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中世後期のガリレオ・ガリレー,コペルニクスらの天文学,ワット,フォード,ライト、エジソン等の科学技術や近年のノーベル賞受賞者は圧倒的に欧米人が多いです。-湯川秀樹氏より以前の日本人の中には明らかに賞を受けても当然の人が2~3人いましたが逃しています。この件は黄色人種への差別と批判されたため,授与側も公正さ保つ事に努力して,2002年には当時日本でも無名であった田中耕一氏が受賞して大きな話題になりました。
それにしてもアメリカの科学部門の受賞者はは約130人(日本の科学賞は9人ーアジアでは最多数)と圧倒的でして,欧米人の受賞が約90%を占めます。
人類は15万年前にアフリカの一人の女性を共同の祖先とするミトコンドリア・イブ説が有力ですが,コーカソイド(ヨーロッパ人)と東アジアのモンゴロイドでは体型的にも発明・発見的な要素の違いがでてきた原因にも不思議さを感じます。
超弩級の人口を要するお隣の中国(モンゴロイドの代表格)は文明や文化には華やかさがあり,数々の文化遺産を残していまますが,科学秘術面でみると目を見張るものがありません。
コーカソイドとモンゴロイドは同一起源なのでしょうか。同一起源であれば何故このような違いが出てきたのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

論議が盛り上がっていますので遅まきながら参加させていただきます。



私は後天的のものと考えています。
ヨーロッパは広くもない土地で非常に多くの戦争を経験してきました。
必要は発明の母といいますが戦争は論理的な思考が鍛えられる機会になり、また科学が飛躍的に発達する契機になるものです。

ヨーロッパでは戦争のなかった時期を探すのに苦労するほどで断続的ですが100年戦争や30年戦争といった長期にわたる殺し合いが頻発しています。

そしてその都度科学や経済の躍進を経験しています。
このような風土、環境は東洋の場合も存在しましたがある時期永い平和の時期がありました。
中国では王朝の交代が起こりましたがそれぞれかなりの平和な時期があり、国土が広いので戦争も局地的な感じで関係していない地方は平和な状態といえたでしょう。
また康煕帝が中華は欲しいものが全て揃っておりこれ以上なにを望むのかと広言したほどでした。
このような刺激のないところへ閉鎖的社会を形成すると論理的思考は鍛えられず、科学の発展は停止するでしょう。 そして芸術への嗜好が科学よりも優先されるようになります。

この差が次第に定着してきたのではないかと考えます。 
いわゆる学力差は教育格差であり先天的能力差ではないとかんがえます。  その証拠がノーベル賞でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有り難う御座いました。
収斂進化論ですね。
確かに技術の進歩は戦争に起因するところが大きいです。未来技術であるロボットにはアシモフの「ロボットは人間を殺さない,etc」という3原則がありますが,これも戦争に使うような動向になってきています。
人間は何処にいこうとしているのでしょうか?。

長い間,貴重なご意見を有り難う御座いました。これで打ち切らさせて貰います。

お礼日時:2007/01/10 15:53

 NO.8です。

人種による頭の良さ、悪さがあるかどうかを論じることは、一向に差し支えないと思います。差別とは別問題です。
 このカテゴリーでも「藤原、源、平などの名字の人は、明治初期に無学文盲であった人の子孫だ」と断定した回答がありますが、事務局でも問題にしていません(しかし、「文盲」という熟語はワードではもう出てきませんな)。
 それより、心配なのは「議論目的」と取られて、一連の質問回答が全部消されてしまわないかと言うことの方が心配です。みなさん仲良くやりましょう。

 さて、西洋人と東洋人の間には、体格顔付きなどの外見には差異があり、運動能力は西洋人やや優勢の結果が出ていますが、頭はどうかという問題です。
 人種の差を論じる前に男女差について考えて見たいと思います。普通の鍛えられていない男女の運動能力には、かなりの開きがあります。しかしオリンピック競技の記録を見ると、女子は概ね男子の記録の90%です。そして普通の男性はこれらの女子選手に100%かないません。
 頭については運動能力よりさらに縮まり、ほとんど差はゼロに近いのではないかと思われます。
 頭脳のスポーツである囲碁は、日本、中国、韓国が世界の三強ですが、頭脳に関してはこの三国は100%同レベルと考えていいでしょう。中国や韓国の女性棋士の強豪は男性棋士とほとんど互角にやれますので、囲碁が女性にもっと普及すれば、女性のチャンピオンが出てくる可能性は充分にあります。
 運動能力に歴然とした差がある男女間でも頭脳の差はほとんどないとすると、同じ男性同士または女性同士で人種間の運動能力はもっと微差ですから、「頭脳全体のハード的能力」は差はゼロと考えていいんじゃないかと思います。
 あとは頭の中身の問題です。日本の将棋の女子プロ棋士は男性プロとかなりの実力差があります。男子アマのトップにもやや分が悪いと思われます。これは女性の将棋人口の少なさの問題もありますが、女性に数学的能力(どちらかといえば幾何)にやや劣る点があるのかなあ、という感じがします。
 さて本題の西洋人と東洋人の頭脳の差ですが、頭脳全体のハード能力の差はないと思います。ただ、男女の差で言われている幾何ベクトル的な空間把握能力(男性が優れている、狩猟の影響といわれている)のようなものが、人種間で差がないかと聞かれると絶対にないとは言い切れないですね。
 しかし、あったとしても微差でしょう。発明とか技術革新は、その国の人口の大きさと社会のしくみや環境によるところの方が大きい・・・と願望を込めてですが、そう思います。
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ええと、まず質問者さんには既に「コーカソイドのほうがモンゴロイドやネグロイドより知的能力が優れている」という結論が出ているんですね。

もう結論自体が出てしまっているのでそれを覆すことははなはだ困難ではありますが、おっしゃっていることに一理はありますが、全体としては間違っております。

まず、質問者さんが評価の対象にしているのが欧米で最も権威のあるノーベル賞です。21世紀文明社会において、この賞が最も権威があるのは確かではありますが、これをもって人類史全体を評価するのは野球でいえば9回の表裏だけ見てどっちが勝ったと論じているようなもので、決してフェアではありません。
他の方も書いているように、ヨーロッパルネッサンスの三大発明である火薬、羅針盤、活版印刷は全て中国で既に発明されたものです。自分達の発明であると勝手に歴史を書き換えていますけれども、本当はコピーしただけなので著作権に抵触しているのは間違いありません。
また、ヨーロッパではゼロを発見するまでに何百年もかかっています。ゼロというのは「存在しないけど、存在するもの」であるので「存在しないのに存在するって、おかしくねえ?」とヨーロッパでは長い間議論してようやく発見できました。
しかし、それよりずっとはるか前にインドでとっくにゼロは発見されていました。現代の我々は数字を現すのに0123456789のアラビア数字を使っていますが、これは元々インドで発明された数字で、それがアラビアを介してヨーロッパに伝わりました。このアラビア数字のおかげで数学は爆発的に発展したのです。
ありとあらゆる分野においてルネッサンス以前は中東やアジアのほうがよっぽど発達していました。

ただ、ヨーロッパ人がアジア、アフリカ人より明らかに優れている点がひとつありまして、それは人殺し(戦争)の才能にかけては飛び抜けているんです。元々、アジアや中東諸国がヨーロッパを征服しようとしても途中で止めてしまったのは、あまりにヨーロッパが貧しいので苦労して征服するうまみがなかったからともいえます。
逆に、ヨーロッパにとってアジア、アフリカ、アメリカは資源も文化も豊かだったので、それを征服することによって発展してきたといっても過言ではありません。そのあたりについては、もうちょっと大航海時代からアヘン戦争あたりまでの世界史を勉強していただきたいなと思います。失礼ではありますが、質問者さんはそのあたりの歴史を熟知した上でそのような結論に達したのではなく、無知ゆえにそのような結論になったと思います。

ただ、教育学などの分野ではいわゆるネグロイドとその他の人種を比べると明らかにネグロイドの学力が劣っていることは事実としてあるようです。しかし、これは一歩間違わなくても差別問題になるので関係者は口をつぐんでいるのが現実のようです。
一方、運動能力の分野においてはネグロイドの優位性に異論を唱える人はほとんどいないと思います。オリンピック200m陸上でネグロイドが表彰台を独占しても、モンゴロイドが表彰台を独占することは未来永劫ないでしょう。モンゴロイドとネグロイドを比べると絶対的な筋量が違うのは医学的事実であります。

さて、21世紀社会においてアメリカがアカデミズムの権威であるのは、コーカソイドの優位性を証明するものではなく、21世紀において最も(いろいろな意味で)先進国なのがアメリカ合衆国だからです。
歴史的に見て、最も優秀な人材はいつの時代も最も進んだ国を目指します。なぜなら、そこには自分の能力に見合う人々と場所があるからです。
ギリシャ文明が全盛だった頃、ギリシャの優れた人物はアテネに集まりました。そこが「知の権威」だったんです。やがてローマが台頭すると、知識人はローマに集まりました。カソリックがヨーロッパを(思想的に)支配していた頃はバチカンこそが「知の権威」でした。
やがてイギリスが七つの海を支配するとロンドンの王立アカデミーこそが科学の権威になりました。そして今はアメリカです。
一方、東洋では長く中国がスーパー先進国であったので、周辺諸国は中国を目指しました。日本でも遣隋使や遣唐使などがありましたね。送られたのはほとんどが知識人です。彼らは国費で留学し中国の優れた技術や思想を持ち帰り国の発展に役立てることを期待されました。

確かに、近現代史においては欧米が最も優れた文明であることに異論はありませんが、あと1000年するともしかしたらオーストラリアあたりが先進国になっていて「アメリカは人口がいるだけでたいしたことがない」というふうになるかもしれません。
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この回答へのお礼

無知とのご指摘でいたみいります。こういう答えが返ってくりのも予想されました・・・。これでも歴史好きと自認していますが。

ところで文中にインドを取り上げておられますが,イランやインドはアーリア人であり,約5000年前までは南ロシア地方に居住していたヨーロッパ系人種です。今,インドがIT分野で躍進しているのも関連するのではないでしょうか。
もう1件,1000年先の事を例にされていますが,過去の100年間には加速度的な技術の進歩があり,更に加速しています。100年先の事も予測が付かないのではないでしょうか。爆発する人口や環境異変による天候不順に対する食料問題,枯渇する化石燃料にたいしての代替エネルギー問題,これを科学技術で何処まで解決できのかが最大の課題ではないでしょうか。

お礼日時:2007/01/10 15:08

 人種的に、頭脳の出来に差があるかどうかですが、これは難しい問題ですね。


 運動能力についてはオリンピック競技などを見ると、明らかに差がでているように思います。
 イヌなんかを見ていますと、犬種ごとに運動能力や知能に明らかな差があります。しかし、これは目的ごとに人為的に作り出した犬種ですから、人種と同列に見るわけにはいかんでしょう。
 イヌほどではありませんが、ヒトも人種ごとに形体的には差異があり、運動能力にも若干の差があることを考えれば、頭の中身にも若干の差異があってもおかしくはありませんが、これはよくわかりませんね。
 考古学的には(ニグロイド)と(コーカソイド+モンゴロイド)が先に分かれ、その後コーカソイドとモンゴロイドが分かれたという説が有力なようです(本当にそうなのかどうかはわかりませんが)。
 コーカソイドとモンゴロイド(特に新モンゴロイド)は、住んでいる環境によって体つきや顔付きも、現在のように変わって行ったと言われていますが、知能など頭の中身は外形ほどの差異はないように感じます。
 仰せの通り、現在まで科学部門は欧米人優勢です。これは近代科学が西洋で発展し、全世界はヨーロッパ人に席巻されましたが、この余波が最近まで残っていたということなんじゃないでしょうか。
 さて、その近代科学がすべて西洋人の発明の結果かといえば、そうではないように思います。羅針盤や火薬のおおもとは中国ですし、数学や化学はイスラムでしょう。
 西洋人はそれらをパクリ応用する意欲と技術に長けていたんじゃないでしょうか。 
 発明とか発見は偶然の要素が多いと思われます。現在世界で使われているほとんどの技術は元をたどれば、たった一人の素人の偶然同様の産物が多いように思います。
 日本は島国で、その時代は鎖国同様でしたから、そういう他国の発明、発見に触れる機会が少なく、人口も知れた数でしたから、確率的に偶然による発明、発見も少なく欧米に立ち遅れたのはしようがないことだったと思います(それでも和算はすごいですがね。縦書きの漢数字でどうやって微積分やその他の数学をやったんでしょうか?)。
 西洋人による近代科学の発展は、自分達による発明発見もありましたが、発展の一番の原因は彼等の行動力やガメツサであったように思います。新奇なものを追い求め、他国の発明や発見を応用して、それをさらに発展させるという行動力と意欲の激しさ点で、東洋人より勝って居たんではないかと思います。
 これは彼らがもともと狩猟民族であったことと、加えるに伝道宗教としてのキリスト教の性格による影響が大きかったように思いますね。
 明治維新後、西洋人にサルマネとけなされながら(西洋人もサルマネであったくせに)日本の近代科学も発展し、ほぼ彼らに追いついたと思います。
 これからは彼らと互角に勝負できるんじゃないでしょうか。運動能力と同じように頭脳に差があるようには思いませんね、というより、思いたくありませんね(でもゼロを発見したのもコンピューターソフトの最先端を行くのもインド人→アーリアン→コーカソイド ということらしいですからチョッと心配ですが(笑))。
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この回答へのお礼

ご回答の如く,運動能力は圧倒的にアフリカ系が優位です。彼らが日・欧米並の生活水準に達した時のスポーツ界は彼らに席巻されると思います。

コーカソイドとモンゴロイドイドは身長や手足の長さ,顔に関しては鼻の高さ,瞳の色,髪の毛の違い等が顕著です。運動能力も違いがあります。しかし脳の構造は全く違いがないのでしょうか。

差別に繋がる事項ですので軽々しく発言はできませんが,私の考えは両者の個体間には余り差違が有りませんが,何らかの要因により欧米人には天才が現れるのではと思えてなりません。

非難が轟々とでそうです・・・・・・。

お礼日時:2007/01/09 23:41

 素人考えかも知れませんが、中国とヨーロッパとの違いは何でしょうか? それは、「神を信じるか?」という点での違いでしょう。

 つまり、ヨーロッパは「いったい、神は本当に存在するのか?」と病的に考える癖があります。これに対して、アジアの考えは「目の前のものがめでたければよし」でしょう? たとえば、お正月に賽銭を投げるのはなぜでしょう。それは、神からのお恵みを求めてでしょう? しかも、本当に神が居るかどうかも考えず、ただ、自分の幸いを求めて賽銭を投げているだけでしょう。

 ヨーロッパは「本当に神はいるのだろうか?」と、どうすれば、「神の存在証明」が出来るのだろうか? と考える癖がもう、病的に付いてしまっていて、たとえば、ゲーデルの不完全性定理を見ればわかるように、とにかく、何でも「神の証明」を求める努力が発明につながってきたと言えましょうか。

 これに対して、「神の存在証明」なんて考えたこともないような日本人に、しっこく考える癖がない(淡泊であること)ことが発明の少なさにつながっていると考えます。人類の違いと言うより、宗教的しつこさがあるかどうかで、発明の多さに違いが産まれたと言えましょう。

 ちなみに、ゲーデルはユダヤ系でした。ですから、宗教的思考と発明とは深い関係があるのかも知れません。日本人はこのような宗教的思考はないので、どうしても不利です。果たして、私の回答は納得できましたでしょうか?
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この回答へのお礼

宗教論で説明されるのですね。
失礼ですが,私には理解できません。
無知でごめんなさい。

お礼日時:2007/01/09 23:03

えっと・・・つまり種の優位性、という話ですよね?


ナチズムに利用されたおかげでタブー視されている上、差別に直結する問題ですから目を背けられることが多い話題ですが・・・

結論から言えば、人種によって、得手不得手は存在します。これは歴史的に見ても傾向で存在しています。

たとえばユダヤ人は歴史的に見てもお金稼ぎが非常に上手な人種です。中世~近世の欧州世界において資本を最も多く保有していたのは紛れもなく欧州全体としては少数民族であるユダヤでしょう。蓄財を否定していたカトリックが主流の時代ならばともかく、蓄財を肯定した宗派が広まってもなおユダヤが力を持ち続けているというのは、やはり民族的な力があるのでしょう(ただ、あの民族は協調性が・・・)。

日本は、ご存知のとおり模倣と発展の文化です。日本の武芸や文芸において「守」「破」「離」という思想があります。これは、中国、朝鮮から漢文、政治体制、仏教といった当時の文明国が持つべき思想、体系すべてを輸入して漢文中心の政治体系を作った後、仮名を作り、和歌を作り、独自の仏教を発展させたわけです。明治に入っても日本は同様のことを行っています。技術、政治体制を取り込み、それを発展させています。
たとえば、日本は自動車を発明することは出来ませんでした。しかし、現在の日本製自動車は世界一といってもなんら問題ない性能を誇っています(ただ、この民族もいまひとつ協調性が・・・)。

まあ、分かれてから肌の色がかわるほどの期間がたっているのですから、多少差があって当然かと。

ニホンザルだって群れによってはイモを洗う猿とイモを洗わない猿とか花を食べる猿とか麦を食べる猿とか群れによってさまざまなのですから、人間だって多少の差はあるのかと、私は思います。優劣ではなく、個体差なのでしょうけどね。で、民族に寄る個体差の中にさらに個人の個体差がある。といった感じかな・・・

もうひとつ、重要なのはシステム面での機構です。
技術科学というのは結局積み重ねです。たとえば、万有引力を知らない人がいきなり相対性理論を生み出すことは出来ないわけです(出したところでそれはギリシア世界におけるデモクリトスの分子みたいなもので、学術的な考えにならない)。
学ぶだけの素地がなければ発展しないというのはあります。日本でその素地が完成したのはおよそ100年程度前ですね。中国ではここ数十年といったところでしょうか。2.300年前から素地が有る西洋と、発見数をくらべるのはあれかと。

中国は黒色火薬、羅針盤、印刷、製紙といった技術を開発しましたが、それを発展させていくだけの素地が育たなかった上、国家がこれを保護しなかった。
超大国に加え実質的な鎖国ゆえ、科学技術に頼らずとも世界一の軍事力を保有しえたこともあるのでしょうが、残念なことです。イスラム世界も同様です。

ただ、科学技術について言えばはまだ歴史的な差は不明です(システム面の差が大きすぎるため判断がつかない)。あと100年位して、それでも東洋世界と西洋世界の発明数に大きな開きがあるならば、それはやはり民族差があると考えることも出来るかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答有り難う御座います。
科学技術には連続性というシステムが必要という事にある程度の納得をしています。日本を始め東南アジアの国は鎖国に近い状態でしたから情報が入らず技術の進歩が停滞した。成果を出すには100年を要するとの解釈ですね。

お礼日時:2007/01/09 23:00

ノーベル賞というものを誤解していませんか?



ノーベル賞は最初の一歩(例外は文学と平和)を発見した人が貰える賞です。元々は最初の一歩を発見する人は莫大な研究費を必要とするのにそのお金が無くて研究が止まる可能性があるのでそれに対して援助しようというのが始まりでした。
一応厳選なる審査の上で最初の一歩を発見した方を表彰してきたのですが近年の再調査で受賞者と第一歩が違っていることが相次いで確認されたため、審査が厳しくなり、だいたい発見から20年ほど必要となっているのが現状です。

戦後、日本人によって相次いで発見された技術や科学は多く、沢山審査対象になっています。あと5年から10年したら日本人が多数受賞し、30年ほどしたら中国やインドも多数受賞すると思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答有り難う御座います。
只,以前に申し上げた如く,ノーベル賞は一つの例として記載しましたが,私の疑問は近代から現代に至る間の”画期的な科学技術”の発案が欧米人に偏っているのは何故かという事です。
お一人から英・仏のシステムとご回答頂きましたが,ベル,エジソン,フォード,ライト等の先駆的な発明者は米国人ですし,レントゲン,キュリー,アインシュタインも英仏人ではありません。WW2戦争時以降は個人よりも集団の発明が多くなりました,核エネルギー,ロケット,人工衛星,コンピュ-ター,IC,パソコンもしかりで納得しかねています。

お礼日時:2007/01/09 14:05

http://www.nobelpreis.org/japanese/index.html
http://www.ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83 …
乃至http://www.indochina-war.com/menu3.htm

を参照すると次の点が浮き上がる訳です。

化学賞LF、ロワール(1970年:アルゼンチン)
平和賞レ・ドゥク・ト(1973年:ベトナム但し、彼は授賞したが、受賞を辞退した)
文学賞R.タゴール(1913年:インド)
医学生理学賞BA、ウッセイ(1947年:アルゼンチン)
物理学賞CV,ラマン(1930年:インド)
経済学賞A、セン(1998年:セン)

と言う按配で、(日本人が未受賞部門の経済学賞を除外するとしても)全て、後塵を拝している形となっているのです。

更にノーベル賞の場合は国籍で分類されていますから、例えばマリーキュリーはポーランド(人)ではなく、帰化した仏(人)としてカウントされています。

ですから、日本人研究者が評価されたとしても、彼(or女)が国外に頭脳流失して、他国に帰化すれば帰化先の人間として扱われる訳であって、日本(国籍の)人間の受賞者増には繫がらぬ、と私は捉えていますが、如何でしょうか?
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この回答へのお礼

ビール付きの夕食をしている間に4人の方からご回答を頂きました。有り難う御座います。
私がノーベル賞を引き合いにしましたのは一つ例でして,まして日本がアジアで最多というの事を力説するつもりはありません。
客観的にみて近代から現代にいたる科学技術の発想は欧米人に依存している事の事実についての人類学,遺伝学あるいは歴史的経過があるのではと質問しています。
すみません。

お礼日時:2007/01/08 21:18

北里柴三郎が留学した時、あまりにくだらない質問をするので医師連中が無視したそうです。



答えに困っていると、掃除夫が教えてくれました。^_^
これで医者?
東洋で病気になったら大変だ死んじゃうな。
こう大笑いされたそうです。

日本では明治維新までは
文字すら武士の物でした。
数学者は、和算で微分積分を解いていましたが、一握りの人間にすぎません。

また、幕府に不都合な本を書くと発禁され、牢獄に送られるので言論の自由もありませんでした。

また、空を飛ぼうなどと考えると、伴天連術だと噂されると捉えられ、命も危うかったと聞いています。

また、幕府は身分制度で都合の良い儒学を教え、蘭学を除外する向きがありました。

明治に至り、自由民権運動運動が起こります。
実質は、投票権や、政治に参加するなどの行為は自由ではありませんでした。
不敬罪(天皇を揶揄するような発言、風刺)は逮捕された時代です。
政治批判など命がけであったようです。

江戸時代までは家柄で仕事が決まりました。
これは明治でもさほど変わりません。

こう言う、封建主義と帝国主義が国民を抑え付けていましたので、
ここで実力を開花させた方は素晴らしい人間だと思います。

また、別方向から見れば、
キリスト教の絵画や、錬金術、戦争などの影響もあるとは思います。
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日本語文で受賞を前提にしている(と、言える)芥川賞では、ほぼ全員が日本人となっている。


これをもって、日本人が人種的に優秀だと考える人はいない。
科学技術という分野が、この2,3世紀の間に欧米諸国で発達したモノであるから、科学技術に関しては欧米諸国での受賞が多いのはあたりまえ。
ノーベル賞で日本の科学賞がアジアで最多なのは、日本がアジアでもっとも最初に欧米的科学技術文化に適応したからであって、日本人が優秀とかという問題ではない。
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