた)が言った言葉があります。

『幸せであるとは幸せを感じていない状態である』(←だったと思う )

まさにその通りだと思います。

 でも死にたいと思っている人にこそ、私は言いたいです。

『今は不幸であっても、幸せになりたい・生きたいと思っていれば、必ず幸せへの道・生の欲望への道は開けます。
 確かに生きる事は無限の苦しみだと思います。でも、それは今をよく生きている証拠であり、今後をより充実して生きるために不可欠な事です。』

質問者さんのその『戸惑い』も今後、きっとプラスになると思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

つらい日々を乗り越えられたのですね。
母親からの呪縛から逃れられて良かったですね。
でもきっとそんな母親と分かり合える日がくると思います。

今はつらくとも、いつかは晴れる日も来る、ということでしょうか。

お礼日時:2006/03/20 11:31

鈴木剛介さん著の「自殺同盟軍」って本読むといいですよ。


もう生きる道がないから自殺する人の集まりではなく
単純に生きることに魅力を感じないから死にたいので
どうせなら意味のある死にしよう、という話。
主人公は、なんでみんな死にたくないんだろう
なんで死は悪なのか、などと考えます。

読んだ限りでは、愛する人がいれば死の欲望なんて消えるんだな、と思いました。
相思相愛になった瞬間は、死ぬことなんて考えないんです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

なかなか面白そうな本ですね。

>読んだ限りでは、愛する人がいれば死の欲望なんて消えるんだな、と思いました。

やっぱりそういうオチなんですね。でも、そういう人が見つからない人は・・と考えてしまいます。相思相愛なんて、案外奇跡に近い気がするからです。
相思相愛の人がいる時点で幸せですね。

お礼日時:2006/03/20 11:35

タナトスは、生きるのが辛いからといった現実逃避願望から生まれる


死への衝動や憧れとは少し違うと思います。

タナトスとは、フロイトが主張した
●快感希求的なリビドーに対する自己破壊への衝動
●マゾヒズムを説明するために考え出された概念
のことだと理解しています。
正確に記すと、タナトスという言葉は
元フロイトの患者の、分析家で後にフロイトと決裂するシュテーケルの考案であり
フロイト自身この言葉を嫌っていて、あえて使っていないと聞いておりますが。

ともあれ、私の解釈では
タナトスはエロスとセットになることが多い言葉で
もう少し性的なニュアンスがあるのではないかと思います。
例えばハンス・ベルメールの球体関節人形や
最近人気の、解剖された本物の遺体死体を展示した「人体の不思議展」の
不気味ながらも妖しい魅力が「タナトス」的なものではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

心理学的な回答で大変参考になりました。

性的な意味も含まれるのですね。なるほど、これなら“死”の中にも快楽がどことなく生まれ、その結果意識的にせよ無意識にせよ、求めてしまうのかもしれません。

お礼日時:2006/03/21 02:31

普通に考えれば良いと思います。



欲しいもの(欲)が「死」になっただけです。

けれど、死ねないですよね。これは、人間の
生活の中には「文化」があるからです。
普通に死ぬ事を進める文化はないと思います。
昔のお侍さんでも、勝手に切腹はできません。

文化の中には「記号」があふれていて、それが
「構造」のようになっていると思っていただけると
有難いです。

例えば、流行の音楽や服を好みますよね。それが
「記号」です。この記号を身につければ、仲間が
できたり楽しいです。これが文化です。

みんなが生活する文化の中には、「命を大切に」や
「他人のために」という言葉があふれていると思います。
この文化という服をきているから、普通は死にたくないと
思うのです。

しかし、「ふと」文化から心と体が離れて、我を見たとき、
「死」という欲望も普通になると思いますが。

構造主義の面から見てみましたが、どうせ人間は死ぬんだから
精一杯生きてみましょう。ニーチェなんか良いと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「文化」ですか。なるほど。ある意味洗脳みたいなものでしょうか。

>どうせ人間は死ぬんだから
精一杯生きてみましょう。

ですよね。死ぬ前にやりたいこと全部やったほうがいいですよね。

お礼日時:2006/03/23 23:42

 死の欲望は言い換えれば破壊衝動では?純粋な快楽目的の。

ドラクエもFFもバイオハザードも鬼武者も格闘ゲームも、一種の破壊行為だと思います。2次元(?)の世界での。楽しくないですか、破壊行為は?笑
 でも、創造があるのなら破壊もある。生きたいと体が叫ぶこともあれば、死への欲望へ駆り立てられることもある。(それは意識的に死んでやろうと考えることとは違うと思う)そう考えれば、本能的で、自然なことだと思います。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

破壊衝動ですか。たしかに壊すのは面白いですよね。がんばって作った砂山とか。笑

お礼日時:2006/03/23 23:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!