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下記サイトに硫黄島の戦闘の体験記があります。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/page3.html

この中に、「20キロ爆弾を作って背負い」「明朝敵の戦車に飛込み、戦車諸共我が身も死ぬのである」とあります。
どうして戦車に飛び込む必要があるのでしょうか?
爆弾は投げたり、戦車が来そうなところに置いたりすれば十分威力があるはずです。
どういう仕掛けで爆発するようになっていたのでしょうか?
戦車に引かれて初めて爆発する代物だったのでしょうか?
起爆装置はなかったのでしょうか?
「アラビアのロレンス」で遠隔で鉄道を爆破していましたが、あの方法がよいと思うのですが。
少なくとも手榴弾と一緒に投げればと思いました。

よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

戦車の弱点であるキャタピラを破壊したかったのです。


投げても正確に届きませんし、爆発のタイミングが正確でないと意味がありません。
地雷をキャタピラに貼り付けたりすることもよく行われていました。
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物の数も少ないので失敗は出きません。


キャタピラを確実に破壊するため、兵士が直近まで行って、キャタピラに踏ませたのです。
当然、爆発に巻き込まれて還ってはこれません。

後では、どうとでも言えます。
当時最良の方法がそれだっただけです。

手榴弾も100%爆発するような代物でも無かったですし。
連合国側の装備とは昭和初期と平成とぐらいの開きがあったんです。
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>どうして戦車に飛び込む必要があるのでしょうか?


>爆弾は投げたり、戦車が来そうなところに置いたりすれば十分威力があるはずです。

爆弾を投げるだけの体力はその当時の日本軍人は無いです。
実際に硫黄島に届ける物資もほぼ無くなっていました。また、制海権・制空権は米軍にほぼ制圧されていました。
ですから、日本軍の補給路は完全に閉ざされていたのです。

また、当時の日本軍の兵士は「玉砕する」という極限の精神状態だったのです。
ですから、爆弾を背負って自爆するという、特別攻撃をしたのです。
爆弾も限られていたので、絶対に爆弾を命中させると言うことで特攻したのです。
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戦車にはいくつか弱点があります。


(1) エンジンの排気部(車体後上部)
(2) 砲塔基部
(3) 車体底面

キャタピラや駆動部分は比較的簡単に壊れますが
移動不能にするだけで、破壊には至らないことが
多いですから、
戦車の底に潜り込んで自爆というのが
理想的な対戦車特攻です。
日本軍でもそのように教育していたと思います。

爆発物・爆風というのは
上方向に威力が強いという特徴があるので
爆弾を戦車に投げつけるだけでは
ほとんど効果はありません。
装甲に阻まれるだけです。
現在は化学弾頭があって、
飛散した化合物が装甲を焼き溶かすことができますが、
第二次大戦当時はそういうのもありませんし。

あとは、砲塔基部に対戦車地雷を差し込んで
起爆すると破壊することができますが、
そこまで接近するのがそもそも困難です。
米軍は日本軍の特攻を想定して
火力を強化していましたから、
こういう通常の人間による対戦車攻撃は
上手くいきませんでした。

磁石の付いた対戦車手榴弾もありましたが、
接着させるまでに死ぬのが関の山。

パンツァーファストや、バズーカのような
対戦車兵器のみならず
重火器全般が欠如していたのが日本軍の特徴ですが、
人間が用いる対戦車兵器は、火炎瓶が主流だったと聞きます。
火炎瓶はエンジン上部に上手くかけると誘爆の可能性もあったのですが。
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 現在の見方から合理的に考えると、人が爆弾を背負って戦車に飛び込むのは狂気の沙汰でしょうが。


 その硫黄島の戦闘の時点で、すでに日本には有効な対戦車兵器(例えばバズーカ砲)が無かったため、米軍の戦車を倒すための苦肉の策が、1人の兵隊が(犠牲となって)戦車の下に飛び込み敵戦車と刺し違える方法だったということです。そこまで追い込まれていたということですね。
 戦車は鉄の装甲を被っているので、少しの爆発ではびくともしません。致命的なところに強力な爆発が無ければ壊せません。前の方も書いていますが、戦車の底は弱点の一つです。
 戦車を壊せるだけの爆薬は相当重いので、とても投げられるような重さではありませんし、もし投げようとしても振りかぶっているうちに撃たれてしまうでしょう。また、戦車の来そうなところに置いておくだけでは、敵の歩兵が見つけて排除してしまうでしょう。やはり、確実に戦車を仕留めるには、ぎりぎりまで隠れていてさっと飛び出し、戦車の下に潜り込むという戦法になったのだと思います。
 起爆装置についてはわかりませんが、おそらく自分で点火できるような何らかの仕掛けをしていたのではないかと思います。
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整理します。


1.爆弾は投げつけても戦車を破壊できない。
 戦車の側面は一番装甲が厚いので、歩兵の投げつけられる程度の爆弾ではどうということはない。

2.戦車の来そうな所に置いて置くだけでは効果が低い。
 米軍の戦車は日本兵に比べて「大量」にあるので、一両二両を破壊しても戦局に影響がない。一両でも多く破壊するためには確実を期す必要がある。
 対戦車地雷の効果的な戦術は「地雷原の敷設」だが、当時の帝国陸軍には充分な数がなかった。そのために「ピンポイント」で狙う必要があるが、道路に敷設した場合、発見して除去される可能性のほうが高い(戦車の通る確率が高いのは道路の中央部。最も発見されやすい)。

3.起爆装置を歩兵が操作する必要があった。
 道路の中央から、起爆用の導火線が出ていたら、この爆弾にかかる軍隊はない。効果的に作動させるためには対戦車信管(歩兵では作動しないが、戦車では作動するもの)か、無線リモコン装置が必要。どちらも当時の帝国陸軍にはなかった。

4.「アラビアのロレンス」では鉄道だった。
 確実に爆弾を通過する。
 速度が速いので、列車側が対応しきれない。
などの理由で効果的だった。経路を自由に選べ、速度の低い戦車では同じ戦術は効果がない。

5.手榴弾は「対歩兵兵装」
 手榴弾は少量(戦車から見ると)の爆薬で、破片を飛散させて歩兵を傷つける武器。手榴弾程度の爆薬では戦車に効果はない。

 当時の対戦車兵装では「パンツァーファウスト」や「バズーカ」といった「対戦車榴弾(成型炸薬弾)」が歩兵用の対戦車兵装でした。帝国陸軍では「戦車戦術」を軽視していたため、効果の高い対戦車兵器が作られなかったのです。現場の歩兵部隊で「取りうる最良の対戦車戦術が爆弾を抱えて特攻」だったのです。
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日本軍の対戦車攻撃方法は、殆ど確定されていませんでした。



火炎瓶が対戦車戦に有効であると言う事です。

火炎瓶です。
もう、どれだけひどいかお分かりでしょう。

これを、排気管にぶつけ、エンジンをオーバーヒートさせ、
その後戦車の、のぞき穴から小銃や拳銃、軍刀で仕留めると言う方法です。

少尉が軍刀で突き刺そうと穴をのぞくと戦車兵の拳銃で目を打ち抜かれ、
怒った部下が小銃を構えると、胸を打ちぬかれた。

こんな感じだったようです。

確たる対戦車攻撃法が無いまま対戦車訓練は続けられます。
日本軍の野砲や、対戦車砲では、正面装甲を貫徹出来ませんでした。

最終的に、爆弾や、地雷を持って突っ込む以外有効な方法が無かったのです。

ドイツ軍は、M4シャーマンを、連合軍のストーブと呼んでいます。
構造的な欠陥で、火災、誘爆が多いからです。

この欠陥は、砲弾庫を水タンク式にするなど、ある程度改善されましたが、根本的な解決には至りませんでした。

ドイツ戦線では、既にドイツは後退を余儀なくされており、大きな反撃の無いままでしたので
問題は大きくなりませんでした。

タイガー戦車も降伏寸前の登場でした。

この事から、M4ストーブの中戦車を、重戦車扱いした日本軍が、どれだけ
機甲化、装甲化、機械化、重砲化の遅れをとっていたかが計り知れると思います。
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教育総監部 昭和20年版「対戦車戦闘の参考」によれば、


急造爆雷は 5瓩(伏投).7瓩.10瓩(膝投/立投)の3種で携行/攻撃動作/
威力から7瓩爆雷が最も有利とされています。

攻撃要領は肉攻壕に隠れ敵戦車が近接する迄待ち、匍匐前進し敵戦車
の2~3m斜め前方から反対側の履帯内側に投げ込み、確実に車体の下
に入る様にします。
信管と手首は40糎程の紐で結び、投擲する事により摩擦門管が発火し
1病後に爆発するので素早く伏せる様に指示されています。

決死ですが必死では有りません、実際に僅かですが生存者もいた様で
す。

今回の例ですと20瓩ですから投擲は不可能です。
追いつめられた実施部隊はどうせ死ぬのなら確実に破壊できる様に装
薬を増量したのでしょう。

線路の上しか走らない鉄道と違い、相手は何処でも行ける戦車ですか
ら仕掛け爆弾は使えません。

この回答への補足

多くの方にお答えいただきありがとうございます。
ここでまとめて感謝申し上げます。
皆様の回答で、当時の日本軍の対戦車戦闘方法は理解できました。
しかし、硫黄島では、「玉砕禁止、徹底抗戦」の指令が出ています。自爆ではなく、ヒット・エンド・ラン方式で戦うべきではないでしょうか?
 そこで浅学・無知ながら次の作戦を考えてみました。
1.ジョーズ方式
 爆弾(投げれる程度の重さ)を粘土で包んだのを投げて戦車に付着させ、鉄砲で爆発させる。
 戦車の上部出入り部を爆破できれば、敵兵を捕虜にでき、戦車も入手可能。破壊するばかりが能じゃない。
2.ハンマー投げ方式
 爆弾か手榴弾にひもをつけ、ひもの先に重しをつける。これを投げて戦車の砲門にからません。手榴弾なら自動的に爆発するし、爆弾なら鉄砲で撃って爆発させる。
 砲門を破壊された戦車はおもちゃのようなもの。
3.糸車方式
 長い紐を用意し、一方に爆弾、一方に枝でつくった矢をくくりつける。弓矢で矢を放ち、戦車のキャタピラにからめる。あとは糸車の要領で、爆弾がキャタピラにからみとられ自動的に爆発する。

補足日時:2006/03/22 02:37
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新方式にも「かなりの無理」があります。


1.ジョーズ方式。
 a.爆弾を吸着させる装備がありません(ドイツでは「磁気による吸着」、「アメリカではプライベート・ライアンで描かれた様な粘着性の物質で吸着」する方法が考案されました)。
 b.作動装置を狙撃する前に、敵兵に倒されます(戦車は戦車だけでは行動しません。必ずと言っていいほど歩兵隊を随伴させます)。
 c.銃弾では撃発装置(信管)が作動しません。大抵は単に壊れるだけ。
 d.投げつけて付着させられる場所では装甲が厚く「それ用の爆弾」でなければ戦車はびくともしません。繰り返しですが、戦車の装甲が薄いのは「下面」「上面」「背面」です。

2.ハンマー投げ方式
 a.投げつける前に投擲兵が敵の随伴歩兵に倒される。
 b.よほどの幸運がないと主砲身には絡まない。
 c.1.同様、遠隔撃発の方法がない(実のところ、この技術が一番のネックになっている。銃撃で爆破出来るのは「映画だから」)。
 d.砲身が多少壊れても、戦車の対歩兵戦闘能力はほとんど低下しない。砲身が曲がったり半分になった程度では発射可能な上、車載機銃、随伴歩兵もいるので「全体としての対歩兵戦闘力」はほとんど変化しない。

3.糸車方式
 a.弓箭がない(笑)。戦国時代ではないので、歩兵装備に弓箭は含まれない。素人が作る程度の弓箭では射程数m。手で投げた方が早い。
 b.爆弾は自動的に「爆発しない」。これも繰り返しですが、何しろ「一番の問題は、どうやって爆弾を爆発させるか」です。

どの方法をとっても#8さんの言われる「当時の帝国陸軍が採用した方法以下」です。何しろ「どうやって爆弾を作動させるか」について、全く考えられていませんから。

指令が「徹底抗戦」であっても、補給・増援・撤退の期待出来ない状態でいつまで続けられるでしょうか。毎日砲弾の雨にさらされ、食べ物、水、武器・弾薬、そして戦友が次々減っていく中で、あなたはどこまで耐えられますか。何しろ「逃げ場がない」のです。
今日を生き延びても「数日後には死ぬ」のです。
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先に回答された方の文中に明らかな間違いを認めましたので、僭越ながら訂正を。


歩兵が持ち運び、投擲できる重さの爆薬で戦車(この倍、アメリカのM4シャーマン)の破壊は可能か?というと、実は刺し違えなくても可能なのです。その証拠に、硫黄島より3年も前、ドイツ軍は突撃工兵による肉薄攻撃で、刺し違えることなくT34戦車を撃破しております。この場合、工兵用の爆薬や地雷に、手榴弾用の摩擦式時限信管がそのまま装備できたため、これをキャタピラや砲塔後部と車体の隙間、エンジングリルに載せて退避、撃破できたのです。
実際日本軍でも、三枚重ねにした吸着爆雷をシャーマン戦車のハッチの上に載せるなどの攻撃を行っており、米軍もこれに対処するため、ハッチまわりに釘状のものを溶接、爆薬が密着しないようにしたり、比較的弱い車体側面に木板を貼り、これと車体の隙間にコンクリートを流し込み、磁力吸着爆雷が付かないようにしたものがあります。
結局、爆薬を背負っての攻撃は100%撃破確実を狙っての特攻だと思われます。皮肉なことに、肉体がクッションになってしまい不発に終わったこともありましたが。

追記・バズーカやミサイルに使われているHEAT(成型炸薬)弾頭の兵器は、日本でも「タ弾」の名で、小銃擲弾として配備されておりましたが、口径が小さいためM4に対しては力不足でした。また、HEATが高熱で装甲を溶かすというのは古い間違った認識で、実際は弾頭が溶けて気化したメタルジエットの集中圧力で撃ち破るものです。

参考URL:http://sus3041.web.infoseek.co.jp/index.html
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