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平安時代の貴族等は靴を履いていたように思います。
中国も靴文化ですよね?
なぜ 日本人は 靴を捨て草履や下駄を履いたのでしょうか?
不思議です。教えてください。

A 回答 (3件)

日本の昔の「靴」は布製でした。


ですので、一般市民が常用するには、不向きだったのです。
また、下駄、草履等も履かない(履けない)人々も多かったみたいです。
さらに、日本では仏教の普及により、肉食が行われなくなり、牛馬の解体・皮革の処理をする人々は、被差別階層とされました。
つまり、靴文化に必要な「皮革」を供給する元が無かったのです。
ですので、草履、下駄が使用されてきたのです。
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この回答へのお礼

まさしく其の通りですね。納得です!!!!!!!
有難う御座いました。

お礼日時:2006/06/09 23:41

 鼻緒を使った下駄や草履は、古代より南方系のいろんな所で見られる履物です。

インド、東南アジア、中国南部~日本と、大体は古代の稲作地帯と重なっています。これはアジアの高温多湿の地域とも重なっているようです。
 ちなみに、魏志倭人伝に当時の日本人が顔にいれずみをしていたことが記述されていますが、この文化も中国ハイナン島など南方系の特色です。

 平安時代の木靴は、一時的な遣隋使~遣唐使頃の影響で上流にのみ使用されたものと思われます。この頃までの庶民は、素足がほとんどで一部草鞋もはかれていたという状況のようです。また農作業などで下駄も履いていたというようです。
 雪国では皮製の靴やかんじきが使われていたと推測されています。

この回答への補足

高温多湿の地域>私もそう思いました しかし日本よりも高温多湿の地域なはずの東南アジアでは 靴も?靴の方が?この辺は認識不足かも知れませんが・・・ でも日本の靴全滅とは?なんで靴は残らなかったのでしょうか?

靴すら履いていない勿論そうだとは思います明治政府が履物を履く事を奨励するぐらいですから・・・如何にはだし文化が一般的だったかは語るまでも無いとは思います。

補足日時:2006/06/09 14:33
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この回答へのお礼

有難う御座います

お礼日時:2006/06/09 14:32

東南アジア諸国にはあるようですよ。

これが日本からの輸入かどうかは定かではないのですが・・・。

この回答への補足

それも知っていますが 民族衣装は靴ですよね?
ということは通常の文化ではないということに成るのでは?
大きく分類すればローマのサンダルも私は鼻緒文化だとは思いますけど

最も不思議なのは何故靴だった物をわざわざ鼻緒に変えて 文明開化でまた靴に戻したのか?やはり 謎です・・・・

補足日時:2006/06/09 07:45
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この回答へのお礼

有難う御座います。

お礼日時:2006/06/09 07:45

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