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今日で24歳になりました。
祝ってくださいという事ではありませんが
嬉しい嬉しくないどころか
毎年この日が来るのが辛いです。

何故なら自分や家族の老いが悲しくて
いつか別れが来る事を思うと苦しくて
必ず自分が居なくなる事が怖くてたまらないからです。
歳上の方はまだ若いだろうと思うかもしれませんが
歳を重ねる事自体が怖いのです。

みなさんも誕生日にはこんな辛い思いをしてるのでしょうか
いつもは効いている抗不安剤が全く効きません。
動悸が激しく、視界が暗く感じ
受信状況の悪いFMラジオの音量が最大になったような声が聴こえます。
考えたくなくても嫌というほど頭に入ってきます。
なにか方法はないでしょうか

A 回答 (6件)

私は12歳のときに「もうこれ以上年を取りたくない」と思いました。


そして、どうしたら良いか考えて考えて、でも、時は容赦なく流れ、現在37歳です(恐ろしい……)。

12歳の私が37歳の私を想像することなんてできたでしょうか。
37歳の私は12歳の私の気持ちを手に取るように思い出すことができます。
そうです。思い出すのです。
普段は忘れています。
ここまで来ると、年なんてどうでもよくなります。
私の場合は17~18歳くらいから段々どうでもよくなってきました。
15歳くらいでは「あれから3年も生きてしまった」などと考えていましたが。

30歳頃には「いつ死んでもいい」とあっさり思っていました。
ただ親不孝の罪は犯したくなかったので、それだけは守りたいとは思っていました(これは10代の頃から)。

>なにか方法はないでしょうか
考えたくなくても考えてしまうわけですから、不老不死の薬を発明するとか、機械を作るとか、自分で解決する方法を考えてみるのはどうでしょう。
不可能と思われていたことが現実になっている例はいくらでもあります。
せっかく考えてしまうのですから、人より発明発見する確率は高いはず(ふざけているのではなく本気で言っています)。
私も12歳の頃からしばらくはそんなことをよく考えていました(15歳で人生を投げてしまったので何も考えなくなりましたが)。

ちょっと発明発見は……というのであったら、文章にしたためるというのはどうでしょう。
人は書くことや話すことによって自分の気持ちが整理され、それだけですっきりすることさえあります。
magatuさんの場合は「それだけですっきり」にはならないでしょうけれど、なぜ怖いのか、恐れるのか、もしかして書くことによって原因(?)のようなものがはっきりしてくるかもしれません。
原因がわかれば、それからどうしたら良いかも見えてくるかも。
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50をすぎた働くおばちゃんです。



確かに、10代のころは年をとるのが恐いことがありました。
老いていくのが恐かった。

ただ、「本格的に悩む」時間が余りなく、生活に追われて、
生活を維持するだけで必死だったので、優雅に悩む余裕がなかったです。
自分が死んでしまうかもしれないというのは、あーそれで全部終わっちゃうのは楽でいいやと思いましたよ。
痛いのはいやだけどな・・ってね。

先立つ親不孝というのは、ちらと思わないでもなかったですが、
どちらかというと、「親不孝」をしてやりたい親だったので、
若いうちに死んでしまえとも思いました。
さっさと死んで、でもフライングだと、そんしちゃうなぁとも思って、
だらだらしているうちにこの年です。

子供が2人いて、そろそろ「親責任」もなくなるので、
自身の命はどうでもいいやという感じです。
痛いのはいやですが。

ただ、「老い」に関しては実は楽しんでいます。
これは、ちょっとあたらしい観点で、実は人間は
老人の期間が人生の半分。
40からが初老なのですよ。
ですから、平均寿命の半分は年寄りというのが「実態」

せみなどは、子供期間が長くて、土中にあって、外に出て、大人になるとほとんど老いの期間がなくて死んじゃう。

生物のそれぞれのパターンがあって、人は、その半分が生殖に関係ない「老い」の期間。

どうして、こんな風になっているのかは、そのときにならないとわかりませんし、ココまでの寿命を持つほかの動物、「ぞう」などと比較してみないとわかりません。

実体験として、今、それを生きているのはちょっと、刺激的です。
痛いのはいやだけど、いつ死んでもいいと思って
おばちゃんとして生きていくのは結構、たのしくて、楽です。

若いころのように無理しなくていいし、いまさら、自分で気取りたいとこだけ気取ればよくて・・でも、感性としては自分の若いころとほとんど変わりません。
ただ、肉体的にはきちんと衰えていきますので、それなりに、ケアを怠ると戻りがくる年齢です。

若い時はつらいかもしれないね。
でも、人としての生物の特性は「老い」にあるので、
自分の人としての本質を見るためには40以降までは生きてみないとわからないですよ。
それから、死んでも手遅れじゃない。
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"老い、や死"は慣れの問題だ、とはヴォーヴォワールの弁とされていますが、慣れていないが故に、薬のお世話になっている質問者さんには"慣れろ!!"が(2006年8/18)現時点で、無理難題なのも自明です。



とすると、質問者さんの、"現時点での24才の人生が満更でもない"と振り返る事の方が役立つ気がするのです。

それに、2005年以後に限定しても、福知山線に乗ったり、S社のエレベーターを利用したり、市営プールで泳いでいると、"あの世へ直行するケース"も不本意とは言え起きていますから、その様な悲惨さに巻き込まれる事無く、24才迄生延びた実績を少しずつ更に伸ばして行く方向性を大切にして行く、のは如何でしょうか?
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自分も同じような事で悩んだ時期がありました。



自分や家族の死に対する不安、恐怖で眠れない時もありました。

でも色々な人の話を聞き、色々な本を読む等してちょっとづつ冷静になって考えてみると、まずそれらは「わからない事」に対する不安であり、更には「誰にもわからない事」「答えの出ない疑問」である事に気付きました。考えたところで絶対にどうにもならないんです。答えは出ません。

更には死んだら居なくなる、死んだらあれも出来ない、これも出来ない等のネガティブな発想と、いわゆる「霊界」に対する暗いイメージが不安や恐怖を増幅させている事にも気付き、それらは全く根拠のない想像の世界であると思えるようになりました。「霊界」では何となく薄暗い霧がかかった様な所でみんながゆっくり動いているようなイメージありませんか?本当は明るい太陽の下でみんなテキパキと楽しそうに過ごしているかもしれないのです。

もしかしたら現在の自分は次のステージ(死後)で生活するためのトレーニング期間中なのかもしれないし、死後にはもっと楽しい生活が待っているのかもしれないのです。今の自分の嫌な所を直した完璧な自分で再出発できるかもしれないのです。でも、もしもそれが判ってしまうと沢山の人が次のステージに急いでいってしまい混乱が生じるため、情報が制限されていると考えると気が楽になりませんか?

本当は誰にもどうしようもない事なので、そのまま現実を受け入れればよいのですが、それが出来なければ、せめてどうせ誰にも判らない事なんだから、自分に都合良く考えましょうよ。

そして実際に今の自分に何が出来るのかを考えましょう。自分を磨くのも良し、両親に感謝の気持ちを行動で示すのも良し、社会の役に立つのも良し、色々とできる事があると思います。小さな事でも良いんです。今すぐやりましょう。

時間は止まりません!

誰が死んでも、あなたや家族が歳をとってもどんどん時間は流れていきます。ボンヤリ答えのない疑問について考えている暇はありませんよ。
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もったいない。



 人間、30から・40から・50から・・・といわれているくらいで、質問者さんはまだまだこれからです。

 今、別れのことを考えないでもいいです。
親が、自分より早く逝くのは当たり前です。
質問者さんが先に逝く方が親不孝です。

 ・・・少し憂鬱になっておられるようですが、趣味や将来の夢をしっかりと持ち、ぜひ地面に足を付けて明るい未来を想像してください。

 自分がこの世に生を受けた素晴らしい日を、一緒に祝ってくれる友人を探すこともおススメです♪
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こばんは。


お誕生日、だったんですね。不安になっているようなので、お祝い言葉は避けさせていただきます。

私も同じ状態です。あと数日で24歳です。
私も老い、死がとても怖いんですよね。
今後の自分の未来も想像できなくて、生きていて年老いていくのが辛い…と誕生日だけでなく毎日が怖いです。
そのうち頭の中で声が聞こえてきたりします。
そして寝れないので、毎日睡眠時間がおかしいです。
いまだ、なおりませんが、今、病院で薬を貰っています。
薬に頼るのはいやかもしれないですが、わたしは頭の中の声が嫌だから、リストカットがやめれなくなったので、そうなる前に飲んでみてもいいかと思います。

また、病院より、お寺のほうが親身に聞いてくれます。すると不思議とココロが少し変ってくるので、薬に頼る前に一度いかがですか?
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