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引きこもりの要因はいろいろあると思いますが、私は

社会の雰囲気≒人々の意識

っていうのが大きな要素を占めているのではと感じます。社会的に足がかりや貢献をしている実績がないと、とたんにそういう人を認めない傾向がありますよね。それはやはり、人の心の不寛容性の一端ではないかと思うのです。もし、社会一般的に、もっと寛容や愛情があることが普通になれば、引きこもりもより社会に出ようという機運が増すのではないでしょうか。

「ずっと引きこもって何の経歴も経験もありません」
「そうか、苦労したね、これからがんばんなさい」

みたいなことは、競争社会ではもちろん難しいでしょうが、心理的に蔑むのはやめたほうがよいのではないでしょうか。その雰囲気というのを、当事者は敏感に察知するものではないでしょうか。

引きこもりを減らす手段として、人々の意識が重要である気がしますがどうなのでしょう。

A 回答 (16件中1~10件)

 全く同感ですね。


 どうしてもその場の雰囲気に影響されますね。
 もっとみんなが、使う言葉をよーく熟慮してほしいものです。たった一言がよくも悪くも影響したりしますから。
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この回答へのお礼

はい。結局どこまで真剣に相手を考えられるかなんでしょう。

お礼日時:2006/08/09 12:24

No11のshoujin24tです。



>一応手がないのかと聞いたつもりだったのですが、やはり不可能でしょうかね。

人は、その行動能力、性格、健康度、財産、環境、運によって人生が大きく変ると思います。

人間の苦しみは、自分が原因である苦しみと、自分の外が原因である苦しみに分けられると思います。

引きこもり、ニート(以下、引きこもりとニート合わせて引きこもりとします)の解決は、引きこもり自身が変ることが何よりも大切だと私は思います。
 
引きこもりの「何」が変らなければならないのか?
それは、行動能力、性格だと思います。

コミュニケーションの行動能力と、人と上手く付き合える性格、引きこもりという劣等感に沈まない性格であること、これに変らなければ引きこもりが変ることができないと思います。

この2つが大きく変えることができるものは何か?
私の中では、私が信じている宗教がその1つだと思います。ここでは勧誘目的はないので、興味があるなら、過去の回答履歴で調べてください。
私は、自分なりにいろいろと調べましたが、「性格が変る」というのは、この宗教以外知りません。私は、性格が変る何か別の教えや方法があるならそれでもいっこうに構いません。


話がだいぶそれた用に感じると思います。
周りの人が寛容や愛情深くなるのは、私から見れば、引きこもりが引きこもりでなくなると同じことだと思います。結局は「心(性格)」だと思います。
 社会体制も力がある人々の心(性格)から作り、変っていくものだと思います。

人々(引きこもりやそうでない人)の性格を良い方向へ強制的ではなく、変えることができる方法が見つかればそれができると思います。


テレビや映画で良いドラマが放映されて、人を助けることが大事と訴えても、世の中は変りません。
自分に刃を向けられたり、自分が傷ついても、相手を救おうと思って行動できる人は少ないと思います。まして、本当の救いとは何かを確信できている人も…。

普通の人の本心は、人の幸せより自分の幸せの方が大事、自分が何よりも優先され、相手が困って苦しんでいても見てみぬふりをして幸せになるのが人間というものです。または、そういう社会体制であり、そういう社会体制にしなければ、ずるがしこい人間どもがそういう慈愛を貪り、社会が駄目になっていきます。

故に、「性格を変えるにはどうすればいいか」に尽きるのですが、私は、宗教以外でその方法は知りません。
その方法が見つかるといいですね。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

世の中これでいいというお考えは、なるほど、正論のような気がします。結局「性悪説」を前提とするしかないんでしょうかね。実験できませんからね、性善説に。

そうですか。そうすると個人ですか。しかし、宗教はそんなに効果的でしょうか?それはかなり疑問なんです。

お礼日時:2006/08/09 12:30

 #12の者です。

お礼ありがとうございます。
ご質問者様の今後の為に、「ひきこもり」と「ニート」の違いについて、ふれておきます。
■参考URL(内閣府 若者無業者に関する調査)
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/chukan …
(注意:P5/P17:労働白書52万人との違いについての記述)
内閣府のデータでは、ニートは、85万人です。この内、家事手伝い21万人含まれています。
無業者のうち、非求職型(43万人)・非希望型(42万人)の85万人です。非求職型の内訳で、
・怪我や病気の為(10万4千人)
・家事、育児、通学の為に仕事を続けられそうにない(1万4千人)
・家族の介護、看護の為(1万人) 計12万8千人います。
又、年収においては、300万円未満、1000万円以上の世帯・本人もいます。1000万円の人は、株でもして儲かっているのでしょうか。

 ニートについての報道のあり方にも問題があると思います。ニート=怠け者・親の庇護のもとの生活者的な見方を助長するものです。又、病気や怪我、育児や看護・介護などで「職」についていない人も含まれています。ニート=怠け者・親の庇護のもとの生活者的な見方を一方的にし過ぎると、「怪我をしていても働け!」「病気をして入院していても、働くのが社会のためだ!」みたいな間違った考え方に陥ります。私は、嫌ですね。入院しないといけない状況なら、病床で寝ていたいですよ。これが、労働市場からの観点の意味です。
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この回答へのお礼

ニートには正当性があるという感じなんでしょうかね。

お礼日時:2006/08/09 12:28

>かくれた文化心理的要因が実は一番の黒幕なのかもしれないですね。



私も常々そう感じてます。
私が「儒教」よりも黒幕的な存在だと感じているのが「世間」です。

>それは、統計学などの手法で明らかにできるかもしれない。

「社会」と「世間」を題材にした分析の一例がありますので、ご参考までにアドレスを貼ります。
http://imi.sfc.keio.ac.jp/lecture/textanalyze200 …
http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2004_14119/slides …

↓のページも参考になるかと思います。
http://www.geocities.jp/japankaroshi/neethills.htm
(↓「英国(個人主義)と日本(集団主義)の近代化」をご覧ください。)
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~m-itazu/alacarte. …
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この回答へのお礼

参考読みました。
やはり、社会の雰囲気が大きく影響しているようです。堀江もんが出てきたのは意外でした。
やさしいからいかんと言うのはやり切れんですね。

お礼日時:2006/08/09 12:26

 ご質問者様への回答をする前に、ご質問者様は勘違いをしないで下さい。


 「ひきこもり」と「ニート」は、「概念上」違います。「ひきこもり」の定義は、曖昧です。「社会的ひきもり」という言葉も有りますが、介入後、分かり、介入前においては、「就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている」状態像でしか分かりません。
 又、「ニート」に至っては、その「ひきこもり」が、労働市場(・資本経済)の観点での状態像でしか有りません。関連性は、無いかというと有ります。ひきこもりの概念の変遷として、不登校がありました。ニートは、先述の通りです。しかし、不登校・ひきこもり・ニートを同一のものとして、表面的な情報だけで、判断し批判するのは、いかがでしょう。
 
>社会の雰囲気≒人々の意識
 広義的な解釈では、良いと思います。ご質問者様が、「ひきこもり」を「社会的ひきこもり」を対象に仰っているのかが、不明ですけど。
 「ひきこもり」状態になった人への適切な介入を、社会に求めるのが、先だと思います。社会ではなく、家族・行政・学校・地域住民ではないでしょうか。「ひきこもり」状態の人は、身体疾患・精神疾患の症状による「ひきこもり」や、神経症・人格障害、広汎性発達障害を背景にした「ひきこもり」が有ります。
 神経症・人格障害、広汎性発達障害を背景にした「ひきこもり」は、その特有な性格(第3者から見た場合)さ故に、対人関係がうまくもてない事で、社会参加の場面を狭めます。
 適切な介入と先述あげておりますが、身体疾患の症状からくる場合も精神疾患が原因であれば、早期介入・治療がするべきです。神経症などの場合、「ひきこもり」が長期に渡れば、社会生活上の経験の少なくなり、その事により、更に、社会に出ることを不安になります。その状態を防ぐ為です。そして、「ひきこもり」状態の人は、本人だけではなく、家族療法(心理的家族教育)も一緒に行わなければ、なりません。そして、明確な疾患がつかない場合は、家族環境を含めた環境への丁寧な援助が必要になります。
 そして、「ひきこもり」状態から社会参加ができる様になった場合、ご質問者様の仰る「寛容や愛情がある」社会が望ましいと考えます。

>競争社会ではもちろん難しいでしょうが、心理的に蔑むのはやめたほうがよいのではないでしょうか。その雰囲気というのを、当事者は敏感に察知するものではないでしょうか。
 全てにおいて、心理的に蔑むのはやめたほうが良いと思います。
私やご質問者様、他の回答者・閲覧者も「ひきこもり」状態にならなくても、精神疾患や身体的麻痺の状態になる可能性は、等しくあるのですから。自分だけは特別と思っている人こそ、その状態(精神疾患や身体的麻痺の状態になり、周囲に自分の気持ちを理解してくれる人がいない状態)になり、初めて気が付くのです。因果応報ですけどね。
 当事者の方々は、援助者の座る向き・距離や目線・話し方・聞き方ですら、敏感に反応します。何気ない会話でも、です。

>「ずっと引きこもって何の経歴も経験もありません」
>「そうか、苦労したね、これからがんばんなさい」
 現状の日本では、難しい面は有りますね。
しかし、
>引きこもりを減らす手段として、人々の意識が重要である気が・・・
 受け容れる気持ちを持つと、安易に自分の価値観や現時点での知識で、他者を批判せず、さげすむこともないでしょうね。例えば、東大在学・卒業した人が、東大以外の人を屑呼ばわりするなどです。「ひきこもり」の人は、想像以上の能力を有していることも多いです。

最後に、「>これからがんばんなさい」のところで、「頑張りなさい」は抽象的表現になりますので、仮に話し掛ける機会があれば、具体的な言葉で言ってみてはいかがでしょう。

この回答への補足

すみません、この場を借りてお詫びします。
「自愛」は「慈愛」ですね。失礼しました。

補足日時:2006/08/05 11:09
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この回答へのお礼

労働市場の関連(ニート)と、社会的に接点が失われている(引きこもり)ことは、大いに関連性があると思うのですが。しかし定義的には分けられることなのですか。

やはり、救済が必要ですよね。今現在専門機関などでほそぼそ行っているのが現状でしょうが、もっと人目につき、意味のある数を救済するような措置が求められます。おっしゃられる道筋、よくわかります。
そして、一般人あるいは行政の担当者こそ、人の身になって考える意識が重要かもしれませんね。
 とにかくチャンスが与えられないということがもっともネックです。ご回答者様のご意見いちいち納得した後に、そう感じます。
「がんばりなさい」は抽象的ですね。「退職までの総支払い賃金が少なくて助かるよ」とか。

お礼日時:2006/08/05 10:25

私は、重要だと思います。

私が生きてきて、陰口叩く人間は数え切れないほど見たし、私もその一人を意識的にやっていた時がありました。

人間の精神性という観点から見たら、過度の集中攻撃されて精神的疲労が溜まるとうつや暴走しますからね。

また、豊かでみんながちゃんとして生きているのに自分だけ生きれないというのもかなりのストレスではないかと思います。

周りも食べるために色々~と言って自分もという世界と、自分だけ駄目なやつという世界は生きる精神的な圧迫度が違うような気がします。食べるために色々~の人も人との繋がりがあるからこそ、何とか懸命に生きれるのではないのでしょうか?

だから重要だと思います。また、重要ではあるけれどそれがすべてではないですよね。だからこそ、重要と書いたのだと思っています。
意識を変化させることは可能かどうかと言えば、ほぼ不可能だと思いますが、そこまで聞いていませんよね。

以上、私の意見です。
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この回答へのお礼

その、孤立感、むなしさこそ大いなるストレスなわけで、それはやはり、個人の問題だけじゃないんですね。社会個人家庭一体となった構造にある。

一応手がないのかと聞いたつもりだったのですが、やはり不可能でしょうかね。

お礼日時:2006/08/05 10:15

↓のANo.#14を参考にして頂ければ。


http://virus.okwave.jp/kotaeru.php3?q=1978078

「個人」の問題だけで片付けるのは危険だと思いますし、寛容で自愛のみで解決するような問題でもないと、私自身は感じています。

参考URL:http://virus.okwave.jp/kotaeru.php3?q=1978078

この回答への補足

参考を読んでみます。またお礼します。忘れてたら催促してください。

補足日時:2006/08/05 10:13
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この回答へのお礼

なるほど。儒教ですか。かくれた文化心理的要因が実は一番の黒幕なのかもしれないですね。それは、統計学などの手法で明らかにできるかもしれない。

もしそうだとしたら、儒教なんて何の意味があったのでしょうかね。

お礼日時:2006/08/05 11:11

こんばんは。


無職の若者、引きこもりの人間を厳しく批判するだけでは何も解決しません。かえって危険な行為です。マスコミや、ネットでの「引きこもり、ニート等」にたいする発言は慎重に行うべきだと思います。
もちろんニートの一部には問題がある人間が存在しているは確かです。
しかし、日本の「ニート、引きこもり、フリーター」の報道の在り方は、彼らの一身上の事情に関係なく、「無職・経歴が無い=ニート、フリーター、引きこもり」とし、上辺から劣等者として扱う風潮が強く、国民にもそのような見方をする人間が増えているのが事実です。
千差万別の事情、不遇な人間が何時でもリベンジできるシステム、社会的意識を模索する努力が急務だと考えます。
質問者さんがおっしゃるように、何歳でも経歴にかかわらず社会参加でき、その上で本人の向上心や能力をもって「公正な競争」が出来るようにならねばなりません。

私は転勤して地方に在住して絶句した事があります。
日本の地方に赴けば、家庭の年収が平均200万円台の地域がざらに有ります。こんな土地柄では、税金などを差し引くと、食べるのがやっとです。発展途上国よりも悲惨ですよ。
そのような地方に於いては、都市圏の景気回復の陰で、会社の企業経営が悪化したまま、就職できない10代から30代の人間が沢山居るんです。
専門学校への進学、資格勉強をとるにしても「お金が無い」。経歴を積むにしても、職業訓練をするにしても、まず雇用が前提。しかし職業訓練の関係法人は雇用保険から出資されていますから、就業経歴が無ければ職業訓練を受けることが出来ません。
そして雇用されないまま、彼らは社会から「ニート、フリーター、引きこもり」の仲間入りさせられ統計されてしまいます。
あの「TBSの番組での演出」、「ネットの心無い発言」で、どれだけ多くの地方の若者が力を落とした事か・・・日本の報道関係者こそ自嘲すべきです。

私が彼らを観察するところ、無職の人間の中には、okweb、教えてgooで定評がある回答者よりも有能な人間は沢山います。彼らが長いモナトリアムから目覚めた時、始めて日本は民主主義国家として世界に誇れる先進国となると私は思います。
尚、歴史上の偉人の多くはニート、引きこもり経験者が多くの割合をしめています。

地元採用を推進をしている人間からの意見です。
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この回答へのお礼

社会構造がやはり問題ですよね。それを中に浮かして、人の意識がどうの過保護がどうのというのは空論に過ぎません。特に前半の「つまづいても寛容される意識」がよくわかりますし、そうあってほしいとおもいます。

地方中央の格差も連動した問題ですか。よくわかってきました。

力を発揮する機会のないということが、引きこもりを精神的にも経済的にも追い込む最右翼でしょうから、救済する、利用するという偏見のない意識を社会常識として要求したいものです。

お礼日時:2006/08/05 10:11

寛容ではなく、



無関心

になった。
それと、関心を寄せようとしても

人権侵害だ!!

とわめく人間が増えた。
特に、ゴミ屋敷の住人に対して何ら対処が出来ないのが物語っています。

ひきこもりの原因は、鉄とコンクリートに覆われた街だから。
要塞の中に居れば安全だ。という意識と同じだと思います。
生まれながらにして外を見ないように育てられたからです。
そんな「安全」という意識の中で育てられてもいざ危険な社会には中々出れないものです。

東京ネズミーランドなんかは余計にメルヘンの世界の住人を作るだけです。
引き篭もりの手助けにしか見えませんね。
あれは「大人」と話してるんじゃないから。
あれは「ミッキー」という人外と話してるんです。
こんなんじゃまともに育ちませんよ・・・。

やはりハードゥエアに頼り切った社会がマズイと思います。
プール事故はともかく、転んでたまたま落ちてた自然物である枝に刺さって事故死した人間に何千万モノ大金を払わなければならない世の中ではとっても恐くてヒキコモリを増やすだけの社会は良くない。

そうやって身の危険を肌で分からなければ生きていけないのに、他者に枝というミクロ単位まで安全を求める社会が引き篭もりを増やす事を象徴していると思います。

昔は危険の認識が強かったですからね。
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この回答へのお礼

なるほど!よくわかります。
精神的たくましさを育む土壌が大事ですよね。

こういう過度の安全神話とか、セキュリティ対策とか、世の中の要塞化というのが、引きこもりの意識とどこかで連動してますよね。

そういうたくましさをどうにかして復活させる(ただし時代をさかのぼるようなことでなく)のが、最良かもしれませんね。

結局そういうねずみーランドにしても要塞化にしても、半分は(あるいは大部分)人々の需要(意識)の産物なんですよね。そういう人間意識をどう変えていけるのか、そこまで手を回さないと、解決できる問題ではないのでしょう。

お礼日時:2006/08/05 10:06

昔に比べたら現代の方がはるかに寛容で自愛に満ちていると思うんですけどねぇ。

その証拠にほら引きこもりが許されているじゃないですか。
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この回答へのお礼

許されていることが必ずしも寛容とは思えません。放置されているといえないでしょうか。
極論すると軍国主義の時代はこういう問題はなかったでしょう。しかしもっと大きく悲惨な問題があった。高度経済成長も人間を経済マシーンにした似たような状況だった。
だんだんと改善はされるんでしょうが、まだまだ救済するほどの手も意識もないようですね。

お礼日時:2006/08/05 10:02

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