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映画『パトリオット』『ラスト・オブ・モヒカン』を観て思ったんですが、なぜ18世紀あたりの時代の兵はわざわざ列を綺麗に作って、指揮官が「構え!」、「撃て!」と言うまで撃たないのでしょうか?
『パトリオット』の中では、森の中を通る英兵をメル・ギブソンらが襲ったのですが、英兵達が反撃をするまでには何人もの英兵がすでに殺されてたと思います。米兵と英兵が戦場で向かい合って戦うときも、お互い隊列を作り行進して、指揮官が指示するまで攻撃しませんでした。行進して敵に向かってる間にもどんどん周りの味方が撃たれてました。
もう少し賢い戦い方があるように思うんですが・・・。
まとめますと、
(1)なぜこんな戦い方をするのでしょうか?
(2)こういう戦い方はいつからいつまであったのでしょうか?
(3)どういう国・地域・兵隊にこの戦い方は使われたのでしょうか?
知ってる方がいれば教えて下さい!

A 回答 (3件)

1 当時の銃はマスケット銃といって銃口から弾を込める「先込め式」でした。

したがって、一発撃つと再び弾を込めねばならず、その方法は火薬を銃口からいれ、棒で奥まで的確に送り、次ぎに(おくり)を入れ、さらに弾を入れ、棒で的確におくり、点火役を火皿に入れ発火装置をおしあげ、ようやく発射態勢がとれるのです。
また、銃身内に螺旋破棄っていないため、命中精度は非常に悪く、「敵の顔が識別できるまで」近づいて撃たなければ的確に命中しませんでした。
したがって、あわてて銃を撃つと、命中しないばかりか、次の発射まで無防備の状態に立たされてしまいます。
指揮官は、できるだけ近づき一斉発射をし、次ぎに銃剣による白兵戦に持っていきます。指揮官は恐怖に負けず、冷静に状況を判断し、部下の行動を掌握する人物でなければ、つとまりませんでした。
 これに対して植民地軍の銃はライフル銃で命中率、飛距離とも格段に優れていましたが、兵隊の数が圧倒的に足りませんでした。したがって、「狙撃」というゲリラ戦法でいどんだのですが、「パトリオット」の中でも言っているように、
隠れて指揮官を狙うのは当時の「騎士道に反する」卑劣なやり方だったのです。

 同じような時期にフランスとイギリスがある戦いで火蓋を切ったのですが
「フランスの諸君、先に発砲したまえ」とイギリスの指揮官が呼びかけそれに返礼して「イギリスの諸君、君たちが先に撃ちたまえ」というようなこともありました
 マスッケット銃の性能としては戦国時代の「種子島」と似たり寄ったりですが、日本の場合は
銃の命中度を上げるのに訓練したのに対し、欧米では組織化された軍隊が早くから登場したため、部隊全体としての銃の発射速度を訓練の対象にしました。
 これは、兵の組織的教育が比較的簡単なためと、誰でもそれなりにできる結果を求めていたからです。たいして、日本のそれは、兵士一人の熟成に時間がかかり、戦死した場合コストとリスクがかかるのです。

2 この戦い方は、近世~銃が手軽になり、常設軍として国家に組織化された軍隊が定着しはじめたころだとおもいます。1600年くらいから南北戦争1800年あたりだと思います。先込め単発しきから、元込めに銃が切り替わるまでのはずです。

3 欧米列強、ナポレオンの時代、その植民地でです。

この時代の小説は、当時海軍士官を主人公にした、「ホーンブロワー」や「ボライソー」などに出てきます。(ハヤカワ文庫)
当時の医療はまだ麻酔もなく、怪我をしたものはベッドにくくりつけられて、のこぎりで怪我をした部分を切断されました。軍医は、「いかに速く手足を切り取ることができるか」が腕の見せ所でした。
 
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この回答へのお礼

へぇー、そうだったんだぁ。。やはり『騎士道」ってもんが関わってくるんですね。隊列を組んだり、敵の近くまで向かって戦う理由は“銃の性能が悪いから”とわかったんですが、行進して敵に向かう理由はどうなんでしょう?隊列で走って向かえばいいと思うんですが・・・。これにも『騎士道』が関わるんでしょうか?

お礼日時:2002/02/03 22:44

隊列についてですが、


 指揮官は部下の兵を常に掌握していなくてはならず、命令を正確に実行させる必要がありました。つまり、常に自分の目の届く範囲に、大声で怒鳴って命令が聞こえる位置に部下を集中させておかねばなりませんでした。今と違って、電話や無線はないのですから。
 また、隊列は戦闘を左右させる重要な点でした。適正な位置に、砲兵や騎兵を配置し、敵の行動に対して適切に動かす必要があったのです。
例えば、騎兵の前に戦列歩兵を幾重にも置けば、瞬間のチャンスに味方の戦列歩兵が障害となって騎兵突撃ができなくなりますよね。各兵隊を勝手気ままに走らせたら、全体の統制がとれなくなってしまうのです。
そのためにも、兵隊は隊伍を整え歩調を乱さずに歩いていきました。ひとたび、パニックになり暴走すれば防ぎようがなく、それは自軍の敗北に直結しました。
兵士達は目前の恐怖にうち勝つ為にも、走らず一歩一歩歩いて敵に向かい合ったのです。
 
また、戦闘の場所にもよります。パトロールなどの部隊が森中で敵と遭遇した場合は、地形を考えて、遮蔽物の影から各個に撃ち合うこともありましたが、
おおきな決戦ともなれば、広い広大な場所でなければ数百数千の人馬を、戦わせる事ができません。当然、草原や麦畑のような遮蔽物のない場所での戦闘となります。
 たとえば、ナポレオン時代の軍服はバッキンガム近衛兵が来ているのと同じような、原色を使いきらびやかな金モールをあしらったものでした。居場所が分かって撃たれるだろうと思うでしょうが、これには指揮官がそれぞれの兵の配置や優劣が、一目でわかる為のものです。
また、指揮官と兵士はまったく別の階級でした。これは社会的な意味での階級です。指揮官はジェントルマンとよばれ、兵士達は今で言う労働階級でした。
命令するものとそれを実行するものとに区分され、兵は画一的に機械のように使われました。対して指揮官は兵よりも先に立ち、的確な判断を下し、彼らの信頼を勝ち取る必要がありました。ただ部下にやさしいだけではなめられてしまうのです。
 兵達は時には、死刑囚、密猟者、強盗、山賊などが、刑事罰と引き替えに入隊したものも多く、そのような荒くれの中に15~16才の若者が見習士官として彼らを率いて行かねばならなかったのです。
 
 
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この回答へのお礼

またまた回答していただきありがとうございます。
謎が解けました。ホントに感謝です。

お礼日時:2002/02/07 19:22

こんばんは。

grypsと申します。
回答は1812さんがお答えなので、自分の考えを。

隊列を組んで・・・については、銃の有効射程(弾が届くのではなく、命中率が高く、殺傷能力があるという意味)が短い為、ある程度接近する必要があった事と、一斉射後に突撃を行う際に、集団戦を行うことにあります。相手を極力殺傷し、有利に白兵戦に持ち込むためには、ぎりぎりまで発砲を抑える必要があります。弾込めに時間がかかるため、先に遠距離で発砲した場合、相手に更に接近されるまでに第二射を放てないからです。

その点、織田信長の長篠の合戦の三段構えは、鉄砲の特性を理解した上での戦法といえます。最も、武田騎馬軍が真正面から向かってきて(有効射程内に相手が入ってくれる)、鉄砲を所有しない(相手が反撃できない)事が前提ですが・・・

実際には被害が出ることはわかっていながらも、そうせざるを得ないのが現状だったと思います。「パトリオット」「LOM」等での描写は、奇襲のシーンでの事で、準備万端待ち構えているゲリラ等の戦法に、会敵してから戦闘の準備を始める正規軍の戦法の差異でしょう。平原などの開けた場所での戦闘では同じような事にはならなかったはずです。ここらへんの描写は映画「グローリー」の冒頭でも描かれています。

ちなみに、アフガンに展開している(といわれている)米軍レンジャー部隊(特殊部隊)は、独立戦争時の不正規戦(ゲリラ戦)部隊からの歴史があります。

また、これらの戦法も元込め式の銃の登場(第二射のスピードが上がる)と、ガトリングガンなどの連射可能な火器の登場で消えてゆきました。

別に、これらの戦い方を模倣していたわけではないのでしょうが、近代日本軍などは203高地や第二次大戦時でも、いたずらに突撃を繰り返し、圧倒的な火力の前に膨大な被害を出しているのが、印象に残りますね。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます。
>米軍レンジャー部隊(特殊部隊)は、独立戦争時の不正規戦(ゲリラ戦)部隊からの歴史があります。
そうなんですか!!?初めて知りました。
>近代日本軍などは203高地や第二次大戦時でも、いたずらに突撃を繰り返し・・・
確かに、203高地はビデオで見ましたが、むやみやたらに突撃してますね。

お礼日時:2002/02/07 19:20

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