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こんにちわ。私は沖縄に住んでる中学二年生です。
4月から導入される「ゆとり教育」。全然意味がわかりません。なにがゆとりなんでしょうか?第一、私たちにゆとりを与えるために考えてるみたいな事いってるけど当の子供たちにはゆとり教育に対するアンケートのひとつも回ってきません。ゆとり教育最高。なんていってる人どこにもいませんよ。それって勝手に上の人たちが子供の為にやっているという自己満ではないでしょうか?

まず一番嫌なのは週休2日制。聞こえはいいかもしれませんが現場(学校)では6校時が増えたり、テスト後に授業をもってこられるだけで生徒はよけいに疲れます。いいわけみたいに聞こえるかもしれませんけど朝から50分×6も子供の集中力が続くと思いますか?6時間目の授業なんて誰も頭になんて入ってないんですよ。高校なんかは土曜日は「補修」という形で結局授業が入ってくるそうです。それに、結局授業内容が少なくなると皆塾に行き始めるので6時間授業をした後、塾で4時間、意味ないんですよ。まじで。
これは私の意見なんですけどそれよりは土曜日があって毎日、5時間にしてくれた方がめちゃくちゃうれしいです。学校でも5時間の日と6時間の日ではみんなの顔色が違います(笑)
あと、変えるべくは教科書の内容ではなく先生だと思います。塾の先生と学校の先生。全然違いますよ。学校の45分授業より塾の50分授業の方がずっと短く感じるくらいです。ほんと、学校の先生に一度塾の授業を味わってもらいたいくらい。
まだまだいっぱい言いたい事あるんですけど長くなるんでやめます。皆さんの意見も聞かせてください。

A 回答 (13件中1~10件)

あまり回答になっていませんが私個人の意見を述べます。


まず「ゆとり教育」という言葉の意味をみんながもっと考えるべきだと思います。おそらくはじめにこの言葉を用いた文部省の一部の人の本意が今、システム化されているかどうか、、、疑問。私の考えでは「ゆとり教育」とは単なる詰め込み式ではなく内容をより多方向から見つめながら知識を得るというもの。単に授業日数や時間を変えたり教育内容の量を見直したりというのは二次的なものであって、このシステムの最大のポイントは知識を「暗記」するのではなく「理解」する教育システムに変えていくことだと思います。何も時間や量を変える必要はないと思います。教科書を神様として記憶するだけの教育から、教科書を参考書の1冊としてさまざまな本を参考書として知識の成り立ち、経緯、さまざまな意見を理解して真実を求める力を身につけることが大切だと思います。個人的には授業日数は帰る必要無し、内容も変更無し、逆に午後5時までは参考書を読む時間として学校を開放すべきだと思います。
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基本的には、文部省が手抜きをしているのですね。


だいたい、今の授業でもけっこう「無駄なこと」は多いです。歴史なんて、時代の流れより「人名・年号」覚えばかり。(「大化の改新」なんて、ウソだったというし・・)

「無駄をなくして、合理的に編成」すれば、今以上に時間を短くしても、内容を削ることなく実力はつきます。私が塾で教えた生徒は、来た時はほとんど落ちこぼれていたけど、高校入試は一発で受かりました。ついていけない授業に真面目に出席しても、何も身につかないだろうから、休んで、うちで特訓しようか?とも言ったのですが、学校には真面目に出て、あいまにうちに来る程度。実質的に1週間に6時間ぐらい。音楽や体育まではみられないにしても、・・。(「英語」だけは、学問でないから、3年レベルまでは無理だったけど)

まじめに授業に出ているのに、理解できない、というのは、教え方が悪いとしか言いようがない。教師の技術能力もあるだろうけど、それで平気の学校もおかしい。

新しい教科書では、さらに「本質」があいまいにされて、系統性のない羅列になりつつあります。とくに「理科」は時間も内容もけずられ、「質量保存」にかかわる、いわば本質の内容が消えているらしい。

学校の休みが増えれば、教師にもゆとり時間ができるので、そのぶん研修活動にまわせるのだけど、創意工夫した人達に対して「それは教科書どおりでない」といってつぶすような校長や教育委員会が主流です。
授業計画でも、生徒の反応を見ながら、ポイント集中するか、さらっと流すか、臨機応変に臨むべきなのだと思いますが、事前に週案を出した通りでないと、またクレームがくる・・。結局は「あたりさわりのないこと」をやっているだけの教師ばかりになる。

もっと考えると、「こんなのではだめだ」と国民が公教育から離れていって、生徒が減ればそのぶん予算が減らせる、なんてことまで考えているんじゃないでしょうかね。
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satoukazumiさんは中学生とのこと、社会に対して最も批判的になる年令ですから今疑問を持つ事は重要だと思います。


さて、「ゆとり」と言いつつゆとりが無いという御批判ですが僕達や更にはそれ以前の人たちからくらべれば今のあなた方の授業で習っている内容は「ゆとりだらけ」と言っても過言では無いでしょう。
確かに僕達が子供だった時には学歴社会の問題点が指摘され、長時間の塾での勉強などがマスコミで騒がれ、「落ちこぼれ」という言葉が盛んに使われていました。しかし、「落ちこぼれ」を作らないように教育現場で補習をやったり熱心に指導する余り多少の体罰的な行動をとった指導者をエセ人権派とマスコミ等が散々に叩いたため自分達が苦労してまで「出来ない子供」に教えるよりも「出来ないなら最初から教えなければ良い」、「差が付くなら通知表なども最初から順位なんかつけなければ良い」といった守りの姿勢に文部科学省や教育者が進んでしまったのはやむを得ない点もあろうかとは思います。
しかし、20年以上に渡って教育する内容を減らし続けた結果もたらされた物は何であったのか?学ぶ内容が減ったおかげで受験戦争とまで言われた塾がよいは減ったのか?よとりのある心豊かな若者が増えたのか?今の社会を見て以前よりも良くなったと言える人はいないでしょう。
また、これは言っておきたいのですが学問と受験テクニックとは全く違う物です。塾では主に受験テクニックを面白おかしく教えています。楽しいのも当然です。彼等は楽しくさせないと仕事が無くなるし、人気が出れば幾らでも収入が増えます。日教組を見れば分かると思いますが日本の教育現場は全くの社会主義です。「よけいな事はしない」といったお役所仕事になってしまうのは現在の彼等の処遇にも問題点があるのだと思います。
最後に少し穿った見方になりますが僕はこの「ゆとり教育」は横並びの悪い面が目立ちはじめた従来の日本の社会制度に新たな支配層の階級を意図的につくり出そうとする社会政策なのでは無いか?と考えています。
「日本国民として話をするのに最低限必要な知識だけを必修にしてゆとりの出来た部分は自分達の武器になる様な分野に特化して使おう。この教育内容でゆとりが無い人はそれで良い、頑張る必要も無い。ゆとりのある人だけで別な階層を作り上げて自分達だけは豊かな社会を享受できるようにしても誰からもそしられる事のない様に義務教育の段階から差別化をはかっていく様にしよう!だって彼等は小学生の時に既に僕達とは差があったんだから仕方が無いよ!」
という支配者層の声が聞こえてくるような気がするのは僕だけでしょうか?
ちなみに僕は?と言えば自分の子供には与えられる限りの良い環境を与えたいと思いますよ。この教育制度ではある意味親の熱心さがある程度子供の将来に如実に繁栄されそうですからねー。本人の自我が芽生えるずっと前の段階で既に選別化が始まっている制度ですから・・・。
そう言う意味では「ゆとり教育」で学んでいく子供達は義務教育の時点から自己責任で自分の目標を目指していかなければならない分僕達の頃よりずっと大変な時代になると思いますよ。
1日6時限くらいの事で目くじら立てている「ゆとり」は無いように思えるのですがsatoukazumiさんは問題提起する位の方ですから多分大丈夫なのだと思います。
今後の御健闘をお祈りします。
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『ゆとり教育』始まりますね。


いい機会ではないですか?時勢に流されるのもよし、時勢に体当たりするもよし、何かを感じ取れる時かもしれません。問題意識をもつことだけでも今後のあなたの生き方に活かせていけば。反発だけでは、やる気を萎えさせてしまいます、かといって、なにもしないのもこれまた惰性的で嫌ですね。『ゆとり教育』決められた法案、試行錯誤の結果としてでてきたもの、とりあえずは、喰ってみましょう。食わず嫌いは、ダメです。味わってみて、ここは、美味い!むむ、ここは、ショッパイ、ありゃぁ-?こりゃ-不味い、喰えねえぜ-!あなたなりの試食をしてみてください。一通り味見して、『ゆとり教育』の感想をノ-トにでも書き綴ってみてください。そこから、吟味し直すこと『あり!』です。『あり!』なんですよ!!一度決まったものは、変えられない、変わらないってことないですからね!問題点があれば意見を声に上げていえばいいんです。そのためにも、日々感じたことをノ-トに書き綴ることはじめませんか?できます、変えれます、そう、若いあなたの熱い気持ちがあれば、そして、あなたからみた大人もあなたと変わることなくいまでもこころに若いあなたと同じ熱い気持ちをもっていることを忘れないで下さいね。話しても無駄、など思わずにあなたのまわりにいる人、いろんな人の声に耳を傾けられるあなたでありつづけてください。あなたならできます!

回答になっていませんでしたらご容赦ください。
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>朝から50分×6も子供の集中力が続くと思いますか


思います。20年前は.月-金が6.土が4です。
>「補修」という形で結局授業が入ってくるそう
当然です。某中学校では.受験を控えた3年生に限って.6工事終了後.1工事の補修を設けました。
>度塾の授業を味わってもらいたいくらい
おっしゃるとおりと考えます。
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学生時代はとうの昔に過ぎてしまいましたが、、、思い出しました。


「ゆとり教育」、わたしも納得がいきません。今の時代に学生でなくて良かったと
思っています。

ゆとりを持つことは大切だけれども、学校を週休二日にしてまですることではないと
思います。
先生が怠けるため、相乗効果で学生の学力も低下し、学校の意味がなくなってしまう
制度のようにも感じます。
そんな制度よりも「学校という場」の価値をきちんと考え、心地よく学校生活を送り
ながらきちんと勉強ができるようなカリキュラムを組んだ方が良いのではないでしょうか。
だいたい学校できちんと勉強ができれば塾に行かなくたってよくなるし、先生の立場を
危うくもしないだろうに。先生達は自分の首を絞めているような気がします。

それにしてもsaroukazumiさんのようにしっかりとした考えを持っている中学2年生がいて
少し安心しました。こういった意見をもっと多くの場でみんなに聞いてもらえると
良いですね。頑張って下さい。
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こんにちは。


僕も「ゆとり教育」には賛成なんですよ。
「ゆとり教育」は日本社会が成熟したきた証だと思います。

ただこれは文部省に先に言われる事ではなく、生徒や親や先生からこの要求が湧き上がってくるべきものであり、そう考えればまだ時期が早いのかもしれませんね。

僕が理想だと思うのは、義務教育としての授業は4時間で終了し、給食(弁当)を食べた後、クラブ活動として語学や数学の学べる場がある事です。

今も運動部は盛んにやってますが、顧問の先生は無報酬でやってくれてる訳ですよね。
これと同じように語学や数学の先生も、午前中は皆が理解できるような基礎的な授業を行い、午後からはクラブ活動として高度な授業をやってくれればと思います。

運動部を真面目にやってる人は、自分が運動が出来るからといって他の人をバカにしたりしないですよね。
これは彼らが自分が専門的な場で学んでいるんだ、というプライドをもっているからです。
これは語学や数学にも当てはまるのではないでしょうか。

大切なのは学ぼうとする意欲が育つ場がある事であり、学ぶという事にマイナスイメージを植え付けない事でしょう。
今の画一的な学校教育では、暗記力は増しても、それと引き換えに学ぶ意欲を失って行ってるのではないでしょうか。

意欲さえ育っていれば、30歳になっても40歳になってもいくらでも学ぶ事はできるのですから。
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はじめまして。



 現在大学生ですが、個人的には『ゆとり教育』というものの考え方には賛成です。
 ただし、これからやろうとしている『ゆとり教育』というのはどうも間違っている気がしてなりません。

 根本的に間違っているのは、よく言われることですが、『大学の入試制度を変えなければ、まったく意味がない』ということです。
 知識を詰め込むだけの教育は間違っていると僕も思いますが、現実に小中高の人達っていうのは、「いい(偏差値が高い)大学」に入ろうとしているのであって、そういういい大学の入試問題は間違いなく知識の詰め込みが試されているものになっているからです。
 しかも悪いことにそういう「いい大学」ほど重箱の隅を突っついたかのような、知識を問われるケースが多いのですから。

 だから文部科学省が言っている言葉は悪いことではないのですが、現実に全く沿っていません。『ゆとり教育』をはじめる前に大学入試の制度を根本的に変えないと、公教育だけではついていけない子供が出てきて、お金に余裕のない家庭とお金に余裕のある家庭との格差が強くなるだけだと思います。
 
 回答からは少し離れますが、確かに日本の大学はかなりヤバイ状態にあると思います。はっきりいって大学に入ることが目標になってしまって、『大学で専門的な知識を身に付けたい』と思っている人が生徒、講師を問わずどれだけいるのか。
 僕の経験からいくと、一割いるかいないかというところです。
 『何のために高校・大学に行くのか?』を見つける上ではゆとり教育というのがとても大事になってくるのではないでしょうか。
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週休2日制については、先生も休みたいのが本音かもしれませんね。


ただ、個人的には、悪いとも思わないんですよ。
最近は、親も週休2日制の人が多いじゃないですか、
私も週休2日ですが、子供達の休みが増えると、ドライブとか旅行とか、子供達と遊ぶ時間の選択肢が増えるのでとても楽しみにしてます。
それに勉強ってね、努力とか親のがんばりとか、いろいろ要因はあるけど、ほんとのところ、元々の才能っていう要因も大きい訳ね、それを平等に教育しようとするから耐えられない子供が出てくると思うんだ、少しカリキュラムを減らしてレベルを下げるのはいい事だと思う。皆が100点取れる教育でもいいじゃない、頭のいい子は、より高度な勉強を自分ですればいいし、自分で興味を持って高度な勉強を望む人を妨げるわけじゃなし、いいんじゃないかなぁ。
学校で教えてもらう事に、期待しすぎない方がいいとおもうよ、学校は集団生活と低いレベルに合わせた基礎知識を教えてくれるところと割り切って考えるほうがいいんじゃないかな?
学校の授業中でも、勉強に興味があれば、一人でどんどん先に進んだっていいわけだし、教えて貰わなければ学べないって人は、それまでの人だったってことじゃないかな?

落ちこぼれるのも、先に進むのも結局、本人の資質だからね、2児の父親として、遊ぶ時間が増えるのは嬉しいよ、いいじゃない、土日くらい遊ぼうよ。
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確か3桁の掛け算は小学校では習わないようになる、とかいう話を聞いた気がするのですが(不正確かも知れません)、計算とかは頭がやらかいうちにやっておかないと間に合わないと思います。

複雑なことをあとまわしにすればするほど、頭が固くなっていて受け付けなくなると思うんですが・・・。
本当は小学校とか中学くらいのうちは多少スパルタ入ってでも叩き込んでおいたほうが後々のためだと信じてます。
でも最近は「多少スパルタ」入れると体罰だとか人権侵害とか教育を受ける権利だとかいろいろ問題になるんでしょうね。その辺はやる気のある教師にはつらいのかな、とも思います。
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