【先着1,000名様!】1,000円分をプレゼント!

藤原姓の人や名字に藤が入る人の先祖は
武士や華族などの身分の高かった人なのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

#7さんに補足すれば、藤原貞幹も一般には「藤貞幹(トウ・テイカン)」と名乗っており、本姓は藤原、名は貞幹(サダモト)、字は子冬、通称は叔蔵となり、#7さんご指摘のように「姓(かばね)」を一文字で称するということに当てはまります。


当然、今の近衛さんや九条さんなども姓(かばね)は藤原ですから、私の知人も同様に朝廷に上がるときは水無瀬ではなく「三位中納言藤原朝臣**」ということになり、藤原**と名乗っても間違いとはいえません。
因みに私は先祖代々の庶民(江戸期は村の鍛冶屋)で、系図を辿っても姓がありませんから「近江の国の住人**」ということになります。
現在の苗字は鍛冶屋をやっていたころの屋号だったようです。
こういった姓と苗字の違いが分かっていれば、混同して付けるということは無いと思いますけど、「伝藤原氏子孫」という方もいますから、現在の藤原さんで貴族の藤原氏の血を引いると信じている方を否定することはできません。
ただ、私の友人も大阪島本の水無瀬神宮の系図の端に名前を載せてもらい、遡れば藤原北家隆家まではっきりしていますけど、こういった明確に藤原氏と認められる方で、藤原と名乗る方はいないのではないかと思います。
本来は氏の長者しか名乗れませんから、近衛さんを差し置いて藤原など名乗れないのでは無いでしょうか。
    • good
    • 0

「無学どころか江戸時代の大儒学者藤原惺窩はれっきとした冷泉家の流れで、正真正銘の藤原さんです。

また国際主義的考古歴史学者の藤原貞幹のような、本物の藤原さんかどうか知りませんが、藤原を名乗る人は維新以前にも存在しています。」

儒者の間では、苗字ではなく姓を一文字で名乗るのが流行っていました。例えば、荻生徂徠は「物徂徠」(物部徂徠)と名乗ったこともあるようです。儒者が手本とする中国人の名前を真似たものです。藤原惺窩という呼び名が現在は定着していますが、同時代の実際の表記は「藤惺窩」ではないでしょうか。儒者の世界の「遊び」であり、一般社会とは関わりのないことです。

「また本物の藤原さんの出でも、すべて公家として存続していたわけではありません。公家の血筋を引きながらも庶民に落ちた人も大勢いるはずです。これらの人が維新のときに、隠し名字として持っていた藤原を名乗った可能性もあります。」

そういう人は「貴族」ではなく「庶民」です。また、「藤原」は「姓」であって「苗字」ではありません。その程度の社会常識も知らない人は「ド田舎の無学者」と呼ばれても仕方ないでしょうし、そんな「庶民」が「公家の血筋を引いている」という話は、三国志の劉備が漢皇室の血筋であるという話や、豊臣秀吉が天皇の落胤であるという話(秀吉が自ら作って流布した)同様に信憑性に乏しいものです。
    • good
    • 2

 「いま藤原さんと名乗っている人で、本物の藤原さんはいない」というお説は大方当たっていると思いますが、大方であってすべてではないと思いますので一言。


 無学どころか江戸時代の大儒学者藤原惺窩はれっきとした冷泉家の流れで、正真正銘の藤原さんです。また国際主義的考古歴史学者の藤原貞幹のような、本物の藤原さんかどうか知りませんが、藤原を名乗る人は維新以前にも存在しています。
 また本物の藤原さんの出でも、すべて公家として存続していたわけではありません。公家の血筋を引きながらも庶民に落ちた人も大勢いるはずです。これらの人が維新のときに、隠し名字として持っていた藤原を名乗った可能性もあります。
 ということで、現代の藤原さんの名誉のためにも一言いわせてもらいました。
    • good
    • 1

そもそもの藤原姓は「かばね」ですから、現代では「苗字」として名乗れないのだと思います。



ちなみに私の母方も「藤の付く苗字」で江戸時代から続いている様(檀家となっているお寺の過去帳では筆頭になっているそうですから、相当昔だと思います。実際には見てないので断言できませんが)ですが、まあ、それほど「高い身分とは言えない」と思います。城勤めでもなかったようですし。

もちろん「それ以前」もあるとは思いますけど、さすがに戦国時代にまではさかのぼれないようです(笑)。残念。
    • good
    • 0

たまに


「藤原」さん
「源」さん
「平」さん
などという人がいます。こういう人は「明治初期は身分が低く、無学文盲で藤原氏とか源氏のことをまったく知らなかった。政府の指示で苗字をつける必要が生じたので、何も分からずに苗字をつけた人」の子孫です。質問の趣旨とは正反対となります。ド田舎の漁村で、明治初期に適当に苗字をつけた結果、村の中に「蛸さん」とか「烏賊さん」とか「鯛さん」とかいう珍苗字のオンパレードになって子孫が迷惑しているという話がありますが、それと同類です。

歴史に登場する、例えば「藤原道長」の正統の子孫は、例えばこの方です。「藤原さん」ではなく「近衛さん」です。
近衞忠煇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B% …

近衛家を筆頭とする藤原氏の正統は、「摂家」と呼ばれ、戦前はいずれも公爵でした。いずれも「藤原さん」ではありません。
摂家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E5%AE%B6
    • good
    • 0

私は江戸時代でもかなりの人が姓を持っていたと聞きました。

普段はありまり使いませんでしたが、公式な文書などには記載したようです。納税の記録やお寺の過去帳などには結構姓が書いてあるようです。

本題ですが、身分が高かったかもしれないし、そこそこだったかもしれないし、低かったかもしれないし、全然関係なかったかもしれないとしか言いようがないようです。
遠い違先祖から姓を受け継いだ人もいますし、その家の家臣でご褒美として姓を賜ったケースもありますし、支配地に住む農民が姓を賜ったもしくは勝手に名乗ったケースもありますし、明治時代に気分でつけたり、名家の姓を買ったケースもあるからです。
    • good
    • 1

本来の藤原さんで、現在藤原という苗字を名乗る方はいません。


藤原氏も数が増えてきて、鎌倉時代には通称で呼ぶようになり、近衛さんとか九条さんとか名乗るようになりました。
私の知人も水無瀬と名乗っていますけど、もともとは水無瀬川に屋敷があったので、藤原一族から、水無瀬川の藤原さんと呼ばれるうちに、苗字が「水無瀬」になったと思います。
明治前はご本家(といっても総本家から見れば分家ですけど)は中納言で30石の公家さんで、本家は現在でも水無瀬神社というものがあります。
話を戻すと、現在の藤原さんは、藤原氏に縁のある土地に住んでいたり、藤原氏に仕えていた人などが、明治時代に苗字を付けるときに名乗っただけで、歴史に出てくる公家の藤原氏とは関係ありません。
伊藤さんは伊勢の藤原氏、工藤、遠藤なども藤原氏にちなんだ苗字ですけど、同様に直接の関係はありません。
    • good
    • 0

公家の所領だった所の農民かも。



ほんの150年前まで日本人の多くは姓を持たず、明治になってから適
当に決めたんだという事実があります。姓の由来の多くはこじつけ
に過ぎません。
    • good
    • 2

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q現在でも源(みなもと)さんは居ますか?

天皇から賜わった姓としては「藤原」さんや、「橘」さんが現在でもわりと多いので有名だと思いますが、「源(みなもと)」さんや「平(たいら)」さんは現存しない姓なのでしょうか?
前者はよく聞く名前なのに、後者はほとんど、というか聞いたことないので不思議に思いました。

また、関連した質問として、上記の「藤原さん」たちは鎌足から脈々と続く藤原さんなのでしょうか?それともほとんど関係ないですか?
やはり藤原さんの中でも、教科書にでてくるような藤原氏の血筋の子孫は1%未満ですか?

Aベストアンサー

私の知人にも源さんがいます。その方の家の近くに源三位頼政に関する伝承地があり、
聞いてみたのですが、「先祖代々ここに住んでいる百姓だが、源頼政の子孫とかの言い
伝えもない」ということでした。

もともと、源平藤橘などの氏(姓)は、明治になって法的には廃止となっています。その
廃止になった時に、公家や武家などのそれなり以上の地位にあった家にはそれぞれ家名
(名字・苗字)がありました。明治以後はその名字が正式な名前となります。例えば
明治維新の時点での総本家は
源氏  徳川家(清和源氏)→久我家(村上源氏嫡流)
平氏  西洞院家(堂上平氏)
藤原氏 近衛家(摂関家筆頭・藤原氏嫡流)
橘氏  ※平安時代に没落
源氏と藤原氏は、細胞分裂のように数え切れないくらいの家に枝分かれしていること
はご承知のことと思います。源氏の足利・新田・武田・今川、平氏の北条・織田、
藤原氏の九条・西園寺などは有名ですね。明治維新の岩倉具視は村上源氏、三条実美
は西園寺の本家筋にあたります。

ですから、古代より脈々と続くこうした「お家柄」のご子孫たちは、上記の近衛・久我とか
九条・西園寺・岩倉・三条とかの家名を現在も名乗っておられますので、現在
藤原・源・平などを名字としている方々は、明治になってから名字としてそれらを
名乗るように決めた家ということですので、少なくとも「お家柄」の子孫ではない
と見るのが無難でしょう。
(だからといって、絶対に藤原・源・平氏の子孫ではない、とは断言できませんが)

なお、藤原道長とか藤原定家、源頼朝や平清盛などは、上記の家名がまだ無いか、
あっても定着していない時代の人物ですので、そのまま藤原・源・平を名乗っています。
藤原定家の子孫は、のちに冷泉家を名乗ります。

あと、橘さんはちょっと微妙ですね。橘氏は家名が成立する時代より前に没落して
しまっているので、家名を持たないまま橘氏のままで明治を迎え、そのまま名字を
橘にした、という地方の旧家があっても別に不思議ではありません。

私の知人にも源さんがいます。その方の家の近くに源三位頼政に関する伝承地があり、
聞いてみたのですが、「先祖代々ここに住んでいる百姓だが、源頼政の子孫とかの言い
伝えもない」ということでした。

もともと、源平藤橘などの氏(姓)は、明治になって法的には廃止となっています。その
廃止になった時に、公家や武家などのそれなり以上の地位にあった家にはそれぞれ家名
(名字・苗字)がありました。明治以後はその名字が正式な名前となります。例えば
明治維新の時点での総本家は
源氏  徳川家(清和...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q皆さんが思う「珍しくないけどかっこいいと思う苗字」をたくさん挙げてってください。 宮本、藤原、高橋、

皆さんが思う「珍しくないけどかっこいいと思う苗字」をたくさん挙げてってください。

宮本、藤原、高橋、五十嵐、緒形、佐藤、清水……他にあればお願いします。

Aベストアンサー

長谷(はせ)本田(ほんだ)広瀬(ひろせ)

どれも語感が好きです。本田は車が世界的にも有名でそこもかっこいい要素です。

Q部落出身かどうか調べるって・・・。

 今日彼と話してたんですが、彼の親は、私が部落出身者でないかどうかを調べるっていうんです。彼は怒って親と口も聞いてないみたいです。私は自分がそうなのかどうかは全くわからないけど、もしそうだとしたら結婚は無理なのかなぁ・・と考えてしまって悩んでいます。調べるってどういう方法があるのですか?彼との話で「部落出身者は他の地区の人と結婚できないから身内同士で結婚したりするらしい」って言ってたんですけど、うちの親戚も身内同士で結婚したりしているし、また私の両親はかなり田舎の出身なのでもしかして・・・って思ったりします。なんか自分がこういうのを気にしないといけないっていうのがすごく悲しいです。引越ししていても調べたら分るものなのですか? もし私の文章を読んで気分を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ありません。無知なので何もわかりません。どなたか教えてください。

Aベストアンサー

私の父は探偵をしているため、娘(あるいあh息子)の結婚相手を調べて欲しいという親からの以来がとても多いです。
つまり部落出身かどうか。
それは、住民票をみます。
住民票は手書きです。
同和地区の住所というのが昔ありました。
それが同和地区差別を無くそうってことで
住所を変えたり引越ししたりします。
そういう方が非常に多いので
いちいち全部の住所を書き直してられないため
一部分に二重線を引っ張って住所を一部分手書きで訂正します。同和地区の差別反対が起こってから
昔、急速にその作業が行われました。
その修正をしているかそうでないかで
分かるそうです。
あくまでも同和出身を調べる一つの手段であるため
これだけで分かる場合も有るし
分からない場合も有ります。
以上、父から教えてもらったことです。

Q夫が部落出身である可能性が高いです

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセールスで度々来ていました。
母は時々物を買っていて、私と知り合う2年前から夫を知っていました。
その間、彼氏がいなかった私の写真を見せていたのは知っています。よく母から、「面白いお兄さんがいて○○(私)に会ってみたいと言っているけれど、どうする?」と言われており、その一年後に初めて3人で食事に行きました。
付き合いはそこからです。
付きあってから度々悩まされたのは、他人に対して暴言を吐いたり道路の真ん中で車を止めて怒ったりすることでした。
(先日も駐車場の枠外にとめていた車の人に暴力団のような言葉を吐いていたので知らない顔をして子どもと逃げました。)
私にも暴言や暴力(年に数回)があり、何度も別れようと思ってきました。
しかし、夫にも優しい所があり、初めての人でしたので夫がすべてだという気持ちがあり、結局結婚に至りました。
何かがおかしいと思ってきたのは結婚してからのことです。
毎週夫の実家に行くごとに義父母から親戚の職業を耳にしてきましたが所謂部落の方が多い職業についており、部落の方と結婚している人がとても多いのです。
また、義父は自営業をしていますが暴力と酒癖が悪く部屋中のものを壊したり、年に数回は義母の顔にあざができるほど殴るので本当に恐ろしいです。
本人たちの口から「部落」という言葉は結婚してからは何度となく聞いていますが、自分たちは違うというニュアンスで話してきます。
差別があるから夫のいとこは子供をつくらないし、結婚もしないとも聞かされてきました。
私が少し調べた結果は義父が部落出身のようです。
調べるきっかけとなったのは私の職場に夫がやくざまがいの電話をしてきたことでした。
それは、私の仕事用携帯に職場の男性のアドレスがあっただけのことでした。私的なメールは一切しておらず、上司から同僚まで全ての電話番号とアドレスが入っています。
夫はそれを浮気だと勘違いして、会社に怒鳴りこみの電話をしてきました。しかも妊娠初期の事でした。
その後出産の為辞めることとなりましたが、会社の上司から夫のことをかなり詳しく聞かれた上でそれとなく言われました。
本当にショックで血の気が引きました。
その後、義父母や夫がよく口にする地区をネットで検索してみると、全て部落に当てはまる地区で自分が住んでいる地区も昔はそうだったと知りました。
本当にショックでした。
冒頭に「悔しい」と書いたのは騙されたと感じるからです。
結婚前に夫の性格や暴力のことで母や親戚から反対されながらも結婚を選んだのは私です。
でも、墓場まで持って行こうとした夫が許せません。
私に話していたら結婚は迷ったかもしれない。
でもきっと結婚していたと思うんです。
それなのに純粋な気持ちでずっと夫を思ってきたのに隠し通そうとしている夫は裏切り者です。大嘘つきです。
夫を許せません。
結婚するまでは部落の人がいるのかどうかも知りませんでした。そして、部落が何かもよくわかりませんでした。
しかし、少しずつ勉強したり地区や周りの人間を見ていく中で分かったことがあります。それは差別する人間だけが悪いのではなく、差別される側にも問題があるということです。
義父や夫の親戚の会話は人間の血が通っていなくて、私にはとても理解ができません。酷い言い方かも知れませんが、気が狂いそうになるほど見ず知らずの他人を悪く言ったり暴言を吐きます。
私が言われることもあります。
今、人生にとても悩んでいます。こどもが小さいので母子家庭は厳しいかもしれませんが、穏やかな暮らしがしたいです。
夫とも義父母とも一切の縁を切ってこの土地からも逃れたい・・普通の考えをした人間と関わりあって生きたい。これが正直な気持ちです。
簡単にはいきませんが、何も考えずに生活しようとしても夫や義父が何か言動を起こす度にうんざりしている自分がいます。
まとまりの無い文章ですみません。
経験談やアドバイスなど、皆さんの考えをお聞かせ下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセ...続きを読む

Aベストアンサー

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませんしね。

この事案からまったくかけ離れた所で生活している物が
当事者に対して簡単に「差別はいけません」とは言い難いです。

関わった物の苦しみは関わった者しか分かりませんね。

輪の中に身を置くという事で、私は単なる個人の人格だけの
問題でもない気がします。

生活の環境と言う物は、個人の主観に大きく影響します。

周りを取り囲む人々が同じ価値観で接してくれば、少なからず
感化されますからね。

さて、問題は今後ですよね。
離婚されるなら身を隠す必要があると思いますよ。

今までの言動・行動を見ても旦那様自身がこの事をかさに
人を威圧する性格が見受けられます。
そういう境遇が持たしたら性格かもしれませんが、実際問題
多少危険である事は覚悟する必要があると思います。

出来れば御実家のご両親にもきちんと相談されて、考えうる
対応を模索しておく必要があると思います。

それでも先を考えれば、行動する価値は十二分にあると思います。
今は×1も珍しくありません。
心穏やかな生活が迎えられると良いですね。

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませ...続きを読む

Qふじわらさん

会社の部下に、藤原(ふじわ{wa}ら)さん という方がみえます。
しかし、上司に藤原(ふじは{ha}ら)さん というかたもおられます

結構めんどくさいです。とっさな時とかは間違えたりしますが、大して何も言われません。
ここで、お聞きしたいのが、「は」と、「わ」。この二つは、どちらが先に使われ初めて、どうして似た音で使われているのか?
是非、教えてください。

Aベストアンサー

 おそらくは(ふじわ{wa})らが先です。

 まず『藤原』というのは源氏の4大氏族の1つで非常に古いものです。
※中臣鎌足が天智天皇から藤原朝臣の氏姓を賜ったのが始まり

そして藤原から多くの姓が別れています。
 例えば『伊藤』というは伊勢の藤原という意味です。

※藤原北家流、尾藤知基の子、基景が伊勢守となって伊勢に土着。伊藤を称した。伊藤の意味は「伊勢の藤原氏」で、藤原氏の一族を表す

 で名門の神別氏族として1200年ほど栄華を極め、多くの子孫が各地に地方領主として移り住みました。
 で読み名もその地方で次第に変化しふじは{ha}らと呼ばれる場所が出てきました

 基本的に藤原から別れた名字として他に佐藤、加藤などあります。それぞれ「佐野の藤原(異説あり)」、「加賀の藤原」それら全員が皆藤原鎌足の子孫というわけではありません。基本として藤原氏の末裔はごく少数で、ほとんどの由来は各地の藤原さんが住み着いたという地名から取られたものです。。
 で問題のふじはらですが、山梨県においてなぜか「ふじはら」変化しました。
いわゆる方言ですね。

Q天皇家・藤原氏・蘇我氏の出自について

私はよくインターネット等で天智天皇は百済の王子の翹岐王だったとか
蘇我氏は名前が渡来系っぽいから百済人や藤原鎌足は豊璋だとか言っている人を見ます
そこで疑問があります。

まず、いくら王子だからとはいえ日本の属国であった百済の人間が
まして国外追放されて亡命してきた翹岐王や人質としてやって来た豊璋のような人間たちが
頑張ったとしても、朝献をする国の外国人が日本のトップである天皇や
その側近に成れるものなんでしょうか?
名前を隠して入れ替わろうにも周りも馬鹿じゃないんだからバレて入れ替われないでしょうし
普通は周りの人間が大反対してそんな地位にはなれないんじゃないでしょうか?

倭が391年以来、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった。 (広開土王碑)
新羅百済は倭を大国と崇めた (隋書81巻東夷倭国)
新羅の4代目国王の昔脱解は日本人 (三国史記 新羅本記)
百済の王が王子を人質として倭国に送る (三国史記 百済本紀)
新羅は倭国に奈勿王の子未斯欣王子を人質に送る。 (三国史記 新羅本紀)

Aベストアンサー

『日本後紀』延暦二十三年四月二十七日条の和朝臣家麻呂薨伝に、「蕃人入相府、自此始焉」(渡来系の人として公卿になったのは、家麻呂が最初である)とあります。
桓武天皇の母方のコネで、渡来系氏族からようやく中納言や大納言に昇ることができたわけです。

ましてや律令制以前の世襲的に職掌の継承が行われる時代であれば、渡来人は差別を受けて、高官に昇ることはほぼ無理です。マエツキミ(のちの参議にあたる議政官)クラスでも、秦河勝ら数例しかありません。彼らは、基本的には技術官僚として貴族層に搾取される側の人間でした。
外国人が天皇に成り代わるなんてのは不可能です。

インターネットでそういったトンデモ説をご覧になり、疑問を持たれたとのことですが、みんなが皆、疑いを持つとはかぎりません。高校の日本史ですらまともに勉強してこなかった人や、おもしろければなんでもいい人、思想的に偏っている人など、さまざまな人たちがいます。

そういった、インターネットで見かけただけで、あっさり洗脳されてしまいそうな人もいるのですから、教えて!gooのようにネット検索の上位にヒットする場でこのような質問をされるのは控えていただけないでしょうか。
知らずに一生を終えるであろう人にまで興味を持たれて、トンデモ説が広まってしまいます。
無視が一番です。

『日本後紀』延暦二十三年四月二十七日条の和朝臣家麻呂薨伝に、「蕃人入相府、自此始焉」(渡来系の人として公卿になったのは、家麻呂が最初である)とあります。
桓武天皇の母方のコネで、渡来系氏族からようやく中納言や大納言に昇ることができたわけです。

ましてや律令制以前の世襲的に職掌の継承が行われる時代であれば、渡来人は差別を受けて、高官に昇ることはほぼ無理です。マエツキミ(のちの参議にあたる議政官)クラスでも、秦河勝ら数例しかありません。彼らは、基本的には技術官僚として貴族層に搾...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q車の車検は1年?2年?3年?でしたっけ??

えと、確認の意味を込めてですが、車の車検年数について教えて下さい。

<普通自動車>
新車の場合・・・最初は3年後、その後2年置きに車検
中古車の場合・・・2年置きに車検

<軽自動車>
新車、中古車問わず・・・2年置きに車検

で、よろしかったでしょうか?

確か以前は、10年経過した車は1年置きに車検だったように記憶していますが、今もそうでしょうか?

あと、外国車(ディーラ物、並行輸入物)も同様でしょうか?

Aベストアンサー

<普通自動車 3ナンバー・5ナンバー>
昭和63年07月01日以降登録車において、
新規登録から初回3年、以降2年おきに車検です。
中古車であっても新規登録から半年しか経っていないなど、初回車検がまだである場合は
新規登録から3年で初回車検となります。

なお、中古車であっても、新たに輸入した場合は
初回3年車検、以後2年車検となります。

昭和63年06月30日までに新規登録の場合、
初回2年、以後2年、但し、新規登録から10年を超えて車検となる時以降、1年車検となります。

<軽自動車>
4ナンバー車は初回2年、以降も2年
5ナンバー車は初回3年、以降2年
但し、昭和63年06月30日までに新規登録の場合、
4ナンバー・5ナンバー共に
初回2年、以後2年、但し、新規登録から10年を超えて車検となる時以降、1年車検となります。

ではどうぞご参考下さい。

Q本籍地変更にともなう手続き

 本籍地を長いこと夫の実家にしていたのですが、現在の居住地に変更しようと思います。

 (1)本籍地変更の手続きを教えてください。
 (2)それに伴って変更手続きをしなくてはならないものには何がありますか。免許証の変更もそうですよね。
 現在の住まいは持ち家で取得してから10年になります。登記簿の変更も必要なのですか。
 
 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 こんにちは。以前戸籍事務をしていましたので、主に「1」に付いて書かせていただきます。

(1)本籍地変更の手続きを教えてください。
 
 こういう手続きを「転籍」と言いますが、自治体が変わらなければ、戸籍担当課に「転籍届」(1通)を提出するだけです。
 自治体が変わる場合は、戸籍謄本2通を取得しておき、「転居届」(2通)に添付して、お住まいの自治体の戸籍担当課に提出してください。
 転居届は全国共通ですから、どこかの役所の戸籍担当課であらかじめもらって置かれると良いです。

(2)それに伴って変更手続きをしなくてはならないものには何がありますか。免許証の変更もそうですよね。

・住民票は自動的に変更されますから手続きは不要です。
・登記簿も本籍地は書かれていませんから手続きは不要です。
・国家免許は大抵本籍地の都道府県が書かれていますが(例えば医師免許など)、変更する必要はありません。というか、変更できません。
・パスポートは、都道府県しか書かれていませんから、都道府県が変わったときのみ、旅券事務所で訂正の手続きをしてください(申請に、新しい戸籍が必要です)。
・運転免許証は、本籍地の変更が必要ですから、新戸籍か戸籍が訂正された住民票を持って警察で変更してください。免許証の裏面に訂正事項が書かれます。
・会社や学校への連絡は不要だと思います。住所の変更と違って、本籍地が変わっても影響がないからです。

 とりあえず、今思いつくのはこれぐらいです。

 こんにちは。以前戸籍事務をしていましたので、主に「1」に付いて書かせていただきます。

(1)本籍地変更の手続きを教えてください。
 
 こういう手続きを「転籍」と言いますが、自治体が変わらなければ、戸籍担当課に「転籍届」(1通)を提出するだけです。
 自治体が変わる場合は、戸籍謄本2通を取得しておき、「転居届」(2通)に添付して、お住まいの自治体の戸籍担当課に提出してください。
 転居届は全国共通ですから、どこかの役所の戸籍担当課であらかじめもらって置かれると良いです。

(2)そ...続きを読む


人気Q&Aランキング