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表題の通りですが、昔から日本人は意味もなく英語を使いますよね。
日本人のほとんどはろくに英語を喋れないのに・・・

最近ですと、「1点ビハインド」、「セレブになる」、「ビフォーアフター」
「場内は一斉にスタンディングオベーション」、「ホワイトカラー・エグゼンプションの導入」
・・・・等、枚挙にいとまがありません!!
これらの言葉を本来なら日本語を正しく使うべきテレビ局や出版社、それから政府関係各所が
何のためらいもなく多様していることに愕然とします。

なぜ日本人は日本語という素晴らしい言語があるにもかかわらず
こうも横文字ばかり多用したがるんでしょーか?
同じ日本人として非常に恥ずかしいし、またとても腹立たしいです。

日本語の方が英語を使うより直接意味も伝わるし、文字数や誤解されることも少ないと思います。
「美しい日本」を目指すなら先ずは「美しい日本語」を使うべきではと思います。

長くなりましたが、皆さんは現状の日本の横文字文化を見てどう思ってますか?
ご意見、ご感想をぜひ聞かせて下さーい!!

A 回答 (20件中1~10件)

No.4です。

お礼のなかで疑問を書かれていらっしゃったので、書かせていただきます。質問者さまに反対するような書き方をしますが、この問題を考える上ではこのような視点もあろうかと提案するまでで、基本的には質問者さまに賛成です。

●外来語でない日本語で表現できるのに、なぜ外来語を使用するのか。

「1点の負け」ではなく、「1点ビハインド」という表現がなされるのは、それに見合う意味があるからです。単に紛らわせているのではありません。そして重要なことは、「1点ビハインド」が「1点ビハインド」としての独特のニュアンスをもつのは、「1点の負け」という元来の表現との対比があってこそでしょう。逆にいうと、「1点ビハインド」を常用している人間にとっては、「1点の負け」という表現も、元来とは異なるニュアンスをもつようになっているはずです(少なくとも、「1点ビハインド」が割りこんできた分はまったく同じニュアンスをもつことはできなくなっているはずです)。「1点ビハインド」を使う人にとっては、それがふさわしいから使っているのであって、「1点の負け」と言い換えることができるとしても、十分ではないのです(純粋に語義的なニュアンスの差異がなかろうと、ノリ、雰囲気、しっくりくる、といった感覚があるのだと思います)。スポーツの場合などでは、やはり「1点ビハインド」のほうが雰囲気が出るということもあるのでしょう。“同義の和語、漢語があるのに外来語を使いたがる”のにはそれなりに文脈上の理由があるということです(そうでなければ、そもそもそのような言葉は使われるはずはありません)。一方で、そのような言葉を習慣的に用いてなければ単なる同義語であり、和語、外来語を使えばいいのに、ということになるのでしょう。

ただし、それを踏まえて、雰囲気だけで外来語を使用するのはよくないというのは、もっともな批判だと思います。ただ、これに対しては私の考えは2つの点で反対です(どちらも条件つきの反対です)。

1) そのような「ビハインド」や「リスペクト」などの語は、まさに雰囲気が必要だから使用されているという側面があるからです。スポーツなどでは、たとえ容易に言い換えられるとしても、その「ビハインド」「アウェイ」などの専門用語を使うことで、まさにゲームについて話しているだという感じを出せます。また、「ビハインド」を知らない人はそのゲームの結果にそれほど興味はないでしょう。「リスペクト」は、ラップをやっている人がよく使っていると思いますが、それも雰囲気を共有するために使われているところが多分にあります。雰囲気の共有のためのレトリックであるなら、まさにそれは表現力であり、それを否定するのは言葉狩りであろうと思います。ただ、そのようなレトリックがふさわしくない状況で外来語を使用する(サッカーのルールも知らない相手に「ビハインド」だの「アウェイ」だの言ったり、軽いノリのときでないにもかかわらず「リスペクト」と使ったりする)のは、意思疎通上問題のあることだと考えます(この意味で条件つきの賛成です)。そこで私の立場は、聞くと想定されている対象者がその言葉を知らないはずなのにその言葉を使用するのはコミュニケーション的な問題を孕むゆえに反対するが、聞くと想定されている対象者がたいてい知っているはずなら、レトリックとしておおいに活用されてよいだろうというものになります。

2) そのような反対が、反動的な和語への回帰になってしまうかもしれないからです。これを機会に日本語のよさを見直そうということであるので、その意味では、回帰自体が悪いといっているのではありません。しかし、外来語“と比べて”和語ないし漢語のほうがよいというのは、[1] 伝統的なものの尊重に加えて [2] 外来語との対比によるところがあると思います。つまり、外来語があるからこそ“その対比でかえって”日本語に伝統的なものを感じてしまうというところがあるはずです([2])。それは外来語の効能ですよね。そこで私の立場は、純粋に日本語のよさを日本語のよさとして感じていないかぎり、つまり外来語との対比でよさを感じているという面があるかぎり、外来語を批判する道義を欠くだろうというものになります。伝統的な日本語を重視することと、外来語が存在すること(過度にはびこることではなく)とは矛盾するものではなく、むしろ相補的であるところもあるということです。

上の1)、2)は、質問者さまの文言を頑固なものと受けとった、日本語に言い換えられるなら日本語に言い換えるべき、という意見に反対するものでしかなく、私も基本的には質問者さまに賛成で、外来語のせいで日本人にとって元来なじみのある和語や漢語が駆逐されているという危惧があります。たとえ日本人の人生にとって外来語や外国語が必要とされる割合が高まったとしても、教養として従来の和語や漢語を身に着けることができないというのはありませんから。

●外国語が話せないのに外来語を使うことについて。

外来語は英語に由来するとしても英語ではなく日本語です。外来語の問題と、日本語が話せない人ほど英語に飛びつきがちであるととを同時に論ずることは、あまりよいこととは思いません。日本語になった外来語を適切な文脈で使用できるのであれば、その外来語の元となった言語(たとえば英語)が話せないとしても、会話の受信者がその言葉を知ってさえいれば、意思疎通上何も問題はありません。英語もまともに話せないことが、外来語の使用によるコミュニケーションに必然的な欠陥をもたらすなら、それは問題だと思いますが、そういったことはありませんよね。

他方、日本語が話せない人ほど英語に飛びつきがちであり、それが外来語の氾濫の原因のひとつであろうと推察するというのなら、それは妥当だと思います。

●専門用語の訳語について。

専門用語の場合は、たいてい英語で使われはじめることが多いので、最初から「わかりやすい日本語」に置き換えてしまうと、原語がわからないせいで、その分野の専門家内で意思疎通がとれなくなってしまうこともありうると思われます。とくに、専門用語の場合は似て非なる用語が多いので、直訳気味のものが好まれますね。直訳ではなく意味を考えた訳語は、定着するのに時間がかかりますし。でも訳語の改変が大々的におこなわれることもあるようですね。岩波書店から『フロイト全集』が目下刊行中ですが、意欲的に訳語を変えていますね。もちろん一般的な使用に耐えうるものというよりは、より正確を期した訳語ですが。「夢判断」→「夢解釈」、「快感原則」→「快原理」、「リビドー」→「リビード」など。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
全部目を通しましたが、もし変なことを言っていたらご容赦ください(苦笑)

>「1点の負け」ではなく、「1点ビハインド」という表現がなされるのは、それに見合う意味があるからです。単に紛らわせているのではありません。

「ビハインド」はここ数年で定着した言葉ですね。
下でも述べてますが、ちょっと前までは「差」や「勝ち、負け」と言っていました。
ですが、「ビハインド」という言葉が耳に馴染んでくるようになり、こぞって皆使うようになりました。
人間というのは不思議な生き物で最初は違和感ある事でも段々慣れる(使う)うちに
それが違和感ではなくなり、元のモノ、言うなればオリジナルを取って代わるようになります。
しかしその結果、取って代わるのだから、オリジナルの言葉(ここでは「差」「勝ち、負け」)は徐々に隅に追いやられ陽の目を見なくなります。

ここが一番の問題点であり、今の日本の横文字の氾濫を推し進めている要因なのです。

>そのような「ビハインド」や「リスペクト」などの語は、まさに雰囲気が必要だから使用されているという側面があるからです。スポーツなどでは(中略)
雰囲気の共有のためのレトリックであるなら、まさにそれは表現力であり、それを否定するのは言葉狩りであろうと思います。

たしかにその通りです。
これは言葉を話す者、それを聞く者互いに知っていることで成立することですね。
共通の言葉で意思疎通が出来る。素晴らしいことだと思います。

>そこで私の立場は、聞くと想定されている対象者がその言葉を知らないはずなのにその言葉を使用するのはコミュニケーション的な問題を孕むゆえに反対するが、聞くと想定されている対象者がたいてい知っているはずなら、レトリックとしておおいに活用されてよいだろうというものになります。

なるほど。私もこれは賛成です。
新しい発見が出来ました。互いが知っているなら問題ない。要は使う場所が正しければ良いと。
色々な意見を言って頂き本当に感謝致します。とっても参考になりました。

お礼日時:2007/01/05 02:42

他の方の回答は読まずに書き込みします。


重複するかもしれませんが、お許しを。

私は同じように、「なぜ、最近は英語の歌詞(曲名)の歌が多いのか」というアンケートをさせていただいたことがあります。

言葉について、ちょっと意味合いが違いますが質問者様と多分同じ疑問(憂い)を持っています。

多分、かっこいいから、響きがいいから。
そうではないかと思います。

いろいろと理由つけても、日本語で表現するとなんとなく意味が直接理解できて響きが悪いことでも、英語だと耳障りがよい、そういうことではないかと思います。

ニート、ただのぷータロー(失業者)です。
重機運転手じゃ野暮ったいから、重機オペレーター

当然、日本語で表すことが難しい外来語もありますね。
そのことをおっしゃっているのではないということは、理解しております。

自由の国「アメリカ」に対する憧れの気持ちがどこかしらあるのかもしれません。

余談ですが、車の名前、もう少し日本語らしくてもいいのではないかといつも思います。
今は無くなったのだと思いますが、飛鳥という車がありました。
当然エンブレムは漢字ではなくて「ASUKA」でしたが。

すべての車がその必要は無いですが、日本語を基にした車名があっていいと思う人は少ないのでしょうね。
まさかハンドルを「舵取り」なんて言えとは言いませんが。

日本人が日本語に誇りをもてない・・・。
嘆かわしいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>多分、かっこいいから、響きがいいから。
そうではないかと思います。

これは無自覚で日本人誰もが持っていることだと思います。
英語=カッコイイ
欧米=憧れ
話はズレますが、茶髪、金髪にするのも似ていますね。

>いろいろと理由つけても、日本語で表現するとなんとなく意味が直接理解できて響きが悪いことでも、英語だと耳障りがよい、そういうことではないかと思います。

日本語の場合は直接な意味合いになるため英語を使用することに繋がっているとも考えてます。
英語の場合は一つの単語でも何通りと意味がありますから。
日本人は英語のこういった「一種の曖昧さ」を使いたいのではないでしょうか?
「YES/NO」をハッキリ言えない人種なので特にそう思います。

余談ですが海外で「日本人は個性がない」と良く言われます。
事実、日本人はオリジナルを作ることは苦手ですがコピーを作ることは天才だと思います。
日本の横文字(漢字)文化もこれに当てはまるのかも知れません。

>余談ですが、車の名前、もう少し日本語らしくてもいいのではないかといつも思います。
今は無くなったのだと思いますが、飛鳥という車がありました。
当然エンブレムは漢字ではなくて「ASUKA」でしたが。

これは時々私も思います。今の日本車はほとんど(全てと言っていいくらい)横文字ですよね。
しかも名前のセンスがお世辞にも良いとは言えない(苦笑)
動詞や形容詞の車種がかなり多いのも笑ってしまうところです。
車は海外にも目を向けているので、こういう時こそ日本語にして独自性を見せてほしいです。

今回の質問で皆さんがどういった考え、意見を持っているのか大変参考になりました。
気が付けば20件も頂いたということなので、この中から勝手ながらポイントを差し上げたいと思います。
ご協力ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/05 03:03

百人百様の考えがあると思いますが、質問者さんのお気持よく理解出来ます。

  私も常々同じように感じる時があります。

例えば、

役所等が
「アウトソーシング」(外部委託)

民間会社が
「クライアント」(顧客、得意先)、「プレゼンテーション」(発表のことだと思います。)

医療関係者が
「ドクター」(医師)
「ナース」(看護士)
「ブレークアウト」(はやり、流行、蔓延の意味らしいです。)

と言う時があるようです。

こんな難しい言葉は一部の人が分かるだけで万人に通じる訳ではありません。  簡単に日本語で表せる言葉は横文字言葉、カタカナ語にする必要性があるのでしょうか。  誰にでも理解出来る言葉、言い回しが最も大事なことに思われてなりません。

たどたどしい書き方で偉そうなことを言いました。  ご立腹の方がいらっしゃったらごめんなさい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>こんな難しい言葉は一部の人が分かるだけで万人に通じる訳ではありません。

分かります。一部の人が分かっても、まだ分からない人が圧倒的に多いので、こういう問題は
これから考えないといけないと思います。今の日本に言えることは
「日本語で意味が通じるなら、別に横文字にしなくてもいいんじゃないか?」
ということです。ただ何度も言うように横文字の方が理解が得られる場合も多々あるので
私が言いたいのは時と場合によって使い方を変えるということです。

どうも日本人は物事を難しくする傾向があるので、そこが問題ですね・・・
それと何でもかんでも欧米文化の真似をするところも残念です。
もっと自分(個性)を持ってほしいです。

お礼日時:2007/01/05 02:12

難しい問題ですね。

たしかに、経済雑誌や、流行を伝える雑誌などは、横文字だらけで、何を言わんとしているのか分からないことが、多々あります。

横文字が流入する理由は、いくつかあり、それによって賛否は分かれると思います。

「1点ビハインド」などは、実況中継などの放送上の都合なのかなと思います。短い間で、端的に伝えるときに、「1点ビハインド」ということばで、「1点差であること」、「負けていること(勝っていること)」を伝えられるのかなと思います。「1点を追っています」という「文章」で伝えるより、「単語」を並べた方が分かりやすいのかもしれません。
これに関しては、ビハインドがある程度浸透している現在としては、端的に状況を伝える技術としてある程度容認できます。

「ホワイトカラー・エグゼンプション」などは、発生?した国の言語をそのまま輸入した形なのでしょうが、この言葉に限って言えば分かり難いですが、全般的にはなんとも言えません。訳して、意味が伝わるものと、本来の意味と微妙に変わってくるものがあると思う為です。
「スタンディングオベーション」も、私の感覚としては、「拍手喝采」と、「立ち上がって拍手する行為」とは微妙に違うのだと思います。

あとの、「ビフォー~」「セレブ」などは、音の響きだけで使ったんだろうなという感じがします。平たく言えば、「かっこいい」からなのだと思います。この使い方には、あまり賛同できません。軽い使い方だなと思います。

全体的にいうと、日本語というのは、増殖していく言語なのだなと思います。欧米人が、横文字を見て滑稽だという話も、お礼のなかでありましたが、そうだと思います。それは、滑稽だと思われている言葉を、英語やフランス語だと思って見てるからです。でも、それらは、英語でもフランス語でもなく、すでにカタカナで表記された、紛れも無い日本語なのです。
(話しは飛びますが、)カルフォルニア巻は、日本の寿司とはかけ離れたものであり、日本人からみれば奇抜で滑稽かもしれませんが、アメリカ人にとってみれば、まぎれもなく「SUSHI」なのだろうと思います。これに似ているのでは思いましたが・・・。

日本語で言えばいいことを、カタカナにして複雑にするなという意見はごもっともだと思います。他の言語では表現できない、訳すことのできない日本語が多々あります。増殖していく言語であっても、そういうことは、決して忘れてはならないと思いますし、継承していかなくてはいけないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>これに関しては、ビハインドがある程度浸透している現在としては、端的に状況を伝える技術としてある程度容認できます。

そこが問題なんですよね。「浸透」というのがミソです。
人間誰しも初めて聞く言葉は意味を知らないため理解出来ません。
しかし、何度も繰り返すうちに意味が分かり、それによって使うようになります。
そこで横文字もそうです。「1点ビハインド」の件ですが、10年ぐらい前は普通に「1点差」と言っていました。
しかしいつの間にか誰かが「ビハインド」と呼び始めてから、「ビハインド=差(負け、勝っていること)」
というのが定着し今の形になったというわけです。

ここがちょっと恐いところなんですよね。
最初は違和感があっても何度も聞くうちにそれが当然のようになり、昔使用していた言葉は捨て(忘れ)
今使っている最先端の言葉を使うようになる。つまり淘汰するということです。

これが今の横文字の氾濫を招いている原因です。

>カルフォルニア巻は、日本の寿司とはかけ離れたものであり、日本人からみれば奇抜で滑稽かもしれませんが、アメリカ人にとってみれば、まぎれもなく「SUSHI」なのだろうと思います。これに似ているのでは思いましたが・・・。

仰る通りです。例え言葉の意味は違っていても自国に取り入れた時点で
言葉は自国の言語となって新しい意味になるんですよね。
ここが言葉の二面性ですね。分かりやすい説明ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/05 02:05

>myrtille55さんは初めて聞いた時この意味理解出来ますか?


ご質問の焦点はどこにあるんでしょうか。ご指摘の点はリテラシー(読み書き能力)の問題になりますが、漢語を大いに推奨してカタカナ言葉を排除しようとするのは、漢語崇拝になるだろうし。#15でもお答えしたように、読めない漢字の方が癖が悪いですよ。例えば「木天寥」って読めます?
今ならコピペしてgooで検索すれば読み方と意味がすぐに分かりますが、昔は大変だったんですよ。

> この点、yrtille55さんはどうお考えでしょうか?
そうです。それこそ、昔も似たようなことが起こったんですよ。つまり、漢文の知識がある人が漢語をひけらかしても学がない人は聞いてもチンプンカンプンていうなようなことが。それが今では英語に乗り換えているでしょうね。そもそも そういう素地を作ったのが漢語の夥しい流入でしょうし。もっとも、これが「チンプンカンプン」の由来でもあるんですが。それが今では英語に乗り換えているといったところでしょうか。

>中国語は何種類もあります。上海と北京では違うのと同じです。
中国語には方言があり、各方言の差は外国語と言ってもいいくらい違います。しかし、これは「話し言葉」においてであり、書き言葉においては差はほとんどなく、せいぜい繁体字と簡体字の違いくらいしかありません。

>あ~日本はこういう風に使っているんだな
これが少し違うんですよ。前回の回答の「毎度有難、我々非常上機嫌」のようにとんでもない誤解を生むんですよ。その他には「油断一秒、怪我一生」というのも中国人が誤解して日本人は何て責任感が強いんだなあと思ったとか。これ、中国語で解釈すると「一秒でも油を切らしたら、私を一生疑ってください。」の意味になります。それから、中国の郵便局でメモ帳に「切手」と書いて局員に見せても一騒動ありそうです。恐らく文字通りに「手をナイフなどで切る」と解釈するかもしれません。

誤解しないで欲しいのですが、私はfob777さんの考えを全面的に否定するつもりはありませんし、同感する部分もあります。しかし、広い角度でみれば色んな考え方もありますし、どれが一番正しい答えというのは存在しないと思います。また、漢語はよくてもカタカナ言葉は構わないというのも理に適っている面があります。つまり、これは程度の差の問題に還元できますが、カフェインはよくてもコカインはダメみたいに。
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この回答へのお礼

何度もご回答して頂き感謝いたします。

>ご質問の焦点はどこにあるんでしょうか。ご指摘の点はリテラシー(読み書き能力)の問題になりますが・・・・

難しく考えることはありません。
myrtille55さんが日常生活で初めて「プライオリティーは高めね?」というような事を聞かれた時、
理解出来ましたか?と質問してるだけです。
(プライオリティーという言葉を聞いた事なかったらすいません。)
私は上記の言葉を言われた時、何を言ってるのか分かりませんでした。
「プライオリティー?何それ?どういう意味?」と言った具合に。
ここで両者の壁が出来てしまうのです。日本語なら理解出来るのに。

>#15でもお答えしたように、読めない漢字の方が癖が悪いですよ。例えば「木天寥」って読めます?

物事を複雑に見すぎです。
そこまで難しい漢字が果たして横文字のようにそう実生活で多く出てきますか?
ちなみに「木天寥」は読めませんでした。

>中国語には方言があり、各方言の差は外国語と言ってもいいくらい違います。しかし、これは「話し言葉」においてであり、書き言葉においては差はほとんどなく、せいぜい繁体字と簡体字の違いくらいしかありません。

myrtille55さんの回答を見ると、この前の「毎度有難、我々非常上機嫌」の件もそうですが、
極論かなと思ってしまうことが多いです。というのも昔の事柄を持ち出しすぎなので。
現在の中国人が日本の漢字を見て、果たしてそこまで深刻になるでしょうか?
日本人と同じで、他国の漢字文化を見ても自分達の国との違いを知るだけだと思います。
たしかに中国の漢字と日本の漢字の相違で誤解もあります。
しかし誤解以前にある程度の差は互いを理解する事で解決すると思います。

この横文字(カタカナ言葉)の問題に関しては十人十色ですね。
私は言葉に限らず、使っているモノは大切にする性質なので、こういう問題は
ついつい考えてしまうんです。myrtille55さんの意見はきちんと受け止めます。
こういう考え方の人から回答を頂けて嬉しいです。参考になりました。

お礼日時:2007/01/05 01:50

何度も失礼します。



私の言いたいことが理解していただけないようですが、何度も申し上げますように漢語も外来語であるということです。「尊敬する」だって、やまとことばには「うやまう」という言い方あります。ですから、「うやまう」、「尊敬する」、「リスペクトする」というように使い分けられることが日本語の豊かさではないかと感じます。

>きちんと英語を話せるようになってから使え!と。
この論理で行ったら、キチンと中国語を話せるようになってから漢字を使えということになります。中国人から見たら日本人が いかに漢字を変な風に使っているか首をかしげるでしょう。

fob777さんはやたらに難しい漢字を多用されるといかに読みにくいか感じたことはないでしょうか? 新聞や雑誌程度なら全然問題がありませんが、難しい文献となると読めない漢字が沢山出てくることがあります。そういう時に読み方の知らない漢字を漢和辞典で調べるのって、
国語辞典を引くよりずっと時間がかかるんですよね。そういう文献に接することは少ないでしょうが、ある意味カタカナ言葉よりも始末が悪いですよ。

この手の問題を論じる人は多いですが、漢語とカタカナ言葉の違いの本質に迫る人は少ないですね。私は日本語の本来の美しさとは大昔の「和歌」にあると思うんです。漢語が日本語に溢れた時点で、日本語は本来の美しさを既に失っているように感じます。しかしながら、それを美しくする工夫を日本人は考えたもので、これは「詩吟」です。でも、
漢詩というのは、本来古代の中国人が韻を踏んで読んでいたんですがね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>何度も申し上げますように漢語も外来語であるということです。

漢語も外来語ですね。下でも述べてますが私もこれは理解しております。

>ですから、「うやまう」、「尊敬する」、「リスペクトする」というように使い分けられることが日本語の豊かさではないかと感じます。

これは日本語の豊かさというか、不思議な部分だと思います。
昔から言っている言葉をわざわざ横文字に変換して難しくしているのですから。
「プライオリティーは高めね!」とよく言いますが、myrtille55さんは初めて聞いた時この意味理解出来ますか?
「優先順位は高めね!」と言えばそれで済む問題をあえて横文字で言い、その結果
最初に聞いただけでは何を言ってるのか理解が出来ないんですよ?
そこが横文字の問題点なのです。
日常生活の中ではこのような出来事が頻繁に起こります。
言っている本人は理解出来ているかもしれませんが、聞いている人にとっては
何がなんだか分からず時間の無駄になってしまうのです。

この点、yrtille55さんはどうお考えでしょうか?

>この論理で行ったら、キチンと中国語を話せるようになってから漢字を使えということになります。中国人から見たら日本人が いかに漢字を変な風に使っているか首をかしげるでしょう。

これは違います。
myrtille55さんもご存知だと思いますが、中国語は何種類もあります。上海と北京では違うのと同じです。
従って、中国人が日本の漢字を見ても、日本独特の用法なので、おかしいとはそこまで思いません。
「あ~日本はこういう風に使っているんだな」と思うぐらいです。

>私は日本語の本来の美しさとは大昔の「和歌」にあると思うんです。漢語が日本語に溢れた時点で、日本語は本来の美しさを既に失っているように感じます。

その通りですね。仰るとおり、かつての日本語の美しさというのは漢字が出てきて、広まってから
失ってしまったのかもしれません。この辺りも勉強する価値がありそうです。ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/03 19:25

fob777さんのような疑問をお持ちの方は多いですね。

そして皆に共通しているのは、漢字は日本語に完全に帰化したので全然問題にしないが、カタカナ言葉には殊の外神経質になることですね。これは単なる言葉の認知度の差だけではなく、親和性の問題に関わってくると思います。つまり、漢字にしても、始めは日本には異質なものだったのに、長い年月の末、完全に漢字が日本語に馴染んだ結果ですよね。あと、人種的な要因も大きく関わってくるでしょう。というのは、日本人が初めて中国人を見た時は、服装は違っても顔形は日本人と似ていたのですが、最初に西洋人に遭遇した時の驚きはそれを上回ったことと思います。

そして、現在のカタカナ言葉の氾濫の要因は勿論、他にも沢山ありますが、日本語独特の特性があります。先ず、日本語は漢字が伝来する前から固有の言語を持っていました。そして、漢語から夥しい語彙を取り入れました。その数は日本語の語彙の半分以上を占めるまでに達しました。日本語でも固有の語彙は「やまとことば」と呼ばれていますが、これは造語力が弱いこともあって、余計に漢語に頼った面もあります。しかし、漢語にも欠点があり、それは先に申し上げたように、日本語に取り入れられると声調が完全に無視されて夥しい同音異義語を産み出しました。それを克服するのが カタカナ言葉とも言えましょう。また、日本で英語が重要視されるようになると、漢字はそのまま残っても、漢文も下火になり、難しい漢字も敬遠されるようになりました。つまり、日本語では膨大な漢語や漢字をそのまま維持しても、中国語が義務教育で教えられることもなかったので、同時代での国際的な繋がりが非常に弱くなり、日本語における漢字は創造性も模倣性も殆ど失いました。また常用漢字外の使用制限が更に拍車をかけました。

英語教育の問題点は私も疑問を感じますが、ご質問とは別の次元で考える必要があると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>fob777さんのような疑問をお持ちの方は多いですね。そして皆に共通しているのは、漢字は日本語に完全に帰化したので全然問題にしないが、カタカナ言葉には殊の外神経質になることですね。

昔はそんなに気にしていなかったのですが、最近のカタカナ言葉の氾濫には
少々参ってるところです。神経質になるとはまたちょっと違うんですけど(苦笑)
「日本語で言えば済む問題をわざわざ英語に置き換えて複雑化する(かっこよく見せる)」
ことが理解出来ないのです。
「尊敬する」を「リスペクトする」と言いますよね?
別に日本語で言えばいいのに、なに気取ってんだか・・・といつも思っているんです。

私含め、他の回答者さんも言っていますがカタカナ言葉で言う必要のないことを
カタカナ言葉にして意味を伝わりにくくしているのが日本の現状です。
漢字が日本語に溶け込んで発展したのは素晴らしいと思います。
それで横文字も同じではないか、ということも頷けます。

だた、私が何度も言っているように、「日本語で言えばいいものを意味なく横文字で言いなおす」
ことが日本人の理解し難い部分なのです。そんなに横文字を使いたいのであれば
きちんと英語を話せるようになってから使え!と。
私の疑問に思っていることご理解頂けましたでしょうか?

お礼日時:2007/01/03 00:50

>たしかにその通りですが、こちらの方が多くの日本人に理解が得られるので良いと思います。


しかし、同音異義語の問題がありますからね。例えば コンピュータ用語で「ログイン」を「進入」、「ハッキング」を「浸入」と訳したら、漢字を見れば識別できるのに、耳で聞いたら とんでもない誤解をすることも否定できません。それから、常用漢字枠の原則というのもカタカナ言葉の氾濫に拍車をかけている1つの要因にもなっています。

これは全く馬鹿げている仮定かもしれませんが、漢字は推奨してカタカナ言葉を避けるのであれば、学校教育でも 中学校からの英語を止めて代わりに中国語でも教えたら状況が少しは変わるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>しかし、同音異義語の問題がありますからね。例えば コンピュータ用語で「ログイン」を「進入」、「ハッキング」を「浸入」と訳したら、漢字を見れば識別できるのに、耳で聞いたら とんでもない誤解をすることも否定できません。

果たしてそうでしょうか?
同音異義があるのは分かりますが、同じになる場合は、別の言葉にすることで回避可能です。
ログインの件ですが、「進入」が「侵入」と間違われる恐れがある場合、「接続」と意味が近い
語句にすればいいだけです。また下にも述べてるように、
日本語に変換が難しいのであれば横文字にするのも良いと私は言っています。

それと、日本が英語を習っても、今の教育上、あのような読み書きだけの
授業ではいつになっても話せるように(使いこなせるように)なりません。
myrtille55さんもこの点は分かっていると思います。
これだけ英語が話せない、使いこなせない人種が日常会話、雑誌、街中などで
無意味に横文字を使っていることが不思議ですし、滑稽でならないのです。

お礼日時:2007/01/02 20:01

海外在住です。

日本に一時帰国した時に、意味を日本語でつけなければ分からないような英語をそのままカタカナで使用するのを目のあたりにし、やはりfob777さんと似たような考えを持ちました。

一昔になりますが、インフォームド・コンセント。(説明と同意)という訳が「金魚の糞」のようにいつでもくっついてましたよね。じゃあどうして日本語で書かないの?と思いました。

モチベーション。(意欲)と訳します、と言いたいところですが、『意欲』と言う言葉をカッコ良く言いたいが為カタカナ英語を使用する必要もないのにわざわざモチベーションという言葉を使用しているとしか感じません。

最近の日本では、『これは何ていう意味?』とわざわざ日本語の意味を調べなければいけないようなカタカナ英語が氾濫し過ぎてるていると思います。ここでご回答された方々の中にもそういう経験をされた事のある方が少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?

日本人が、日本語の方が明らかに分かるような単語をわざわざカタカナ英語で表現しなければならない理由はただ単に「外国語を使用している事によるかっこよさ」を見せたいからではないでしょうか。

もちろん、コンピューター関連の専門用語等、かえって日本語に訳する事が出来ないようなものもたくさんあります。そういうカタカナ英語用語を無理して日本語に訳せとは言いません。世界の言葉は混ざり合って変化していきます。中国から来た漢字はもちろん、カタカナ語も数多く日本語にはあります。誤解してる回答者様がいらっしゃるようですが、私もfob777様も、それらを全てひっくるめて否定しているのではありません。テレビニュース(映像付き電波報道?)等、皮肉に日本語訳をして、『古い考えの質問者』と、あざけ笑うかのような人達が日本にいるのはやはり悲しいですね。

日本という国があっての日本人、日本人あっての日本語ですから、意味を日本語で聞かなければ分からない様な、必要のないカタカナ英語を使用せずにできるだけ自国の言葉を尊重する日本の将来がきて欲しいものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>一昔になりますが、インフォームド・コンセント。(説明と同意)という訳が「金魚の糞」のようにいつでもくっついてましたよね。じゃあどうして日本語で書かないの?と思いました。

これは私も強く思いました。説明と同意で事足りるのになぜ英語で言うの?と。

>「外国語を使用している事によるかっこよさ」を見せたいからではないでしょうか。

そうですね。日本の音楽が特にこれが当てはまります。
曲名や歌詞、歌手名等、変な横文字ばかりで意味が分かりません。
歌詞なんか特にそうです。歌っている本人は全く発音がなっていないというのに・・・。
そのため、外国人が聞いても理解出来ないし、日本人なら尚更です。

>日本という国があっての日本人、日本人あっての日本語ですから、意味を日本語で聞かなければ分からない様な、必要のないカタカナ英語を使用せずにできるだけ自国の言葉を尊重する日本の将来がきて欲しいものです。

その通りですね。日本人が正しい、キレイな日本語を話せずして誰が話すといったところです。
せっかく日本には美しい、多様な日本語があるのだから、もっと大切にして将来へ繋げていってほしいです。
日本語で代用出来るならする、出来ないなら横文字を使う、今の日本に欠けているのは自分達の文化の誇りです。

お礼日時:2007/01/02 02:00

確かに、訳の分からない"片仮名語”が多すぎて、使っている人自身が意味を知らない場合が結構あるのではないでしょうか。

英語自体がフランス語らか取り入れられたラテン語系、ギリシャ語系の単語が多すぎて
整理に困っているのでは? 
堂でもいいような変な”カタカナ語”は直ぐに消えていくのではないでしょうか。私は出来るだけ使わないようにしている積りです。と言うのは、英語から取り入れたとして、本来の英語の意味とは違うことが結構あり違和感を感じていますので。
自分で出来る限り考えて使うか、如何するか決められたら如何ですか。使う連中は”勝手にしろ”と言う外ないでしょう。また、日本語を知らない連中と見做せば好いだけでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回答者さんの中で自分を「古い人間」だと思っている人がいますが、
私はただ単に今の日本の現状を悲観しているだけなんです。
そこをきちんと理解せずに、「時代の流れ」と言われても困ってしまいます。
こういうところもまた国語力の低下に繋がっているのでしょうね・・・

>自分で出来る限り考えて使うか、如何するか決められたら如何ですか。使う連中は”勝手にしろ”と言う外ないでしょう。

そうですね。私はなるべく日本語で置き換えられるもの、意味が通じるものは
日本語を使うようにしています。PC用語はこうはいきませんが(苦笑)
横文字にも素晴らしい部分はあるので、そこを効率よく取り入れていってほしいものです。

お礼日時:2007/01/02 01:47

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