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沙石集(勘解由小路の地蔵)の中で、法師の偽りの示現によって女房が入道の屋敷へと入っていった後、その屋敷の前で法師が騒いで言った台詞、
「法師が示現ををこがましく」
の解釈の仕方が解りません。
自分なりに考えてみた結果、

 ◆「法師がみっともなくも示現を偽ったのです」
(「が」は主格を表し、「をこがましく」の後ろに「偽った」というような意味の動詞が省略されている)
 ◆「法師の示現を(あなたたちは)馬鹿みたいに信じてしまうなんて!」
(「が」は連体格(?)で、「をこがましく」の後ろに「信じる」が省略されている)

のどちらかである気がするのですが…。
どなたか解釈いただけないでしょうか。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

文脈から判断して、2番目の解釈がよいとおもいます。


法師は女房と入道のあいだを裂きたい一念にかられており、自分の行動を客観視できそうにもありません。 「をこがまし」 は女房と入道にむけられている、とかんがえるのが自然でしょう。

文法的には、1番目の解釈もまちがいではなさそうです。単純な名詞につく格助詞 「が」 の用法について 「沙石集」 をざっとながめたところ、 「が」 が主格をあらわしている場合もあります。ただし、述語は終止形ではなく、連体形や連用形になります。さらに、文全体の主格でなく、従属節をつくることが多いようです。そのような文の述語のとぎれたものとして1番目のように解釈することは、文法的には可能でしょう。たとえば、つぎのような例があります。

  「・・・ 此 (この) 馬が物に心得候はで、・・・ 早く行き/\し候」 と云ひけり (巻8の7)

しかし、上述の文脈からすると、つぎの例のような連体格の用法があてはまりそうです。

  「いさ、おもつらがあふたるは、法師 (自分) が馬かと思ひて」 とぞ云ひける (巻8の3)


一昨日、たまたま古本の 『沙石集』 を手に入れました。だいぶ日数がたってしまいましたが、質問が締め切られていないので、回答します。まだ解決していないようでしたら、参考にしてください。


参照: 日本古典文学大系 85 『沙石集』 (渡邊綱也 校注 1966)
なお、本文の頭注では、 「お (を) こがましく」 が 「ばからしく」 とあります。2番目の解釈に立つとかんがえられます。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてすみません。
回答ありがとうございます。
非常に解りやすい根拠を示して頂けたので、すんなり納得できました。

お礼日時:2007/02/28 12:54

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