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以前に比べて今は 約束や決まり事が軽んじられているように思うのですが、
その原因としてなにが考えられますか?是非皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (7件)

すみません。

補足させてください。
つまり物事には光と影があります。この両者は必然的にセットです。どうやら自然の法則として宇宙誕生以来あるらしい。
昔の権威が生きていた時代、モラルは健全だったでしょう。しかし一般生活は貧しく制約も多かった、衛生面でもはるかに問題があった、生物学的に生きるのがたいへんだった。そしてそのベースが買いZ船されてきた発展の暁にはご質問のような現象が現れるわけです。
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この回答へのお礼

皆さん 回答してくれてありがとうございました♪(^^)/

お礼日時:2006/11/04 18:38

権威の失墜です。


それをいいことかわるいことかはそれぞれ考え方で違ってきます。
例えば、官職の制服を見てください。戦前の畏怖を感じさせる厳格な制服。警官はサーベル携帯ですよ。わざと大きく見えるように武器を携えます。軍服にしても、明示のいかめしい存在かなるものから、だんだん時代を経て簡素で実用的になりましたね。
この簡素で実用的というものが、必然的な世の流れ人の要求だったと知れば、それがおのぞから権威というものを軽んじる方向に進むということです。
その結果どうなります?駅の進行表示には従わない、なんとなくみんなと同じ方向に進むしかない、列車の乗り方など全く生活の中で地位が低いから、無造作に乗って無造作に降りる、そんN事に代表される社会になります。
つまりは権威というものは宗教性とも平衡して捉えられるものです。その双方とも瀕死の状態なのが現代日本です。
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人の心は、何かひとつのものに対しては、その力を多く注ぐことができると思います(集中力)。

しかし、多くのものがある場合は、それぞれに対して、限られた力を注がなければなりません(注意力)。規則をどんどん増やすことは可能ですが、人の能力はそう簡単に増やせません。

物事を重要なものと、そうでないものに分けるのは、限られた能力資源を有効に利用するためではないかと考えられます。

ご質問でおっしゃる規則の軽視は、重要性による区分で優先されなかったためだと思います。

規則の集まりの中だけでの区分だけでなく、情報全般の範囲での区分、さらに広げて、社会的現象全般のなかで、重要とされるものが、つかめる人はまだよくて、情報化時代、多様性の時代といわれるぐらいですから、重要なものが個人としても定めにくく、社会で共有される重要なものというのも定めがたくなっていると思われます。

今一度、大切なものは何かということを、人々が確認しあって、共有されなければならないのかもしれません。

原因を個人のものとすれば、能力の限界であろうし、社会のものとすれば、そのような個人の限界に気付いていないか、気付いていたとしても、しかるべき対応をすることを怠っているか、しかるべき対応ができない社会システムであるのか、また、そのシステムを改革することを怠っているか、また、そこには大きな困難がたちはだかっているのか・・・・よく分かりません。

法治国家も限界があるのではないかと思います。宗教と政治が分離したのは、ずっと昔、それこそ歴史上のことだと思いますが、宗教的道徳は現代にも生きていて、実は、平凡だが道徳的な庶民が、宗教性のない国家の不完全さを、下支えしていたのかもしれません。

宗教国家の危険性というのもありますが、宗教性のない国家の危険性というのもあるのではないかと思います。後者は、ご指摘の道徳の荒廃でしょう。それは、上から腐っていきます。上はそもそも宗教性をもつことが禁じられているのですから。
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個々の人間の話しではなく社会全体とすれば、


決まりを決めた人間の権威が低くなっている、
あるいは約束事をした人間に対する尊敬の気持ちを持つことが少なくなっている、
ですかね。

個々の人間においては、
約束を守る大切さを成長の過程で覚えないでしまった、かな。

ということは、教育の在り方や、政治家のあり方、模範たる大人のあり方がまずいってことか?。
なんだかこれは、自分で言ってて胡散臭い話になってきたな。。
まー、大切なことではありますが、
説教じみたり思想じみた話しは、昨今怪しいもんだ。
って、自分の答えを否定してしまってますが。

でも、そもそも、
約束や決まりごとが、本当に昔より今のほうが
軽んじられてるんでしょうかね?。
社交辞令って昔から言葉があると思うんですが、
これは約束事を軽んじてる言葉なんですかね?
戦争って人類の歴史を通じてなくならないですよね?
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 今までは「常識」で済んでいたのに、「決まり」として明確にしないとわからない人が増えたからでしょう。

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あまりにも漠然としているのですが。


以前というのはいつでしょう。1000年前?100年前?10年前?
約束というのは契約などのことでしょうか。それとも口約束程度のことでしょうか。決まりごとというのは法律レベルのことなのか、それともマナー程度のことなのでしょうか。

漠然とした回答で言いのなら、例えば法治国家になってからはそれ以前よりははるかに守られるようになったと思います。その代わり例えば恥とか名誉とか、そういった観点で守られていたものが守られなくなったという傾向にはあると思います。これは社会心理学で言う「認知的不協和」という考え方で説明できます。
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決まりを最も守るべき人物や法人が決まりを守らなかったからです。

典型的象徴が、福井日銀総裁の村上ファンド投資に関する発言と責任の取り方でしょう。自らを素人と評し、責任の線引きをしようとしない態度は一国の中央銀行総裁の態度ではありません。法人は、雪印から始まる道路公団、三菱自工、パロマに至る醜態です。大人が未成年者に対して決まりを守れと強く言うことが出来なくなってしまいました。・・おまえら、大人の方がキタねーことやってんじゃん・・・返す言葉はありません。一緒に守ろうよと言うしかありません。昔からロッキード事件やリクルート事件等々色々ありました。しかし、今や裾野が広がりすぎです。頻発し、一般化し、一部の人たちが変なことをやっている感じでは無くなっています。

加えて、個人レベルにおいて守らなくても良いと勘違いをもよおす事象が広がっているからであると思っています。NHK受信料不払いが最も事態を悪化させていると考えます。NHKを受信していながら不祥事を理由に払わないでいられる状況は、まさに相手のちょっとした弱みに付け込み決まりを守らなくても良い勘違いを誘引しています。
NHK不祥事の良否や国営放送がどうあるべきかはともかく、これほど多くの人々が長期にわたり、やや背信的不払いを長く続けていることは知らず知らずにその方々自身の品格の低下に繋がると危惧され、引いては、給食費の不払い、町内会費等に広がり、そういう人々に育てられた人間は税金を払うことに著しい不快感を覚えることになるでしょう。
回答として原因は、いい大人たちの行動です。
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