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(1)旧約聖書によるとモーゼがイスラエル民族を指導して約束の地カナンに行きましたよね。エリコの戦いなどで先住民族を排斥して定住し始めたのですが、カナンにはいろいろな部族がもうすでにいましたよね。その人たちはアラブ人ですか。もしそうなら、イスラエル人の先祖がアラブ人の土地に後から勝手に入り込んだことになりませんか。

(2)サウルが初めてのイスラエル王ですね。彼が首都をエルサレムとしたのですか。

(3)旧約聖書時代にイスラエルはアッシリア、新バビロニア等に攻められましたが、これらの民族はアラブ人ですか。

(4)その後ペルシャによってバビロン捕囚をとかれて、帰国しますね。その時に帰ったところは元のイスラエルですか。その時、すんなり帰れたのでしょうか。捕囚中にイスラエルに入ってきた人たち(アラブ人?)を排斥して元に戻ったのでしょうか。

知識が浅い者ですがよろしくお願いします。

A 回答 (3件)

(1)と(3)について。


#2さんも書いておられるように、旧約聖書の諸文書の書かれた時代にアラブ人、という民族はありません。
無論アラビア半島のあたりにアラブ語(実はヘブライ語やアラム語などの親戚のような言語です)を話す人々は居たかもしれませんが、それが大きな勢力となって、現代に続くアラブ人になったのはムハンマド以降です。無論パレスチナに「アラブ人」が定住するのもこの後です。
このイスラム帝国において、パレスチナに住んでいた人々は大体アラブ人になりました。もともと人種的にも言語的にも大きな違いがなかったので、文化的にはアラブに吸収された、と考えていいでしょう。決して誰かを追いだしてアラブ人が住み着いたというのではなく、そもそもこの当時民族というものはそんなに固定的なものではありませんから、実のところ、後のユダヤ戦争(紀元66~70年)において、エルサレムは破壊されましたが、パレスチナに住んでいたユダヤ人がいなくなったのではないようで、彼らもいろいろあって最終的にアラブ人(パレスチナ人)になった、ということですね。
ですから、(1)について勝手に入り込んだのは事実ですが、先住していたのはどうやらフェニキア人のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A% …
ユダヤに征服される前にもいくつか王朝があったり、またヒッタイトやエジプトの属国や州だったり・・・・
んでもって(3)アッシリアはアッシリア人、新バビロニア(カルデア)は元々アッシリアの一部が独立したものですが、民族的にはいろいろ混合していますね。王様はアラム(アラブじゃないよ)人だといわれています。
イスラエル王という言い方も混乱を招くのですが、まあ大枠ダビデが最初の統一イスラエルの王、その拠点がエルサレム、というのは事実でしょう。この点については
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3% …
(4)帰国したのはイスラエル人の一部です。もっとも帰らなかった人たちは帰る気が無かっただけのようです。さらに注意するとバビロン捕囚に連れていかれたのは全ユダヤ人ではありません。
当時パレスチナはペルシアの支配下にあり、帰った先は元のイスラエルの一部でしょう。で、このバビロン捕囚されていた人々の中に預言者たちがいて、その流れがイスラエルでも強くなっていくわけです。前掲ページにありますがユダヤ人の民族外結婚を禁じたのはこの少し後、紀元前5世紀のことですから、「純粋なユダヤ人」であったかどうか・・・・まあいずれにせよ住んでいたものを排斥した、とは書いてありませんが、徐々に勢力をつけていった、ということでしょう。
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この回答へのお礼

アラブ人の形成がよくわかりました。最初からいたわけではないんですね。
バビロン捕囚に関することもよく判りました。
参考URLもありがとうございました。

お礼日時:2006/08/19 00:15

1.そのとおりです。

先住民族がいるところへ割り込んだのです。しかしその先住民族はアラブとは言いません。アラブというのはマホメット生誕後のイスラム教を信じ、アラビア語を話す民族の総称ですからね。正確にはトルコ人はトルコ語を話しますからアラブではありません。彼等は自分達をヨーロッパ人と同じ民族だと思っているようです。
2.エルサレムを首都にしたのはダビデです。
3.そのとおりです。しかしそこもペルシャの支配地であることにはかわりなく、ユダヤの民は苦難の道を歩み続けなければならなかったようです。
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この回答へのお礼

>アラブというのはマホメット生誕後のイスラム教を信じ、アラビア語を話す民族の総称ですからね

なるほど、そうだったんですか。
ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 23:57

旧約聖書の時代には、まだアラブ人という概念はありませんでした。


カナーンの地に広く分布していたのは、フェニキア人だと思われます。
この当時は、人口も少なく、都市は沿岸部中心ですから、内陸部には、未開の土地が沢山有ったはずです。
また、イスラエル人の移住といっても、そもそもの人数は多くなかったはずです。
(ゲルマン民族の大移動で西ゴート王国をたてたゴート族にしても、全人口の2%程度と言われています)

2番については知りません。
首都という概念が無かった可能性もあります。

3.アッシリアはアッシリア人で、新バビロニアはバビロニア人です。
この当時、アラブ人はいません。

4.バビロン捕囚といっても、全ての国民がバビロンに連れて行かれたわけではありません。
残った人も多くいましたし、イスラエルからバビロンへの途中に生活拠点を定めた人も多くいました。
バビロン捕囚は、ユダの有力者を拉致したのだと思えます。
実際、ユダヤ人の民族形成が始まるのは、このバビロン捕囚中です。
そして、戻ってきてからユダヤ民族が形成されます。
ですから、それ以前には、今で言うユダヤ人は存在していませんでした。

民族は、古来より不変のものではなく、時代と共に変遷してゆくものです。
その事を理解してください。
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この回答へのお礼

>民族は、古来より不変のものではなく、時代と共に変遷してゆくものです

よくわかりました。
ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/08/18 23:55

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