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直前に質問させてもらった文章が、説明不足の感がありましたので、また質問させてください。
慢性アル中気味で、正気を失うことが多い父親が、また飲んだくれて居眠りの後、ちょっと正気が戻ってきたとき
「やっと正気になったか」
と子供がやるせない思いで言ったとき
「何言ってんだよ!」(俺が酔うことは大した事じゃないし、そんなことは問題にもならない、大体俺自身にそんな自覚はない。アルコールが家族の心にどれだけ悪影響を与える下などは考えられないし、信じられない、どうでもいい)

こういうとき、子供というものはこれを叱り付けるべきだと感じています。
「何言ってんだじゃないんだよ!ふざけるのもいいかげんにしろ!」
と目を覚まさせるべきなんです。

ところが現実問題としてそれは難しいですね。それは子供に客観的な判断を下す能力や経験に乏しいからです。だから、この状況が有無を言わさずに親を叱り付けるのが正しいと判断できない。有無を言わさず正しいとは、例えば子供が心身障害者を見て笑ったら親は叱り付けますよね。そういう類と同じ状況なんですよね。

で、子供にはそれを判断する力がないから、「親子関係というのはこういうものなんだ、自分が受け入れられず嫌な気分になることは普通なんだ」と一種自虐的にならざるを得ないでしょう。このように自分を受け入れないようや態度を取られると、子供の心はどうなっていくのでしょうか。自分の思いが通じない相手にされない大事にされないという思いは、何かかなり影響を残すような気がします。

A 回答 (5件)

「思いが通じない」というよりも、「親の言うとおりかもしれない。

自分のほうが悪い子なのだ」と、どこかで思い込み、どこかで負い目に似たようなものを感じ続けると思います。

しかし、だからこそ「世間」があるわけです。子供は、学校や公園や趣味の集いやラジオやインターネットや子供向けの電話相談を通じて「私の親って、こうなんだあ」と愚痴ることができます。あるいは、誰かがそう愚痴っているところを偶然に耳にすることができます。そして、「な~んだ、世の中、わりとそういうもんなんだあ。親に怒鳴られるのはつらいけれど、自分が卑屈になることはないんだなあ」と思えて、自信を回復できます。

これができない場合は、大人になって、情報収集能力が向上してから、そういう親が他にもいることを知って、癒されることができます。

あるいは、そこに至る前に、子供がぐれる場合もあります。すると、そこがチェックポイントになって、親が自分の非を改めたり、周りが救いの手を伸べるでしょう。

もちろん、このようにうまくいかない場合もあるとは思いますが、できるだけ、こうして外界を利用したいものです。
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この回答へのお礼

そうですね。「世間」というかすがいです。それは質問文にも書いたのですが、「相対評価」を醸成することなんです。それでなければ、某社会主義国家のように国民を飼いならしていれば言いという非道な統治になってしまいます。そういう国は国民の相対評価がないのを利用しているわけですから。

お礼日時:2006/09/09 21:07

#4です。


もう一度回答させてください。
補足ありがとうございました。
そうなんです、そうならないように、一人っ子の倅(結婚が遅れた為、まだ小学生ですが)を、育てていくつもりです。
身障者を奇異な存在として、罵ったり、見下したりは、私の子はしません。その逆です。学校でも、その子の出来る範囲で遊びを考えます。
特に教えた訳でもないのに、親のほうがビックリします。
何故なのか?学校教育の賜物か?家庭環境か、天性のものなのか、私には分かりえません。
親の愛情が足りない子供は「万引き」をします。
裕福とか貧乏とかは関係ありません。
食糧難だった時代の「物取り」とは当然違います。
これは私の職歴でスーパーの店長時代に感じた事です。

さぁ、ではあなたを満足させてくれる回答はどのようなものでしょう。
あなたに好意的な回答が、今日安心して眠れる全てですか?
違うでしょ。そう思えたのは「親をぶっ殺す」とか言う表現や「憎くて堪らない」という事がこちらに伝わらなかったからです。
心の中では思っていてもですが。
使い切れないほどのお金があって、好きなことだけしていても生きて行けるなら、「お好きにどうぞ」ですが、そうでないなら、社会に出れば自分の知識だけの価値観なんて、他人に取っては「カス」のようなものです(個性を否定しているわけではありません)。
もう成人でしょうから、不条理は自分の中で「昇華」せざるを得ない所ではないのかなぁ。
税金を自分の力で収められるようになってから、「社会主義云々」を語らない限り、誰もあなたを認めないのでは。
まぁ、どういう状況か分かりませんが、納得できないのなら、
親を一度殴ってみなさい!
あっけないくらい弱い父親に悲しみを覚えますよ。
それから、お互いの不満を話し合えばいい。
それすら気付けなければ、今後人の親になる資格無しです。
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この回答へのお礼

親業をよく勤めていらっしゃるんだと思います。
私の立場ですけど、普通に税金は納めています。別にこれって社会に認められるために必要とは思いませんけどね。そんなこといったら、一番深刻な子供の声は誰にも届かなくなってしまいます。

お礼日時:2006/09/11 17:37

はじめまして。


私は多分お父さんと年齢は近いと思います。
そして、あなたと同じような悩みでここまで生きてきました。
子供の頃、夕飯時は不安でした。
いつ、父が自分の思い通りにならないと、ちゃぶ台を(それこそ星一徹のように)ひっくり返すか不安で不安でなりませんでした。
母を殴り、祖父母と喧嘩し、家庭内が安住の地とは、全く思えませんでした。多感な思春期の頃です。
でも次の朝になると、何事も無かったように家族が振舞う。
そのギャップは、当時自分に理解出来ませんでした。
では、こんな家飛び出して、学校にも行かず放浪のたびに出れるのか、と、自分に問えば、そんな根性も無い自分が見えてしまい、あったかい布団で寝てしまうしかなかったと思います。ようは自立できない自分がふがいなかったと言うことです。
動物を飼うこともしました。最初は可愛がるのですが、いざ、自分の思い通りに行かないと、強くしかり、服従を強要することもありました。

長男でしたので、結婚し子供もいて親と同居していますが、家族旅行をしたいとは、一度も思わないのです。
何故か。
それは子供の頃のあなたと同じような気持ちを、この歳になっても引きずっているからなのかも知れません。
でも、自分の考え方が少しおかしかったと、やっと気付きはじめました。妻と子供と家族と、全ては自分と同じではないこと。
子供は自分の分身ではなく、別人格です。ですから、間違った方向に行かぬよう「叱る」必要はあります。
叱られた子供には理不尽に感じるはずです。
多分まだまだ親への憎しみが、親への愛情を否定し続けることでしょう。でもいつか気付かなければいけませんよ。
親がどれほどあなたを愛していたか。
まだ、気付けないのは仕方ないことですね。

この回答への補足

ftogsr1974さまが、かつての親父のようになってしまうのではないかという危惧がどうも文章から感じてしまいます。大丈夫でしょうか?

補足日時:2006/09/09 21:13
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この回答へのお礼

ちゃぶ台をひっくり返したら、ひっくり返したやつの顔にたたきつければいいんですよ。物を粗末にすることを諌めなければいけません。

つまり、全体的に甘いんですよ。こういう行い、姿勢をほうっておくという事は、子供が心身障害者を見て笑っているのをそのままにしているということなんです。これは怠慢ですよね。家族愛は全員で作るものです。明らかに間違った行動をとる人間を放っておく許しておくことは、すなわち愛がないんです。

なぜか、それはすなわち、親の愛がないからです。

お礼日時:2006/09/09 21:12

子供側から親側に対して「嫌なものはいや」と言える関係を築くのは、本当は大切なことなのかもしれませんね。

親も、子供のいうことをバカにしないで真剣に聞いて欲しいと思うのに、どこか聞き流すような態度をとられたりとか、まともな返答をしてくれないだとか、意味なく話をそらされることは子供を大いに傷つける行為だと、私は思っています。

「叱る」という意識は、目上の者が目下に向かってする態度だと思うので、叱るというよりはむしろ「イヤだと意思表示する」というような意識で言葉を選んでみるのはどうでしょう。親側が目下だと思っている自分の子供から「叱られている」という気持ちを押し付けられても反発するだけのような気がするんです。
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私自身も、自分の父親が昔からほとんど定期的(月に1度くらいのペース)で家族に小さなことに因縁をつけては怒鳴り散らすのがいやでいやで、そのような状態のときの父は1週間も機嫌が直らず、「そういう態度はいや」なんて、子供の私は絶対に言えませんでした。言おうものなら何が飛んでくるか分からなかったので… おかげで結婚した今もあまり実家には帰りたいと思わなくなってしまいました。もともと子供の言い分をまじめに聞かない態度が多く、からかうことすらあり、それで何度となく傷ついたことを父は知っているのか知らないのか… 怒りすぎたツケが回ってきたのか、父は今心臓を患っているんですが、そのことでの私の感情はとても冷たく(ざまあみろ)的なものしかありません。

質問者様のケースと大分違いますけど、子供側が言いたいことを言えるような態度や雰囲気を親側はもっと持つべきだと思うんです。人として対等に見て欲しいとさえ思います。
質問者様の「子供に客観的な判断を下す能力や経験に乏しいから」というのも、ケースバイケースだと私は思います。親より経験を積んだことがあれば、(年齢が成人に達していなくても)少なくともその点では親より詳しいことにもなりますし。たとえ親子であれ人生の中で経験して積み上げるものはまったく違うもののはずなので、「親とは違う物の見方をしている」意見として、親子が対等に話し合いが出来る関係が、理想かなぁ…と、私も常日頃思うのです…すみません、長文を読ませてしまいまして。後半の文はほとんど蛇足です、参考程度にお読みいただければ幸いです。

この回答への補足

上のftgstar1914さんへの補足でもあるのですけど、「愛情」に傘を着せて無礼な振る舞いを改めないことは、また別の次元の問題であって、愛情があるからどうのこうのというのは理論の挿げ替えに過ぎません。極論すれば、愛情がなくても、精神的に家族を追い込まないほうがいいとさえいえますね。

補足日時:2006/09/10 09:24
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この回答へのお礼

的確丁寧なご回答、ありがとうございます。ただ、姿勢的に甘いものを感じます。「嫌なもの」というような感覚ではだめです。それは依頼の感覚が混ざっていて、なめられるもとだと思います。質問文にも書きましたが、無条件に許されない行為というものはあって、そういうとき、われわれが当人を叱責しないのは、優しさではなくて、怠慢ですね。当人にも、もちろん家族にも悪影響しかありません。バケツの水を頭からぶっ掛けるなりして、目を覚まさせてやらなければならないはずなんです。

お礼日時:2006/09/09 21:04

子供の成育に一番必要で大事なことは「何事にもゆるがないルール」だと思います。


多少であれば理不尽なルールでも問題は無いと思いますが、反社会的なことを許される人と許されない人が出来るようなルールでは、将来反社会的な行動をする子供に育ってしまうように思います。
それとは別に「信頼している人から見捨てられた」と感じることも子供の問題行動につながります。
もうひとつは「わがままが何でも通る環境」があり、最近では女性を監禁した事件の加害者がこれにあたると思います。

これらの成育環境で育った子供の多くは「人格障害」になることが多く、反社会的な行動を起こし犯罪や自殺などにつながってしまうと思われます。

詳しく調べるなら「人格障害 成育暦」で検索してみて下さい。
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この回答へのお礼

よくおっしゃることがわからないのですけれど。何事にも揺るがないルールを教える大人が、あきらかにモラルに悖ることをしていたのでは話になりません。

お礼日時:2006/09/09 21:00

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