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銀シャリとは米粒のことですか?

A 回答 (7件)

銀シャリは第二次大戦後に生まれた俗語といわれています。

テキ屋の隠語としている書物もあります。
もともと白米の飯粒を仏舎利(仏陀の遺骨の粒)になぞらえてシャリと呼ぶ隠語があり、戦後の食糧統制時代に、貴重な白米を特に銀シャリと呼ぶようになったということです。心ある料理人や寿司職人は、銀シャリなどという低俗な言い方を嫌います。
昔から白飯(しらいい、しろいい、しろめし、しらめし、はくはん等)と呼ぶのが一般的です。
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銀シャリとは、回答者の方々が回答したとおり、精米した米を炊いたものです。

日本が未だ貧しかった時代は、多くの人々は、ご飯に五穀を混ぜて増量とし、主食としていました。これに対して、混ぜ物のない精米だけのご飯を<銀シャリ>と呼びました。

米はコンバインで刈り取り、同時に脱穀(稲の穂から籾だけ取り分ける)が行われます。これを乾燥して籾摺りを行い(籾殻を取る)、玄米として農家は販売します。従って流通段階で、精米(玄米の表面蛋白質等を削り取る)をせずに販売されるのが玄米で、玄米の表面だけを精米して、芽となる胚芽部分を残したのが胚芽米です。更に精米(米搗き)を続け、玄米から約70%の重量になった物が七分搗きと言われ、この辺りの精米を炊いたのが<銀シャリ>となります。

古米があまり美味しくないのは、米の脱穀後は籾を火力で乾燥させ、籾摺りをしてから玄米として貯蔵します。昔ながらの天日乾燥で籾で貯蔵すれば、当然条件が整えば発芽します。つまり何年でも米が生きているのです。当然味は殆ど変わりません。

江戸時代の江戸では、江戸特有の風土病と考えられていた病気が有りました。そうです、銀シャリを好んだ江戸っ子は、脚気にかかる人が多かったのです。その頃までは江戸以外の地方は、玄米食だったのです。そして徴兵の始まった明治の軍隊は、<銀シャリ>が売り物で、当然脚気で苦しんで本当は「日露戦争」どころではありませんでした。戦争に勝利する為には、先に脚気との戦争が待っていたのです。
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ANo1さんのおっしゃる通り、白米を炊いたものを銀シャリといいます。



では、白米とは何か?
これは要するに精米したお米のことです。

当然、古米でも精米して炊けば銀シャリです。

ですから、玄米や麦を混ぜたりした場合は銀シャリとは言えません。

時代劇を見ていると、1升ビンに籾米を入れて棒で突いているシーンが出てくることがあるんですが、あれは籾米を脱穀しているんです。
そうやって出来たお米は当然、玄米であり、一般的にはそれを炊いて食していたようです。
玄米を精米して白米にするにはさらに手間が掛かるわけで、当然高価になります。価格の問題から一般家庭ではなかなか手に入らなかったようです。

 
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銀シャリとは


お米の新米を美味しく炊き上げたもの
新米を美味しく炊き上げるとその色が
銀色に見えることからそう呼ばれた
 爺より
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銀色は炊き立てのつやがあるご飯のこと。


シャリは火葬にされたお釈迦様の骨(仏舎利)から来ていて、小さな白い小粒の骨が米粒に似ていることからこう呼ばれます。
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この回答へのお礼

原語があるとはおどろきです。回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/24 21:02

美味しそうに炊けたごはんってつやつやでキラキラ光ってるでしょ?


あの状態です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/24 20:59

白米をふっくらと炊いたものです。

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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/24 20:00

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